南栗橋駅から約30分程の歩きです、権現堂調整池(行幸湖)の権現橋を渡り向こう岸の土手沿いを下流へ向かい歩きました・・・・丁度右端辺りでしょうかネ・・・右側下流方面は幸手方面ですね。
土手沿いを・・・もう少しですね。
多分この辺りが栗橋城ですが・・・畑ですね・・・・左側の森の中が一の郭でしょうかネ・・・右のイチョウかもう少し左側ですかネ・・左側が法宣寺方面。
田んぼの真ん中の道・・・私は此処をいきなり進みました・・・・この辺りは元々は城内ですね、左側の木々が生い茂っている場所が法宣寺裏手に当たります・・・多分一の郭。
道の右側方面・・・向こうもお城みたいに見えますが・・・・後程向こうの方面に行きましたが?。
屋敷内にちかずきました、民家の庭近くです、田んぼから畑へ、反対側の森中・・・一の郭へ入るにはこの反対側からしかないのかも?。
こちら側ですね・・・民家の庭です、今いる所もそうですが・・・・・結局森の中に入らずでした・・お寺の裏から入れるかなと思ったのですが?入らないように書紙が在ったので入らずでした。
民家の庭を抜けて出口方面へ、空堀がありました。
此れが民家の正面から見た所です(奥から出てきたのですが)、入口左右は空堀です・・・木々が茂っているので見ずらいですが。
民家入口正面に栗橋城の説明版がありました・・・この辺りは二の郭入口辺りですかネ、この城は古河公方の家臣野田氏の居城ですが、永禄年間(1558-1570)に北条氏照が北関東進出したのです、天正18年(1590)豊臣秀吉が小田原征伐・・・その後廃城となったのですね。
道の反対方向に見事な枝垂れ桜がまだ少し早く花がほんの少し。
法宣と反対方向へ進みました、・・・・民家脇の細道を・・・・何となく土塁空堀みたいに見えましたが・・・はっきりせず戻りました。
案内板前に戻り法宣寺をやや遠くから眺めました、寺の後が栗橋城一の郭・・。
十九夜塔・・・安永年間(1772-1781)江戸期11代家斉の頃ですね、民間信仰月待の女人講・念仏講の記念塔です法宣寺境内にもありましたね。
法宣寺。
法宣寺・・・この裏手が栗橋城、右側から回り込みますね。
寺横から空堀が見えます、七曲りの空堀とか・・・。
木々と枯草が・・・・中に降りない様お寺に紙が在ったので(読まなければ良かったのですが?)。
丁度お寺の隅端に・・・少し高台が?・・・??。
寺裏方面へ空堀が続きますね・・。
なおも続きますね。
法宣寺を出て・・・少し先に神明社・香取神社があります、神社脇は少し土手状態になっていますね、昔は湿地帯かも?。
法宣寺の駐車場脇です、奥が一の郭ですね、畑を突っ切るのも出来ず・・・回り込みますね。
最初に来た所に出てきましたね・・・この辺りからは入れませんね。
此処は権現堂調整池の脇から栗橋城方面を見ました・・・・栗橋城土塁に見えませんか?・・・。