三郎兼続の日記

趣味の写真で山登り・旅行を主体にした日記
最近は山登りが少なく、城郭・巨木へ

高尾山に行って来ました。

2019-10-24 20:09:37 | 山関係

2019年10月23日(水)久しぶりの秋空との事で高尾山に行って来ました、・・・その他の山は台風の影響で交通機関が悪いので行けませんからね。


1号路・6号路は台風の影響で歩けませんね、ケーブルでまず上りました、ケーブル山頂駅脇から見た八王子城跡方面・・圏央道と中央高速です。

反対側は八王子市内新宿方面です、今日は良く見える天気です、来る途中電車内かr富士山が良く見えました・・・山頂は?。

蛸杉です、今は根が枯れて・・・昔は根が横に伸びて子供のころは上った覚えがありますが樹齢450年・幹回り6mの巨木。

薬王院入口の霊気満山の額がかかる門、私たちはこの右側の釣り橋コース(4号路)へ行きます・・・このコースが好きなのです。

その前に門内脇の神変堂へ・・・役の小角を祀るをお参り。

吊り橋コースです・・・・自然の木々が多いコースで好みです、この先が登りですね。

この辺までは台風の影響らしきはありません。

如何ですか色っぽい無いですか?。

4号路は緑が多くいいですよね。

山頂近くの4号路で見た台風の爪痕です、崩れ落ちていますが、わずかにセーフお蔭で歩けましたね。

高尾山山頂です、何時もは裏高尾方面へ行くのですが、昨日も雨だったので泥濘の中はやめます。

山頂からの富士山は見えませんでしたね・・・いつもハッキリ見えませんね、昼食後、稲荷山コースを下ります、階段が多く長く景色も見えないので好きなコースではないのですが今回台風の影響が無いので下ります。

途中の稲荷山に有る見晴らし休憩所です、此処だけですかネ景色が見えるのが。

やはり八王子市内方面がよく見えますね。

休憩所脇から急な階段が続きます。

稲荷山コースですから・・・稲荷山神社(お稲荷さん)が登山の無事を・・・此処までくればすぐ下がケーブル乗り場です、この頃雨が多く山登りが出来ず久しぶりに登山?が出来良かったです。



川越祭に行って来ました(2019)。

2019-10-20 08:06:01 | 日記・エッセイ・コラム

2019年10月19日(土)に川越祭に行って来ました、天気は余り良く無かったですが、もう沢山の人が出ていて町は祭・祭台風の影響はありませんよ。


脇田町の山車です・・・家康の人形はまだ上がっていません?が。


人形の代わりに?頭連が山車の上に・・・・川越氷川神社の祭礼です、各町内自慢の山車が巡行するのは明日ですが今日はそれぞれですね。


新富町の家光の人形ですね、ユネスコ無形文化遺産・国指定重要無形民俗文化財・・の祭です、此処川越は徳川家とも深いゆかりの街で現在は小江戸川越。


先程の脇田町の山車。


連雀町の太田道灌の人形ですね。


志多町の山車です、人形は?誰でしょうか?。


人形は武蔵坊弁慶です。


幸町の小狐丸です、・・・小狐丸・・刀鍛冶三条宗近が作の名刀ですかね?長唄に有りますよね、後ろの建物は有形文化財の銀行ですよ古いものです。


川越は土蔵造りの商店街で有名なのです、川越の大火で燃えない町造りが為され、戦災にもめげず今に残る此れも有形文化財ですね、此方は江戸期ですからね。


川越と言えばこの時の鐘がシンボルですね。


これは幸町の翁の人形の山車です、幸町・・・二つの山車を抱える裕福な街ですね。


山車が向かい合いましたね曳っかせ(の激しい囃子まではまだ行いませんが)程ではありませんが挨拶程度ですかネ?、奥が川越市の猩々(架空の動物)の人形ですね、手前は元町二丁目の山王(日本の神様の一人とか)の人形ですね。


喜多町の秀郷(藤原・俵秀郷・・ムカデ退治・平将門討伐)の人形の山車です。


宮下町の日本武尊の人形の山車です。


山王の山車と太田道灌の山車です、大分人込みの中を歩いたので疲れてきました(歳ですかね)、夜の祭までの散策は諦めて帰ります。

群馬太田の金山城跡に行って来ました。

2019-10-11 07:15:46 | 城郭群馬
2019年10月9日(水)に群馬太田の金山城跡に行って来ました、6年前今回2度目、新田義貞の郷土です、新田氏の一族岩松氏が築城その後下克上で由良氏が治めました、上杉謙信・武田信玄・北条等の攻撃に耐えた難攻不落の名城です、北条の謀略で支配下になり天正18年1590年豊臣秀吉の北条征伐で廃城・・・前田利家らが接収とあります(戦わずですかね)、中世の城郭ですから近代的鉄砲の前には。

太田駅少し手前の電車から見た金山239mです、太田駅からも比較的近く私は歩いての行きます。

駅前の観光案内でパンフレットを頂きました、駅前少し左側から大光院・金龍寺を経由し、見附出丸から駐車場の上段の西城筋違い虎口・西城前から大手筋へ進みました。

此処は見附出丸北土塁の塹壕(堀切)です正面上が見附出丸。

見附出丸です、眺望は太田駅方面です。

駐車場奥(西城)左側の堀切(ここは塹壕)で筋違い堀切土塁が見られます。

西城に有る案内図(駐車場)左側から来ました、此れから右側の尾根筋を進みます。

金山城跡の尾根大手筋へ。

最初にあらわれる西櫓台西堀切です尾根を分断した防御です、堀切の底を通り右側斜面の参道へ。

次に西櫓台通路の堀切で左側脇から西櫓台へ回り込むような仕組みです、桟道は右側下側ですね、尾根を断ち切り、横矢の防御ですね、漸く西櫓台へきました。

西櫓台を少し先に物見台下虎口が見えてきましたね、石垣のある立派な虎口です、やはり堀切で右側は竪堀です。

物見台下虎口の堀切、上の写真の右側の岩場を削ったのです、岩の上は物見台の櫓があります。

虎口の奥は細い通路です、左側が西物見台、右側はガケです。

その奥が石垣で囲まれた竪堀です竪堀には橋が架けられています。
竪堀に架かる橋と石垣。

橋の向こう側には見張りの小屋と西物見台方面へ上がる階段です。

物見台跡と馬場です。

物見台から見た赤城山方面でしょうか?。

物見台から・馬場を通り・馬場曲輪を下り大手口へ、大手口虎口脇にある月の池、左側が馬場曲輪脇の大堀切で向こう側が本格的城内ですね。

大手虎口です、石垣で左右高く積み上げられた、防御です、正面も石垣で遮られ左右に回り込む配置です。

大手の石垣です、段々の石垣が覆い被さるような通路です。

左側の石垣が正面隕石垣で攻めては左右へ、写真は右側方向へ右側正面は南曲輪です。

此処は大手の右側の曲輪(建物横)から見た右側が南曲輪の石垣と正面は大手口の正面にそそり立つ石垣です、奥に行くには正面の石段を上ります。

石段を上ると日の池です、池の向こう側上が三の丸ですね。

南曲輪です、太田市内が眼下に見えますね。

南曲輪から見た日の池です。

同じく大手口方面です。

三の丸の金山の大ケヤキ樹齢800年目通り6・79mの巨木です、奥が本丸(実城)です。

金山山頂部239m本丸跡の新田神社です、二の丸は左側奥ですが現在は竹山の私有地ですね。

本丸裏の腰曲輪で見た、残存石垣で当時のままなのでしょうね、関東では珍しい石垣の山城ですね、唐沢山城の石垣も凄いですが、幾つかありますね。



群馬の太田に行って来ました(大光院(呑龍様)等)。

2019-10-10 15:01:21 | 日記・エッセイ・コラム

2019年10月9日(水)に天気が良いとの事で山に行きました・・・・低山の金山239m・・此処は山城でも有名ですが麓にも名所があります。


東武の太田駅前にある新田義貞の像です、清和源氏直径の武士で元弘3年1333年鎌倉幕府を攻め、時の幕府執権の北条高塒を破ったのです、七里ガ浜で海に刀を投じた話は有名ですからね、その後建武の新政で後醍醐天皇に使え後南朝方の忠臣、改元3年1338年越前で壮絶な最後を遂げた武将です・・・38歳とか・・・此処群馬県太田の人です、お墓は越前に有るのですが、新田神社に祀られ・金竜寺には供養塔もあるのです。


図中央下の太田駅前近くから正面にある金山へ行きます、金山は239mと低山ですが、難攻不落の名城でもあります。


駅近くの東光寺にあるケヤキですか、結構な巨木がありました、此処は新田義貞の子義興の墓があるそうです。


大光院の吉祥門・・・有名な呑龍様のお寺です、徳川家ともゆかりの深い寺ですね、新田氏は源氏、徳川氏は?征夷大将軍は源氏、徳川は当初松平ですから?、由良(新田氏の末裔)を・・徳川共に三つ葉葵の紋所ですね。


大光院本堂です。


本堂前にある臥龍松・・・大分樹勢が弱まって養生中ですね。


開山堂です、呑龍上人は増上寺の和尚さんですがここにきて貧乏な子供にも教育を行い、子育てで有名な方なのです。


大光院の裏山から金山へのハイキングコースが始まります、呑龍上人の墓・新田義重の墓もあります。


これが新田義重公の墓ですね、新田氏の祖ですかね、弟が足利氏です。


山中の道は分岐に標識がありわかりやすいですね、私は今回右側の金龍寺方面から。。。2013年にも一度来ています此れで2度目ですが。


金龍寺です、この手前に新田義貞の供養塔がありましたね、左脇から山へ。


金山239mの山頂(金山城本丸)の大ケヤキです、樹齢800年目通り6・79mの立派な巨木です。


昭和の初めまでは7本程あったらしいですが、今はこの木のみです。


ぐるりと見て回りますね。


山頂金山城本丸の新田神社です。


帰りに裏側からの大ケヤキをもう一度、この続きは金山城跡をお伝えしますね。

高麗の日和田山に行って来ました。

2019-10-05 06:53:41 | 日記・エッセイ・コラム

2019年10月3日(木)に高麗の巾着田に行きその後日和田山に行って来ました、距離は短いですが岩場もあり良い山なので大概両方合わせていきますね。


巾着田から見上げる日和田山です、中央です、中央少し手前の木が無い所が金毘羅神社がある岩場です。


案内板です、巾着田と日和田山・・・後ろに山が続きますがそこまでは行きません。


此処からが登山道です。


山道の案内図がありました、今回は男坂を上り女坂を下ります・・・がチャートの小路のコースは行ったことがありませんね今度行ってみますね。


少し上ると金毘羅神社の一の鳥居があります。


鳥居の先が男坂と女坂の分岐です、左側の男坂へ。


男坂を少し上り下ると不動の滝へここから滝横の男坂へチャートの小路は反対側を下る?・・・標識にはありませんでしたね。


不動の滝・・・水場はありますが滝は流れていませんがお不動様が祭られています。


男坂は岩場が露出した厳しい登りなのです・・・土が流れ落ち根が張り出した坂もあります。


凄い岩場でしょ、クサリはありませんが男坂の名に恥じないですね?。


この急坂を登って来たのです。


登りきると展望が開けて、巾着田が眼下に見えますね奥に西武球場も・・・巾着田を右側から川沿いに沿い曼殊沙華を見て此処まで来ました。


金毘羅神社です、此処までくると山頂までもう少しで行けますが、神社裏手も岩場なのですね。


山頂の日和田山305m?です、聖天院宝篋印塔・・・・横手駅から来た遠足の学生で山頂は一杯でしたね、少し休んで女坂を下りもう一度曼殊沙華の群生を見て帰りました。

高麗の巾着田に行って来ました(曼殊沙華)。

2019-10-04 07:42:13 | 日記・エッセイ・コラム

2019年10月3日(木)に高麗の巾着田に咲く曼殊沙華を見に行って来ました、併せて日和田山にも登って来ました、曼殊沙華まつりは9月ですが今年は例年になく花が遅く今が満開でしたね、天気も曇りなので行くことにしました。


西武線の高麗駅です、この地は古くから現韓国との古い繋がりの土地なのです、駅から歩いて巾着田へ、沢山の人が来ていました。


正面に見える山が日和田山305m?です、この後この山にも登りました。


おなじみの案内板です、左側から反時計回りに見てその後日和田山へ帰りに又時計回りに見て帰りました(二度見ました、過去にも何度か来ていますが)。


高麗川沿いを歩いて行きます、この先に会場入り口があり300円の入場が必要です。


会場内です500万本の曼殊沙華の群生地です。


今年は遅咲き早咲き関係なしに一斉に咲いているようですね?。


天気も大分良くなり・・・やはり暑くなりましたね。


真っ赤な絨毯ですね。


少し木を入れて変化を。


如何ですかネ?。


外の駐車場には芙蓉?の花も・・・コスモスは殆ど咲いていませんでしたね。


これから日和田山へ向かいます。