三郎兼続の日記

趣味の写真で山登り・旅行を主体にした日記
最近は山登りが少なく、城郭・巨木へ

原市沼の古代ハスに行って来ました。

2022-06-30 10:15:48 | 日記・エッセイ・コラム

2022年6月28日(火)に上尾市の原市沼の古代ハスを見に行って来ました。

我が家のニッコウキスゲが毎日咲いていますね、日光黄菅・禅庭花、朝咲いて夕方には萎む一日花・・・儚い花ですが、蕾が多く毎日次から次えと咲いてくれますね。

毎日花開き嬉しいですよ。

この猛暑の中・・・・。

アカンサスも上に上に咲いてきました。

アカンサスはギリシャ語でトゲとか・・・地中海沿岸。

原市沼の脇に地元の方が古代ハスを育てています、向こう側が伊奈の代官屋敷跡です。

東北新幹線の橋下です、まだ少し早いみたいですね・・・7月あたまかな?。

半夏生・・・葉の部分が部分的に白く化粧したみたいになります。

アップで半化粧・・・古代ハスの池でなく、原市沼側畔に群生です。

古代ハス・・・出かけた時間がお昼ごろなので開いた花が閉じています、朝の6時から開園なので来週もう一度・・・。

それでも少し・・・・。

来週に期待、でも今年は花芽が少なく感じましたね・・・・何せ熱いので。

 

 


城郭の石垣天守5。

2022-06-28 06:42:05 | 城郭天守石垣

2022年6月28日(火)天守石垣が残るが天守が無い、もしくは当初より築城無・・・・シリーズ5番目。

三重県松阪市の松坂城、蒲生氏郷12・3万石が天正16年(1588)に築城、天正18年(1590)には会津若松へ60万石で転封。

大手門脇石垣の上から見た、二の丸の石垣。

本丸上への虎口・・・。

松坂城本丸の天守石垣、連結式三重五階の天守、正保元年(1644)の台風で倒壊、以後無。

三重県津市の津城縄張り図、細野藤光が永禄年間(1588-1570)築城、天正5年(1577)織田信包が改築し五重天守を設ける、慶長13年(1608)藤堂高虎が伊勢・伊予22万石で転封し改築。

本丸石垣から見た西の丸方面、左側が本丸で以前は堀で分割。

津城天守台・・・三重の大天守と二重の小天守とか、寛文2年(1622)焼失以後無。

三重県桑名市の桑名城縄張り図、本多忠勝10万石が慶長6年(1601)に築城。

大手門口から見た左本丸と堀。

本丸の天守台四重六階の天守、元禄14年(1701)焼失以後無。

滋賀県近江市の近江八幡城、羽柴秀次が近江八幡20万石が天正13年(1585)に築城。

近江八幡城本丸大手門、現在は瑞龍寺山門。

現本丸の瑞龍寺、天守台あり・・・・天守構造は不明。

長野県飯山市の飯山城の縄張り図、上杉謙信が改築、江戸時代藩主が度々変わる。

二の丸から見た本丸の石垣。

飯山城本丸の石垣、天守は無く二重櫓を代用。

石川県小松市の小松城の縄張り図。

小松城本丸、寛永16年(1639)加賀藩2代目前田利常の隠居城として再築。

小松城天守台・・・・代用天守として御三階櫓を構築。

兵庫県丹波篠山市の篠山城、慶長14年(1609)徳川家康築城、対豊臣政権と西国大名への抑え天下普請、藤堂高虎が縄張り。

三の丸から見た二の丸・本丸・天守台の石垣。

二の丸から見た本丸方向、本丸右奥が天守台。

本丸奥左側の天守台・・・・・城郭が強固過ぎるので天守は不要との家康の言葉で天守は建てず。

 

 


城郭の石垣天守4。

2022-06-27 15:42:45 | 城郭天守石垣

2022年6月26日(月)訪問した城郭で石垣のみ、現存の天守無・もしくは当時から築城されなかったお城。

佐賀県佐賀市の佐賀城本丸・二の丸の昔の縄張り図、広い水堀に囲まれたお城、竜造寺隆信が築城、その後慶長7年(1602)から鍋島直茂・勝茂が改築

本丸南側の櫓台跡から見た、左側は当時三の丸との間の水堀、本丸の石垣で右側が本丸、正面石垣が天守の石垣。

天守石垣、左側奥が鯱の門本丸大手門、右側が天守石垣で登り口はこちら側本丸からで無く二の丸からとなりますね。

天守石垣を登、四重五階建の天守慶長16年(1611)に完成、享保11年(1726)大火で焼失以後天守は建てず、小倉城天守を参考に建てたとか。

佐賀県唐津市にある名護屋城、太閤豊臣秀吉が文禄の役を始める前に天正19年(1591)築城。

名護屋城大手門正門から見た名護屋城石垣、本丸は右手奥。

手前に三の丸・本丸・天守・二の丸。

名護屋城天守台、五重七階、文禄元年(1592)に完成、慶長3年(1598)に廃城・・・一部は唐津城へ移築、島原の乱の後再利用を恐れ破却、秀吉の夢の跡。

長崎県南島原市の原城の縄張り図、明応5年(1496)有馬貴純が築城、有馬晴信が改築、松倉重政時代に元和4年(1618)島原城完成に伴い廃城。

二の丸方面から見た原城本丸側。

本丸の縄張り図、寛永14年(1637)松倉重政の重税・キリシタン迫害で島原の乱が発生、一揆軍2万数千人が建て籠った城。

原城本丸の櫓台跡、三重櫓・・・・元和の一国一城制で廃城、島原の乱後徹底的に破城。

福岡県久留米市の久留米城・・・本丸の縄張り図、田中吉政32・5万石柳川藩の支城として築城、元和7年(1621)有馬豊氏21万石が廃城改築。

久留米城本丸の石垣、右側の石垣上に代用の巽櫓・・・天守は当時から築城せず。

久留米城巽櫓石垣・・・・代用天守三重三階櫓。

福岡県福岡市の福岡城。

福岡城本丸脇の石垣、左側奥の天守石垣。

福岡城の小天守から見た、正面が中天守石垣、奥が大天守石垣、黒田長政52・3万石慶長6年(1606)から築城7年後に完成、天守は当時から存在せず?。

 

 

 

 


我が家周辺の花。

2022-06-20 13:58:56 | 日記・エッセイ・コラム

2022年6月20日(月)我が家の花も大分変りました、近所の家のサボテンの花が目についたので併せて写真に撮りました。

タチアオイの花・・・花の名前間違ったら御免なさいね、素人なので。

ゆり・・・大雑把ですが。

これもユリ・・・もう終わり掛かな。

今一番大切にしている花みたいですね、アカンサス・・・。

今年も沢山咲きそうです、ニッコウキスゲ、漸く咲き始めましたしばらく楽しめそうですね。

他のアジサイは終わり掛ですが、此れが盛りですね。

今日の朝ゴミ捨てに出たら、近所の庭にあった、サボテンの花。

種類は解りませんが奇麗な花ですね。

色違いで3種の花が・・・。

近所の蓮の花を昨日見に行って来ましたがまだ10個も咲いていませんでしたね、6月末ぐらいでしょうかネ。


さいたま市染谷花しょうぶ園に行って来ました。

2022-06-13 18:43:58 | 日記・エッセイ・コラム

2022年6月13日(月)今日は天気が良いとの事で大宮の染谷花しょうぶ園に自転車で行って来ました、見沼代用水沿いを走り平成桜の土手から山下橋を渡れば菖蒲園ですね・・・・前回は2013年6月7日でした、やはり少し遅かったですかネ。

染谷花しょうぶ園です、入り口は後ですが、道を迷わず来れましたが、自転車で少し尻が痛いですね(情けない・・・昔自転車競技部で活躍?したのに)。

昔のままでしたね、少し紫陽花が増えたかな?。

花しょうぶ・・・・やはりアップで。

特に説明は出来ず・・・。

写真を並べますね・・。

アップで見ると・・・少し盛りを過ぎていますね・・・・種類により異なりますからネ。

まあ、それでも如何ですか?。

上からのアップでどうだ!。

なかなか難しい。

このくらいだと・・・・何を撮りたいのか?。

これは。

如何ですか・・・テーマが無いですね、まあ報道寄りで。

 

 

 

 

 

 

 

 


長崎玖島城に行って来ました(大村公園)。

2022-06-11 09:55:11 | 城郭長崎

2022年6月2日(木)に長崎県の大村公園にある玖島城に行って来ました、此れで今回の長崎の旅は終わりです。

JR大村駅から海沿いの道へ国道わきを大村公園へ向かい歩きましたね、道路わきですが此れが暑くて・・・もう少しです。

これは玖島城大手門に架かる案内板です、玖島城は大村湾に突き出した半島の先端に築城された平山城比高15m・・・海城ですね、慶長3年(1598)大村喜前がもともとは島であった地に築城、幕末まで続き12代、天守は無かったそうです。

現在の大村公園。

当時の玖島城。

玖島城外堀桜田の堀・・・多分海だったのでしょうね?、左側が国道34、右側が玖島城本丸側、正面奥左側から長堀があり菖蒲園です・・今満開、長堀側が大手門側ですが、暑くて疲れたので、裏側(右側から)お城へ。

公園脇の細い道から。

玖島城本丸の石垣・・・搦め手側。

少し先の登り口大村稲荷・・・此方からくればよかったかな、石垣もあるし。

玖島城本丸の縄張り図、今右上から登り右横から入りました、藩主居館が今大村稲荷、政庁跡が大村神社、左側の虎口門脇が二の丸側。

大村稲荷です、この周辺が藩主居館。

稲荷横に藩主居館跡が・・・玖島城本丸の大奥ですね。

玖島城本丸搦め手口。

玖島城本丸・・・政庁跡・・・此処も明治初期に建てられた藩祖を祭神とした大村神社です。

本丸政庁跡の大村神社。

大村神社。

大村城本丸虎口・・・枡形構造ですね。

虎口が続きます。

虎口門が続きます・・・台所口門側へ。

二の丸側。

向こう側が台所口門、こちら側が二の丸側と本丸虎口側、右側が大手門口へ、取り合えず二の丸側へ。

二の丸は周囲を空堀で囲んでいます、正面は空堀の向こう側には石垣・長塀・板敷櫓があります。

空堀を渡り板敷櫓脇へ・・・この手前後ろ側は三の丸方面・御船蔵方面へ。

大手門口へ戻りました、此処も枡形ですね。

大手門口へ続きます。

確りとした虎口ですね。

大手門口です、大手門脇にある穴門(正面)。

大手門正門から玖島城大手門。

大手門前にある長堀・・・現花菖蒲園。

玖島城本丸前の石垣に沿った長堀と菖蒲の花、奥が大村湾、右側が二の丸の板敷櫓。

板敷櫓を菖蒲の花と。

さらに玖島城板敷櫓・・・右側奥が大手門口です。

大村藩御船蔵跡。

御船蔵です、大村藩は佐賀藩が隣で長崎が天領、大村湾の向かい側長崎の上側も大村藩と分かれていますから船が必須ですね。

 


諫早城に行って来ました。

2022-06-10 16:50:08 | 城郭長崎

2022年6月2日(木)に長崎県諫早市の諫早城に行って来ました。

諫早城、今は諫早公園内の山城、戦国期文明10年(1478)伊佐早(現・諫早)地方を統一した西郷尚義がこの高城の地に築いた山城、北に本明川、南は絶壁に加え空堀を設けた、四代西郷信尚は九州征伐の豊臣秀吉に従わず滅亡、天正15年(1587)竜造寺家晴が治める。

諫早城縄張り図。

眼鏡橋を渡ると大手門・・・此処より山城へ入ります。

石段の道を上がります、大きく曲がりチョットした広場(曲輪)。

説明版が各所にある、折坂虎口と在ります・・・出入り口です。

なおも。登坂が続きます、横矢掛かりですね(横上方面から細い道筋を通る所を上横から攻めるのです。

左上が東の丸、道は本丸へ・・・・・横矢掛かり・・・見やすいですね。

本丸前の切岸(高い塀でブロック)、此処は東の丸の虎口、正面横が本丸への入り口(本当は入り口をずらすのですが公園で付け替えたのかな?)。

東の丸・・・右側は本丸、本丸沿いに帯曲輪が構築されています、この下が折坂虎口。

本丸への虎口。

東の丸から折坂虎口方面へ、右側は帯曲輪(武者走り)。

帯曲輪へ・・・・当時はこんなに広く無いと説明版に。

帯曲輪途中に搦め手口方面の案内が・・・・当時は一部木橋。

本丸搦め手口の虎口。

搦め手側石段を上り本丸へ入りました、正面下が帯曲輪。

本丸の奥がわ。

本丸中央にある藤原明神(亀の塔)。

本丸前側・・・大楠・奥に亀の塔があります・・・草が多くやぶ蚊が多い、この時期は山城は大変ですね。

諫早城本丸の大クス、樹齢600-800年幹回り12mと見事なものです、築城当時に既にあったのですね。

折角ですから、・・・・諫早神社の大クスより一回り大きいですね。

大クス前の展望ですやはり諫早の町が良く見えますね。

此処も基本横矢掛かりの防御体制です。

搦め手口の虎口まで戻り、搦め手口へ。

右側が搦め手口虎口へ、左側は山を削った空堀底道。

搦め手虎口への石段。

空堀を進み出てきたのが高城神社です、竜造寺家晴を祭神にした明治期に出来た神社です・・・・明治期沢山大名の神社が出来ましたね、竜造寺家は江戸期佐賀鍋島藩の親類同格として諫早の地で過ごしたのです。

 

 

 

 


諫早公園に行って来ました(諫早神社・眼鏡橋)。

2022-06-10 06:37:37 | 旅行記

2020年6月2日(木)長崎県諫早市の諫早公園に行って来ました。

JR諫早駅から歩いて15分ぐらいでしょうか?、まず本明川沿いの諫早神社を目指します沿いが工事中の為、本明川を渡し返し諫早公園へ。

諫早神社です、大楠があるので拠らせて頂きました。

諫早神社・・・・丁度結婚式が終わり花婿・花嫁が写真撮影をしていました。

神社脇一番の巨木幹回り7・8m、樹齢は?。

廻ってみますね、こちら側は割れかかています。

次に手前が幹回り7m、奥が6・6m・・・これ以外奥に2本程巨木がありました。

6・6mのこちらの木の方が風情がありますね。

7・8mの巨木。

もう一度。

諫早神社まえの本明川の飛び石橋です、この川のは幾つかの飛び石橋がありますね、長崎の眼鏡橋中島川にもありました、埼玉の巾着田にはドレミファ橋が・・・他に中国の鳳凰古城城外の川にもありました?。

諫早公園の入り口脇にある、諫早の眼鏡橋。

日本で最長の二連アーチの石橋、もともとは本明川に在ったものとか。

橋を回りながら見ていきますね。

横正面、メガネが・・・。

池の諫早菖蒲が今満開なので。

優雅な景色を醸し出しています・・・。

如何でしょうか?。

こちら側からも・・・・・これから諫早城を見て回ります、この脇から入りますよ。

 


長崎県雲仙市の鶴亀城に行って来ました。

2022-06-09 06:51:48 | 城郭長崎

2022年6月2日(木)長崎県島原市をたち雲仙市神代(こうじろ)の鶴亀城に行って来ました、中世城郭です、併せて鍋島邸が城脇あります。

今日は諫早・大村に行き、長崎空港から帰宅ですが、根一杯見て回ります、まず島原鉄道途中下車。

線路向こう側に廻込神代川とみのつる川(鍋島邸の水堀として流れを変えたとか)の合流地点奥が鍋島邸、後ろの丘が鶴亀城・・・駅は図の上(海側)。

神代川の橋上から見た鶴亀城(こんもりとした木が有る所)、城跡の手前一帯が佐賀鍋島藩の飛び地で武家屋敷を構築。

みのつる川を渡ると武家屋敷が残っています。

此処が佐賀鍋島藩の陣屋・・・まだ早いため中に入れませんでした。

正面から、屋敷の後は鶴亀城二の丸跡下。

鍋島邸の前を進み、鶴亀城入口へ。

この道は丘を分断した堀切ですね。

文字が見えませんが、鶴亀城二の丸跡、後程此処に出てきますネ。

少し先に鶴亀城本丸の虎口があります。

本丸虎口正面。

本丸へ入りました、右側に稲荷。

鶴亀城本丸奥正面に神代神社、土地の豪族神代貴益が築城、天正12年3月に落城。

神代神社。

本丸脇には明らかに土塁が盛り上げてありますね、手つかずの城跡ですよ。

本丸側から見た虎口、当時は堅固な城で(周りは湿地帯)和睦の席でだまし討ちに会って神代家は滅亡とか。

本丸を降りて堀切(道路を先に)、こちら側にも鶴亀城の案内が、右側本丸側、左側二の丸側。

二の丸側虎口。

二の丸です・・・・現在中は畑です、畑の脇が林で囲まれています、林は手入れがされておらずこの時期は散策出来ませんね?、畑仕事の人に尋ねたのですが・・・・何も無いよ。

二の丸側から本丸側を見ました、此れで神代の駅前を見ながら次の諫早へ行きます。

 

 

 

 

 


島原城に行って来ました(本丸)。

2022-06-08 09:14:24 | 城郭長崎
2022年6月1日(水)長崎県島原半島の島原城に行って来ました、島原城お堀脇周辺を見て此れから本丸へ。

巽櫓方面からの島原城ですね。

上が島原駅方面ですが、下側から本丸へ(工事・観光用に作り替えた)・・・・昔は左側の二の丸からだけの虎口。

城の図が逆転していますが、虎口は二の丸のみで二の丸・本丸館は木橋の廊下橋のみで連結が解りますね。

本丸への坂を上がると天守が見えてきました。

島原城天守です、現在は独立式層塔型5重5階。

本丸入口右側にあった西櫓。

西櫓方面から見た天守・・・・層塔型は箱型の規格を少しずつ小さく重ねた形なので、写真はヤハリ斜めかな。

やや大き目で、右側に回り込みますね。

裏側に北村西望の作品が・・・・天草四郎・織田信長の像が。

巽櫓。

御馬見所?、お茶室に見えましたが?。

丑寅櫓・・・二の丸側ですね。

丑寅櫓方面からの天守、西櫓。

少し離れて・・・・雲仙岳を入れて見ました。

味気ない写真ですが本丸壇下への虎口です・・・この先から二の丸への虎口が繋がるのです・・・失敗しました、暑いのでこの坂を下なかったのですね。

回り込んで・・・・天守入り口におもてなし武将隊が・・・、荷物を預けて天守最上段へ登りますね。

資料が在ったので島原の位置を確認・・・雲仙の噴火の説明も。

島原城天守最上階から見た東側・・・・正面は島原駅、奥が有明海で向こう側が熊本です。

眼下に西櫓。

雲仙普賢岳?、噴火は向こう側で左手前の眉山が防御になり町に直撃されなかった・・・。

それの説明版。

此方ですね、如何でしたか、今日は本当に暑く・・・・少し危なかったです、此れから島原港駅近くの旅館へ宿泊、明日この島原を通過しますね。