2020年3月26日(木)に栃木市の皆川城跡に行って来ました、栃木駅からふれあいバスで皆川郵便局前です。
郵便局前で下車・・・少し戻り分岐に案内板が皆川城址ですよ。
分岐を右側に入り、少し直進・・・右手に小高い山が見え山頂に展望台が・・・あれが皆川城本丸です、入り口は皆川公民館からです、左ての土塀が皆川公民館(以前は学校とか?)(皆川氏の居館跡)、公民館でパンフレットを頂きました・・・外にもありましたね。
公民館脇から(此処は居館)山側へ・・・・いきなり竪堀目の前に。
皆川城へは直進して登らず、時計回りに山裾を回り込みますね、この道を回り込みます。
案内板と頂いた資料を見ながら左側から裏側へ本丸からジグザグで見ながら下りますね。
皆川城の縄張り図です、別名法螺貝城です、山頂を本丸・二の丸(お花畑)・西の丸と削平し帯曲輪・腰曲輪でグルグル削平し竪堀で区分けされた全山城郭です、戦国期には北の鹿沼を攻略した宇都宮氏から圧力を受け従属、離反をくり返しました、永正13年1515年には宇都宮忠綱と戦い皆川宗成が勝利・・・西方城を奪いましたね、天正12年北条氏政・氏直が来襲し3ケ月に渡る激戦の末和議、北条の傘下に、その後豊臣秀吉の小田原征伐時には藩主皆川広照は小田原籠城に参加、城は上杉景勝らに攻められました、広照は徳川家康を頼み降伏し、城は開城・・・その後お城は廃城(栃木城を築城移りました)、戦国期を巧みに生きた皆川氏のお城ですね。
此方の縄張り図が解りやすいですね。
山側から見た、皆川公民館(居館)です山のお城をバックにした中世のお城形式です、東側(栃木市側)にも昔の居館跡が見られますね永野川が有りますからね。
お城全体?を見ました、幾つかの段丘が見られますね、左の木々が西の丸・二の丸・本丸。
竪堀です、西の丸下の腰曲輪まで掘られています、わかりやすく見事な竪堀です。
これは西側の虎口ですね、丁度真横の方角に来ました。
お城の北側(後ろ側)に回り込みましたね、裏側にもしっかりと段丘削平された防御が見られますね、横矢ですね。
上から見れば削平された帯曲輪の上から迫る敵兵を上から攻撃ですね、こちら側は木が沢山有りますが下草が刈られ見やすいですね。
漸く、二の丸脇に上がりました、右側が二の丸(お花畑)です、正面奥が本丸で手前に腰曲輪?。
登って来た方の反対東側も大きく切り開かれた削平が見れますね。
本丸の腰曲輪から見た本丸です。
本丸の腰曲輪から見た二の丸です、正面が西丸です、左側下から正面奥の下を廻右側から二の丸脇へ登って来たのです。
本丸脇の腰曲輪反対側見た二の丸です。
本丸です。
本丸から見た栃木市市街方面です、右奥に筑波山が見えますが?、正面下の森が東宮神社ですね、後がグランドですが当時は此処も皆川氏の居館跡らしいですね、市街地手前の横線が永野川ですから、防御性が高いのでしょうね、この下あたりに東口虎口もあるのです。
本丸下の帯曲輪から西方を見ました、右上が二の丸・西の丸、その下が大きな曲輪で井戸・池(土が崩れている辺り)が有りますね、そのしたも段々です。
二の丸です、奥が西の丸。
西の丸・・・・道路は堀きりで区切られていたのでしょうね?。
二の丸から見たお城南側の正面。
二段目の腰曲輪から本丸を上務、正面が井戸・池跡。
西の丸下の竪堀上から西方面を見る、段丘での防御が見られますね。
同じく南側(正面)を見る、向こうの山は大平山・晃石山方面ですね、下は居館。
此れが竪堀を上から見た所先程は下から見上げました、下が屈折させていますね。
まず右側方面西の虎口方面まで段々が繋がっていますね。
竪堀左側から真下を見る。
竪堀中間から西方の虎口方面です。
振り返り南側、本丸を望む、この右側も大きな削平ですね。
竪堀脇から西の丸を見上げる。
同じく本丸を見ました。
無事下城、バス停へ向かう途中で皆川城跡を見ました。
東宮神社です、この後はグランドです、参道を高速道路が横切りトンネルでした、ここも居館とのことです。
東宮神社裏手から見た皆川城跡です、脇は土塁ですね、東口の虎口には行かずでした、機会があれば。