三郎兼続の日記

趣味の写真で山登り・旅行を主体にした日記
最近は山登りが少なく、城郭・巨木へ

岩手県盛岡市の志波城跡に行って来ました。

2020-08-10 12:31:20 | 城郭岩手
2020年8月5日(水)に岩手県盛岡市の古代城柵の志波城に行って来ました。

復元した、志波城外郭南門・・・ほぼ威嚇の城郭で二重の壁で囲んでいますね、外側の櫓門と周囲を築地塀(ついじべい)で外に堀の古代城柵です、大化の改新645年以降大和朝廷の積極的な領土拡大政策で神亀元年(724)宮城県多賀城、天平5年(733)秋田県秋田城(現在一部復元)、その後北東北一帯に801年頃横手盆地に払田柵・802年北上盆地に胆沢城・ここ志波に803年城柵を築きました、北側の雫石川の氾濫があり約10年で廃城となった、お城ですね。

志波城跡ですが北側は川の氾濫で焼失ですね・・・。

秋田城もそうですが、古代城柵は復元されないと縄張りが見えずわかりませんね、山城はいくらか当時の縄張り図が素人でも推測できますがね。

60m間隔に櫓が築地塀の上に構築されていたのです、もともと陸奥の蝦夷(えみし)を収めるため坂上田村麻呂が征夷大将軍としとして胆沢城・志波城を築いたのですから・・・・それ以前は延暦年間(789)エゾ征討で強い抵抗にあい敗れたのです。

表側正面からの外郭南門(櫓門)・・・・奥が南大路でその奥に南門・・・・その奥が政庁・・・。

外郭南門を入ると南大路ですね、東西南北に各門があり、真ん中に政庁がある縄張りですね。

南大路の突き当りに南門・・・その先に政庁があったのです。広い城柵なのです。

外郭南門の内側から見た築地塀と兵の住居跡(竪穴式住居?とか)。

内部から見た櫓門・・・・登りの階段が見えませんが、一部囲いが無い場所から梯子で登り降りしたのでしょうね。

官衙建門・・・・竪穴式住居とのギャップ??。

内側の横から、櫓への登り口はありますね。

塀上の櫓が見事ですね。

城壁の手前には堀があったのです・・・・。

外れの方の櫓・・・・塀ありませんでしたが?。
バスの時刻が2時間位の間隔なのでゆっくりできず駆け足での見学となりましたね。

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