三郎兼続の日記

趣味の写真で山登り・旅行を主体にした日記
最近は山登りが少なく、城郭・巨木へ

伊豆高原の橋立吊り橋に行って来ました。

2019-12-23 07:09:53 | 旅行記

2019年12月19日(木)に八幡宮来宮神社散策後伊豆高原駅脇まで戻り、橋立吊り橋に行って来ました、駅脇を流れる対馬川横を海まででます川はそのまま海に流れ落ち対馬の滝となります。

海岸沿いに出ました、まず橋立吊り橋方面へ。

一昨日の門脇の吊り橋よりは細く揺れますね、今回が初めてだと思いますね。

吊り橋の下の崖がクライミングのゲレンデになっていました。

吊り橋を渡り見えるのが、大淀小淀の溜まり場ですね。

海岸への降り口です、柱状節理の溶岩の岩場ですね、奥が溜まり場。

降りる途中からの景観です。

下から見た対馬の滝。

溜まり場ですね、釣り人が一人いましたね、波が荒いと危険ですね。

少し角度を変えると、夏はプールみたいに泳ぐ人もいるみたいですね?。

波が溶岩を削る造形美です。

先程渡った橋立吊り橋が見えましたね。

もう一度アップでの対馬の滝です。

この断崖を今度は登るのです・・・奥に階段がありますよ。

最後に対馬の滝の落下を見ましょう・・・・これで伊豆熱川温泉の旅は終わりです。

伊東市の八幡宮来宮神社に行って来ました(高見のシイ)。

2019-12-22 07:22:42 | 巨木巡礼東海


2019年12月19日(木)に伊豆城が崎近辺を散策、八幡宮来宮神社に行って来ました、その後橋立吊り橋にも。

八幡宮来宮神社に行く手前にある高見のシイの巨木に出会えました、幹が見ずらいですが凄く趣のある巨木です、鎌倉以前と在りますから樹齢1000年幹回りは8mです。

神社に向かう橋を渡り坂道の上に、凄い存在感が。

坂道を上がり後ろ側から見た所です。

少し離れて・・・・伊豆高原の観光協会の方は何も教えてくれなかったですね・・・・神社の杉は教えてくれましたが。

この迫力嬉しいですね、まだまだ元気ですから・・・うれしかったです。

八幡宮来宮神社です・・・お酒のみの神様とか?、楽しみです。

確かに観光課の方に勧められた森の静けさの中にたたずむ神社です。

八幡宮来宮神社です、今見ているのがリュウビンタイ・・・大型シダ植物で日本列島北限の自生地だそうです、神社左側が千年杉です。

此れがリュウビンタイです・・・わかりますか?。

神様が2体同居する珍しい建物とか、八幡宮来宮神社です。

神社手前にある千年杉の巨木です。


伊豆の一碧湖・大室山に行って来ました。

2019-12-21 07:13:40 | 旅行記

2019年12月18日(水)に伊豆熱川から伊豆高原駅へここから一碧湖・大室山に行って来ました、大室山は初めてですね、一碧湖は以前会社の研修・・・殆ど単なる旅行?出来ましたが。

伊豆の瞳と言われる一碧湖です、今日は穏やかな良い天気なので助かりました、湖畔を一周するつもりでしたが、一部遊歩道を工事中の為、途中で曳き帰ります。

途中いい感じの巨木?が湖に張り出していましたね、枝にも趣がありますね、ちなみに伊豆半島は巨木が多いですね。

木の後側にある碑、与謝野鉄幹・与謝野晶子が此処で詠んだ句が刻まれていました。

一碧湖には幾つかの島が点在しています。

スタート位置から丁度反対側位でしょうか、一碧神社があります、此処にも趣のある木が、ちなみに湖の中にも鳥居が有りますね。

湖の中島の前に鳥居が見えました。

少しアップ。

よりアップで如何ですか、この先は行かれず引き返しました、バスで大室山リフト乗り場に向かいます。

大室山のリフト山頂から伊豆高原側を眼下に・・・強風の為一時間あまりリフトに乗れず待ったのですが再開されました、良かったです。

此れが大室山の噴火口です4000年前に噴火したそうです、直径300m一周1kです、来たら風が強く西側は強風でしたね。

大室山はお椀を伏せた形の山ですが、凄い急坂です、リフト以外登山できませんが、歩く気にはなれませんよ、2月にこのカヤを焼くので有名ですね、丁度半分お鉢巡りが終了此処が山頂、向こうがリフトの山頂です、今日は富士山は見えませんでした。

大室山山頂の三等三角点です、標高580mです。

リフ山頂付近の標識、撮影個所です。

伊豆熱川に戻りました、海岸の露天風呂に行く途中にありましたね、太田道灌の像、この熱川のなずけ親とか、今日も飲み放題の酒を沢山飲むぞ。

伊豆熱川に行って来ました(城が崎)。

2019-12-20 15:54:11 | 巨木巡礼東海


2019年12月17日(火)に伊豆熱川に行って来ました、今日は伊豆高原の城が崎門脇吊り橋・連着寺を散策朝の内は雨でしたが、お蔭で雨はやみ海岸を歩けました。

伊豆高原駅のヤマモモ・・・・この地区はヤマモモが多いみたいですね。

この駅は2度目ですが、以前は無かったような・・・・江戸城の石垣はこの地からの石が使われたのです切り出した石を船で江戸まで運んだのです。

伊豆半島東側の城が崎です。

海洋公園から森の中を散策しながら海沿いに出ます、リスがいましたね。

海岸沿いです。

門脇吊り橋です長さ48m高さ23mの吊橋です、この海岸は大室山の溶岩が波に浸食され数10mの断崖絶壁を形成したところにかけられたものです・・・これで2度目ですね。

向こう側に渡り吊橋と門脇埼灯台。

吊り橋先にある島・・・名前は?。

少し角度を変えて、左側は島ではありませんね、回り込めば登れますね。

岩場の先から吊り橋を見ました、灯台は色が白く霞んで写りが悪いですね。

日蓮上人とゆかりのある連着寺です。

此処にはボケ封じとヤマモモの巨木が有ります。

樹齢1000年根廻7・2mのヤマモモ。

後ろ側に廻込もう一枚、如何ですか。


等々力に行って来ました(等々力渓谷・善養寺の大カヤ)。

2019-12-13 07:14:04 | 巨木巡礼関東


2019年12月11日(水)に等々力に行って来ました、等々力渓谷とその先の善養寺の大カヤの巨木を散策しました。

等々力渓谷は東急大井町線の等々力駅から近いのですね、駅は町中ですが・・・・。

駅から道路に案内が埋め込まれているのですぐわかりました・・・・有名な観光地?なのですね、此処から渓谷に。

等々力渓谷は国分寺崖線(ハケ)の最南端に位置する約1KMの都区内隋一の渓谷。

谷沢川が切り込んだ台地と谷との標高差10Mの渓谷で所々に湧水も出るそうです。

谷間には武蔵野の雑木林の風情が色濃く残っています。

地元の方が水の汚れを改善されたようです・・・地道な努力が必要ですね。

等々力不動尊です。

脇から湧水が・・・これが不動の滝です、昔は行者さんの修行の場だとか。

脇の方に庭園もあり紅葉が・・・・。

渓谷をあがり、アチラコチラで道を聞きながら、善養寺の大カヤを尋ねましたね、此処です、沢山の大きな石仏があるお寺でした。

此れがオオカヤの巨木です、幹回り6M・・・東京では2番目とかいてありました・・・1番目に今度行きたいですね(病気?)。

向きを変えて、中は空洞みたいですね。

もう少しアップで・・・・・これから市ヶ谷靖国神社脇の方で忘年会・・・近くまで行ったら雨が・・・・飲んでいる間にh上がっていました、疲れたが楽しく無事帰りました。


旧岩崎邸庭園・日本銀行に行って来ました。

2019-12-12 11:47:04 | 日記・エッセイ・コラム

2019年12月11日(水)に都内で山の会の忘年会があり序に都内を散策、上野不忍池脇の旧岩崎邸庭園と日本橋脇?(常盤橋かな)の日本銀行の建物・・・他。

三菱財閥岩崎家本邸として、有名な設計者コンドルが明治29年完成、当時は1万5千坪で20棟あったそうです、現在は洋館・和館・撞球室の3棟です、大きなイチョウの木が目に入りました。

この地は越後高田藩榊原家の屋敷跡で当時からのイチョウで樹齢400年幹回り7・4mの巨木でした。

洋館の表面です。

庭の木が紅葉していました。

庭の築地山がイチョウの葉で埋まっていました。

裏側斜め横からの洋館。

洋館と連結した和館、此れから神田駅へ。

此処が神田南口斜めの日銀通り真っ直ぐ来た、日本銀行の北口です、旧と新の建物が混在していますね。

東側にある建物ですね。

道の反対側にも凄い建物が、三井本店(今は三井住友銀行本店)と三越の建物裏側ですね。

南東から見た所・・・・東館?なのでしょうね。

南側からです右側が東館で東側が本館の右前。

此方が本館前の左側真ん中奥中央にドームが見えますよね・・・・今度中を見学しようかな?。

此れが本館の西側ですね、此れから等々力渓谷を散策です。

三原城跡に行って来ました。

2019-12-10 12:08:52 | 城郭広島
2019年12月5日(木)に三原城跡に行って来ました、此処広島県三原市の三原城は毛利家の両川と言われた毛利元就の子、隆元・吉川元春・小早川隆景のうちの隆景の居城です、元は三原市本郷の高山城・新高山城でしたが、この三原に城を築城・・・瀬戸内海を収めたのです、隆景は豊臣秀吉から秀秋(当時12歳)を毛利家の養子にとの話があり、毛利本家でなく小早川家へ収めた話は有名ですね・・・あの関ケ原で東軍に寝返った人で・・・豊臣秀頼が生まれ邪魔にされ実力も無く21歳の若さで早死にしましたねアル中だとか、隆景はその結末までは知りませんが。

三原城の天守の石垣です、新幹線ホームからです・・・三原城付近は山と海が近く鉄道が三原城を横切り遺構がこの濠と石垣のみです。

駅の窓辺に三原城跡の碑が見えます。

駅脇から天守台跡に出ます。

広場です。

縄張り図・・・・三原城は海側の大小の岩場の上に築いた海城なのです、三大海城、ここ三原城・高松城・今治城です、山側の街道沿いにはお寺が多く城郭の一翼を、小早川隆景は知将で有名ですからね。

新幹線の下側にも隠れ石垣が・・・。

山側の西国街道側から見た水堀と天守石垣。

角度をかえて。

ここは駅脇から見た石垣です。

駅・・新幹線したの石垣です・・・すこし保存。

駅・・・南側(海側)に残る本丸中門の石垣。

舟入櫓跡の説明。

昔の城と現在を重ねました図・・・舟入櫓の場所は海につきだしていて船が入り込む入江ですね、因島の村上水軍は目の前ですからね・・・・毛利の水軍は当時有名でこの小早川隆景が頭領なのです。

舟入櫓の石垣を見て回ります。

当時は此処が海に面した先端ですね。

櫓はここまででこの先は当時船溜まりなのでしょう。

此方がわ見ればこの辺りに軍船がもやっていたのでしょうね?。

糸崎神社です。

糸崎神社の楠の巨木?、三原市本郷の新高山城跡に行く時間が無くなり少し良い道しました、バスで本郷を通ったので新高山の城跡の看板が見えました残念でしたが、結構移動しながらアチラコチラ回るのは難しいので此処までです。




福山城跡に行って来ました。

2019-12-10 11:22:09 | 城郭広島

2019年12月5日(木)に福山城跡に行って来ました、今日は広島から福山城・三原城・新高山城・広島空港の予定でした。

福山駅新幹線ホームから見た福山城です、元和5年(1619年)徳川譜代の水野勝成が備後10万石の領主となり築いたお城ですね、城の石垣スレスレに鉄道が・・・。

同じくホームから角度を変えて見ました。

ホームヤヤ後ろ(広島側)から見た本丸石垣と伏見櫓(現存)。

ホーム前方から見た福山城、手前が月見櫓・鏡櫓・天守閣・・・・いい景観ですね石垣・櫓・・・・・これぞお城ですね。

福山駅周辺です、流石に水堀はありませんが、駅裏に福山城です。

昔の福山城・・・大手門辺りは丁度駅ですね。

本丸への虎口、正門です右側が筋鉄御門(現存)、左側の伏見櫓とこの御門は、築城に当たり伏見城から移築したものとか、将軍に可愛がられていたのですね。

本丸南面、筋鉄御門・多門櫓・御湯殿・月見櫓と在ります。

振り返ると、伏見櫓・筋鉄御門・多門櫓。

もう少し近ずいて、御湯殿・月見櫓。

本丸城内に入り、筋鉄御門横から見た伏見櫓・・・三層の隅櫓で将軍秀忠の贈り物ですね。

城内石垣上から見た筋鉄御門。

本丸から見た(南側)福山城五層六階地下一階隣に二層三階の付櫓、高覧廻縁で唐破風・千鳥破風を設けた堂々としたお城ですね。

角度を変えながらお城を見ていきますね。

城内西側にある鐘櫓。

本丸東側に有る二の丸への虎口と石垣。

二の丸虎口から振り返り見た鏡櫓と奥が月見櫓。

二の丸虎口から見た福山城、右側は二の丸石垣。

二の丸です、像は水野勝成。

二の丸から見た福山城。

二の丸から見た鏡櫓・月見櫓。

北側庭園内から見た所。

西側本丸下から見た鐘櫓。

駅前東南方面から見た石垣・月見櫓・鏡櫓・福山城天守閣、イヤー見事なお城です、此れより三原城へ・・・なんと駅に電車が来ない信号機トラブルとかで12時近くになる!!!、結局大幅に遅れ新高山城跡はパスすることに(泣き)・・・次は三原城へ。

岩国城に行って来ました(錦帯橋・岩国城跡)。

2019-12-09 18:36:28 | 城郭山口

2019年12月4日(水)に山口の岩国城跡に行って来ました、広島の毛利一族の本拠地高田郡山城を散策後、この山口のJR岩国駅へバスで錦帯橋へ此れから岩国城です。

岩国の錦川の山沿いに岩国城があり、お城と城下町を繋ぐ橋があの有名な錦帯橋です。

錦川に架かる錦帯橋です、石積の橋脚が4個に5連の太鼓橋が釘を使わず木造の橋で有名なのです。

橋の向こう側の横山山頂にお城が見えますね・・・岩国城です、橋は1673年三代藩主吉川広嘉が城下への橋が川の増水で流失するので流されない橋を指示で来たそうです。

川から見上げた岩国城です、毛利家は関ケ原の戦いの後で周防・長門2カ国に減封、ここ岩国城は毛利両川と言われた、吉川元春の子広家が築いたお城です、慶長8年1608年完成した山城で山麓には御土居と呼ばれる通常の生活空間をもった中世の城郭なのです、しかし、元和元年1616年の1国1城令により破却されたお城なのです・・・刀な狩りとか結構軍縮が進んだのですが・・・例外も幾つかありましたがね。

もう一度橋の真ん中より、この正面のロープウェーから山頂へ今は登れるのです。

山麓にある藩庁跡です石垣水堀に囲まれた城郭です、櫓に見立てた錦雲閣。

ロープウェーから御土居の水堀・錦雲閣、左側一帯が岩国藩藩庁。

上から見た錦帯橋なのです。

岩国城縄張り図です、山頂を削平した山城で大きく三個に分かれた曲輪ですね。

本丸西側下にある井戸、水の手郭です。

水の手郭の横から登・・本丸と二の丸の間にでます。

二の丸ですね。

本丸です、三層四階の上に物見を置く建物で上の階が下の階より張り出した桃山風南蛮造りと呼ばれるそうです。

50m程奥に当時天守台石垣がありました、岩国城を復元するにあたり錦帯橋から見える位置にお城をずらしたのです、この奥右側が空堀・北の丸方面です。

天守台石垣方面から見た岩国城です。

此処が北の丸です、右側が空堀。

空堀(堀切)左側が北の丸、右側が本丸です。


天守から見た錦川、錦帯橋・・・左側が御土居(御舘)の辺りですね。

もう一枚岩国の町と瀬戸内海。

もう一枚岩国城。

二の丸の虎口。

二の丸虎口を下、右側の石垣の向こう側からも同じような虎口があり、両方から挟む作りとか。


これは二の丸西側に有る石垣で当時の石垣も随所にみられるとか・・・北の丸方面にもあるみたいですね、城は破却したが積極的ではなかったみたいですね、明日は福山城・三原城・新高山城を散策し帰路に・・・・・でもアクシデントが発生・・・。

高田郡山城跡に行って来ました(毛利一族のルーツ)。

2019-12-08 07:42:14 | 城郭広島

2019年12月4日(火)に広島県吉田市高田の郡山城に行って来ました、此処は毛利一族の居城で此処から大きく羽ばたいたのです、毛利元就の居城の、吉田盆地を見渡す可愛川・多治比川の合流点の北側に築かれた山城です、山上と山麓部で構成された中世の城郭ですね。

広島のバスセンターから90分ですが朝の渋滞で2時間弱近くかかりましたかネ・・・雨が降ったり止んだりでハラハラ・・、帰りは途中のJR可部駅で下車し横川駅にでました。

歴史民俗博物館(上の地図左下)の脇から時計回りに山城へ(結局搦め手方面から)。

毛利隆元の墓所です、毛利元就の長男ー毛利隆元・次男吉川元春・三男小早川隆景・・・三本の矢の話は有名ですね、急死で毒殺説も?。

毛利一族のお墓と奥に毛利元就の墓がある洞春寺跡です・・・全くのお城裏側コースから入ってしまいましたね。

お墓の上横から、イザお城へ・・・・。

ハイキング気分で・・・目指すお城は右奥に見える向こう側の山です。

漸く着きました、お蔵屋敷の脇へ、曲輪ですが・・・・此処の呼び名は壇・・と呼ばれる。

此処は二の丸への上り路ですね、二の丸前に帯曲輪が有りますが。

帯曲輪から二の丸への虎口、上が二の丸で右側が三の丸方面です。

虎口から見た二の丸、奥の段丘上が本丸と続きます、右側下が三の丸。

二の丸から見た三の丸ですね。

二の丸です、奥の上が本丸と櫓台です。

二の丸虎口から見た本丸と奥が櫓台です。

本丸櫓台跡です。

櫓台から見た下が本丸、その先が二の丸、三の丸と続く連格式城郭ですが、他にも沢山の曲輪(壇)が尾根上に有ります。

二の丸から見た三の丸。

三の丸です・・・・この先にも小さな壇があります。

お蔵屋敷から下る路の横が最大の壇、勢溜の壇です、幾つかの段丘の開かれています。

段丘の先に展望が開けます・・・・高田の町が眼下に。

壇の横の道ですが急坂です上る敵を上から追い落とせますね、此処は毛利元就が天文9年(1540年)尼子勢3万の大軍をむかえうけ5か月耐えたお城なのです(郡山の合戦)、山全体が城郭で比高190mでの防御なのです。

途中にも尾崎丸の曲輪がありました、尾根を削平し堀切・切岸で囲ったものですね。

安芸高田市役所前から見た郡山390mの城山です、展望台に”いちもんじみつぼし”の長州毛利家の旗が、毛利輝元の時に広島城を築城し移り、その後廃城に、此れから、昨日どうしようかなと考えていた武田の銀山城を横目に見ながら岩国城へ向かいます、方向が違うので・・・・。