三郎兼続の日記

趣味の写真で山登り・旅行を主体にした日記
最近は山登りが少なく、城郭・巨木へ

宇都宮城に行って来ました。

2024-06-30 11:57:34 | 城郭栃木1
2024年6月29日(土)に宇都宮城に行って来ました、大人の休日俱楽部の特別パスのラスト(5日目)、昨日は雨でしたが今日は暑い。

JR宇都宮駅からバスで二荒山神社前まで・・・暑くて歩くのが・・・大人の休日俱楽部パスで福島の磐城棚倉・秋田の横手・栃木の宇都宮と廻りました、いずれも暑い日でしたね。

二荒山神社前。

旭町の大イチョウ 樹齢400年・幹回り6・4m、戦災に遭ったのですが、イチョウは火に強いですね。

向かい側からの大イチョウ。

下から見上げますね。

アップでさらに一枚。

宇都宮城 一部復元。

宇都宮城は天守が無く、この清明台櫓が代用とか・・・一部復元。

清明台櫓入城は1階のみ、2階は急階段(再現)の為登れず。

関東の名城は土塁造りです、奥にあるのが富士見櫓。

富士見櫓、宇都宮城は戊辰戦争の戦地になり町並共々家宰で焼失し。


栃木の中久喜城に行って来ました。

2024-03-18 06:51:53 | 城郭栃木1

2024年3月14日(木)栃木の中久喜城に行って来ました・・・今日は茨城の下妻市から4か所も見て歩き結局2・5万歩も歩きました。

JR水戸線の小田林駅から県道264号を小山方面へ・・・・西仁連川を渡り・・・標識が出てきました、道が下がっていますね昔の城の堀の川跡でしょうね、西曲輪方面なのです。

西曲輪(住宅地)脇を突き当たりまで来ました、標識が・・・。

小山の守護 小山氏の居城の中久喜城の縄張り図 上の県道から来ました(曲輪Ⅱの中)、今曲輪Ⅲの堀の角、城は水戸線で分断されています。

久寿2年(1155)小山政光が築城・・・鎌倉以前からの古いお城になりますね、江川と西仁連川に挟まれた舌状台地の南端で結城方面の備えの城、その後小山義政は康暦2年から永徳2年(1380-83)反乱・・・鎌倉府の追討を受け断絶・・・同族の結城氏から養子を迎え再興とか色々ありましたが、慶長6年(1601)結城氏が越前へ転封となり廃城。

堀跡。

土塁と堀。

土塁もほんの少し・・・。

土塁城内・・・今は畑。

土塁の上に・・・社が。

土塁上から見た堀。

直線の土塁が・・・・。

土塁先はJR水戸線に分断されていますね。

水戸線の向こうに広がる曲輪Ⅰ(主郭)。

水戸線の踏切から見た・・・右側の木々の場所が土塁・・・この辺りは堀の上なのでしょうね、右側には曲輪Ⅲが広がっていたのでしょうか。

曲輪Ⅰの南側・・・左側は西仁連川と湿地帯なのでしょう・・・。

中久喜城の虎口。

虎口中に・・・枡形虎口みたい、突き当り右側へ・・。

虎口を上がると今来た踏切がむき出しで・・・・・この辺りは農地になっていたのでしょうね。

城内に上がる段差が・・・・・。

城内に入りました・・・・城内から今来た方向を見ます。

城内の向かい側・・・・・土塁が残っていますね・・・・城内も畑に使われていたみたいですね?。

土塁側まで来て・・向こう側のヤヤ右側から来ました・・・・・曲輪Ⅰの全景。

曲輪Ⅰの西側土塁から見た西側。

少し先から曲がった所の土塁下・・・・犬走(堀底道)?。

曲輪Ⅰの南南西部分・・・喰い違い土塁・・・??。

土塁が途絶えています?。

土塁上を進みますね。

そこそこの高さはありますね。

この土塁は水戸線で立ち分かれた土塁です。

土塁下左側に開けた場所もあります。

水戸線にぶつかりました。

水戸線が見えないので少しずれた先から・・・・先程の標識が在った場所ですね。

土塁の外側に入りますね。

直接畑側でなく、犬走みたいに・・・。

曲輪Ⅰの南南西がわ、虎口かどうか・・・・土塁が無い場所から外側に降りました。

西側は畑・イヤ田んぼ・・・奥左側は水戸線が・・・右側は土塁下の犬走見たいのが回り込んでいます?。

戻って、犬走(底堀道?)を回り込みますね。

犬走を戻ります・・・。

なおも、廻り込んで・・・・正面が踏切・・・左側横に切り込みが・・・?。

曲輪Ⅰの切り込み・・・・?。

切り込みから上がってみました?・・・・主郭部分の畑への登り口?・・・、はっきりわかりませんが古いお城なのでどうかな・・・・帰りは川沿いの方が近道なので曲輪Ⅲを突っ切たのですが、遺構らしきものは?。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


鹿沼城に行って来ました。

2024-02-03 09:47:05 | 城郭栃木1

2024年1月30日(火)に栃木の鹿沼城に行って来ました、昨年の鹿沼の祭に行ったのですが、再度見て回りました。

鹿沼城の縄張り図・・・・今回は本丸左側の太夫殿曲輪周辺を中心に見て回りました。

今宮神社より本丸を目指。

鹿沼城の説明版・・・・近年地ならし・・・・と在りますネ。

本丸(現野球場のグランド)入口に鹿沼城の碑。

鹿沼城二の丸の城塁?。

三の丸武道館横を進む、左側へ進み、その後再び戻り右側へ回り込みます・・。

鹿沼城南側。

元に戻り、直進、二の丸の空堀・・・・この辺りは遺構が残っている。

二の丸を囲むように空堀が・・・・。

なおも、進みます・・・・西側です。

進むと左側の土塁は無く民家が、先は行き止まり。

行き止まりから下を見た所・・・結構な高さがありますね、下は民家の庭。

再び戻り二の丸へ上がります、右側は当時の土塁?・・・。

左側は造成した土塁か?・・・、グランドが本丸跡。

太夫殿の曲輪方向の土塁?・・・直進します。

左側は先程の空堀の上です、正面ヤヤ高台が太夫殿曲輪。

左側を除きます、先程の空堀が見えますね。

太夫殿曲輪入口・・・・実際の入り口は解りませんが、左側こんもりは土塁。

土塁上から曲輪内をみる・・・宝篋印塔が見えますね・・。

曲輪を囲む土塁が続きます。

北側の端に出ました、向こう側が坂田山方面、左側は電車道方面です。

曲輪中央には大きな忠魂碑がありますが、右脇には山県有朋書の日露戦争の忠魂碑があります。

先程見た宝篋印塔・・・明治時代に一向寺から移された物とか・・・なぜか。

太夫殿曲輪・・・・。

北側 本丸脇の犬走?・・・・下は三の丸(駐車場)。

東側 二の丸・本丸の虎口?・・・・最初の縄張り図では虎口が?・・・。

二の丸とテニスコート(三の丸)の境目の城塁・・・・造成後なのでどうなんでしょうかネ?、本丸ももっと高く狭いのではわかりませんが。

 

 

 

 

 


栃木の二条城に行って来ました。

2024-02-02 07:43:33 | 城郭栃木1
2024年1月3お日(火)栃木の二条城に行って来ました・・・開山不動尊からいよいよ二条城本丸へ。

開山不動尊の脇から黒線のように回りました、本丸左側(南)・上側(西)はヤブではいれません、入口の上側の曲輪もヤブで、ひかく的歩きやすい所を・・・、曲輪の名前が無いので説明しずらいですが。

開山不動尊横の二条城の標識のある場所から登りました、道は荒れています。

虎口らしき入り口から上がりましたが、すぐに正面の切岸が立ち塞がります。

切岸を避けて右側へ回り込みます・・・・踏みあと以外はヤブ。

東側の脇下・・・・開山不動尊への道下側。

漸く東側の曲輪の端へ回り込みました・・・・此処の郭は下草が刈られていました、縄張り図で見られるよう結構な広さですね、多分この先向こう側(西)からが長徳寺がわからの登り口がありますね。

奥の高台が本丸、左の土塁が回り込むように立ち塞がっていますね・・・・私はその間に・・・。

右手側が本丸の城塁、まず正面の曲輪へ入り向こう側まで見てきますね、再び戻り右横から本丸へ入ります。

本丸南側の曲輪に上がって進みますね。

右手の本丸が切れた所で一段下がった曲輪が・・。

振り返りますね、左側が本丸・・・・左側も土塁が・・・。

本丸西側の城塁・・・・下草が刈られていないので、中が見えず、右手が今来た所。

西側の土塁下・・・・結構な高に囲まれています、本丸を中心として、その外側も・・・、小さな山を削り落とした感じですね。

正面奥が先程のヤブの曲輪(本丸西側の曲輪)、横が本丸、本丸手前が通り抜けてきた曲輪、此処が右手に広がる南側の曲輪(ヤブ)・・・開山不動尊の虎口に立ち塞がった切岸の上の曲輪。

?。

戻って本丸へ・・・・・本丸の虎口は此れだけ?、横矢ですね。

本丸東南隅から所。

振り返り見た本丸・・・・本丸の土塁がほとんど残っていますね。

石積による土塁。

石積。

本丸をぐるりと・・。

本丸下側・・。

綺麗に積み上がっていますね。

土塁上を歩く。

西側の曲輪・・・・ヤブ。

西側の土塁を。

北側・・・・土塁が切れていました。

北側から見た本丸、左側奥木の脇辺りから登って来ましたね。

本丸北側。

本丸北側を少し降りました、外側から見た本丸の感じ、此れで二条城は終わりですが、この北側に西方城(此れは四方の尾根筋に広がる見事な城)、栃木には皆川城が在りますね・・・皆川城の皆川広照もアチラコチラに所属し戦国を生き抜いた大名ですが、此処の主、藤田能登野守信吉ももとは秩父・長瀞の小さな豪族でしたが、北条氏邦・武田勝頼・滝川一益・上杉景勝(1・5万石)・徳川家康(1・5万石)・秀忠と所属した実力のある戦国大名だったのでしょうね。


栃木の二条城に行って来ました(開山不動尊)。

2024-02-01 15:46:41 | 城郭栃木1
2024年1月30日(火)に栃木県の二条城に行って来ました、以前行った西方城のすぐわき、共に東北自動車道の西側。

東武金崎駅から宇都宮側へ線路を渡り真っ直ぐ進みますね、途中日光連山の山々が・・・。

道なりに進みます、正面の山の右端が西方城、今回の二条城は正面ヤヤ右辺り。

木々が多くわかりませんが、二条城。

この先方面は西方城・・・・今回は開山不動尊へ向かいます。

東北自動車道脇を・・・獣用対策ゲートで道が塞がっていますが、通り抜けますね・・・以前此処から引き返したのですが進みますね。

道路トンネルを潜り抜けます、荒れた地が出てきますが、道なりに進みます(ケモノ捕獲の檻があります)。

少し進むと開山不動尊の由来の碑、直進(後程)すれば不動尊への階段、右手がわ山道を進めば不動尊及び二条城へ。

右側の山道へ入りますね。

山道を上がりますね。

此処もすでに二条城の多分一部かな。

左方面は多分城塁・・・その先は東北自動車道で一部無くなっているみたいですね。

開山不動尊脇に上がってきました、先程の直進ルートへ戻りますね、又此処に出てきます。

先程の直進ルート・・・不動尊への階段。

急な階段を上ります、正面が不動尊。

階段を上り切りました。

開山不動尊・・・・不動明王のお守り剣が沢山張られています。

不動尊の境内を右側へ・・・・お墓でしょうかネ。

小さな社が・・。

先程のルートと合流地点です、社脇が二条城への道となります。

二条城虎口・・・・道が荒れています、本当にここで良いのか迷いますが、此処です。


鹿沼城に行って来ました。

2023-10-11 07:05:34 | 城郭栃木1

2023年10月8日(日)に鹿沼秋まつりに行って来ました、事前準備無に急遽思い付き鹿沼城を訪れました。

説明版に従えば、折角の遺構が残って残っていたのですが、近年壊したとの事ですね・・・・残念なことですね。

東側の駐車場脇から見た本丸の城塁・・・本丸は野球場に。

城塁脇から城内へ潜り込みますね、左側は病院と化していますネ。

病院の裏手の土塁上・・・・遺構かどうかお墓ですね・・・。

三の丸?、テニスコートです。

テニスコートの上側を抜けてきました、向こう側から来ました。

上に上がりました、本丸の野球場・・・お祭りなので駐車場として開放?・・・調べてこなかったので、正面北側から西側にかけて堀・土塁が残っているみたいなのです・・・残念ですが行きそこないました。

此処は野球場入口下、テニスコート上・・・鹿沼城の碑がありました。

少し土塁の雰囲気が感じられますが??。

野球場の脇本丸・二の丸・土塁かハッキリわかりませんが?。

これは城脇の土塁らしき・・・。

土塁らしき上から覗き込めば・・・武術館・弓場が・・・多分三の丸周辺ですね、この右側上方面に遺構が残っているのでしょうね(残念ですが行きませんでした)。

土塁下がヤハリ三の丸なのでしょう・・・テニスコート側へ回り込みますからネ、此処は城塁なのでしょうね?。

三の丸下側?。

三の丸の城塁。

右側は市役所宿舎・・・上が野球所。

市役所かな・・・・上の野球場は本丸で周辺には土塁?脇には腰曲輪?らしきものが見られますが、ハッキリしませんね。