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三郎兼続の日記

趣味の写真で山登り・旅行を主体にした日記
最近は山登りが少なく、城郭・巨木へ

京都周山城に行って来ました。

2025-04-10 06:41:43 | 城郭京都

2025年4月2日(水)京都右京区周山の周山城に行って来ました、京都京北の地ですね、若狭より京都の抑えとして、あの、明智光秀が丹波攻略後、天正7年(1579)に築城・・・明智光忠が納めたと、本能寺の変は天正10年(1582)。

周山街道より図の下側です、昨日行った高雄より大分北側・・・京都から約1時間半。

今回はついていました・・・①このパンフレットを京都駅観光案内所で頂けた・・・解り易かったですね・・・②天気予報では雨でしたが、予報がハズレ・・・でもバスの途中山中では雨が降っていましたが曇りになりました・・・雨の中の山城は(泣き)。

道の駅ウッディ京北・・・後の山方面が周山城(直は見えないか?)。

案内図で迷わず・・・慈眼寺にも寄れました・・・此処で準備山中に入りますね。

すぐ広場が・・・此処から山中・・・結構急な坂。

もう少しで・・・。

ポイントへ出てきました・・・本丸500mの案内・・・右側ですが、チョッコと左側へ。

周山城の案内図・・・右上からの登城道から急坂を上り・・・本丸500mの分岐です、まず右下へ戻って・・・左側へ行きますね。

鍛冶屋曲輪。

鍛冶屋曲輪の先の高台・・・野村丸の名前が・・・出丸なのでしょうね(脇にはNHKのアンテナ施設)・・・此処で分岐まで戻ります。

分岐先も急坂。

急坂を上がりました周山尾根の一つの山頂?(脇にNHKの施設が)・・・下側が周山の町・・・木が無いので見晴らしが良いですね。

ここは周山城の一部ですね・・・NHKの施設が・・・脇を通り抜けますね、左側下側に回り込む山道がありますね。

上から来たので虎口を上から見ます。

此処は兵糧蔵曲輪?。

曲輪を抜けるとやせ尾根から急な斜面脇を進みますね。

二の丸の虎口・・・石垣を土嚢袋で修復。

虎口から二の丸へ・・・枡形構造の虎口。

本丸方向を見ました・・・大分石垣の一部が散乱していますね。

二の丸・・・・奥の高い所が主郭の本丸。

本丸への虎口・・・右横に此処も枡形ですね。

本丸から見た二の丸。

本丸虎口・・・虎口脇の土塁。

周山城の主郭部分です・・・周りを土塁で囲んでありますね・・・石垣かも?。

主郭の山頂・・・上の部分行きません?・・・左側の部分を見て回ります・・・下側は少しでした。

本丸部分・・・左側が天守部分?。

上右側から・・・・。

・・・・案内図に従い本丸から外に・・。

尾根筋を下ります。

井戸跡の案内図・・・・下ります。

井戸が残っていますね。

石で囲った井戸跡・・・・水の手。

戻るり少し下がった所が小、小性曲輪・・・・奇麗に削平されていますね。

小性曲輪先・・・・下側にも削平された曲輪が見られますね、右脇には石垣も見えます・・・此処からは下れず戻って回り込みます。

回り込んできました・・・・石垣群の案内と土の城方面の案内が在ります。

曲輪内へ入ります、見上げると石垣の残りが・・・。

回り込むと・・・石垣が・・・この上は小性曲輪です。

曲輪脇の石垣・・・荒々しい石積ですね。

見事なものですね・・・・山頂の主郭部分では残されていませんでしたがネ。

小性曲輪方面へ戻り本丸脇方面へ回り込みます・・・石垣群①方向です。

此方が本丸西側の石垣群①。

西側の本丸を囲むように石垣が続きますね。

石垣の端南側から上がった曲輪・・・鷹屋曲輪。

鷹屋曲輪を上れば本丸の南へ出ますね・・・地図下側。

本丸西南方向の土塁上から見た北方面の本丸。

東方面の本丸・・・・本丸部分は土塁部分で石は散乱ですが周囲の石垣は良く残っていますね・・・・素晴らしい山城でした。


亀山城に行って来ました。

2025-04-09 06:26:49 | 城郭京都

2025年3月31日(月)明智光秀で有名な、京都亀岡市の亀山城に行って来ました、あの本能寺の変は此処から始まったのです。

JR嵯峨野線亀岡駅前に亀山城はありますね・・・・今日はこの先の八木駅まで行八木城に行って来ました、以前に黒井城・八上城・福知山城にも行きました・・・・明智光秀の丹波攻略の地を見てきましたネ。

天正3年(1575)から始まった丹波攻略、途中で八上城波多野氏の寝返りに会い敗れ・・・拠点として、この地に亀山城を築いたのです。

駅前の南郷公園・・・・亀山城外堀の南郷池に立つ明智光秀像。

南郷池・・・・桜はまだ開き始めでしたね・・・対面が亀山城。

天正5年(1577)丹波再攻略の拠点として築城。

現在亀山城は大本教の敷地内にあります・・・・右上が駅方面。

上の図の下側から・・・・石垣は再構築したものでしょう?。

大本教正門・・・此処から入り総合受付でパンフレット・拝観券を購入、亀山城に入城しました。

総合受付より万祥殿方面へ・・・亀山城の石垣ですね。

万祥池・・・内堀ですね・・・万祥殿の裏側が亀山城です。

復元された石垣・・・江戸初期天下普請で再構築されたのですね。

万祥殿横から亀山城へ・・・正面は一の門跡とか・・・門脇の石垣、奥には本丸の石垣。

一の門脇の石垣。

此処が亀山城当時の本丸入口の一の門。

本丸に繋がる石垣。

亀山城本丸の石垣・・・・昭和の戦後に積み直したそうです。

当時の面影は十分に・・・。

右横方面から・・・本丸を見上げますね・・・本丸は大本教の神域で入れません。

碑は白とは関係ありません。

素晴らしい石垣、残して頂き感謝ですね。

この先には入れません・・・大イチョウも身近に見えませんでしたね。

本丸の石垣・・・下側に当時の穴太積みが残っているとの事です。

本丸への登城口。

此処までですね・・・左側奥が天守。

本丸石垣を見ながら戻りますね。

一の門。

右側の内堀・・・・万祥池。

此れは南郷池側の植物園から見上げた本丸の石垣。

 

 


京都の八木城に行って来ました(後編)。

2025-04-08 06:15:45 | 城郭京都

2025年3月31日(月)京都の南丹市の八木城に行って来ました来ました、明智光秀が丹波侵攻は此処から始まりました、いよいよ八木城本丸周辺を散策。

八木城本丸・・・・左下側から回り込んできました・・・南から北側を見てますね

中に入り・・・・右上の土塁脇から上がってきました。

本丸からの景色・・・・JR八木駅は眼下です・・・以下写真説明があるので・・・。

上の写真の方向・・・北側ですね。

やや北東方面でしょうかネ・・・・亀山城から本能寺方面へ向かった方角。

同じ写真取れましたネ。

本丸東側は土塁・・・・右手前から上がってきましたが、左側上が金の間?(・・・虎口がありますね)。

本丸北東側・・・・奥方屋敷曲輪とか・・・階段状に削平された曲輪が・・・。

二つほど曲輪が・・・・。

曲輪の先に・・・光秀の勝どき岩がありました・・・・まだ先がありそうですが・・・急坂なので止めました。

勝どき岩からの展望・・・JR八木駅が眼下ですね・・・あそこから登って来ましたネ、しかしこの旗は見えませんでしたね?。

降りた曲輪から本丸へ戻ります・・・・切岸状態ですね。

此処が先程の金の間?・・・本丸南側?に突き出した曲輪とか?・・・名前から金蔵とも?。

案内板裏側は虎口に見えますが?。

本丸北西側脇の曲輪・・・・この横に石垣が見られますね。

二の丸降りてきました・・・・正面方向へ・・・。

右側・・・西廻ロート、左側・・・亀岡ロート。

まず、左側の亀岡ルート方面へ・・・。

広い稜線が続きますね。

曲輪状の削平地が・・・上に登ります。

曲輪でしょう・・。

曲輪の先・・・切岸でしょうね、下側に回り込む山道が・・・・横矢がかりの防御でしょうね・・・・此処で戻ります、先程の右側西ロートへ。

西ロートへ入りますね。

削平された曲輪なのでしょう・・・・。

少し進むと・・・・。

細い急坂なので止めました・・・地図では西ロートに北の丸が??・・・亀岡ルートにあるのが北の丸?・・・説明版が?・・少しモヤモヤのまま終わりましたが、素晴らしい山城でしたネ。

 

 

 


京都の八木城に行って来ました(前編)。

2025-04-07 06:04:57 | 城郭京都

2025年3月31日(月)京都南丹市の八木町の八木城に行って来ました。

京都府南丹市八木町・・・JR嵯峨野線八木駅から歩きますね。

八木駅からの案内図を辿りました。

駅から見える八木城・・・標高330mの山城。

途中の畑の間から・・・頂上まで約1時間の道のりですかネ。

目安の八木春日神社。

キリシタン武将・・・内藤ジョアン(如安)の碑・・・内藤氏は丹波守護代でゆかりの地。

高速道路下のトンネルをくぐりますね・・・登城口・・・東廻口コースを行きます。

織田信長が足利義昭を京都から追放、足利幕府崩壊、明智光秀の丹波攻略が天正3ー7年(1575-79)始まります、八木城・・・内藤氏、八上城・・・波多野氏、黒井城・・・赤井氏(丹波三大城郭)を攻め落としますね・・・・拠点が亀岡の亀山城ですね。

八木城山麓の天神の居館部分・・・・此処からイザ。

階段状の削平された曲輪?らしい山道を登ります。

切岸らしく見えますね・・・。

段々と。

居館跡なのでしょうね?。

100m毎?に標識が・・。

やはり、居館跡の案内板が。

一番奥まった場所が広く確りと?。

山道に入ると急坂ですね。

東の出丸(対面曲輪)・・・左側上・・・正面方向が八木城本丸。

東の出丸上から見た左下が登城道・・・・横矢が掛けられる監視所ですね。

曲輪内・・・・薄れましたが・・・堀切で区切られていますね。

なおも、上りますね。

かえる岩?・・・細い道が続きますが、もう少しですね。

左上が開けてきました・・・山頂手前。

山頂手前の石垣?が見られます。

横上に明らかに石垣・・・。

平場に出ました。

二の丸(馬屋)・・・左側が本丸。

二の丸を見ます・・・・。

二の丸から本丸へ上がりますね。

八木城本丸です、前編は此処まで。

 

 

 


二条城に行って来ました(本丸)。

2025-04-06 06:36:17 | 城郭京都

2025年3月30日(日)京都二条城に行って来ました・・・いよいよ本丸ですよ。

二条城本丸の内堀に架かる東橋と本丸櫓門。

本丸櫓門から見た本丸内・・・・石垣の前に本丸櫓門・・・奥が桝形。

石垣内部から見た本丸櫓門と手前が枡形構造の虎口・・・この手前の石垣正面から迎え撃ちますね。

石垣横の雁木階段より石垣上に・・・。

本丸庭園と本丸御殿・・・・明治以降に作り直されたものですね・・・・庭は枯山水とか。

本丸御殿は桂の宮御殿を移築。

本丸西南の隅に天守台跡が・・・・寛延3年(1750)落雷の為焼失・・・伏見城から移築した5重6階の天守が消えたのです・・・当時高い建物は雷・戦災で・・・残念ですね。

天守台へちかずきます。

雁木階段を上りますね。

天守台からの眺望・・・西側の内堀方面。

北東方面・・・・本丸御殿と本丸庭園。

南側の内堀・・・右側は二の丸の梅林・・・奥が桃山門。

西南方面・・・奥に見えるのが外堀の西南隅櫓。

西側の内堀・・・折がありますね・・・西橋の虎口。

もう少し西側の内堀を・・・本丸西の虎口。

本丸西の虎口・・・西橋・・・突き出した外枡形構造の筋違い門・・・素晴らしいですね。

本丸御殿。

本丸御殿前の西口の虎口。

本丸西の虎口・・・内側も枡形構造ですね。

石垣の外側も外桝形構造で筋違いの門の防御。

西橋上から見た本丸天守台の石垣・・・・・二条城本丸です。

 

 

 

 

 

 

 


二条城に行って来ました(二の丸)。

2025-04-05 06:17:16 | 城郭京都

2025年3月30日(日)京都二条城二の丸御殿には入らず城内を見て回りました。

いよいよ、二条城の城内へ・・・下左側の堀川通り東大手門から入り・・・二の丸御殿の前から二の丸庭園・・・本丸は後程、本丸の西側に抜けて右側の北側を・・・戻ります・・・まだ梅林側の南側を歩いていませんね。

東大手門を入りました・・・脇の建物は番所。

東南隅櫓を城内から見た所・・・天明8年(1788)の大火事の時も助かった櫓・・・風上だったのですね。

二の丸御殿の築地塀・・・帰りに此処から戻ってきますね。

二条城唐門・・・切妻の屋根の前後に唐破風が付き鮮やかですね。

二の丸御殿 日本の歴史の移り変わり、徳川家の栄枯盛衰を・・・征夷大将軍の就任の祝い・徳川家康と豊臣秀頼の会見・江戸幕府終焉の大政奉還の場となりました・・・国宝。

二の丸広場から二の丸庭園へ入りますね。

庭園へ入りました。

小堀遠州作の庭園。

庭園の向こう側に伏見城から移築した5重6階の天守が見えたそうです。

二の丸を抜けます・・・・西側の虎口です。

本丸東側の内堀・・・・右側に見えるのが鳴子門・・・反対側南側に桃山門があります。

此処が二条城本丸櫓門。

二条城・・・左側真ん中の内堀に囲まれた四角が本丸・・・通り抜けます、左側本丸西虎口より出ます。

本丸西虎口・・・石垣内も枡形構造・・・石垣の外にも張り出した枡形構造の筋違い虎口と木橋。

西口虎口から見た本丸天守石垣・・・・5重6階の天守が聳えたのです。

北側の内堀から見た本丸西側の内堀・・・外桝形構造の虎口・・・奥が天守台・・・手前の石垣にも本丸隅櫓が会ったのでしょうね。

此れは内側から見た西門の石垣・・・現在外堀の西門は未使用ですね・・・中に入れませんね。

此れは北中仕切り門・・・反対側の梅林側には南中仕切り門がありますね。

二の丸方面から見た北中仕切り門・・・・石垣に挟まれた本格的な御門です。

本丸の東側内堀に戻ってきましたね・・・本丸虎口の東橋と本丸櫓門・・・橋の向こう側が桃山門。

本丸東内堀・・・手前左側が鳴子門・・・本丸櫓門が内堀に張り出していますね。

北側の清流園。

二の丸北側の広場・・・・桜の花が・・・・。

北大手門の内側・・・・今は城内へ入れる車両用の虎口。

二の丸御殿北側の御門。

此れも二の丸御殿の築地塀と御門。

 


二条城に行って来ました(外堀)。

2025-04-04 10:47:12 | 城郭京都

2025年3月30日(日)に京都の二条城に行って来ました・・・まず、外堀周辺。

JR嵯峨野線の二城駅から歩きました・・・宿泊先が梅小路京都西駅なので・・・・。

左下(西南)の角に出てきました・・・・此処から反時計回りに1周します・・・二条城は平城で・・・本丸は内堀に囲まれていますね。

西南隅櫓・・・此処から右方面へ・・・。

西側の堀方面。

南側・・・・。

南側の堀・・・丁度本丸の中央辺りのに折れの石垣がありますね。

南門・・・現在使用されていませんが・・・内側は二の丸の唐門へ・・・。

東南隅櫓・・・・右側が堀川通り・・・東側です。

東南隅櫓・・・慶長7-8年(1602-1603)築城寛永年間改修とか。

東南隅櫓・・・右側が東側・・・・東大手門方面。

元離宮二条城・・・正式名称・・・・世界遺産ですね。

二条城 東大手門・・・・沢山の方々がいましたね。

城内に入りましたが、城内の説明は別途記載します。

東側の堀。

北側の堀・・・北側の隅櫓は現在ありませんね。

此れは北大手門。

車の出入りはこの北側の大手門からだけですね。

北側の折れの石垣・・・西側のお堀横から。

西門・・・・此処も現在使用されていませんね。

未使用は・・西門・南門ですね。

西南隅櫓に戻りました。

西南隅櫓のアップ・・・・如何ですか‥・二条城の外堀。

 

 

 

 

 


勝竜寺城に行って来ました。

2021-04-19 12:17:48 | 城郭京都
2021年4月7日(水)に京都府長岡京市の勝竜寺城に行って来ました、豊臣秀吉と明智光秀が争った山崎の合戦の古戦場で光秀が過ごした最後の城です。

天正10年(1582)本能寺の変後、山崎の合戦の戦場、左側が豊臣秀吉軍・・山崎城を後ろに、右側が京都側の明智光秀軍・・勝竜寺城を後ろに決戦。

勝竜寺城の位置です地図少し上が長岡京駅です、京都盆地の南西部に位置し京都ー大阪間への要所、山崎の合戦で敗れた明智光秀がこのお城に戻り一夜を過ごし北門から坂本城を目指して落ち延びたのです・・・・歴史的なお城・・・他にもいろいろあります。

JR長岡京駅前に勝竜寺城への案内が・・・・大河ドラマ麒麟がくるで有名になったからでしょうか?。

今に残る遺構?は駅に近い堀と土塁・・・少し先に復元整備されたお城(本丸)ですね。

神足神社脇に残る土塁と堀が復元されていました。

勝竜寺城です水堀に囲まれた近世城郭の原点です元亀2年(1571)織田信長の命で細川藤孝が築城、その後寛永10年(1633)には廃城。

北側です・・・今の北門?、その奥が北門みたいです・・・・後で。

復元北門?。

此方が北門で明智光秀が脱出したと説明版にありましたね、枡形の虎口石垣が遺構として存在。

土塁のうえから見た北門です。

土塁上から見た本丸?。

やはり土塁上から見た南側です、説明の推測ではこの位置に天守が建てられていた?みたいですね。

このお城は細川忠興に結婚した明智光秀の娘お玉が輿入れした場所で・・・後のガラシャです、信長の命令での結婚でしたね。

内側から見た隅櫓・・・・城内桜が。

本丸大手門の枡形虎口。

勝竜寺城表から。

もう一枚復元された勝竜寺城・・・これで今回の京都方面の城郭巡りも・・・・疲れました。

山崎城に行って来ました(天目山)。

2021-04-17 12:48:29 | 城郭京都
2021年4月7日(水)にあの豊臣秀吉と明智光秀が戦った山崎の合戦部隊の山崎城(天王山270m)に行って来ました。

京都と大阪の境目京都府大山崎町、この地は桂川・宇治川・木津川が合流地点でしばし合戦の舞台になっている地点なのですね、最初明智光秀軍はこの山崎城と川の向こう側の男山城に陣を張っていたそうです、理由は解りませんが、上の方の淀古城・勝竜寺城へ撤退、すかさず秀吉軍が山崎城を奪ったとここと、天正10年(1582)本能寺の変直後秀吉中国大返しでの山崎の合戦です。

JR山崎駅から線路を渡ると山崎城登山口があります、宝積寺へ向かいますね。

山崎の合戦に勝利した秀吉はこの宝積寺を含む山崎城を築城、山崎城は詰めの城・・・平行して大阪城を築城天正12年(1584)には大阪城へ移り、城は廃城です・・・・天下を取るためのツナギの城ですね・・・まだ柴田勝家がいましたからネ。

これは宝積寺の豊臣秀吉が勝利記念に建てた一夜の塔、一夜城とか素早いのでしょうね?。

宝積寺です、この辺りでも高台ですからネお城は此処を中心に山崎城を詰めの城、境内右脇から山崎城本丸を目指しますね。

途中の見晴らし台です、大阪方面が見えます。

途中分岐点があります、帰りはこの路から下山しました・・・・急坂でしたね。

酒解神社鳥居と手前に旗立て松と脇に見晴らし台があります、旗は秀吉軍の千成ヒョウタンを立て味方の士気を高めたとか・・・神奈川県三増峠にもありますね・・・・・武田信玄が小田原攻めの時に行いましたね。

見晴らし台からみえる景色です、この見える場所で光秀対秀吉軍が激突したのです。

この図は当時の両軍の配置図・・・兵力差は圧倒的でしたからネ。

少し進むと分岐が左側へ17烈士の墓方面へ行きます、途中で合流します。

17烈士の墓です、元治元年(1864)幕末の長州藩による禁門の変で敗れた真木和泉守ら17名が最後を遂げたのです。

自玉手祭酒解神社(たまでよりまつりきたるさかとけ)と読みます・・・色々ある山ですね。

漸く、山頂下、お城らしき手前に来ました。

虎口から本丸を覗きます。

本丸です。

本丸から天守台方面・・・少し高い場所が天守台。

山頂本丸にある説明版。

山崎城縄張り図。

天守台・・・石垣がわずかに・・・天正12年(1584)廃城・・・利用されたくなかったのでしょうね。

本丸脇下の曲輪。

此れも本丸脇の腰曲輪から見た本丸天守方面・・・・・秀吉本気で築城?。

本丸脇下にある水の手井戸。

先程の分岐がわを下り此れから、勝竜寺城の長岡京へ。

福知山城に行って来ました。

2021-04-13 07:11:45 | 城郭京都
2021年4月5日(月)黒井城の帰りに福知山城に行って来ました、2度目の訪問となりますね、京都府福知山市です、黒井城は兵庫県ですね、天正7年(1579)に横山城に福知山城として明智光秀が丹波支配の為築城、娘婿の明智秀満が城代としておさめたとか。

福知山城は近世城郭の平山城です、複合連結式望楼型の天守で三層三階と二層二階の小天守からできていますね。

市役所横の方から見た所、天守・小天守が見える位置です。

これは市役所とは反対側の台地が切れた方向から(美術館脇)。

大手門お城脇の石垣。

本丸から天守。

少し角度を変えて。

二の丸?から小天守を見る。

廻込本丸の石垣。

大手門・・・・ここのお城は奥行きが無く写真を撮りずらいのです。

本丸から小天守。

同じく本丸から大手門と天守。

天守と小天守。

天守脇から大手門。

天守と小天守。

市役所手前の道路から見上げました。

JR嵯峨野線電車内から。

これも電車内から撮りました、今日は良い天気になりましたね、明日は再びこちら方面の篠山へ来ますよ。