三郎兼続の日記

趣味の写真で山登り・旅行を主体にした日記
最近は山登りが少なく、城郭・巨木へ

延岡城行って来ました。

2023-12-09 06:54:38 | 城郭宮崎
2023年12月2日(土)に宮崎の延岡城に行って来ました。

慶長6年(1601)高橋元種が築城、慶長19年(1614)改易・有馬家が入封・・・以後三浦・牧野・内藤家7万石が治める。

五ヶ瀬川・大瀬川に挟まれた(外堀)城山?の台地上に築かれた平山城。

延岡城案内図。

延岡城縄張り図。

此方の方が見やすいので、北駐車場から入り、北大手門より城内へ。

北駐車場脇から見た。北櫓の石垣。

少し角度を変えての北側の石垣、駐車場は昔の水堀ですね。

北大手門入口・・・。

北大手門。

北大手門・・・復元されたものですね。

城内より見た北大手門。

北大手門を入ると目の前に19mの高石垣が・・・・。

基礎石を外すと石垣が崩れる仕掛けで、千人殺しの名前がある高石垣。

高石垣を回り込むと本丸への登りが・・・・右側は二の丸、石垣を左方面へ行くと三の丸。

本丸への登城道から見上げた高石垣。

本丸への虎口、二階門櫓の石垣。

少し下がって、二階門櫓方面を見ました。

先に進みますね、二階門櫓を回り込みます、右側が本丸。

本丸への虎口、左右の櫓から狙える構造ですね。

もう一度、二階門櫓の石垣を。

本丸へ・・・。

本丸奥・・・・右側すぐ左へ・・・天守台方面、直進は本丸を囲む犬走=>三階櫓台方面へ行きます。

天守への道を上がりますね。

道脇から天守の石垣が見えました。

延岡城天守台。

天守台

天守台に・・・・城山の鐘、新ばんば踊りにある城山の鐘がヤコセ・・・。

天守台から見た延岡の町・・・・何度か来たのですが延岡城は初めてですね。

天守台を降りて三階櫓へ・・・・天守代わりの三階櫓が此処に建っていたみたいです。

吹上坂から見た三階櫓の石垣、右側が天守、左下が三の丸。

高石垣の上から見た、二の丸、正面が西隅櫓、その脇井戸。

二の丸脇から見た高石垣(千人殺しの石垣)。












佐土原城に行って来ました。

2023-12-08 06:36:55 | 城郭宮崎

2023年12月2日(土)に宮崎の佐土原城に行って来ました。

佐土原城は中世の鎌倉・室町時代は伊東氏が400年余り収めた山城、、天正5年(1577)島津氏の侵攻により以後島津氏が治る、天正天正15年(1587)豊臣秀吉の九州平定により完敗降伏、関ケ原で討死した豊久はこの城の城主、図のようにその後山城から平地に・・・。

佐土原城の全体図・・・中央ヤヤ右側の長方形が現在の復元された二の丸御殿。

佐土原城・・・・復元された二の丸御殿・・・この後の山全体がお城ですね、お城が老朽化して、江戸期には山城の麓に藩庁を広げたのです。

松鶴館・・・二の丸御殿。

御殿裏側・・・此処も当時の御殿でしょうね、山城の入り口はへ・・・、帰りは右奥から降りてきました。

御殿脇の大手道・・・虎口。

虎口・・・・細い通路を上りますね。

山の尾根を立ち割った大手道が続きます。

漸く通常の?、山道に・・・。

崩落した個所があり・・・回り道?。

尾根筋を上がります・・・・当時の道かわ?・・・。

暫く進んで開けた場所が見えてきましたね。

佐土原の町?が見えます。

如何やら、佐土原城本丸ですね、大きく削平された場所が広がりました。

佐土原城本丸。

まだ細長く続きますね。

此処が佐土原城天守台。

天守石垣・・・・日本最南端の三層の櫓を持つ天守があったが、藩庁を麓に移したときに破棄した・・・・。

本丸天守脇から下ります。

途中曲輪がありました・・。

急坂を下りますね、上から狙い撃ちですよ。

漸く、緩やかな山道へ。

平地に出ました、二の丸御殿の後へ・・・先程は車がある辺りを右側に別尾根から下城してきました。