三郎兼続の日記

趣味の写真で山登り・旅行を主体にした日記
最近は山登りが少なく、城郭・巨木へ

城郭の縄張り図と本丸跡5.

2020-05-21 07:09:02 | 城郭縄張図

2020年5月21日(木)今回はほぼ武蔵の国、北条氏関連、城郭、縄張り図と本丸跡5。

腰越城 埼玉県小川町、武州松山城の支城、槻川に突き出し三方が川で要害の地の尾根筋の山城、松山城城主上田直朝の重臣山田直定の居城、戦闘記録はないが武州松山城と共に落城か?。

天文年間(1532-1555)・・・上田氏・・都幾川の小倉城ど同一時期の上田氏関連の城?、遺構は良好で分かりやすいですね。

松井田城水の手 群馬県安中市、永禄初年(1560頃)築城?もしくは武田信玄対抗での改修の安中氏の居城、交通の要所で碓氷道東山道中山道が通る、碓氷峠の備え口ともなる。

松井田城本丸 永禄7年(1564)武田信玄侵攻で開城、武田・織田(滝川一益・・)と城主がかわる、天正10年(1582)織田信長脂肪で北条氏直が進行北条へ・・・大道寺政繁が城代、天正17年(1589)小田原征伐では北国軍(前田利家・上杉景勝・真田昌幸ら)が碓氷峠側から総攻撃、よく耐えたが寡兵の為、約1カ月の籠城戦で降伏。

浄福寺城 東京都八王子市、大石氏の居城、八王子城の支城だが、北条氏照此処にいた説も?。永禄10年(1567)滝山城を築城移るとも・・高月城・滝山城。

浄福寺城本丸 滝山城に比べると遥かに小さいが、尾根を切り裂いた厳しい防御が現在にも残っていますね。

滝山城 東京都八王子市、大永元年(1521)築城、山内上杉氏の重臣で武蔵の国守護代大石定重・定久氏の居城、後に北条氏照の居城、多摩川と秋川の合流点の岸壁の丘陵に広がる。

滝山城本丸 天正15年(1546)北条氏康が河越の夜戦で扇谷上杉を滅ぼし、山内家杉の勢力を武蔵の国から排除、大石定久は氏康の三男氏照を娘婿に・・・寄居の鉢形城藤田氏も同様に氏邦を娘婿に・・・青梅の三田氏は敵対し滅亡となりましたね。

滝山城本丸と中の丸に架かる木橋 永禄12年(1569)小田原攻撃に向かう武田信玄2万が拝島より別動隊小山田信茂隊1千が小仏峠より攻撃、滝山城は三の丸まで攻め込まれ落城寸前に追い込まれたが守兵2千で持ちこたえた、が防御体制の不十分として八王子城築城へ。

八王子城 東京都八王子市、北条氏照の居城、天正15年(1587)深沢山445m比高240mに築城、要害地区(山上)・居住地区・城下地区と分けた中世・近世混ざった城郭を構築、まだ未完とも・・・・ただ広大な城郭を守る守備兵が少ないとかんじるが。

八王子城御殿 居住地区、天正18年(1590)小田原征伐の北国軍(前田利家ら・・・3・5万+降伏軍1・5万対城内守備兵+農民・婦女子約3千)の戦い。

八王子城本丸 激戦は丸1日続くが落城、・・・・北条方の支城でのほぼ最後の戦いですね、行田の忍城のみが落城せずに残りましたが・・・・北国軍では無く石田三成軍ですが。

瀧の城 埼玉県所沢市、柳瀬川の岸辺台地、関東管領上杉の家臣武蔵の国守護代大石氏の滝山城の支城、後に北条の北関東進出の軍勢集結の拠点。

瀧の城本丸 むさしの線脇の台地ですが、遺構が良くわかりますね。

津久井城 神奈川県相模原市、城主は内藤氏(津久井宗)、武田軍に対抗する北条方の最前線の城、敵半地とか・・・半分は武田とも深い関わりがある兵が混在(上野原・小山田(都留))。

津久井城本丸 下の根小屋地区の詰めの城か?、永禄12年(1569)武田信玄が小田原攻撃の帰りの三増峠の戦いでは城兵は参加できずとか。

鉢形城 埼玉県寄居市、文明8年(1476)関東管領山内上杉の家臣長尾景春が築城、その後北条氏邦が改修した城、荒川に合流する深沢川が谷を刻み、荒川の断崖絶壁の天然の要塞、後に豊臣軍に包囲されるが、大砲が使用されるまで籠城戦に耐えました、北条氏邦時代は上野への侵攻の拠点、甲斐・信濃からの侵攻への備えで重要な役割を持った城郭。。

鉢形城本丸 山内上杉の家宰長尾景春は君主上杉顕定より疎んじられ家宰を継げず、乱を起こす、結局、扇谷上杉氏の家宰の太田道灌の力を借りて鉢形城を攻撃、山内上杉顕定が入城、その後上杉家の内紛抗争が続く、天正15年(1546)北条氏康の河越夜戦で武蔵の国の実験は北条氏のものとなる、扇谷上杉滅亡・古河公方・山内上杉は力が衰える。

鉢形城二の丸の空堀 永禄7年(1564)土地の豪族、藤田康国の娘婿となった、北条氏康四男氏邦が鉢形城へ入る、氏照と同一パータンで勢力拡大、永禄12年(1569)武田信玄が天正2年(1574)には上杉謙信が攻撃するが落とせず、天正18年(1590)豊臣軍の北国軍(前田利家・上杉景勝ら)3・5万対北条氏邦は3千で対峙やく1ケ月の籠城戦後開城・・・この助命開城に秀吉が怒り・・・八王子城の力攻め攻撃での壊滅戦になたとか?。

竜ケ谷城 埼玉県秩父市、鉢形城の支城で久長氏の居城、千馬山山頂の山城330m比高130m。

龍ケ谷城本丸 永禄12年(1567)武田信玄の侵入をいち早く察知し撃退。

龍ケ谷城二重堀切 北条氏滅亡後、城主久長但馬守は上杉景勝に仕えたとか、これで関東に覇
をとなえた北条氏関連の城郭を終えます。






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