三郎兼続の日記

趣味の写真で山登り・旅行を主体にした日記
最近は山登りが少なく、城郭・巨木へ

浪岡城に行って来ました。

2023-08-26 11:02:33 | 城郭青森
2023年8月23日(水)酸ヶ湯温泉から青森駅・此処浪岡駅へ予定一本前の電車に乗れたので、余裕を持って回ることが・・・だが、本日も暑い・・・、浪岡交流センターあぴねす(JR浪岡駅に併設)で親切丁寧な扱いを受けて感謝です(自転車を借りる・荷物も預ける・城址までの地図と細かな説明)・・・ありがとうございました。

浪岡城へ行く道の、中世の館少し先にある、浪岡八幡宮。

浪岡城の縄張り図、浪岡城は浪岡北畠氏で南北朝時代後醍醐天皇を助けた北畠親房・顕家の子孫とか築城は1460年ごろ。

同じ形ですが説明文があるのでもう一枚、八つの曲輪(ここでは館)を堀で分割・・・・面白いのは堀の中に土塁があり迷路のような通路のような構造が見られますね。

縄張り図が上のとは逆さまですが、これでは右側から下側の道路を進み入口を曲がり案内所へ進みました。

上の図の右側に建つ浪岡城址・・・・まず奥に入りますね。

突き当りが浪岡川・・・・・左側が検校館?、少し先が西館、奥が内館、・・・・元の道に戻りますね。

浪岡城址の碑の少し先に検校館の碑。

浪岡城北館・・・・道路も堀の内で左側は外郭(現在は道路脇の普通の家並み)、堀幅が当時20m、深さは5m(今は堀のイメージが解る程度ですが)・・・これから北館内へ・・。

木橋を渡り北館へ・・・・・。

北館の虎口から左側を見ます、土塁の外は堀、車・建物辺りは堀又は外郭、北館内・・井戸が幾つか見えますね。

北館内少しずらします、塀が建てられています、当時の武家屋敷の区画割りですね。

なおも、奥にやはり土塁・堀。

北館の中央の通りでしょうか左右が武家屋敷だったのでしょうね。

此処は内館方面に対して土塁が無く、やや低く整地されています。

もう少しアップで、堀の右奥が内館、堀手前は一段低くなっていますね。

此処は先程の北館の先のもう一つの北館の虎口、奥が東館方面。

浪岡城案内所への道、左側が新館(大永年間(1520年頃)拡張、右側は東館。

浪岡城案内所・・・・今日も本当に暑い、案内所の方も暑くって草刈りを始めたが無理なので・・・(暑い中ご苦労様です)。

暑い中頑張ります、猿楽館(左側)から東館(直進)へ。

東館の虎口。

東館の全景・・・建物がある方は外郭。

東館の北館より向こう側奥の木が有る場所が北館、二つの木橋に繋がる場所が堀中の土塁。

堀中の土塁・・そこそこの広さがありますね?。

これも堀中の土塁から見た猿楽館方面。

これも堀中の土塁から見た東館・・・草むらは堀。

堀中の土塁から見た北館、浪岡城は1578年大浦(津軽)為信に攻められ落城・・・・以後400年間、田畑林として埋没、昭和になり甦ったお城です。

暑い中折角ですから、源常林の銀杏を見ます、浪岡川を渡り案内板に導かれました。

樹齢300年以上・・・・ハッキリしていませんね、目通り6・7mの巨木。

津軽山唄の歌詞に詠まれている有名な?巨木、”行丘(浪岡)の源常林の銀杏の木は・・・・”

往路は気が付きませんでしたが、帰りに目の前に・・・お山が・・・・岩木山ですね1997年(平成9年)に登りましたね、右側が浪岡城です・・・しかし暑い。


青森の弘前城に行って来ました。

2023-01-18 11:44:33 | 城郭青森
2023年1月15日(日)に青森県行って来ました、青森の旅行が何回か続いていますね。

津軽の三味線の演奏・・・ねぶたの飾り物を見ました。

これは扇方です。

この前五所川原に寄ったのですが、立佞武多はそういえば見ていませんね・・。

今回は”冬に咲くさくらライトアップ”のツアーに乗せられて出かけたのですが?・・・・何もありません・・弘前城前のお堀端の桜の木に雪が付き・・・・桜の花のように見える??・・・しかも温かく雪は無く何も?。

いいさー・・・私は弘前城を見ますから、城前の堀端で良かった・・・弘前城三の丸追手門。

追手門から城内へ、津軽4・7万石の居城、津軽為信。

お城見学には中途半端な時間でしたね、弘前城二の丸南門。

二の丸の辰巳櫓ですね。

弘前城天守・・・・現存する12の一つ、独立式層塔型3層3階・・・現在石垣を修理中です、早く石垣の上に戻した姿を見たいですね、やはり桜の花の咲いた良い時期に・・・、此れから白神山地の手前まで。


八戸城跡に行って来ました。

2020-10-02 07:39:56 | 城郭青森
2020年9月29日(火)八戸のホテルから近いので早めに食事を採り、八戸城跡を見てきました。

八戸城跡は八戸の市街地で現在は市庁舎等に利用一部が公園・神社として残っていました、この内丸地区がほぼ当時のお城ですね。

八戸城跡の縄張り図と現在の地図を重ねたものです、上が八戸港・左側に馬淵川・右側に新井田川に挟まれた舌状台地の尖端(中世の城の立地条件)に構築されていますね、JRの駅は崖下の低い所で本丸の後は崖です、なお、根城は左側馬淵川を遡った所に築かれていますね・・・今回は行けませんでした。

この道は八戸城本丸と二の丸との間でこの先は内堀だったのですね、左奥が本丸右側は二の丸方面ですね。

遺構の建物で現存する八戸城角御殿門。

八戸城本丸への入り口・・・・現在は一部が三八城(みやぎ)公園として残っています。

八戸城跡の碑、この奥が三八城神社。

本丸跡に建つ三八城神社・・・・城主を祀った神社ですね。

三八城公園に立つ八戸城本丸跡の碑、この左下方面がJR本八戸駅です。

本丸跡・・・現公園です。

公園中央部に土盛した場所があり八戸城説明の碑があります。

初代八戸藩主、南部直房公の像、南部家10万石、南部利直(三戸城)ー重直(盛岡城)・・・跡目を決めず死亡、無事次男の重信が8万石で跡目を継ぎ、末弟の直房がこの地に2万石の八戸藩を創立したのです・・・如何なる駆け引きがあったのでしょうね。

本丸跡から見た馬淵川方面・・・右側が八戸港方面、結構な舌状台地なのです。

二の丸跡の一部にある霞神社・・・・。

駅方面の道横に、二の丸跡の説明版がありました、右奥方面に霞神社、左側木立が八戸城本丸方面です八戸城の目立つ遺構はありませんが地形的には城郭が甦りますね、時間が無く本丸界隈をつぶさに見れなかったのですが良かったですね。

弘前城に行って来ました。

2017-06-26 18:42:09 | 城郭青森

2017年6月24日(土)に弘前城に行って来ました、弘前日帰りですが、城内をくまなく散策出来ました。

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流石弘前ですね、ねぶたが迎えてくれました、ラッセイラッセイラセラですね。

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津軽の城主為信の像です、南部の一族から抜け出たとの話があり南部藩とは犬猿の仲とか?、なかなかの武将ですね。

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弘前城は三重の濠(堀)と土塁・石垣が残り、天守は既存天守・隅櫓は3棟・城門5棟の建造物が現存です・・・本丸・二の丸・三の丸・四の丸・北の郭・西の郭と広大な敷地も現存ですね、俺は外濠と三の丸東門です。

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城内の図です。

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三の丸東門・・・現存門です。

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三の丸城内です、土塁で囲まっていますね。

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三の丸と二の丸の境の石橋です、大きな中堀があります。

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中堀ですね、右側が二の丸の土塁ですね。

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二の丸の東門です、門は枡形構造の防御ですね。

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二の丸には隅櫓が現存しています、これは丑寅櫓です。Dsc03790

内濠の中側の北の郭です。

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北の郭と本丸の境目の内濠に架かる橋、向こう側が本丸です。

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本丸の三方向は石垣です、他は土塁ですね、本丸の一方向(西)は蓮池側です。

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本丸への入り口です。

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本丸の天守が在りません、石垣修理で曳きやで移動中ですね。

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在りましたね、現存天守です、丁度堀の角の石垣にある状態ですね、石落としが両サイドに在りますね。

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以前は五重の天守が在りました未申櫓跡ですね、焼失し江戸末期に今の三重の天守を作ったのです。

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城内から見える天守の位置ですね、大分依然にも一度来てみているのですが今の方が奇麗でしょうかネ。

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天守の中です、鉄骨が補強してありました、曳きやで動かすので強化したのでしょうか?。

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此れが蓮池です、岩木山が目の前に見えるのですが・・・・残念です。

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石垣を修理中です、石に番号を張り、積直すのです。

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城内には幾つかの巨木を在りましたね、これはネズコで500年5・6mです、他にイチョウ・サクラ等の巨木がありました。

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此れも二の丸の隅櫓未申櫓です(方角です南西)、他に辰巳櫓もありました。

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外濠にある南門(追手門)です、北門もあります。