三郎兼続の日記

趣味の写真で山登り・旅行を主体にした日記
最近は山登りが少なく、城郭・巨木へ

三毳山のカタクリの里に行って来ました。

2023-03-21 19:13:41 | 日記・エッセイ・コラム
2023年3月19日(日)に栃木県の三毳山に行って来ました、25日(土)に行く予定でしたが、天気がハッキリしないので取り合えず、昨日は雨でしたが、今日は良い天気なので、人が一杯で栃木からのバスがギュギュでしたね。

こちら側は栃木市・・・右端青龍ケ岳側の佐野市の万葉公園がカタクリの群生が凄いのですが、此処も大分増えてきましたね。

花センター脇の沼地に咲く・・・・座禅草ですが座禅のお坊さんが見えないのですね?。

これは節分草ですかネ?。

カタクリの群生です、大分広がりましたが、低い位置に咲いてるので写真が撮りずらいですね。

折角ですから、可憐なカタクリ・・・・を。

三毳山中岳の山頂からの山歩き・・・・途中キノコが・・・。

青龍ケ岳・・・・山頂から見えた冠雪した山々。

此処からは万葉公園のカタクリの群生・・・・こちら側は写真が撮りやすいので・・・。

沢山取りましたが・・・。






何度も撮っていますが、如何でしょうかネ?。


綾瀬川の護岸工事(7)に行って来ました。

2023-03-20 16:33:38 | 日記・エッセイ・コラム
2023年3月20日(月)に綾瀬川の護岸工事に行って来ました、。

蛇篭の石積がおわり上からの網を掛けています・・・・・3月9日。

3月11日蛇篭がほぼ完成。

打ち込んだ鉄板を引き脱いでいます・・・3月16日。

鉄板の引抜・・・・・子供たちも見ていました。

工事も終わりに近づいていますが、蛇篭の前後は如何繕うのかな・・・・このままでは土が流れ落ちてしまいますからネ。


慶福寺の枝垂れ桜に行って来ました。

2023-03-17 07:49:21 | 日記・エッセイ・コラム
2023年3月16日(木)に埼玉県蓮田市の慶福寺の枝垂れ桜(エドヒガン)の花咲く状況を見に行きました。

何と桜は満開に近い状態でした、エドヒガン桜の枝垂れ桜。

特に説明は必要ありませんが、2019年は3月25日ですから1週間は早いですね。

今年はスマホの写真で趣をかえて撮りました。

毎年見に来ていますね。

まだ少し早いように見えますが、ほぼ満開ですね。

一時棚を作った時に枝が短くなりましたが、落ち着きましたね。

如何ですか、良いですね。

青空の下穏やかに・・・。

・・・・。

慶福寺の枝垂れ桜・・・・今年も見事に・・・明日は雨とか・・・まだ大丈夫だと思いますね。


茨城の栗橋城に行って来ました。

2023-03-16 11:56:05 | 城郭茨城1
2023年3月15日(水)に茨城の栗橋城に行って来ました。

南栗橋駅から約30分程の歩きです、権現堂調整池(行幸湖)の権現橋を渡り向こう岸の土手沿いを下流へ向かい歩きました・・・・丁度右端辺りでしょうかネ・・・右側下流方面は幸手方面ですね。

土手沿いを・・・もう少しですね。

多分この辺りが栗橋城ですが・・・畑ですね・・・・左側の森の中が一の郭でしょうかネ・・・右のイチョウかもう少し左側ですかネ・・左側が法宣寺方面。

田んぼの真ん中の道・・・私は此処をいきなり進みました・・・・この辺りは元々は城内ですね、左側の木々が生い茂っている場所が法宣寺裏手に当たります・・・多分一の郭。

道の右側方面・・・向こうもお城みたいに見えますが・・・・後程向こうの方面に行きましたが?。

屋敷内にちかずきました、民家の庭近くです、田んぼから畑へ、反対側の森中・・・一の郭へ入るにはこの反対側からしかないのかも?。

こちら側ですね・・・民家の庭です、今いる所もそうですが・・・・・結局森の中に入らずでした・・お寺の裏から入れるかなと思ったのですが?入らないように書紙が在ったので入らずでした。

民家の庭を抜けて出口方面へ、空堀がありました。

此れが民家の正面から見た所です(奥から出てきたのですが)、入口左右は空堀です・・・木々が茂っているので見ずらいですが。

民家入口正面に栗橋城の説明版がありました・・・この辺りは二の郭入口辺りですかネ、この城は古河公方の家臣野田氏の居城ですが、永禄年間(1558-1570)に北条氏照が北関東進出したのです、天正18年(1590)豊臣秀吉が小田原征伐・・・その後廃城となったのですね。

道の反対方向に見事な枝垂れ桜がまだ少し早く花がほんの少し。

法宣と反対方向へ進みました、・・・・民家脇の細道を・・・・何となく土塁空堀みたいに見えましたが・・・はっきりせず戻りました。

案内板前に戻り法宣寺をやや遠くから眺めました、寺の後が栗橋城一の郭・・。

十九夜塔・・・安永年間(1772-1781)江戸期11代家斉の頃ですね、民間信仰月待の女人講・念仏講の記念塔です法宣寺境内にもありましたね。

法宣寺。

法宣寺・・・この裏手が栗橋城、右側から回り込みますね。

寺横から空堀が見えます、七曲りの空堀とか・・・。

木々と枯草が・・・・中に降りない様お寺に紙が在ったので(読まなければ良かったのですが?)。

丁度お寺の隅端に・・・少し高台が?・・・??。

寺裏方面へ空堀が続きますね・・。

なおも続きますね。

法宣寺を出て・・・少し先に神明社・香取神社があります、神社脇は少し土手状態になっていますね、昔は湿地帯かも?。

法宣寺の駐車場脇です、奥が一の郭ですね、畑を突っ切るのも出来ず・・・回り込みますね。

最初に来た所に出てきましたね・・・この辺りからは入れませんね。

此処は権現堂調整池の脇から栗橋城方面を見ました・・・・栗橋城土塁に見えませんか?・・・。


山形城(霞城)に行って来ました。

2023-03-11 08:19:07 | 城郭山形
2023年3月6日(月)に山形城に行って来ました。

山形城・・・別名 霞城、延文元年(1356)に羽州探題として入部した斯波兼頼が翌年に築城・・・最上家を名乗る、現在の城郭は11代最上義光(最盛期57万石)が文禄年間(1592-1596)に構築・・・平城・輪郭式、元和8年(1622)鳥居忠政改修。
今回は二の丸の南門(下側)から時計回りに約2・2k二の丸土塁上を見て、東門へ、本丸の一文字門を散策しますね。

山形城二の丸南追手門の石垣・・・・二の丸の外側全部を三の丸が囲む輪郭式(二の丸の真ん中に本丸)・・・大きな城郭です。

二の丸南側の土塁の上から南門側を見る・・・この山形城は桜の名所(約1500本)。

それでは二の丸の土塁上を進みます、基本は前側に(振り返らず)、西側方面へ・・・門周辺のみが石垣で構築された造りです、基本は四角ですが色々変化していますね。

南西の角、坤櫓(未申・ひつじさる)の石垣跡。

西側を北方面へ。

直線だけでなく西側に出っ張りを見せていますね、西側の門が見えます。

曲がって、此処は振り返りました、西側の水堀です。

西側の西門の石垣上・・・枡形の石垣が見下ろせます。

西門外へ、城内方向を見ます美しいですね。

山形城二の丸西不明門です、鵜首構造(道が狭めある)ですね…美しい門跡ですね。

枡形構造の石垣がクネクネと・・・。

此処でも振り返ってしまいました、西門(西不明門)美しい虎口ですね。

なをも北方面へ進みますね、この辺り手前に三階櫓があったみたいですね。

北側に出ますね、北西の隅櫓(乾・戌亥・いぬい)があった場所ですね。

北側を東方面へ進みますね。

北門が見えてきましたね。

北門上から見た石垣・・・・意外と単純な・・。

外側から見た北門(二の丸北不明門)。

なおも東側へ進みますね。

この辺りから土手上の整備が為されていますね。

肴町向櫓・・・・跡の復元石垣。

この辺りは奇麗に整備されています・・・・。

北側は突き出した二の丸があるので。

北東の隅櫓復元石垣 艮櫓(丑寅・うしとら)。

北東角、東側へ。

東門の櫓が見えてきましたね。

二の丸城内へ降りて外側へ出ますね、二の丸東大手門櫓門。

二の丸東大手門の櫓門下から見た高麗門・・・枡形構造。

城門をでて南方面の水堀を・・・。

山形城二の丸東大手門の正面、高麗門・多門櫓・木橋。

再び山形城二の丸へ・・・最上義光公像。

山形城本丸に架かる一文字門。

一文字門説明の写真を・・・・わかりやすいので。

山形城本丸の石垣と一文字門(高麗門・木橋)、櫓門は復元するのかな・・・・今回で3回目ですが来るたびに変わっていきますね嬉しいですね。


山形の山寺に行って来ました。

2023-03-10 10:21:36 | 旅行記
2023年3月6日(月)に山形の山寺・・・正式名【宝珠山立石寺】に行って来ました。

山形から仙山線で約20分山寺駅へ・・・沢山の方がいました、参拝コースを行きますね。

沢山のお堂が立ち並びます、貞観2年(860)清和天皇の勅願によって慈覚大師(円仁)が開いた天台宗のお山、慈覚大師は天台宗伝教大師(最澄)の弟子で比叡山延暦寺の3代目の座主・・・青森の恐山も彼ですね、上の図右端から1000段の階段を上り下りします。

山寺駅を降りて立谷川を渡りますが、大きな石が・・・対面石の名前が付きます・・・慈覚大師と地元の猟師がこの場所で話した伝説が・・。

この右横から参拝コースが始まります、奥の細道・・・松尾芭蕉で有名ですね。

根本中堂・・・・確か比叡山延暦寺にも同じなのお堂が・・・天台宗仏教道場ですね。

日枝神社・・・・明治以前は神仏習合なのでこの地にも神社が?、この右後ろに大イチョウの御神木があります。

俳人松尾芭蕉と門人河合曾良の像・・・・閑さや岩に・・・。

立石寺の山門・・・此処から階段の始まりですね。

こんもりと茂った山道の階段を上りますね・・・辺りにはいろいろな墓石が・・・・。

姥堂の奪衣婆・懸衣翁・ドラえもん・・・・・奪衣婆は閻魔大王の妻とか、姥堂の下は地獄、此処から上は極楽という浄土口だそうです。

百丈岩・・・。

四寸道・・・お山に沿って作られた道、狭い所は14cm(四寸)。

階段が続きますよ。

上の方に建物が、仁王門ですね。

仁王門まえの下側に弥陀洞・・・・阿弥陀如来に見える人は幸福が訪れると・・・。

立石寺奥之院・・・・これより奥には修行者のみ。

左から、納経堂・開山堂・・・百丈岩の上に・・・・。

釈迦堂。

釈迦堂と納経堂の景色・・・・この真ん中の下から上がってきました。

五大堂からの景色。

五大堂脇からお堂と景色、此れで山寺を下ります。




綾瀬川の護岸工事(6)に行って来ました。

2023-03-09 10:18:56 | 日記・エッセイ・コラム
2023年3月8日(火)に綾瀬川の護岸工事に行って来ました。

まず、3月3日(金)土手にシートが張り終わり、蛇篭の金網を貼っています。

3月4日(土)網を張る。石を入れる・・・手際よく作業が進んでいますね。

3月7日(月)大分石が入れられましたね・・・。

蛇篭の石を満遍無く張るのはやはり人手による作業が必要なのですネ。

3月8日(水)見てください、人手により奇麗に石が・・・・石垣積の穴太衆みたいですね、石は石に聞けとか!・・・・、この後網をかけてらせん状の鉄線で閉じるのですね・・・・もう少しで作業を終了ですね3月いっぱいには終わらなければ・・・。


山形の巨木(山寺・山形城)。

2023-03-09 07:13:57 | 巨木巡礼東北

2023年3月6日(月)に山形の山寺・山形城に行って来ました、今回はそこで出会った巨木達です。

山形県山寺の宝珠山立石寺(通称山寺)内の日枝神社境内にある大イチョウ、幹回り9・6m樹齢1000年以上?慈覚大師(円仁)御手植えのイチョウ・・・・この伝説は?。

日枝神社の御神木・・・・暴風で中央の幹が折れたがその後持ち直し回復、・・・集合体に見えるので千年までは??。

折れた幹・・・・その後頑張って回復・・・・頑張ってほしいですね、お寺なのに日枝神社があるのです?。

此処からは山形城(霞城)二の丸の北側の土手の上にありましたね、巨木が数本・・・・サイカチ(槐)の木・・・・如何ですか?。

サイカチの巨木・・・幹回り6・1m、樹齢は?・・・・多分お城の土手を構築した江戸期400年ぐらいですかネ?。

しかも3本程の巨木が・・・此方は幹回り6・5m・・・若木と重なった状態ですが凄いですよ、サイカチの木は【再び勝つ】とゴロも良いので城内に植えられたのでしょう?。

山形城にはこれで3度目ですが、余り余裕がなく、今回は二の丸の土手上(2・2k)を見て回ったので会うことが出来ましたね、最初は桜を見に来たので・・・・。

山形城はまだまだ復元が続くの?で楽しみですね、本丸周辺もまだまだ楽しみですし。

サイカチの巨木如何でしたか・・・・今回は巨木は念頭になかったのでうれしいですね、山形の置賜には桜の巨木があるので機会が在ればまた来たいですね。


山形の上山城に行って来ました。

2023-03-08 07:33:12 | 城郭山形
2023年3月5日(日)に山形の上山城に行って来ました。

上山城(月岡城)本丸跡の月岡公園入口、JRかみのやま温泉駅北西側の高台にありますね・・・駅から歩いて15-20分位でしょうか?。

月岡神社境内・・・・月岡城本丸です、上山藩は土岐氏・藤井松平氏。

月岡神社です、藤井松平氏を祀った神社ですね、明治初期にはやりましたね。

本丸入り口脇・・・・隅櫓の後でしょうネ。

反対側も本丸の土塁・隅櫓の台が解りますね、お城が見えますね・・・・本丸でなく二の丸の高台に復元・・・駅側から良く見えますからネ。

本丸脇の土塁が良く残っていますね。

駅と反対側に残る、武家屋敷・・・禄高50-100石の中級ぐらいの?武家屋敷とか・・・。

当時の武家屋敷とか・・・・庭には池も見られますね・・・水琴窟もある家が・・・。

お城の北側?から見た蔵王方面・・・・左側は湯上観音?・・・、今回は蔵王の樹氷を見に行く予定でしたが、樹氷は解けて崩れたとの事で明日は山寺・山形です。

公園横側からの上山城・・・・手前に橋が、空堀でしょうね?。

天守からの眺望です・・・高欄廻縁から・・・蔵王方面を見ました。

お城の正面方向から、広場ギリギリから天守方向を見上げる。

少し回り込んで・・・・お城前の広場が無く見上げますね。

今度は本丸側神社奥から・・・桜の枝が在って・・・・。

こちら側は本丸脇のやはり桜の木が多く、同じ二の丸端からのお城と蔵王が少し・・・・・電車からの見ばえが良いのでしょうが、今回は撮りませんでしたね、今回で3度目ですね。


群馬藤岡の平井金山城に行って来ました(井戸曲輪・櫓門)。

2023-03-05 07:35:02 | 城郭群馬1
2023年2月28日(火)に群馬藤岡の平井金山城に行って来ました、平井金山城は関東管領山内上杉憲実(初代平井城城主)の詰めの城、永享10年(1438)の乱で鎌倉公方足利持氏と対峙・・・籠城した旨の説明が本丸(主郭)にあるが天正元年(1466)上杉顕定(4代藩主)が拡張・・・天文21年(1552)上杉憲正(8代藩主)が北条氏康に攻め落とされたので、その当時の遺構として残っているのでしょうネ。

平井金山城の縄張り図・・・下側の右から左へ説明しました、今回は下側中央の二の丸から上に上がりますね、井戸曲輪まで行少し戻り櫓門・カロウト岩まで。

本丸を下り二の丸脇を右側方面へ本丸を回り込むように下ります。

此処が二の丸ですね、向こうから来ましたね。

最初狭い細い道を下りますね、本丸を回り込むように・・・。

廻込いよいよ、北側正面方向へ・・・目の前は堀切が・

二重の堀切が・・・狭い尾根筋を切っていますね・・・・当時は土橋か・木橋か?。

少し先は大きな曲輪が。

その先は又堀切で大きく分断されていますね。

尾根筋の段差を利用した曲輪が右側が横矢で正面は切岸での防御ですね。

分岐が出てきましたね、左側が井戸曲輪へ、右側は大手門方面。

横矢・切岸ですね。

廻込進むと避難所が見えましたが、あすこが井戸曲輪脇です。

岩盤を掘削してありますね・・・・井戸曲輪です。

説明版が・・・・水は山城の生命線ですからネ。

また先程の分岐に戻りますね、井戸曲輪から見上げます、細く切ってありますね。

先程の切岸・横矢ですね・・・・素晴らしいですね・ワクワクしますよ。

分岐に戻り先に進みますね、細い尾根筋に変わります。

またまた、堀切が・・・。

出てきました虎口が櫓門ですね、正面は平場が続き、右側に虎口が・・・石積も見られますね。

櫓門下側から見上げますね。

少し離れて櫓門を・・・平場の脇は石垣(石積)が見られます。

櫓門先には土橋・・・堀切ですが岩盤を削っていますね。

かろうと岩ですね、この先下側に大手門があるとか・・・下のゴルフ場から声も聞こえたのでそこまで下がらず此処から戻りました・・・権利的にはこの辺はゴルフ場の持ち物みたいですが遺構を崩さず残されたみたいです、まずは良かったです、・・・・この辺りの遺構はやはり戦国期のものでしょうね、此処から戻り・・・高山城・平井城と見て回りました、特に高山城は目の前なのに皆さん知らないので苦労しました。

本丸前まで戻りました、此れから左側へ回り込み、二の丸へ・・・。