2021年12月8日(水)に佐賀県のJR唐津駅から名護屋城に行き、帰りにバスセンター拠り徒歩で唐津城跡に行って来ました、此れで今回予定の城郭巡りは無事回れました、九州は城郭が多くとても回り切れるものではありませんからネ。
此れが唐津城です5層5階地下1階です、たまたま東唐津駅に停車したところで取ったものです良かったです、この角度の写真が一番でしょうかネ!、この前福知山城も電車から撮ったのが良かったですから・・・・全体が良く見えますからネ・・・でも唐津城には天守が無かったとか。
バスセンター横の市役所にある三の丸櫓と堀、右側がバスセンターで此れも名護屋城に行く前に撮ったものです。
唐津駅前正面が市役所で隣がバスセンターです、上が唐津湾(玄界灘・壱岐の島・対馬)で左が松浦川、唐津城は三方向を海と川に囲まれた満島山の山頂を本丸・二の丸・三の丸と連格式城郭です。
佐賀県です、名護屋城は上の方になります、唐津城は真ん中の海沿いデスネ。
此処は二の丸と三の丸を隔てた堀。
この唐津城も舞鶴城と呼ばれていますね(確か福岡城も)、正面から反時計回りに外側を廻ました、隣の学校が写真を撮りずらくしていますね。
唐津城本丸天主を見上げました。
少し回り込み。
右側に回り込みます、松浦川が海に注ぎ込みますね、唐津城は海城です。
松浦川は河口の橋の上から・・・もう少し先まで行きたかったのですが風が強く寒いので戻りました。
海沿いの腰曲輪を廻いよいよ本丸へ。
まだまだ階段が続きます。
ようやく最後の虎口で振り返ります。
本丸石垣前の二の曲輪(中段広場)から見た唐津城(大手門・天守)、最初の写真東唐津駅からはほぼこの角度から全体が見えたのですね。
唐津城大手門。
二の曲輪端から井戸と大手門。
二の曲輪少し離れて天守を見上げます。
大手門脇からの唐津城。
本丸横の上段の二の曲輪前、化粧櫓と西門。
西門と天守。
大手門をはいり本丸。
本丸から見た唐津城天守、唐津城は豊臣秀吉の家臣寺沢広高が文禄4年(1595)8・3万石で拝領、関ケ原では東軍に味方、島原に4万石を加増、慶長7年(1602)から7年の歳月をかけて築城、二の丸が藩主の住居(現城脇の高校)・・・名護屋城の解体資材を使用とか、
寛永14年の島原の乱の責任で島原領4万石は没収、その為か藩主(二代目)が自殺子供が無く改易、その後、大久保家・土井家・水野家・小笠原家と藩主が変わりました。
天守・西門・化粧櫓。
角度を変えて、唐津城。
唐津城本丸石垣から見た唐津湾?・・・・。
此れが唐津城です5層5階地下1階です、たまたま東唐津駅に停車したところで取ったものです良かったです、この角度の写真が一番でしょうかネ!、この前福知山城も電車から撮ったのが良かったですから・・・・全体が良く見えますからネ・・・でも唐津城には天守が無かったとか。
バスセンター横の市役所にある三の丸櫓と堀、右側がバスセンターで此れも名護屋城に行く前に撮ったものです。
唐津駅前正面が市役所で隣がバスセンターです、上が唐津湾(玄界灘・壱岐の島・対馬)で左が松浦川、唐津城は三方向を海と川に囲まれた満島山の山頂を本丸・二の丸・三の丸と連格式城郭です。
佐賀県です、名護屋城は上の方になります、唐津城は真ん中の海沿いデスネ。
此処は二の丸と三の丸を隔てた堀。
この唐津城も舞鶴城と呼ばれていますね(確か福岡城も)、正面から反時計回りに外側を廻ました、隣の学校が写真を撮りずらくしていますね。
唐津城本丸天主を見上げました。
少し回り込み。
右側に回り込みます、松浦川が海に注ぎ込みますね、唐津城は海城です。
松浦川は河口の橋の上から・・・もう少し先まで行きたかったのですが風が強く寒いので戻りました。
海沿いの腰曲輪を廻いよいよ本丸へ。
まだまだ階段が続きます。
ようやく最後の虎口で振り返ります。
本丸石垣前の二の曲輪(中段広場)から見た唐津城(大手門・天守)、最初の写真東唐津駅からはほぼこの角度から全体が見えたのですね。
唐津城大手門。
二の曲輪端から井戸と大手門。
二の曲輪少し離れて天守を見上げます。
大手門脇からの唐津城。
本丸横の上段の二の曲輪前、化粧櫓と西門。
西門と天守。
大手門をはいり本丸。
本丸から見た唐津城天守、唐津城は豊臣秀吉の家臣寺沢広高が文禄4年(1595)8・3万石で拝領、関ケ原では東軍に味方、島原に4万石を加増、慶長7年(1602)から7年の歳月をかけて築城、二の丸が藩主の住居(現城脇の高校)・・・名護屋城の解体資材を使用とか、
寛永14年の島原の乱の責任で島原領4万石は没収、その為か藩主(二代目)が自殺子供が無く改易、その後、大久保家・土井家・水野家・小笠原家と藩主が変わりました。
天守・西門・化粧櫓。
角度を変えて、唐津城。
唐津城本丸石垣から見た唐津湾?・・・・。