三郎兼続の日記

趣味の写真で山登り・旅行を主体にした日記
最近は山登りが少なく、城郭・巨木へ

城郭の縄張り図と本丸跡1。

2020-05-15 09:56:20 | 城郭縄張図

2020年5月15日(金)、訪問した城郭の整理1、縄張り図を中心に説明、関連の高いものを並べながら。

観音寺城本丸・・・縄張り図がありません?、滋賀県近江八幡市安土町の繖(きぬがさ)山の山城432m、近江源氏の佐々木六角の居城、応仁の乱以後たびたびの戦乱がありましたね。

有名な観音寺城石垣です・・・各仕切り壁見たいな使用でその後の石垣とは違うようですね?、戦国期六角義賢・義治の頃、浅井長政に敗れ衰退、永禄11年(1568)織田信長が足利義昭を擁して上洛、此れに敵対しましたが、敗れて開城・・一時織田軍が使用・・・石垣文化を安土城で信長が実現した下地かな。

小谷城の縄張り図です、小谷山495mの尾根上に築かれた山城、浅井氏三代の居城、朝倉義景・浅井長政連合と織田信長との元亀・天正の4年間にわたる死闘の舞台です、強固な防御ですね。

小谷城本丸です、天正元年(1573)この上側にある京極丸側(父・・久政)に羽柴秀吉が奇襲翌日落城、天正元年・・まず、朝倉氏の一乗谷を攻め落城、その後この小谷城と攻めたのです、織田信長は元亀元年(1570)の姉川の戦いから4年の歳月を費やし人を勧誘離反しじわじわこれを攻めたのです。

福井県福井(越前)朝倉氏の一乗谷城です、左下が朝倉氏の居城城下と詰め城(右下)です、結局山城は補強したのですが、織田信長軍との戦いでは使用されず落城したみたいですね。

一乗谷城・・一乗谷山473mに築かれた朝倉氏の中世山城、本丸(千畳敷)416m・一の丸・二の丸・三の丸473mと連続の曲輪の防御です。

一乗谷城本丸です、上の図の左側です、朝倉義景は戦わず逃亡しましたね(一族までが離反し戦えなかったのですね)。

滋賀県近江八幡市安土周辺です、上が琵琶湖で安土城、安土城下が観音寺城です、同じ町内で近いのですよ、山は違いますが(安土山・繖山)。

安土城の縄張り図です、左側にそう見寺が作られたのです、下側から直線的な城内への階段、防御性には問題がある山城とのことです(多分力を見せつける事が必要と他の山城から学んだのでしょうかネ)。

安土城は天正4年(1576)-天正7年(1579)完成の天主、5重6階地下1階、日本の城郭の歴史では初めての総石垣造りの近世の城郭の始まりなのです。

安土城本丸天主跡、天正10年(1582)本能寺の変で織田信長が無くなり、天正13年(1585)完全に廃城。

佐和山城・・・小谷城の支城の一つ、佐和山232mの山城、後に石田三成の居城です、三成に過ぎたものが二つ、島左近と佐和山の城。

佐和山城本丸です、井伊家が彦根城築城に当たり破城、徳川政権では逆賊ですからね。

佐和山城本丸の石垣ですが、破城の為、現在石垣が2個のみ残存、小谷城の石垣も、秀吉が長浜城築城の為持ち去っていますね。

大聖寺城の縄張り図・・石川県加賀市、戦国期最初はは一向一揆の拠点、慶長3年(1598)小早川秀秋の家臣山口宗永が6・3万石での居城、慶長5年(1600)関ケ原の戦いに西軍で参戦、東軍の前田利長に攻められ落城、秀秋は東軍に寝が入りましたからね。

大聖寺城本丸、山口宗永の墓あり。

大聖寺城の本丸・二の丸の間に馬洗い池。

岩手県二戸にある、九戸城縄張り図、三方を川に囲まれた天然の要塞、九戸政実の居城、豊臣秀吉の奥州仕置きで反乱軍どして戦う、天正19年豊臣秀次6万のへいに囲まれた図、九戸政実と南部信長と家督争いで対立・・・秀吉軍の介入となる。

九戸城本丸、戦いは籠城戦となるが除名を約束に開城するが、約束は守られず城兵女子供共撫で斬りに有ったとも。

九戸城本丸石垣・・・・蒲生氏郷が改修したものとか。

舘山城縄張り図・・山形県米沢市、伊達氏の居城、天正12年(1584)伊達輝宗が使用、伊達政宗誕生の城。

舘山城二の曲輪から本丸への虎口。

相馬中村城本丸・・・福島県相馬市相馬氏の居城、永禄6年(1515)相馬隆胤は伊達氏との抗争。

慶長16年(1611)相馬利胤が近世城郭に改修。

烏山城の縄張り図・・栃木県那須、那須氏の居城、佐竹氏との抗争耐える。

烏山城本丸虎口大手門石垣、奥が本丸・その奥が旧本丸。

大田原城の縄張り図・・・栃木県大田原・・大田原氏の居城、天文12年(1543)改修。

大田原城本丸 三の丸は戊辰戦争で旧幕軍の攻撃を受け炎上。

備中松山城縄張り図 岡山県高梁市 現存12天守の一つ、臥牛山487mに繋がる小松山430mに築城、戦国期は三村氏の居城・・天正2年(1574)三村元親は毛利家より離反・・織田信長に着くが小早川隆景に攻められ落城、天和元年(1681)水谷勝隆5万石が入封これにより現在の形に改修。

備中松山城大手門脇から見た、後方のそそり立つ巨岩とその上にある厩曲輪の石垣、凄いですよね。









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