三郎兼続の日記

趣味の写真で山登り・旅行を主体にした日記
最近は山登りが少なく、城郭・巨木へ

山形城(霞城)に行って来ました。

2023-03-11 08:19:07 | 城郭山形
2023年3月6日(月)に山形城に行って来ました。

山形城・・・別名 霞城、延文元年(1356)に羽州探題として入部した斯波兼頼が翌年に築城・・・最上家を名乗る、現在の城郭は11代最上義光(最盛期57万石)が文禄年間(1592-1596)に構築・・・平城・輪郭式、元和8年(1622)鳥居忠政改修。
今回は二の丸の南門(下側)から時計回りに約2・2k二の丸土塁上を見て、東門へ、本丸の一文字門を散策しますね。

山形城二の丸南追手門の石垣・・・・二の丸の外側全部を三の丸が囲む輪郭式(二の丸の真ん中に本丸)・・・大きな城郭です。

二の丸南側の土塁の上から南門側を見る・・・この山形城は桜の名所(約1500本)。

それでは二の丸の土塁上を進みます、基本は前側に(振り返らず)、西側方面へ・・・門周辺のみが石垣で構築された造りです、基本は四角ですが色々変化していますね。

南西の角、坤櫓(未申・ひつじさる)の石垣跡。

西側を北方面へ。

直線だけでなく西側に出っ張りを見せていますね、西側の門が見えます。

曲がって、此処は振り返りました、西側の水堀です。

西側の西門の石垣上・・・枡形の石垣が見下ろせます。

西門外へ、城内方向を見ます美しいですね。

山形城二の丸西不明門です、鵜首構造(道が狭めある)ですね…美しい門跡ですね。

枡形構造の石垣がクネクネと・・・。

此処でも振り返ってしまいました、西門(西不明門)美しい虎口ですね。

なをも北方面へ進みますね、この辺り手前に三階櫓があったみたいですね。

北側に出ますね、北西の隅櫓(乾・戌亥・いぬい)があった場所ですね。

北側を東方面へ進みますね。

北門が見えてきましたね。

北門上から見た石垣・・・・意外と単純な・・。

外側から見た北門(二の丸北不明門)。

なおも東側へ進みますね。

この辺りから土手上の整備が為されていますね。

肴町向櫓・・・・跡の復元石垣。

この辺りは奇麗に整備されています・・・・。

北側は突き出した二の丸があるので。

北東の隅櫓復元石垣 艮櫓(丑寅・うしとら)。

北東角、東側へ。

東門の櫓が見えてきましたね。

二の丸城内へ降りて外側へ出ますね、二の丸東大手門櫓門。

二の丸東大手門の櫓門下から見た高麗門・・・枡形構造。

城門をでて南方面の水堀を・・・。

山形城二の丸東大手門の正面、高麗門・多門櫓・木橋。

再び山形城二の丸へ・・・最上義光公像。

山形城本丸に架かる一文字門。

一文字門説明の写真を・・・・わかりやすいので。

山形城本丸の石垣と一文字門(高麗門・木橋)、櫓門は復元するのかな・・・・今回で3回目ですが来るたびに変わっていきますね嬉しいですね。


山形の上山城に行って来ました。

2023-03-08 07:33:12 | 城郭山形
2023年3月5日(日)に山形の上山城に行って来ました。

上山城(月岡城)本丸跡の月岡公園入口、JRかみのやま温泉駅北西側の高台にありますね・・・駅から歩いて15-20分位でしょうか?。

月岡神社境内・・・・月岡城本丸です、上山藩は土岐氏・藤井松平氏。

月岡神社です、藤井松平氏を祀った神社ですね、明治初期にはやりましたね。

本丸入り口脇・・・・隅櫓の後でしょうネ。

反対側も本丸の土塁・隅櫓の台が解りますね、お城が見えますね・・・・本丸でなく二の丸の高台に復元・・・駅側から良く見えますからネ。

本丸脇の土塁が良く残っていますね。

駅と反対側に残る、武家屋敷・・・禄高50-100石の中級ぐらいの?武家屋敷とか・・・。

当時の武家屋敷とか・・・・庭には池も見られますね・・・水琴窟もある家が・・・。

お城の北側?から見た蔵王方面・・・・左側は湯上観音?・・・、今回は蔵王の樹氷を見に行く予定でしたが、樹氷は解けて崩れたとの事で明日は山寺・山形です。

公園横側からの上山城・・・・手前に橋が、空堀でしょうね?。

天守からの眺望です・・・高欄廻縁から・・・蔵王方面を見ました。

お城の正面方向から、広場ギリギリから天守方向を見上げる。

少し回り込んで・・・・お城前の広場が無く見上げますね。

今度は本丸側神社奥から・・・桜の枝が在って・・・・。

こちら側は本丸脇のやはり桜の木が多く、同じ二の丸端からのお城と蔵王が少し・・・・・電車からの見ばえが良いのでしょうが、今回は撮りませんでしたね、今回で3度目ですね。


舘山城跡に行って来ました(山形・米沢)。

2020-03-23 11:42:06 | 城郭山形
2020年3月19日(木)に山形県米沢市の舘山城跡に行って来ました、伊達氏のお城で後に上杉氏時代に廃城(破城)となった城ですね。

鬼面川に架かる大樽橋です、左側が舘山城跡です、会津・喜多方面の道路。

橋左側から見た鬼面川上流です、正面の山が舘山城です、川が合流地点で左側が大樽川・・・上流に小野川温泉があります、右側が小樽川となります。

橋を渡りチョット左側がお城への入り口ですね、左側の家が資料館です、正面の川(小樽川)を渡れば舘山城城内ですね。

舘山城跡の縄張り図です、今上右側の端です、上の方の北館跡には行きませんでした、東館から南側虎口から上がり曲輪1・2・3と見て回りました、此処館山城は伊達家の本城で伊達政宗生誕の城なのですね。

小樽川の橋を渡ると正面に切岸?が現在変電所なのです、左右に道が・・・右側の北館には行かず左側の東館へ行きました。

舘山城内東館跡です、正面は大樽川です。

東館跡の脇・・川は大樽川、奥林の中が大手口があり右側の山への登城口です、井戸跡等が有りますね。

東館の奥(現林の中)の大手道、正面から右側に登り口が有ります。

横矢掛かりの斜面をジグザグ登りますね、右側下が東館側。

曲輪1の虎口に出ました。

曲輪1です、右側(北東)が先程の変電所が有る切岸の上ですね。

曲輪1の外れから見た米沢側です、下が鬼面川で右側林が米沢城辺りでしょうかネ?、向こうは蔵王方面でしょうかネ?。

振り返り見た曲輪1.

曲輪1の北側斜面・・・帯曲輪が有りますね。

曲輪1の奥側を見れば土塁が見えますね、川に挟まれた舌状丘陵台地を削平ヤヤ細長い三角な曲輪1ですネ・・・中世の城郭・・・下が館。

曲輪1から見たヤヤ左側の奥、奥は土塁が見えます。

曲輪1の右側の奥は枡形虎口で小石の石積が見られます・・・・此処館山城は江戸期に廃城となり壊したのです、大きな石垣は無いですね。

しかし、趣のある石積跡ですね、向こう側が曲輪2へ繋がりますね。

枡形虎口を出た、曲輪2です、左が曲輪1の土塁で空堀があり右側が曲輪2です。

逆側を見れば空堀から竪堀が落ち込み脇には帯曲輪が有りますね、この下側は北館ですね。

曲輪2の奥(左側)には大きな土塁が見えます、正面は大樽川側です。

曲輪2の川側で切り立つ壁で下に大樽川が流れたお城なのです、

少し進むと曲輪2の大土塁があります。

土塁の上に小さな石の社と碑が・・・・・、向こう側も大きな堀切が・・・空堀ですが、今は変電所の堀?。

大土塁の上です、右側が曲輪2、曲輪下奥が虎口です。

曲輪2の大土塁上から振り返り見た大堀切・・・右側が曲輪3側の物見台方面。

曲輪2の虎口です。

曲輪2の虎口、向こう側が曲輪3側・・・横が空堀・・・今は変電所設備の水が流れている?。

虎口脇の帯曲輪としたが北館。

曲輪3の虎口・・・手前は空堀跡・・・今は変電所設備の川?。

空堀・・・・変電所設備の川?・・北側。

曲輪2と曲輪3の空堀・・・今は変電所設備の川?。

曲輪3です・・・狭いですね、後ろの物見台の為の削平地?かな。

曲輪3から見た堀切による空堀・・・実質此処が後ろの壁ですからね・・・この後の物見台の向こう側にももう一つ堀切が有りますがね。

逆光を浴びた物見台坂道曲輪3から上ります。

此処が物見台跡です舘山城の一番奥です。

物見台から見た空堀です。

舘山城物見台です、米沢市内からの敵が見える位置ですね、此れで舘山城跡の散策は終わりです、良い城でしたね。
山中平日か一人も合わず散策しました、イベントの時?には説明の旗が建てられるのかな?。

米沢城跡に行って来ました。

2020-03-22 10:52:04 | 城郭山形

2020年3月19日(木)に米沢城跡(上杉神社)に行って来ました、上山城跡の帰りに寄りました。

米沢城下の絵図・・・今は上杉神社が水堀で残っています。

上杉神社(米沢城本丸)と一部周辺。

上杉神社前から見た舞鶴橋。

正面水堀を南側から左側が米沢城本丸(上杉神社)。

南側の堀、米沢城はほぼ正方形の本丸・・・右側、左側は上杉伯爵邸です。

南側の堀に架かる菱門橋。

上杉神社正門です。

上杉神社です。

上杉神社本殿。

上杉神社正門の舞鶴橋と昆の旗、向こうは蔵王方面でしょうかネ?。

北側から舞鶴橋を眺める。

北側の水堀です。

西側の水堀です、四角な水堀に囲まれた米沢城跡です。

米沢城の南側の上杉伯爵邸です、堀の脇です。

米沢藩主上杉家の墓所です。

上山城跡に行って来ました。

2020-03-21 11:30:55 | 城郭山形

2020年3月19日(木)に山形の上山城跡(月岡城跡)に行って来ました、米沢の小野川温泉に宿泊し明日は朝から帰りですが米沢城跡・舘山城跡を今日一日で見て回ります、この城は以前来たのですが工事中だったので再度見に来ました。

かみの山温泉駅からの手前の端側から見た上山城・・・高欄廻縁の望楼型のお城ですね・・・以前はシートで見えなかったのでうれしいですね。

お城の下から見上げます、このお城写真が撮りずらいですね、高台ですが住宅地で電線が多く近づくと城が見づらくなりますね。

右側の公園側から見た上山城です、如何ですかネ。

やはり公園側からすこし近づき。

公園から見た蔵王方面の山です、冠雪の山々が・・・・。

より近づき城横から。

お城の横からですね・・・これから後ろ側へ最後に正面へ回りますね、この城は山形最上氏の最南端の城で米沢の伊達氏・上杉氏との攻防が行われたのです、江戸期に土岐頼行が2・5万石がおさめ、寛永5年1628年京の大徳寺の沢庵禅師が流布されたお城でもあるわけです、土岐氏が転封後廃城となったみたいですね。

お城の裏山にある月岡神社です。

月岡神社側から見た上山城です、桜の木々が多く、隙間を見つけるのが大変です。

漸く正面へ出てきました、天守脇の櫓門と華麗なお城の神山城です、電車からも奥見えますが、山形方面でないと見えません、今回は駄目です。

もう少し角度を変えて、このまま少し離れればよりよい写真が撮れるのですが下がれませんからね、でもこの前見えなっかったので今回見えて良かったです、此れから米沢に戻り、米沢城跡・舘山城跡を見てきますね。

山形米沢城跡に行って来ました(上杉神社)。

2019-06-30 10:21:25 | 城郭山形

2019年6月26日(水)に山形の米沢城跡に行って来ました、御存じ上杉謙信を家祖とした米沢藩上杉家のお城です、伊達政宗が生まれたお城とも、謙信亡き後上杉景勝が秀吉の命で会津120万石に移封、米沢は家臣の直江兼続が30万石で収めましたが、関ケ原の戦いで30万石に減封此処米沢を与えられたのですが、藩士の召し放ち(解雇せず)をせず沢山の藩士が溢れたとか。


当時のお城と城下町です、現在は中央部分近辺の堀と土塁が遺構でしょうか?。


現在は公園で中央が本丸の上杉神社。下側が二の丸跡とか。


この旗を見れば米沢藩?越後の上杉謙信が先に浮かびますね、本丸に架かる舞鶴橋です。


本丸の堀です、米沢城は殆ど石垣は無く土塁です。


舞鶴橋左側の濠、向こう側が二の丸で上杉伯爵邸です。


上杉謙信の像。


上杉景勝・直江兼続の像。


上杉鷹山(9代藩主上杉治憲)の像と名言が、沢山の家臣を抱えて財政の窮迫が進行し倒産寸前から再建・・・なせばなる・・・。


上杉神社・・・米沢城本丸跡。


上杉神社本殿、米沢城は平城で町中の為遺構は堀と土塁、上杉家の関連神社でしょうか、昨日・今日と長野山形とお城を巡りましたがやや消化不良なので明日も続行しますね疲れましたがね。

山形新庄城跡に行って来ました。

2019-06-29 20:14:19 | 城郭山形

2019年6月26日(水)に山形の新庄城跡に行って来ました。


新庄駅から歩いていきましたが今日は凄く暑く大変・・・こぶとり爺さん通りを歩きましたね、正面下側の中央が大手門跡です。


大手門跡の石垣です、右側が歴史資料館。


大手門跡の公園の奥が新庄城跡(今は戸澤神社)の堀と本丸跡です。


堀と土塁が当時の面影を本丸跡に戸澤神社が・・・新庄藩は戸澤正盛(6万石)のお城です、明治まで継続。


当時の新庄城で水堀の平城ですね。


神社左脇に表御門跡の石垣が対で残っています、左側が中印?、右側は心字池があり裏門跡が横方向にありますからね。


本丸を左側方面へ進み本丸から外に出た所が二の丸跡です、釣り人が魚を釣り上げていました、此れからお城の堀を見て回ります。


堀に奇麗な睡蓮が咲いていたので・・・・。


本丸裏側にはアジサイの花が咲いています、アジサイ祭が開かれるみたいですね。


裏側を回り込み裏門側まで来ました、水堀が今は此処までです、此れから又本丸へ入ります。


本丸の戸澤神社右脇の心字池です。


戸澤神社です、左隣に護国神社(天守台跡)、その先が天満神社があります。


これが天満神社・・・学問の神様です。


堀の外から 武器矢倉跡です、土手 の隅には櫓があったのです、戊辰戦争で戦火にあい炎上したのです。