三郎兼続の日記

趣味の写真で山登り・旅行を主体にした日記
最近は山登りが少なく、城郭・巨木へ

2022年訪問した城郭。

2022-12-29 07:42:28 | 訪問城郭年間総集

2022年に訪問した城郭の一部をまとめました、一部は2021年末分も、お正月なのでよろしかったら見てやってください。

今年はコロナ禍にも関わらず結構見て歩きましたね、道楽ですね。

栃木県芳賀郡茂木町 茂木城・・・中世の山城、建久年間(1190-1199)茂木知基が築城、それから約400年16代・・・鎌倉時代ですね戦国時代は佐竹氏の支配下。

茂木城 本丸脇(手前が本丸の土塁)の望櫓跡・・・・茂木駅からも良く見えますね、佐竹氏秋田移封に伴い、慶長15年(1601)廃城。

茨城県水戸市 元は佐竹氏の居城、徳川御三家の水戸城 大手門復元で見に行きました、三の丸と二の丸に架かる大手橋と大手門。

水戸城 復元した二の丸隅櫓。

栃木県宇都宮市の多気城 中世山城、宇都宮国綱が後北条に対抗すため改修。

多気城 本丸から見た宇都宮方面、後に宇都宮へ戻るが豊臣秀吉により改易城は廃城となる。

清洲城 愛知県清須市 弘治元年(1555)織田信長が那古野城から移り大改修後に小牧山城へ移る。

徳川義直も名古屋城完成前はこの城にいましたね、本能寺の後の清須会議の場所でもありますね。

箕輪城 群馬県高崎市 榛名白川の河岸段丘に築かれた平山城、長野氏の居城、武田信玄との抗争の城、後に井伊直正12万石が改修、高崎城へ移り廃城。

箕輪城 二の丸側から見た大堀切に架かる土橋と郭馬出曲輪と西虎口門(復元)。

郡上八幡城 岐阜県郡上市八幡山山頂の山城、天正16年(1588)稲葉貞道が大改修、慶長5年(1600)関ケ原後遠藤氏が返り咲く・・・郡上八幡城天守と桜の丸隅櫓。

郡上八幡城 天守と木々で見ずらいが松の丸隅櫓。

墨俣城 岐阜県大垣市墨俣・・・木下藤吉郎の(豊臣秀吉)墨俣一夜城です。

墨俣城 それにしても立派なお城が出来上がりましたね・・・大垣城を模したとか。

松坂城 三重県松阪市 天正16年(1588)蒲生氏郷12・3万石が築城・・・その後会津へ移る、筋違い虎口石垣上から二の丸方面を右側の石垣は本丸下段の石垣。

松坂城 二の丸方面から中御門・本丸方面の虎口を見る。

桑名城 三重県桑名市 木曽三川(揖斐川・長良川・木曽川)の河口の水城、本丸から二の丸方面を見る。

桑名城 本丸天守台、本多忠勝11万石が慶長6年(1601)築城。

小牧山城 愛知県小牧市 織田信長が美濃攻めの拠点として築城永禄6年(1563)・・・今の堀は天正12年(1584)豊臣秀吉対徳川家康の小牧長久手の戦い時家康の本陣として改修。

小牧山城 小牧山はわずか86m、平野部の真ん中にあり辺りを一望、崩れた石垣が多数あり、織田信長はわずか4年、高速の寄せで岐阜城攻略。

名古屋城 愛知県名古屋市、天下普請慶長18年(1613)築城徳川御三家、尾張藩の城、大天守を仰ぐ。

名古屋城 大天守・渡櫓・小天守、木造再建が待ち遠しいですネ。

津城 三重県津市 織田信包が築城慶長13年(1608)藤堂高虎22万石が移り大改修、西北隅櫓石垣から見た西の丸方面。

津城 丑寅隅櫓。

小田城 茨城県筑波市 常陸南部を収めた守護15代のの城。

小田城 東虎口に架かる橋と堀、左側は本丸。

原城 長崎県南島原市、キリシタン関連との世界遺産キリシタン大名有馬晴信が築城その後廃城。

原城 二の丸から見た本丸、寛永14-15年(1637-1638)板倉氏の弾圧に耐えきれずに発生した島原天草一揆の3・7万人が籠城した城。

島原城 長崎県島原市、板倉氏4万石による元和4年(1618)築城、板倉重政・勝家二代による圧政で一揆が発生。

島原城 巽櫓、天守・・・二の丸・本丸は総石垣、島原・天草一揆の責任で勝家は斬首改易。

諫早城 長崎県諫早市、戦国時代初期に西郷尚善が築城。

諫早城 天正12年(1587)豊臣秀吉による島津征討のおりに付かず落城、本丸に残る楠の巨木。

大村城(玖島城) 長崎県大村市、慶長4年(1599)大村喜前が築城海城。

大村城 大村湾に突き出した半島の先端、二の丸脇の板敷櫓。

川之江城 愛媛県四国中央市、四国の中央に位置し昔からの激戦区であった、慶長5年(1600)関ケ原の戦いで移封された加藤嘉明が改築。

川之江城 加藤嘉明は松山城を築城移転・・・・廃城。

松山城 愛媛県松山市、松山城二の丸、慶長7年(1602)加藤嘉明築城。

松山城 二の丸。

大洲城 愛媛県大洲市、肱川脇の丘の上に・・・伊予の国守護宇都宮氏の居城、天正13年(1585)小早川隆景35万石の支城。

大洲城 天守と高欄櫓、藤堂高虎・脇坂安治・・・・改築。

この大洲城・郡上八幡城は前々から行きたかったので良かったですよ、でも結構行きましたが、まだ生きたい場所があるので頑張りたいですね。

 

 

 


2022年に訪問した巨木。

2022-12-28 07:16:32 | 巨木

2022年に訪問した巨木の一覧をまとめました、コロナ禍の中にも拘わらず結構ありましたね。

これは自転車で行ける結構近場の埼玉県見沼区東大宮 砂の大ケヤキです八雲神社観音堂脇の御神木・・・注連縄が外れていますね。

樹齢600年幹回り6・6mの観音様の欅。

このクスノキには圧倒されましたね、佐賀県武雄市武雄神社の御神木の大楠、樹齢3000年幹回り20m根元の空洞の広さは12畳敷・・・本当に感動です。

全国6番目の巨木。

同じ武雄市の武雄神社そばの野崎城端の”野崎の大楠”樹齢2000-3000年幹回り13・6m。

落雷にあい本幹を焼失しましたが、皮一枚で新たな幹が・・・。

長崎県長崎市・・・坂本竜馬も遊んだ丸山の近く大徳寺の大楠樹齢800年幹回り12・55m狭い神社裏一杯で頑張っていますね。

狭い場所なので回りを把握しずらいのです。

長崎県諫早市の諫早公園の諫早城本丸の大楠、樹齢600-800年幹回り12m。

諫早城の本丸の歴史を見て来たのでしょうね?。

諫早神社・・・九州総鎮守 樹齢?年幹回り7・8m。

諫早神社境内には楠群が何本化ありますね・・・7m・・6・6mと並んで・・・。

福岡県宇美八幡の衣掛の森の名称のある大楠、樹齢2000年幹回り15・7m・・・この神社には他にも大楠が見られますね。

1本でも森のような木・・・衣掛の森。

同じく宇美八幡の湯蓋の森の名称がある大楠、樹齢2000年幹回り20m。

湯蓋の森の大楠・・・大分傷んでいますが、武雄神社の大楠20mと同じで全国同率で6位の巨木です。

福岡県太宰府市の太宰府天満宮の大楠群です、入口近く。

これも天満宮のお宮脇の大楠。

太宰府天満宮誠心館前の大楠、樹齢1000ー1200年幹回り12m。

太宰府天満宮一番の大楠ですね。

これは誠心館の庭にある大楠ですが中側から見ていないので?、天満宮は菅原道真をまつり全国12000社の総本山の神社ですからね。

栃木県筑波市筑波神社の大杉。

筑波神社の御神木樹齢700年幹回り9・8m。

埼玉県東松山市高坂の岩殿山正法寺(岩殿観音)の大イチョウ。

岩殿観音の大イチョウ、樹齢700年幹回り11m。

福岡県博多市の櫛田神社の大イチョウ、樹齢600-1000年幹回り6m。

櫛田神社は博多祇園山笠で有名な博多総鎮守。

青森県深浦市の北金ヶ沢の日本一の大イチョウ、樹齢1000年幹回り22m。

イチョウとしては日本一幹回り22m、幹回りでの日本一は鹿児島の蒲生の大楠幹回り24m、2位は静岡来宮神社の大楠23・9mで3位となります、4位(佐賀の川古の大楠)・5位(福岡の本庄の大楠)はまだ見ておりませんね・・・機会があればね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


埼玉伊奈町の氷川神社に行って来ました。

2022-12-27 14:36:14 | 日記・エッセイ・コラム

2022年12月27日(火)我が家の神棚の掃除を行い氷川様に古いお札を収めてきました。

昔で言えば鎮守の森でしょうかネ、少し森状態でしょうかネ?。

大宮の氷川神社・・・武蔵一宮、浦和の調宮神社・・・武蔵二宮、川口の氷川神社・・・武蔵三宮、伊奈氷川神社は?・・・立派でしょ!。

少し横から失礼します、後ろには巨木がありますよ・・・。

これが大杉です幹回りは5m以上の立派な巨木です・・・お札を治め破魔矢を購入(大宮の氷川様より安いのですよ)・・・・年の初めには毎年お参りしています、此処の所、お神酒が頂けませんね・・・・来年はどうかな?。

 

 

 

 

 


群馬の箕輪城に行って来ました。

2022-12-24 07:59:35 | 城郭群馬1
2022年12月20日(火)に高崎の箕輪城に行って来ました、今回で2度目、郭馬出西虎口門の復元が為されたので伊香保温泉からバスで東明屋へ今度も奥方とは別行動となりました。

箕輪城の縄張り図ですが、此れは徳川時代初期天正18年(1590)の井伊直政12万石の改造時ですね、慶長3年(1598)高崎城に移り廃城となります、約500年前の永正9年(1512)に長野業尚が築城、憲業・業政・業盛の4代永禄9年(1566)に武田信玄により落城、以後織田(滝川一益支配)・北条氏邦・徳川と変遷しました。
今回は下側中央の搦め手口・二の丸・郭馬出・木俣曲輪・大堀切を西側・大手虎とう門・白川埋門・鍛冶曲輪・三の丸・蔵屋敷・堀底道を北側へ・新曲輪・丸馬出・御前曲輪・本丸・二の丸と廻りました、以前は左側の水の手曲輪方面から回り込みましたね、上側(西側)は榛名白川が流れ河岸段丘の縁に位置します、南側は昔は沼地とか、大堀切で南北に分断し、空堀で沢山の曲輪が構成された群馬の百名城のお城です。

此処もバスがあまりなく、伊香保温泉を11時発(此れが一番)なのでホテルを10時に出ました(バス停で待ちましたが)、東明屋バス停まで約30分、此処から高崎まで約50分約2時間城内を見学、長野時代は大手口(徳川時代には搦め手口)・・・左側から入ります。

奥が二の丸の虎口へ右側は二の丸・本丸・御前曲輪脇の帯曲輪・稲荷曲輪と続き新曲輪方面へ行きます、左側へ進みますね。

なおも進みますね・・・今は二の丸前の虎口・・・・此処は昔は無かったのでしょうね(左側から木俣曲輪へ回り込むか、狭く細いか)?。

いきなり二の丸です、右側は空堀で本丸との間を隔ててありますね・・・左側が下に続く。

此処が圧巻の個所ですね、右側が二の丸、大堀切で分断、土橋の向こう側が郭馬出曲輪(かくうまだし)、右側が西虎口門(復元以前は無く今回初見)。

折角ですから二の丸大堀切の土塁上から・・・土橋向こう側が、郭馬出。

土橋から見た大堀切底・・・・東側。

振り返ります、土橋上から見た西側の大堀切底、右側が二の丸、木々がある場所が三の丸・・・後程この堀底道を下り大手門口方面へ行きますね。

これが復元された、郭馬出西虎口門です。

西虎口門から見た所・・・土橋の向こうの曲輪(名称が?)。

土橋を下り、郭馬出西虎口門です、城柵の門より進んだ、中世の建物で趣のある門ですね!、此れが見たかったのですヨ。

郭馬出前の木俣曲輪です、この下に法峰寺があり、激戦の水の手曲輪があります(前はこちら側から上がってきました)。

木俣曲輪から見た、郭馬出西虎口門です・・・馬出は三方が堀・土塁で囲み、横サイド(?)から出退陣するための場所ですね。

木俣曲輪から見た高崎方面・・・・草の為先までいけず、この下が法峯寺・水の手曲輪・観音様口です。

木俣曲輪左側(東側)から見た景色、右下側が今登って来た東明屋方面、山は赤城山ですね、先程の道はお墓の向こう側から上がって来ましたが、こちら側へ回り込むのかな?。

木俣曲輪から戻り大堀切の底へ下ります、途中から見あげた郭馬出西虎口門。

大堀切の底道・・・大手門方面へ、右側は三の丸。

西側です、榛名白川はこの左側を下りますね、白川口埋門。

埋め門脇が大手虎とう門口、虎とう・・・・中国の戦術の虎の巻・・・井伊直正が命名したとか?、この広場後が鍛冶曲輪。

鍛冶曲輪の石垣です、この奥が鍛冶曲輪で、三の丸・二の丸・本丸へと続きますね。

鍛冶曲輪脇を上ると三の丸石垣が、埋まっていますが4m位の石垣とか・・・多分、北条氏邦が改築。

三の丸です、右側は先程下った大堀切。

三の丸と二の丸(右側)を分ける空堀です、左側が三の丸で蔵屋敷方面へ続きます。

三の丸虎口脇から見た大堀切と郭馬出西虎口門。

蔵屋敷曲輪から見た本丸との木橋(復元今は渡れず)・・・蔵屋敷から通仲曲輪方面には道が無く行けません、少し戻り堀底道へ。

空堀へ降りて本丸(右手側)脇を進む。

なおも左に進みますが、右側は本丸、正面が御前曲輪・・・正面階段は両曲輪を隔てる空堀へ出る・・・。

御前曲輪の裏側の堀・・・現在の御前曲輪への階段は当時はどうかな?、右側は通仲曲輪、右側の堀底道から来ました、後程正面の階段から御前曲輪へ。

上の所から少し下がってみた、左側は稲荷曲輪・帯曲輪で最初の所に繋がります、その左側は新曲輪、正面は御前曲輪。

北側の丸馬出・・・遺構がはっきりしませんね、新曲輪も畑・・・状態でハッキリしませんね。

丸馬出から御前曲輪方面、左側が新曲輪。

御前曲輪に入りました、北側です、左奥は井戸。

御前曲輪の南虎口・・・・他に西虎口門・・・木橋による虎口が在ったみたいですね、この曲輪で長野業盛永禄9年(1566)武田信玄の2万の軍勢の猛攻撃にあい22歳?の若さで自刃、辞世の句 春風にうめも桜も散りはてて 名のみぞ残る箕輪の山里、親の業政の代には攻め落とすことが出来ず業政が死んで信玄は喜んだとか?、武田勝頼は永禄6年に箕輪攻めで初陣2歳下。
新陰流の祖、剣聖・・上泉伊勢守信綱はこの長野業政(なりまさ)・業盛(なりもり)に仕え、信玄との戦いにも参戦目覚ましい戦いをしました、長野氏滅亡後は仕官せず剣一筋に・・・。
この箕輪城は真田幸綱(幸隆)も天文10年(1541)武田信虎(信玄の親)により海野平の戦いで敗れ長野業政を頼って逃げてきましたね、その後晴信(信玄)に帰属・・・攻める側になりますね・・・戦国時代ですからネ!。

先程の御前曲輪と本丸(左)を隔てた空堀。

空堀横が御前曲輪と本丸を繋ぐ南虎口、正面が本丸・・・土塁が今に残っていますね。

本丸 南虎口・・・奥が御前曲輪。

少しずらします、本丸の碑・・・奥が蔵屋敷側に繋ぐ木橋(先程下を潜り抜け・・・今は渡れません)、左側土塁の左は堀切・・空堀で二の丸と隔てています。

本丸の南側の虎口、右側は空堀、正面は二の丸・・・・最初に正面左側から入城しました、此れで水の手曲輪方面を除けばほぼ城内を巡りましたね、長野時代・北条時代・徳川時代と改修されたので、長野時代の武田軍の猛攻を支えたお城の規模が?・・・・いずれにしろ素晴らしい名城なのです。


群馬の榛名山硯岩に行って来ました。

2022-12-23 07:00:55 | 旅行記
2022年12月19日(月)に群馬の榛名山硯岩行って来ました、伊香保温泉からバスですがバスの本数が少ないので?。

バス停榛名湖湖畔の吾妻荘前で下車少し前に進みますね、・・・・今は榛名湖荘に代わっていますが名前は前のまま。

此処から上りますが、硯岩(1251m)は20分強で登れますね、掃部ケ岳(1449m)は50分とか。

入口のは熊注意の張り紙が・・・霜柱を踏みしめて上りますね。

クマササが・・・・熊が居るとも思えませんが熊よけの鈴を鳴らしながら。

漸く尾根筋が見えてきました、急な階段が出てきました。

出てきました、硯岩の分岐点が・・・あと100mとか・・・・急坂になりますね、掃部ケ岳は榛名山で一番高い山ですが此処から40分で登れますが、簡単で景色が良い硯岩を選びましたね。

急坂ももう少しで登れます。

上り付きました、硯岩(1251m)です・・・・此処はクライミングできる場所でもありますね、榛名湖(1084m)・榛名富士(1390m)が目の前にいきなり見えますね。

硯岩山頂から見た榛名湖の景色、下の榛名湖荘脇から上って来たのです。

此処が硯岩、左側の榛名湖側が切り立つ岩場なのです。

少し角度を変えて・・・。

雲が流れています、結構な寒さですが、今は陽が出てきましたね、榛名山も明るいのが解りますね。

山頂の岩場は横に広がっているので・・・・アチラコチラの岩場のクライミングの跡が・・・捨て縄・ハーケン・カラビナ等が岩場に見られますね、この後三人組の登山客が登って来ましたネ。

下山しました、榛名湖湖畔から見た榛名富士・・・上りたかったのですが、バスの時間が上手く会わず食事して帰ります、食堂の親父さんとの話・・・榛名湖は氷上のワカサギ釣りが出来るのが近年は氷が薄いので難しくなっている…でもこの寒さで凍るのでは?・・・秋が暑っかたので湖の下の水温が暖かく下がらないので厚い氷は駄目だろうとの事・・・中途半端な氷で船(ボート)も出せずとの事・・・温暖化での影響が。

湖畔から見た硯岩(1251m)です、断崖絶壁状態がわかりますね・・・・。


群馬の伊香保温泉に行って来ました。

2022-12-22 07:00:49 | 旅行記
2022年12月18日ー20日(火)まで伊香保温泉に行って来ました、天候に恵まれ良い旅行になりました。

伊香保温泉は石段で有名ですね、榛名山の中腹にあるのでもともと坂なのですね、温泉に宿泊したのは3回目でしょうかネ?。

伊香保温泉石段街です・・・・人が結構多くいましたね、この日は日曜日のせいか若い人も多かったです。

振り返りますね、向こうの山は小野小山1208m、以前に2回ぐらい上りましたね、下山後温泉に入ったりしましたね。

折角ですから、石段を・・・。

石段を約370段?上ると上に伊香保神社が鎮座、神社を回り込む後ろ側に温泉が湧いている場所がありますね・・・今回はそこまで行きませんでしたね。

伊香保旧御用邸跡の前側のホテルの駐車場で見たケヤキ・・・・巨木の仲間に入るでしょうね?。

巨木の脇の道路から見た景色、右側から小野小山1208m・中の岳1188m・十二が岳1201m・冠雪の山は谷川連峰(万太郎・仙ノ倉)です。

ホテルから見た19日(月)の朝・・・赤城山から左側の奥志賀方面まで一望。

ホテルの窓から見た、右側雲の下が多分苗場山2145m・烏帽子岳から左側が奥志賀高原方面の岩菅山・・どれかわかりませんが?。

谷川連峰を少しアップしました、左側は平標山・仙ノ倉山・右側が万太郎・・・・多分谷川岳は山影かな?。

正面の小野小山です。

子持山1296m・・・この山にも以前上りました、頂上右側の突き出した岩が大黒岩、山頂左奥が武尊山・至仏山、右側雲の下が日光白根山、その右側が皇海山・・・・赤城山は写真の外ですが・・・素晴らしい眺望です、此れから榛名湖の硯岩へ行きます、明日は箕輪城を見て帰ります。


群馬の水沢観音に行って来ました。

2022-12-21 11:06:50 | 巨木巡礼関東

2022年12月18日(日)に群馬の伊香保温泉に行って来ました、今日は伊香保温泉の脇の方にある水沢観音に行って来ました。

伊香保温泉からバスで水沢観音へ・・・正面からでなく脇の方から入りました、坂東16番霊場。

鐘撞堂です。

奥が観音堂です、手前にあるのが六角二重塔。

観音堂・・・・天明7年(1787)。

六角二重塔・・・下はお地蔵様が六体、廻る仕掛けで三度廻して御利益が・・?。

境内に観音杉、樹齢700年目通り5・14mの巨木があります。

正面からの観音堂。

千手観音・・・・。

脇から来たので最後になりましたが、水沢寺仁王門です。

伊香保温泉に戻るバスがしばらくないので、取り合えず歩きました、水沢山の中腹なので見晴らしが凄く良いのです、赤城山1828mです。

仏光山法水寺・・・台湾に総本山を置くお寺です、大きなお寺ですね寄付金で建てたのでしょうか?、見学無料なので見させてもらいました。

立派な千手観音が・・・・・。

王仏釈迦牟尼仏です・・・大きなものです。

本堂前の階段から見た上州の山が・・左から小野小山(十二が岳・中岳・小野小山)・子持山・赤城山です、バスの時間が迫って来たので急いで階段を下りました。


鎌倉の天園コースに行って来ました。

2022-12-11 10:25:49 | 山関係
2022年12月10日(土)に鎌倉の天園コースをハイキングしてきました、本当に久しぶりの山水会によるハイキングとなりました。

北鎌倉から鎌倉までです、円覚寺前を建長寺方面へ、今回は建長寺を入らず明月院前を回り込みます。

建長寺裏山の天園コース分岐路です正面下が建長寺・・・・私たちは右側から来ました、今鎌倉は旬で沢山の方々が来ていますね。

天園コースは鎌倉を囲む鎌倉砂岩の丘上を歩きますね、鎌倉は鎌倉時代には七つの切通しと称する出入り口で外部と遮断出来た防御性城郭なのです。

これはヤグラと称する横穴式納骨窟です、鎌倉には沢山のヤグラがありますね。

今日は人が見えない所を撮るのが大変な程人が沢山います。

天園コース山頂の大平山からの景色、後は鎌倉カントリークラブゴルフ場の建物ですが、正面が鎌倉攻めで有名な新田義貞が抜けた稲村ケ崎です、此方が七里ガ浜ですね。

山頂脇に紅葉のもみじが・・・・・。

ハイキングコースですが急な坂もありますから少し大変ですよ。

楠でしょうか、結構な木も・・・・此処は勝手に伐採が出来ないはずですから?。

いよいよ、下りに入りましたね、右下が瑞泉寺方面です、此れから、鎌倉宮から鶴ケ岡八幡宮へ。

鶴ケ岡八幡宮です・・・・凄い人込みが・・・鎌倉駅まで続きますね。


箱根大涌谷に行って来ました。

2022-12-10 20:09:44 | 旅行記
2022年12月7日(水)箱根の大涌谷散策に行って来ました、仙石原のホテルから箱根湯本へ荷物を預け強羅早雲山ロープウェイ駅へその後桃源台まで行、戻りました。

強羅からロープウェイで早雲山駅へ目の前の山が明神ケ岳・右側が明星ケ岳(大文字焼き)下が昔はスケート場でしたね、会社の寮がこの近くにありましたネ。

少し左側に、正面が金時山です・・・富士山が目の前に見える山です。

大涌谷方面に入ると富士山がいきなり目の前に。

下を見ると噴煙を上げる大涌谷が・・・・火山活動が強まり散策場所がほとんどありませんね、御嶽山噴火の例もあるので仕方ないですが、噴火したら、このロープウェイの中アウトですが?。

やはり、富士山に目がいきます・・・・・・・・。

大涌谷。

富士山・・・・ロープウェイをここでは降りています、駐車場に監視人がいて煩く中に入れず・・・外国人は言葉が通じないのか入りますが?。

この富士の裾野で自衛隊の訓練がありやはり、ドーンドーンと音が響きますね。

再び大涌谷・・・。

早雲山はこの辺の山の総称です、奥が多分神山ですね、何回か上りましたね。

神山をアップで向こう側に多分駒ケ岳があるはずですね、昔より水蒸気が上がっていますね、活動は落ち着いたのでしょうかネ?、これで帰ります。














箱根芦ノ湖周辺に行って来ました。

2022-12-09 14:00:49 | 旅行記
2022年12月6日(火)には芦ノ湖周辺を散策・・・・昨日今日と仙石原の温泉に連泊です、結構ドーン・ドーンと音がしますね、御殿場で行っている自衛隊の演習の大砲?の音とか・・・・、最初、箱根園の水族館に行きました・・特に写真はありませんが、結構楽しめましたね。

芦ノ湖の湖尻です、トイレの横に折れ曲がった巨木が目についたので、今湖尻ターミナルはやっていないのですね・・。

桃源台から海賊船に乗り芦ノ湖を遊覧。

船の上は結構寒いです、今日は雨が朝方まで降っていましたが今は曇り状態です。

すれ違う海賊船。

箱根関所跡ですね、今回は拠りません、関所破りですが。

次の元箱根で下船し箱根神社へ、湖の鳥居(平和鳥居)には沢山の観光客が写真を撮るために行列状態でした・・・平日の火曜日箱根は観光客で一杯です。

箱根神社参道の大杉。

これは箱根神社の広場脇の樹齢1000年の大杉・・・安産杉。

箱根神社です。


神社脇の狛犬です・・・・コケむしていましたので思わず撮ってしまいました。

神社参拝後、恩賜箱根公園へ・・・・芦ノ湖に突き出した高台です、此処は二百階段の名前の石段です・・・これで一気に疲れましたね。

公園の展望台から見た芦ノ湖、此処はツツジの木が多いので花の咲く時期が良いのでしょうね・・・。

乗船時間を気にしながら急いで戻ったので汗をかきました、此れで桃源台まで船旅でホテルに戻りますね、明日は大涌谷散策です。