三郎兼続の日記

趣味の写真で山登り・旅行を主体にした日記
最近は山登りが少なく、城郭・巨木へ

隠岐の島再び島後に行って来ました。

2023-04-22 07:26:39 | 旅行記
2023年4月18日(火)に朝早く西の島を高速船でたち、再び隠岐の島島後へ、見学後隠岐空港(1日1便の為)から伊丹空港乗り継ぎ羽田空港へ。

隠岐の島島前の西の島別府港から高速レインボージェットで隠岐の島島後の西郷港へ約45分と通常船の倍のスピードですね・・・8時出航と早いのです。

牛突きを観戦・・・・引き分けですが・・・牛さんも大変ですね。

結構迫力がありますよ、後鳥羽上皇を慰めることから始まったとか。

天平13年(741)聖武天皇の勅願寺で全国に建てられた国分寺・・・隠岐国分寺。

此処では国分寺が残っているのです。

当時の国分寺の跡・・・此処では鎌倉末期の元弘2年(1332)元弘の変で敗れた後醍醐天皇行在所の寺院とか?。

国分寺跡の奥にある王城鎮護社・・・・後醍醐天皇像を祀る。

王城鎮護社。

脇に巨木?が在ったので・・・。

玉若酢命神社周辺を見学、玉若酢命を祭神に祀る、景行天皇が皇子を各国に分置、大酢別命の御子が玉若酢命。

玉若酢命神社正面・・隋神門、後ろにある巨木が八百杉。

社家 億岐家住宅 境内に隣接する隠岐地方の代表的大型民家。

八百杉樹齢1000-2000年幹回り9・9mと玉若酢命神社。

玉若酢命神社 拝殿。

玉若酢命神社 本殿、此れで早目の昼食を済ませて隠岐空港へ。


隠岐の島島前に行って来ました。

2023-04-21 10:28:42 | 旅行記
2023年4月17日(月)に隠岐の島道後の西郷港から島前の中ノ島・西ノ島に行って来ました。

隠岐の島は大きく二つの道後(右側)と島前(左側)に分かれています、右下の西郷港からからフェリーで中の島の菱浦港経由で西ノ島別府港まで約90分の船旅です。

今日は西ノ島・中ノ島です。

西郷港から離れます・・・・明日また戻ってきます。

中ノ島菱浦港の北東部にある三郎岩・・・大きい岩から 太郎 次郎 三郎と呼ばれているとか・・・もう少しで菱浦港。

中ノ島菱浦港を離れ、次の西ノ島別府港・・・又、中ノ島へ戻り、もう一度西ノ島へ戻りますね・・・???。

西ノ島の西側端の赤尾展望所へと行きますね。

赤尾展望所から見た国賀海岸・・・・午後は海側からのクルーズを予定。

通天橋ですね。

アップ・・・。

先程は向こう側の赤尾展望所から見ました・・・・此処は摩天崖です。

摩天崖から見下ろした景色。

アップ。

次は由良比女神社、神社隋神門・・・沖ノ島は20?からの沢山の神社がありますね、隠岐の国一宮・・海上守護神。

由良比女神社本殿。

由良比女神社奥の院・・・・隠岐造りの立派な社殿。

由良比女神社前の浜・・・イカ寄せの浜・・・・沢山イカがくるので手掴みで取れるほどみたいです。

別府港から船で中ノ島菱浦港へ 後醍醐天皇が御遷幸された隠岐の国中の島海土・・・隠岐神社周辺。

後鳥羽上皇の行在所。

後鳥羽上皇の御火葬塚。

後鳥羽上皇の行在所跡、承久三年(1221)から19年。

隠岐神社 後鳥羽天皇が祭神 崩御700年に建てられる。

隠岐神社。

再び菱浦港から船に乗り西ノ島浦郷港方面へ。

船引運河に入りました(まだ運河ではありませんが)・・・西ノ島の括れた場所を運河に・・・・運河で便利になっただけでなく、これで淀んでいた湾の海水が流れ豊かな海に変わったとガイドさんが言っていた運河・・・イルカが居るのです、3度見ました。

此処が船引運河・・・・イルカが船の脇に来ましたが・・・写真は撮れませんでした、一回は空中に跳ね上がりましたが、当然写真は撮れませんでしたね、運河を抜けて外海へ出たのですが、今日も外海は荒く波の高低差が凄く、国賀海岸の観光は無理と引き返しました・・・体験したので文句を言う人は出ませんでしたが・・・昨日のローソク岩・・本日と海は難しいですね(残念無念)。

その代わり・・・此方は陸上から通天橋近くまで歩きで行かせてくれました、朝の内は遠くから覗いたのですが、近くへ・・・多分予備に残しておいた?(うがった考えかな)。

海岸沿いの国賀神社。

通天橋・・・・この右側上の方が朝行った、摩天崖。

廻の岩場。

観音岩。

手前の入り江が国賀湾・神社、左奥が象鼻岩・観音岩・蛙岩。

観音岩・と蛙岩・・・・観音様に見えますね・・・・近くで見えて良かったです・・・穏やかそうな海ですがね?。

隠岐の島の巨木。

2023-04-20 08:00:46 | 巨木巡礼中国

2023年4月16日(日)隠岐の島の島後に行って来ました、島には巨木の大杉が見られます、今回は2個のみですが、3個紹介。

隠岐の島 道後 左上の方にかぶら杉・右側中央の方に乳房杉・下側(光で文字が消えている)八百杉が島内の3巨木です。

岩倉の乳房(ちち)杉・・・イチョウでないのに乳房が垂れた姿の珍しい大杉、樹齢800年幹回り11m・・・・道路が壊れ行けないとの説明?・・・・当初より予定外ですが。

中村のかぶら杉、樹齢600年・幹回り9・3m、バスガイドさんお勧めの角度から。

道路脇の右側は川沿い・・・下から枝分かれなので幹回りが大きくなりますね。

結構迫力があります、向こう側から見ると細く見えますね。

玉若酢命(タマワカスみこと)神社の隋神門の裏脇にある八百(ヤオ)杉。

八百杉 樹齢1100年?、幹廻9・9m。

八百杉全景 杉を支える・・・多分樹内は空洞化が進んでいますから、先端は痛んでいますが樹勢は良いですね。

正面が玉若酢命神社本殿・・・・八百杉。

御神木ですね。



神社側から見た八百杉・・・・如何ですか?。


我が家の花2。

2023-04-20 06:29:19 | 日記・エッセイ・コラム
2023年4月19日(水)我が家に咲く花2種・・・寒暖の差か大きいですが・・・・・めげずに咲いたので・・・。

前回に紹介したクロユリが見事に咲きました・・・・・地植えから鉢に移して、多分3年位かもっと長いか?消滅したと思っていたのですが、本当にいきなり芽が出て膨らんで花が開いて・・・・どの鉢かも忘れていたのに偉い。

少し鉢を横に倒しての撮影です、黒百合は恋の花・・・確かに情熱そうですね・・・。

これはマルバナイチヤクソウ。

野に咲く山野草ですね、でも蕾があるのを買ってきたので今後どうなるか・・・・アツモリソウも以前は地植えで育ったのですがその後消滅して・・・・今回は此れまでです。








隠岐の島に行って来ました。

2023-04-19 22:44:02 | 旅行記
2023年4月16日(日)に隠岐の島に行って来ました、羽田空港ー伊丹空港乗り換えー隠岐空港、前回も羽田空港でトラブルがあり遅れましたが、今回は往復遅れと、トラブルが、改善されませんね。

隠岐の島は大きく島後(どうご)(右上)と島前(どうぜん)に分かれます。

隠岐の島 道後  隠岐空港は右下16日と18日に見学。

隠岐の島 島前  中の島・西の島・知夫里島から出来てます、元々は西の島の真ん中にある焼火山(たくひ)が中央の火山で周りは外輪山で陥没し残ったのが今の形でカルデラとして内海・・・知夫里島には今回行きませんでしたね。

江戸時代は北前船の港として栄えたみたいですね・・・。

水木しげるのルーツが此処隠岐の島との事で何度も訪れたとか。

水木しげるの妖怪の中でアマビエ・・・・コロナ禍で一躍有名になった妖怪見たいです。

隠岐の島 道後・・・白島展望台(一番上)に行きました。

展望台からの景色・・・・予定では雨との事でしたが、1日目は曇りだんだん天気は回復へ・・・。

この後上の図の左側上の方のローソク岩のクルーズを予定ですが、結局波が高く、欠航と決まってしまいました(海上の遭難事故が在ったので慎重ですからネ)。

ヤハリ、海から見たかったですね。

隠岐の国一宮 水若酢神社(みずわかす)。

水若酢神社 隋神門。

水若酢神社 拝殿。

水若酢神社 本殿 隠岐造り。

本殿の千木(ちぎ)・鰹木(かつおぎ)・・・説明では千木の上部 水平(内殺)女神・外側が垂直(外殺(そとそぎ))男神・・・此処は男神ですが、以前熊野三山の時に聞いた話では(例外もある・・・俗説との事、神社本庁の公式見解・・・必ずしもそうとは限りませんと控えめとの事)

ちなみに 鰹木にも奇数・・・男神・偶数・・・女神 これも俗説との事、西の島の由良比女神社でもガイドさんがこの説明をされていました、沖ノ島は神社が100以上もあるので統一されているのでしょう。

ローソク岩 海上に建つ垂直の岩、海上の船から太陽が沈む時岩の上に・・・・この景色が写真が撮りたくて 隠岐の島へ出かけたのですが・・・天気は回復し太陽までが出てきたのですが・・・・残念無念、外海は波が高く・・・・船が出せませんでした(15時欠航決定)。

残念なのでもう一枚・・・・ローソク岩・・・そのうち崩れてしまうかもしれませんからネ。

我が家の花。

2023-04-12 06:54:28 | 日記・エッセイ・コラム
2023年4月11日(火)我が家に咲く花の一部クリスマスローズは花が下を向いているので上手く撮れないので・・・。

これは撮りやすいですね、・・・・西洋蒲公英の咲き終わり・・・何ていうのかな。

これを撮りやすい?ので撮ったのですが、結構難しいですね、マユミの木に絡んだマルバノウマノスズクサの花。

昔裏高尾で写真を撮っている人に教わったのですが、なかなか気が付きませんね、色が地味で見過ごすのですが、蔓上なので蔓延る。

これも増えますね・・・イカリソウ。

まだ、花が咲いていませんが、多分、黒百合だと思います、地植えでしたがイカリソウに負けそうになったので鉢に植え替えたのですが、全滅したと思っていたのですが・・・数年たって、今年いきなり・・・うれしいですね楽しみです。

兵庫の有岡城に行って来ました。

2023-04-06 08:21:47 | 城郭兵庫1
2023年3月30日(木)に兵庫の有岡城(伊丹城)に行って来ました、JR伊丹駅の目の前にわずかな遺構が・・・、地図で行けば少し上に大阪の池田市、少し下に兵庫の尼崎市がならんだ摂津の国、戦国大名・荒木村重の生き抜いた所です。

地図の右側がJR伊丹駅線路の右側は低地・・・左側が伊丹台地の高台を利用した総構えの平城。

遺構は台地端に少し残っているみたいですが・・・?。

JR伊丹駅の目の前。

隣にある公園・・・此処がわずかに残る有岡城主郭の一部?。

この空間がお城に見えますね・・・有岡城。

すぐわき・・・堀跡なのでしょうか?。

有岡城主と言えば荒木村重ですね、昨日行った、池田城(細川氏の家臣池田氏)の池田氏の内紛に乗じて池田城を支配し、天正2年(1574)織田信長の命で、この伊丹城も落とします、伊丹城を街ぐるみの総構えに改築し有岡城と改め居城としますが、天正6年織田信長に背き天正7年(1579)落城・・・・途中荒木村重は尼崎城へ離脱・・・生き延びたのです、2年間の織田軍の攻めに耐えた名城とか?。

有岡城の主郭が在った場所?。

有岡城の井戸の跡。

有岡城の石垣、チョット寂しいのですが、駅前で良く残ったと思いますね。

堀跡跡なのか?。

猪名野神社、有岡城総構えの北の端、岸の砦跡。

地図の先端部分ですね、上臈砦(付近にも行きましたが高低段差)。

猪名野神社、右側後方面は低地・・・此処までが台地なのですね。

神社後側、低地が解りますね。

神社後側・・・横の土塁が・・。

土塁がこの神社には遺構として残っています・・・神社だからこそ。

町中を見て回りました、クスノキの巨木。
 
法巌寺の大楠、樹齢500年?・幹回り6・2mの巨木。

立派な巨木につられ屋内に入らせて頂きました。


大阪の池田城に行って来ました。

2023-04-05 07:38:28 | 城郭大阪
2023年3月29日(水)に大阪の池田市の池田城に行って来ました、池田市は大阪府の西側の端で南側に明日行く兵庫県伊丹市・その南側は尼崎市と地図上では一直線の位置関係ですね。

背後の山の手前の高台に築いた小規模なお城ですね、摂津守護細川氏の家臣の池田氏のお城でしたが、池田氏の内紛に乗じて、荒木村重(当時は茨木城主)が池田城を支配したが、その後伊丹城(有岡城)を居城に城は廃城となりましたね。

池田駅正面からの道を直進し右手に見えたお城を頼りに狭い路地から上がりました、池田城西門・・・現在東西南北の門と虎口門の五つの門があります。

城内です、綺麗な公園です。

城内から見た池田城、右側が今上がって来た、西門。

綺麗な枝垂れ桜が今満開でしたね、桜を入れながら池田城を撮ります、お城の周りを見ながら写真を撮りますね。

桜と城。

北門を見たあと、此処は東門と木橋・・・・下は空堀。

木橋の上から見た空堀・・・結構な深さが見えますね・・・。

東門を入り奇麗な城内を・・・。

東門脇の塀ですね・・・・・当然すべて復元ですが・・・・雰囲気は伝わりますね。

池田城。

池田城が続きますが・・・。

折角ですから。

東南にある虎口門・・・外側から見た所・・・この冠木門の方が雰囲気が出ますね。

少し角度をかえて。

南門を外から・・・桜で池田城が見えず。

南門を入り見上げた池田城。

お城の廻縁から見た北西方面、下は西門。

北側。

南側ヤヤ東。

南側ヤヤ西、池田の駅方面。

もう一度。

枝垂れ桜が美しかったので・・・・今回はお城の建物が無かったので建物のある池田城を選びました、明日は荒木村重の有岡城。


大阪の烏帽子形山城に行って来ました。

2023-04-04 09:59:48 | 城郭大阪
2023年3月29日(水)に大阪府河内長野市の烏帽子形城に行って来ました、本当は千早城に行く予定でしたが、駅前の観光案内でバスを確認近所の山城を紹介され急遽そちらに鞍替え。

高野街道沿いの旧家・・・・河内長野は京・堺・高野山を繋ぐ交通の要衝。

駅から意外と近くの高野街道脇の烏帽子形山182mの山頂に烏帽子形山城があります、北と西は断崖北に石川、東は河岸段丘天見川に囲まれた山城、伝・・・楠木正成が築城した上赤坂城の支城、豊臣秀吉が紀州攻めの時には家臣の岸和田城主中村一氏が使用したとか・・・城郭は小規模ですが、遺構は良く残っています。

上の図の右側から城内へ進みますね、尾根筋を八幡神社の分岐・・・直進。

いよいよ、城内へ。

左側直進が主郭へ、正面が空堀、右側が土塁・・・土塁の上を進みますね。

空堀・土塁が続きますね。

右側下方面を見ます、沢状を左右から挟み込むような拵えですね。

空堀・土塁は向こうの端まで続いていますネ。

土塁上から見上げます、段々に削平された陣地が見て取れますね。

元に戻り、上に上がります、横矢掛かりに・・・。

上がると削平された曲輪となおも上への道が。

右側下は2段目の空堀で構成されていますね。

左側は空堀と大きな壁が上が二の郭。

階段を上がりますね、上が二の郭、その奥が一の郭(主郭部分)ですね。

二の郭まで上がりました、二の郭は一の郭の南側ですね。

振り返ります、二の郭、右上が一の郭。

一の郭へ上がります。

虎口の左側、一の郭。

今主郭の中央、右側下から登って来ました。

主郭の左側・・・建物跡が在った場所。

主郭南脇から見た空堀底道・・・結構な高さがありますね。

主郭の西端・・・河内長野が眼下に・・・。

振り返りますね、主郭(一の郭)の全景です、手前にも建物跡が・・・。

二の郭を見ました・・・・。

北側の空堀側です・・・空堀に降り、一の郭・二の郭の半分の堀底道を廻ります。

堀底道、左側が二の郭側。

絵で見れば、廻り込んでる感じが解りますね・・・土橋方面へ進みますね。

正面が土橋。

土橋上方面から見た南側の空堀群・・・・遺構が良好に残った素晴らしいお城ですね。

この後烏帽子形八幡神社へ・・・・如何でしたか。


大阪の飯盛城に行って来ました。

2023-04-03 06:42:57 | 城郭大阪
2023年3月28日(火)に大阪の四条畷にある飯盛城に行って来ました、三好長慶が高槻の芥川山城から38歳の時此処に移り42歳で亡くなりましたが畿内に号令(天下人)した山城です。

左下の四条畷駅から四条畷神社へ背後の飯森山314mの山頂一帯を城郭とした山城。

四条畷神社へ向かう参道途中から見た飯森山。

四条畷神社 祭神は楠木正行(正成の子)ら25柱。

楠木正成・正行の像・・・・山頂には正行の像もあります、四条畷の戦いで正平2年(1348)高師直に敗れたのです。

神社右側の脇から飯森山(飯盛城)への登山道があります、新道・旧道(がけ崩れの恐れがあるので禁止)がありますが、新道を上りますね、私はストック持参ですよ(山登り)。

道は階段状で一部急坂があります・・・・桜が咲いていたので助かりますが、結構大変です。

少し行くと分岐が・・・・右側へ此処から急坂が続きますね。

この辺は新道ですから城の一部ではありませんが、急坂が続きます・・・桜が見頃です。

大分上がってきましたね・・・・・。

そろそろ、飯森山の城郭を左側の上から来ます・・・縄張り図・・・飯森山山頂の尾根筋に各曲輪を設けた山城、享禄年間(1528-1532)河内守護代 木沢長政が築城、天文20年(1551)安見宗房、永禄3年(1560)三好長慶が芥川山城が移り居城 南側の千畳敷曲輪住んだそうです、畿内に号令(将軍を制し天下人として)4年後に死亡42歳・・・二の丸御体塚郭は死亡を隠すために埋葬した場所とか。

階段の山道を上り漸く、削平された曲輪?へ・・・街並みが見える所まで上がってきました。

切岸上の横矢掛かりらしき階段へ。

上がると・・・・二の丸史蹟碑郭。

二の丸史蹟碑郭・・・・桜も今が盛り、町が・・・。

先に進みます、横矢掛かりにした細い尾根・・その先は。

堀切です、今右側手前を来ましたが、やはり横矢でしたね。

次の曲輪へ上りますね・・・・堀切が美しく見えますね、感動ものですよ。

登途中に見えますか石垣が見えますね、石垣のある山城が登場・・・松永弾正・織田信長へと・・。

折角ですから、石垣を・・・此処は飯盛城二の丸御体塚郭東側の石垣です。

飯盛城二の丸御体塚郭、碑は関係ありませんね、三好長慶の死体を秘匿した場所ですね。

本丸との境目、左側は本丸の脇道、右側が本丸へ・・・。

本丸への虎口。

本丸三本松郭・・・本丸も現在4つの郭に分割(北側手前から(三本松・蔵屋敷・展望台・高櫓))。

北条神社方面の虎口?、幾つかの曲輪があるを登って来ますね・・・・蔵屋敷に直接上がってきますね(禁止)・・・旧道??。

この上が本当の?、本丸ですね・・飯森山山頂、左側には石垣が見えますね・・・。

少し左側へ・・・・石垣が続きますよ・・・・、左側も崖です。

戻って本丸上がりました、飯盛城本丸展望台郭。

本丸展望台櫓・・・奥の高台が本丸高櫓郭です。

大阪の町が一望のもとに見えるのです、左から奥が あべのハルカス・大阪の文字下が なんば駅・望の文字下が 大阪城、淡路島・大阪駅・神戸・六甲山・・・。

今日も良く見えます・・・・如何ですか?。

三好長慶のお城飯盛城本丸・・・奥が高櫓郭・・・像が見えますね・・・楠木正行。

飯盛城本丸高櫓郭です、楠木正行公の像・・・桜と逆光で顔がハッキリしませんが?。

本丸を過ぎて・・・・途中の土橋・・・。

千畳敷郭への虎口。

千畳敷郭の一部に・・・・・、此れで芥川山城・飯盛城と三好長慶の二城を巡りました・・・・鉄砲が出る前の山城の魅力が充分に見られましたね・・・・満足な疲れでいっぱいですが・・・疲れました。