三郎兼続の日記

趣味の写真で山登り・旅行を主体にした日記
最近は山登りが少なく、城郭・巨木へ

三原城跡に行って来ました。

2019-12-10 12:08:52 | 城郭広島
2019年12月5日(木)に三原城跡に行って来ました、此処広島県三原市の三原城は毛利家の両川と言われた毛利元就の子、隆元・吉川元春・小早川隆景のうちの隆景の居城です、元は三原市本郷の高山城・新高山城でしたが、この三原に城を築城・・・瀬戸内海を収めたのです、隆景は豊臣秀吉から秀秋(当時12歳)を毛利家の養子にとの話があり、毛利本家でなく小早川家へ収めた話は有名ですね・・・あの関ケ原で東軍に寝返った人で・・・豊臣秀頼が生まれ邪魔にされ実力も無く21歳の若さで早死にしましたねアル中だとか、隆景はその結末までは知りませんが。

三原城の天守の石垣です、新幹線ホームからです・・・三原城付近は山と海が近く鉄道が三原城を横切り遺構がこの濠と石垣のみです。

駅の窓辺に三原城跡の碑が見えます。

駅脇から天守台跡に出ます。

広場です。

縄張り図・・・・三原城は海側の大小の岩場の上に築いた海城なのです、三大海城、ここ三原城・高松城・今治城です、山側の街道沿いにはお寺が多く城郭の一翼を、小早川隆景は知将で有名ですからね。

新幹線の下側にも隠れ石垣が・・・。

山側の西国街道側から見た水堀と天守石垣。

角度をかえて。

ここは駅脇から見た石垣です。

駅・・新幹線したの石垣です・・・すこし保存。

駅・・・南側(海側)に残る本丸中門の石垣。

舟入櫓跡の説明。

昔の城と現在を重ねました図・・・舟入櫓の場所は海につきだしていて船が入り込む入江ですね、因島の村上水軍は目の前ですからね・・・・毛利の水軍は当時有名でこの小早川隆景が頭領なのです。

舟入櫓の石垣を見て回ります。

当時は此処が海に面した先端ですね。

櫓はここまででこの先は当時船溜まりなのでしょう。

此方がわ見ればこの辺りに軍船がもやっていたのでしょうね?。

糸崎神社です。

糸崎神社の楠の巨木?、三原市本郷の新高山城跡に行く時間が無くなり少し良い道しました、バスで本郷を通ったので新高山の城跡の看板が見えました残念でしたが、結構移動しながらアチラコチラ回るのは難しいので此処までです。




福山城跡に行って来ました。

2019-12-10 11:22:09 | 城郭広島

2019年12月5日(木)に福山城跡に行って来ました、今日は広島から福山城・三原城・新高山城・広島空港の予定でした。

福山駅新幹線ホームから見た福山城です、元和5年(1619年)徳川譜代の水野勝成が備後10万石の領主となり築いたお城ですね、城の石垣スレスレに鉄道が・・・。

同じくホームから角度を変えて見ました。

ホームヤヤ後ろ(広島側)から見た本丸石垣と伏見櫓(現存)。

ホーム前方から見た福山城、手前が月見櫓・鏡櫓・天守閣・・・・いい景観ですね石垣・櫓・・・・・これぞお城ですね。

福山駅周辺です、流石に水堀はありませんが、駅裏に福山城です。

昔の福山城・・・大手門辺りは丁度駅ですね。

本丸への虎口、正門です右側が筋鉄御門(現存)、左側の伏見櫓とこの御門は、築城に当たり伏見城から移築したものとか、将軍に可愛がられていたのですね。

本丸南面、筋鉄御門・多門櫓・御湯殿・月見櫓と在ります。

振り返ると、伏見櫓・筋鉄御門・多門櫓。

もう少し近ずいて、御湯殿・月見櫓。

本丸城内に入り、筋鉄御門横から見た伏見櫓・・・三層の隅櫓で将軍秀忠の贈り物ですね。

城内石垣上から見た筋鉄御門。

本丸から見た(南側)福山城五層六階地下一階隣に二層三階の付櫓、高覧廻縁で唐破風・千鳥破風を設けた堂々としたお城ですね。

角度を変えながらお城を見ていきますね。

城内西側にある鐘櫓。

本丸東側に有る二の丸への虎口と石垣。

二の丸虎口から振り返り見た鏡櫓と奥が月見櫓。

二の丸虎口から見た福山城、右側は二の丸石垣。

二の丸です、像は水野勝成。

二の丸から見た福山城。

二の丸から見た鏡櫓・月見櫓。

北側庭園内から見た所。

西側本丸下から見た鐘櫓。

駅前東南方面から見た石垣・月見櫓・鏡櫓・福山城天守閣、イヤー見事なお城です、此れより三原城へ・・・なんと駅に電車が来ない信号機トラブルとかで12時近くになる!!!、結局大幅に遅れ新高山城跡はパスすることに(泣き)・・・次は三原城へ。

高田郡山城跡に行って来ました(毛利一族のルーツ)。

2019-12-08 07:42:14 | 城郭広島

2019年12月4日(火)に広島県吉田市高田の郡山城に行って来ました、此処は毛利一族の居城で此処から大きく羽ばたいたのです、毛利元就の居城の、吉田盆地を見渡す可愛川・多治比川の合流点の北側に築かれた山城です、山上と山麓部で構成された中世の城郭ですね。

広島のバスセンターから90分ですが朝の渋滞で2時間弱近くかかりましたかネ・・・雨が降ったり止んだりでハラハラ・・、帰りは途中のJR可部駅で下車し横川駅にでました。

歴史民俗博物館(上の地図左下)の脇から時計回りに山城へ(結局搦め手方面から)。

毛利隆元の墓所です、毛利元就の長男ー毛利隆元・次男吉川元春・三男小早川隆景・・・三本の矢の話は有名ですね、急死で毒殺説も?。

毛利一族のお墓と奥に毛利元就の墓がある洞春寺跡です・・・全くのお城裏側コースから入ってしまいましたね。

お墓の上横から、イザお城へ・・・・。

ハイキング気分で・・・目指すお城は右奥に見える向こう側の山です。

漸く着きました、お蔵屋敷の脇へ、曲輪ですが・・・・此処の呼び名は壇・・と呼ばれる。

此処は二の丸への上り路ですね、二の丸前に帯曲輪が有りますが。

帯曲輪から二の丸への虎口、上が二の丸で右側が三の丸方面です。

虎口から見た二の丸、奥の段丘上が本丸と続きます、右側下が三の丸。

二の丸から見た三の丸ですね。

二の丸です、奥の上が本丸と櫓台です。

二の丸虎口から見た本丸と奥が櫓台です。

本丸櫓台跡です。

櫓台から見た下が本丸、その先が二の丸、三の丸と続く連格式城郭ですが、他にも沢山の曲輪(壇)が尾根上に有ります。

二の丸から見た三の丸。

三の丸です・・・・この先にも小さな壇があります。

お蔵屋敷から下る路の横が最大の壇、勢溜の壇です、幾つかの段丘の開かれています。

段丘の先に展望が開けます・・・・高田の町が眼下に。

壇の横の道ですが急坂です上る敵を上から追い落とせますね、此処は毛利元就が天文9年(1540年)尼子勢3万の大軍をむかえうけ5か月耐えたお城なのです(郡山の合戦)、山全体が城郭で比高190mでの防御なのです。

途中にも尾崎丸の曲輪がありました、尾根を削平し堀切・切岸で囲ったものですね。

安芸高田市役所前から見た郡山390mの城山です、展望台に”いちもんじみつぼし”の長州毛利家の旗が、毛利輝元の時に広島城を築城し移り、その後廃城に、此れから、昨日どうしようかなと考えていた武田の銀山城を横目に見ながら岩国城へ向かいます、方向が違うので・・・・。

広島に行って来ました(毛利一族の城跡めぐり・広島城)。

2019-12-07 10:19:53 | 城郭広島

2019年12月3日(火)から5日(木)にかけて、毛利一族の城跡を巡ってきました、まずは広島城からです。

飛行機の機内から良く見えました、冠雪の南アルプス・・・山名?。

上が東側ですね、JR広島駅の方向で縮景園(後程)は裏御門から真っ直ぐ先、原爆ドームは右側700M位先です、広島城は三大平城の一つで他は名古屋城・岡山城で戦前は三つ共国宝でしたが、先の大戦で三城とも焼失・・・残念なことですが三城とも復元されましたね、上側に京橋川、下側に太田川にはさまれた三角州で三重の堀(内堀・・(現存)・中堀・外堀)の輪郭式平城です、毛利輝元が本拠地の安芸高田の郡山城から新たに築城したものです、当時豊臣政権下で112万石の大大名です、天正17年(1589年)、その後徳川政権で毛利は周防・長門2カ国37万石になり、福島正則が49万8000石でこの広島城へほぼ現在の形に改築、豊臣家滅亡後浅野家が42万6000石で明治まで治めました。

当時の三の丸(合同庁舎側)から見た内堀・二の丸の太鼓櫓・多門櫓・平櫓です。

二の丸正面・・・御門橋・表御門・・・・右側は平櫓です。

二の丸内部から見た太鼓櫓と多門櫓です。

原爆の爆心地から740mの距離ですが二の丸城内ユーカリとマルバヤナギの木は被爆の木ですが元気に頑張っています。

二の丸から本丸への虎口・・・中の御門ですね、右側の木が被爆の木マルバヤナギです。

本丸の石垣の上から見た二の丸全景と右側の手前の木がユーカリです。

細長い本丸の奥(北側)に有る天守です5層5階の堂々としたものです、最上階は華頭窓で高欄廻縁です。

天守から見た南方面(原爆ドーム方面)本丸城内と西側の内堀。

東側から見た天守、唐破風は広島城はありませんね。

裏御門跡です、虎口は2個のみですね。

東側の内堀と石垣です広島城は櫓の数が多く石垣沿いに多数の櫓が存在していたのです。

再び南側へ。

少し西側へ回り込んでの広島城。

少しずつ堀沿いを進みながら。

すこしアップで。

北西の角から見た広島城と堀に映る逆さ城。

縮景園・・・江戸時代浅野家の大名庭園泉水式庭園・・・夕照庵と紅葉、新婚さんが式後に来て写真撮影をする場所みたいですね、二組もいました?。

同じく。

濯えい池と跨虹橋(太鼓橋)と清風館。

濯えい池と水心島、如何ですか、広島城、予定では武田山の銀山城(安芸の守護武田家の山城)も見たいと思っていたのですが、ゆっくり見ていたらとても無理なので諦めました、明日は朝早くから、毛利家の本城の高田郡山城へその後岩国城へ登城します。