2017年4月25日(火)に豊肥本線の豊後竹田にある荒城の月でおなじみの岡城跡に行って来ました、日本100名城でもあります。
大野川の支流である稲葉川と白滝川に挟まれた標高325mの天神山の山上に高石垣がそびえる防御力の高い城ですね。
左橋の大手門から入城し、西の丸方面・近戸門・家老屋敷・桜の馬場・本丸方面へ見て回りました、前の図は上からの入城になりますね、やはり、竹田城を思い出しますね、南千畳・本丸・北千畳の各石垣の構成です。
駐車場(総役所跡)から見た西の丸の石垣、右側を回り込み大手門へ、左側を廻り込み急坂を上ると近戸門へとでます。
山側を回り込み大手門を仰ぎます、左側の斜面を上がります、奥の石垣は大手門の方がわです・・・まるで塔のように見えますね。
大手門跡を入り内側から見た所です、奥が西の丸側ですね、こちら側が後期になると主流になるみたいですね。
西の丸は結構広いのです、端まで来て下を見ると駐車場が眼下です、右横上には小さな物見台跡がありますね
西の丸脇から右側が家老屋敷跡(3家老か?それぞれあります)と正面石垣が普請方跡、左側が近戸門側です。
近戸門を入り真すぐな道を突き当たるとガケに出ます、正面左側に見えるのが三の丸・二の丸の高石垣です、その奥が本丸の石垣です、右側を迂回し本丸がわへ向かいますね。
大手門から西の丸側に行かず右側に直進するとやはり家老屋敷跡(左石垣)・さくらの馬場(正面)へと続きます。
西中仕切り門を入るとそこにも枡形の太鼓櫓門跡(奥)がありました。
三の丸奥脇から本丸への登り口左側奥が二の丸で階段横に井戸があります、結構井戸が見られますね。
西の丸側の石垣です、深い急な崖で分けられています、なおかつ石垣で防御です、島津軍が天正14年三万七〇〇名の大軍で三回に及ぶ攻撃にも落城しない難攻不落の城ですから。
此処が二の丸です、荒城の月の作曲家滝廉太郎の像もあります、阿蘇山・久住・祖母山等が見えますから。
やはり本丸から見た東中仕切り門跡の石垣です、この奥にも御廟所跡があります。
東中仕切り門跡から二の丸の石垣を望む、岡城は中川氏が7・3万石で13代続きました、山城は遺産が当時のまま残り規模の大きさが目の当たりに見え感動しますね、ゆっくりしたいのですが他の予定もあり急いで戻りました。