三郎兼続の日記

趣味の写真で山登り・旅行を主体にした日記
最近は山登りが少なく、城郭・巨木へ

2020年に訪問した城郭。

2020-12-31 13:49:03 | 訪問城郭年間総集

コロナ禍の2020年・・・でも!、幾つかの城郭に行って来ました、最初の2-3カ月は通常の生活でしたからネ、後半はGOTOトラベルを利用したり・・・・。

これから訪問した城郭の幾つかを記載・・・名古屋・三重近辺に行けなかったので天守が余りありませんが。

まず、最近行った沖縄の琉球王国のグスク3城です。

沖縄県世界遺産琉球王国のグスクの5城の一つ、座喜味城・・・沖縄県読谷村・・・1420年頃護佐丸按司築城の曲線的な石垣の城です。

本丸石垣上から見た二の丸です、アーチの石門です、城壁の上からの攻撃が可能な仕組みですね。

移動した本丸城壁の上から見た本丸です、正面左側が城壁への石段、正面がアーチの石門。

次が勝連城です、4の丸(中間の内)から見上げた所、14世紀勝連按司の阿麻和利が築城海辺の100mの丘にある北城、後ろ側の丘が南条(行かないので遺構は?)。

四の丸からの石段と三の丸の石垣、連格式に三の丸・二の丸・本丸と段々に構成。

勝連城本丸です、海は太平洋です、この右下に二の丸・三の丸。四の丸(中間の内)・南城(向かい側の丘)の優れたお城ですね、力を付け琉球王に反乱し敗れ滅亡。

おなじみの首里城守礼の門です、14世紀尚巴志が築いた琉球王国の王城入口。

大手門である歓迎門。

正殿入口横の日影台から見た左側が歓迎門、右側は久慶門、やはり王城です、石垣の量が違いますね。

うって変わりますが、世田谷城・・・東京世田谷に残る城郭です、1月にいったのです、豪徳寺の一部にもかかる?広さですが、松陰神社も近く、経堂台地から南に突き出した舌状台地で下に烏山川が天然の堀となる中世城郭の立地条件をみたした城。

今は小さな公園ですが、この後の豪徳寺辺りも城の一部だったのでしょうね、右側は切れ落ちていますからネ、高台とわかります。

空堀の雰囲気は解りますが、土が流れ落ちない様舗装されていました、都会ならでのお城跡ですが今に残っています、サギソウ伝説の吉良氏のお城。

以前より行きたかったお城です、逆井城・・・茨城県坂市逆井の平城です川と湿地帯を利用したお城です、後北条が改築し拡大北条氏繁が治めた、交通の便が悪くいきずらかったですね。

奥にある逆井古城本丸逆井氏時代のお城・・・空堀、右手側は三の丸。

復元された逆井城です、安土・桃山以前のお城の形態ですね。

桐生城(柄杓山城) 群馬県桐生市山城桐生国綱築城、山頂本丸・二の丸・三の丸の連格式、元亀4年(1573年)に太田金山城由良繁が桐生親綱を攻撃し奪う。

桐生城三の丸から二の丸虎口を見る、堀切と虎口状態が解りやすく両サイドは竪堀、左側二の丸を回り込むと北の丸がありますね。

桐生城本丸、春は桜の名所でしょうかネ・・・まだ1月でしたからコロナも無く人も一人だけでした。

上山城 山形県上山市、天文4年(1535年)武衞義忠築城、その後城主は激しく入れ替わる。

上山城・・・右側の横手より。

上山城正面、ここはかみの山温泉です、以前も来たのですが修理中でした。

米沢城 山形県米沢市平城、城主は伊達晴宗・蒲生郷安・上杉景勝とかわる、関ケ原の戦いで西軍が敗れ会津120万石から米沢30万石に減封された上杉の城。

米沢城(米沢神社)本丸の虎口・・・・毘沙門天の旗印が見えますね。

米沢城本丸・・・現在米沢神社。

舘山城 山形県米沢市にある330mの舌状丘陵で南と北から川が合流する地点の山城中世城郭です、伊達晴宗の城。

一と二の郭にある土塁と虎口。

同じ一と二の間の土塁、破城で崩された模様・・・・奥の土塁・堀切等の遺構は良く残っていますね。

皆川城 栃木県栃木市、永享元年(1429年)皆川秀宗が築城、天正18年(1590年)皆川広照は小田原城に籠城降伏し家康の取り成しで領土安堵。

全山を曲輪・竪堀で防御。

山頂本丸。

志波城 岩手県盛岡市、古代城柵延暦22年(803年)坂上田村麻呂が築城。

志波城外部南門・・・城内より。

同じく築地塀と上の櫓。

五稜郭 北海道函館市、稜保式の城郭、慶応2年(1866年)函館戦争の舞台。

榎本武揚ら旧幕府軍が立てこもりましたね、郷土の先輩土方歳三は開城前に潔く突撃しましたタワーに像が二つもありました。

五稜郭内函館奉行所・・・・鉄砲・大砲時の堡塁としては狭く感じますね、他に幾つかのお城を廻ることが出来ました早くコロナ終息してほしいですね。















静岡県下田城に行って来ました。

2020-12-28 09:35:53 | 城郭静岡

2020年12月24日(木)下田公園(下田城)に行って来ました。

Dsc06180

下田の町に天守が在る?、寝姿山の中腹に・・・今はそれこそ廃城ですが、下田模擬城がロープウェイの下に見えますか?。

ではアップします、立派なお城ですが屋根瓦が・・・城好きのお金持ちが拵えたのでしょうが現在は使われていないみたいですね近ずきませんでしたがネ。

下田公園・・・下田城です、豊臣秀吉の小田原征伐に対抗するため天正16年(1588)北条氏直の命で清水康英が城将として築城したのです。

下田の半島のような天然の要塞鵜島に築いたのです、陸の防衛拠点箱根の山中城・海の防衛拠点下田城です。

坂道を上れば大きな広場が・・・此処が実質の本曲輪でしょうか?、この上に伝天守台がありますが・・・遺構は天守台周辺ですが、この地に約600名の兵士が籠城、天正18年(1590年)3月清水湊に集結した豊臣水軍長曾我部元親・脇坂安治・九鬼嘉隆・加藤嘉明ら約1万名が取り囲んだそうです、50日の籠城後開城。

広場後が天守ですね、回り込みます。

下田の港ですペルーが来た所です、左が下田富士・右が寝姿山。

馬場先物見台からです、海上保安庁の下田基地です、島は犬走島です。

さらに進むと高台が伝天守台です、鵜島城の碑があります。

伝天守台です、細長いが狭いですね。

天守台裏側です、堀切です、右側下は空堀です、向こう側が外海なのでの防御を敷いたのです。

脇から見た本丸の堀切、向こう側に空堀。

堀切の向こうに空堀の遺構が約700m尾根の前に。

空堀が続きます・・・・現在は崩れて埋まっていますが当時は深いのです。

振り返りました、堀切、左が天守、手前が空堀・・・・今は空堀に道があるが当時は無いと思いますね。

途中の物見台から・・・・犬走島が眼下でした、当時は沢山の舟が取り囲んだのでしょうか?。

振り返ると此処にも堀切が向こう側は空堀でした・・・・こちら側が城内ですね。

お茶が崎の物見台です、外海がわです。

お茶が崎の物見台から眺めた景色です、下田海中公園です、右側の上あたりが宿泊したホテルです大浦湾ですねこの辺りは船の隠した所でしょうか・・・・船戦は瀬戸内海の海賊がやはり強かったでしょうからネ。

雁島辺りから見た下田城です・・・・・下田城は2度目です如何ですか。

静岡県河津城に行って来ました。

2020-12-28 06:43:25 | 城郭静岡
2020年12月23日(水)に静岡県伊豆半島の河津城に行って来ました、鎌倉公方足利持氏の七男蔭山勘解由築城とか、中世の山城です、麓に屋敷があり裏山の山頂を詰めの城としています。

河津駅の脇の城山です、駅から見えるトンネルの左上の山、右側の海側は片瀬山(多分見晴らし台)駅裏マンションの前に案内板があります。

案内板の路奥から山道へ。

この辺まではどなたさんかの屋敷跡なのでしょうね、削平されています・・・、石積もありますが。

山道に玉石が敷かれていますが・・・・・銅なのでしょうかネ?。

この辺りは麓の屋敷跡と言えばいえるかも?、見方によれば削平されていますが年代が?、何せ延徳3年(1491年)以前ですからネ。

雰囲気は非常に良いのです?。

お地蔵様は新しいのですがね、左側・右側とも人為的に削平はされていましたネ。

見てください、山道に玉石と横に石積が見られます・・・・・???。

漸く鞍部に出ました、左側城山(大日山180m)直進は片瀬山方面です、此処から左には玉石はありませんね。

少し山道を進むと木々が切れって、いよいよ河津城の虎口でしょうかネ?、でも又しばらくは竹藪等が続きます、四阿から景色が良く見えますね。

今の四阿を抜けて先に・・・しばらく竹藪が続き急坂を上れば・・・、この竹藪あたりも曲輪なのでしょうか?。

出てきました河津城本丸の虎口です、冠木門・柵が嬉しいですね雰囲気が出ますね、大きな木はオオシマサクラです。

振り返ります急坂が解りますね、山頂の独立した郭が解りますね。

虎口から城内へ・・・上段が一の郭でしょうね、此処は二の郭ですね、やはり結構狭い郭で詰めの城なのですね、説明版あり。

二の郭から見た一の郭です石積が見られます、この城は伊勢新九郎(後の北条早雲)が伊豆攻略で蔭山軍を火攻めで攻めたとの伝が伝えられているみたいですね、その後は北条に降伏。

一の郭脇から見た二の郭です、火攻めの折に水が無く米が・・説明?、焼けた米の云々は眉唾では?、水が無いので水の音を利かした話がありますが・・・・。

一の郭の上から見た二の郭、左側の冠木門から城内へ、この一の郭・二の郭の周りは切り立っていますね。

二の郭から見た河津の町方面です、河津桜はこの下の川沿いで見られますね。

同じく河津の海側を。

二の郭から見た一の郭。

虎口の冠木門です、この郭の下あたりの郭(竹藪)は見ることが出来ませんでしたが、中世城郭の山城の遺跡が充分残っていましたね、うれしかったですよ、今日はまた下田へ帰り明日は下田城(二度目ですが)です・・・下田城模擬天守も見ました。







伊豆半島に行って来ました(竜宮窟・犬走島)。

2020-12-27 08:16:19 | 旅行記

2020年12月23日(水)は田牛の竜宮窟へその後河津城を散策しましたが、24日の下田城周辺を併せて。

下田駅からバスで田牛の竜宮窟へおよそ30分位です、下田より南側の海岸です、左側の岩場が竜宮窟です。

国道沿いから下る・・・・洞窟へ入るのです、この岩場の上から覗くこともできます、岩場が海水で浸食されてできたのです、天窓洞と同様です。

洞窟の階段を下れば海岸です。

洞窟へ海水が・・・水が岩場の弱い所に入り込んだのですね・・・・やはり天井が落ちています。

全体を見ればぽっかりと穴があいた状態ですね。

海岸沿い?の角度を変えて。

全体でしょうか、美しい水野色、洞窟の穴の向こうに島が見えましたよ。

折角ですからもう一枚。

これは岩場の上から竜宮窟を覗いた所です、此処は大き天井が落ちていますね。

岩場の角度を変えた方からさらにもう一枚、左側の方から洞窟をくぐり出てきたのです。

この後脇の砂のスキー場でソリで滑ったのですが殆ど滑りませんでした・・・・砂が滑って登れないので・・・・。

これは翌日24日(木)ですが帰る前に下田城を散策後、公園周辺の海辺を見ました、雁島です吊り橋で渡れます、観光船黒船です。

雁島から見た犬走島です・・・・この島に行きます。

防波堤があり島に渡れますね。

波が強いときは無理そうですが、今日は風はありますが大丈夫そうです。

この島も岩場に穴が・・・・。

その横にも穴が開いていました。

トンネルを潜り抜け反対側からみました、左側手前辺りが洞窟ですね・・・・左は雁島ですね。

此れで下田公園の下側を回りました、ペルー来航の黒船での開港地です・・・・別途城郭を記載しますね。

伊豆半島に行って来ました(堂ヶ島天窓洞遊覧船)。

2020-12-26 07:46:07 | 旅行記

2020年12月21日(月)-24日(木)にかけて伊豆下田に行って来ました、まずは海辺めぐり・・・伊豆半島南岸だもの当たり前か?。

特急列車踊り子号です、河津駅で1時間近く信号機故障?で止まりました・・・踊り子号は来年廃車だとか撮り鉄の皆さんが多いみたいですよ、私はあまり興味がありませんがそれでも・・・・23日に後ろの(左側の山)河津城に行きました…別途記載しますが。

伊豆の大浦湾?でしょうか、左側は赤根島でしょうか?下田海中水続館がある方でしょう・・・ホテルからの景色です3泊しました、左側奥が下田公園で下田城です・・・24日に城跡巡りをしました・・・・別途記載しますね。

12月22日(火)西伊豆の堂ヶ島に行きました、バスで1時間ぐらいでしょうかネ、半島を横断、堂ヶ島での遊覧船にのりました。

遊覧船乗り場(桟橋)からの海の景色・・・昨日まで波が荒く船が欠航でした、以前も来たのですがその時は駄目でしたね・・・良かったです此れから海に出ます、ちなみに丸いのが亀嶋・左横が蛇島です。

蛇島です・・・波の浸食で蛇のがらみたいなのでこの名が・・・。

すこし沖?へ出ると凄い波です・・・・岩の近場へ寄るからかも?。

振り返ります、堂ヶ島の遊覧船乗り場は右側奥です、左側の岩場が有名な青の洞窟がある所・・・・洞窟が見えますね、後程。

この島たちはマグマの通り道・・・火山の根だそうです、左から高島・沖ノ瀬島・中ノ島・像島かな?。

アップで右側が象島です・・・見えますか。

洞窟が見えますね、天窓洞ですネ。

その前に細い岩場の隙間を通り抜けますね。

此処へ入ります。

入りました、奥が明るい・・・・天井が開いていました。

天窓がある洞窟なのです・・・天窓洞。

青の洞窟ですね。

無地に洞窟から・・・船を降りたらこの岩場へ行きます。

岩場に上り上から洞窟をのぞき見しました。

船が通りました中で向きを変えて出ていきました。

この岩場の展望台から沖ノ瀬島方面火山の根を見ました、右側方面には三四郎島へ渡れるトンボロと呼ばれる現象ガ起きる場所がありますね。

天窓洞を出てくる遊覧船を岩場から・・・・・この後太田子海岸へメガネチョを見に行きましたが失敗でしたね(良く見えなかったです)。

沖縄に行って来ました(琉球王国のグスク(首里城))。

2020-12-13 12:22:36 | 城郭沖縄

2020年12月06日(日)沖縄最終日に世界遺産琉球王国のグスク中心の首里城に行って来ました、2019年(令和1年)10月31日に正殿は火災で焼失しました・・・・石垣までは無くならないので見て回りました・・・以前は正殿内に入りました。

琉球王国の中心首里城・・・尚巴志が琉球統一した1429年(宣徳4年)頃にはすでに築城、その後450年王国の中心です、室町幕府の中頃ですね20年後に応仁の乱(1467年)。

首里城の平面図・・・右下から入城 守礼の門から・・・・残念ですが、外側の石垣方面は見てまわる時間は無く、今回もほんの一部ですね、下の方の石垣に沿って奥の方までは行きましたが東のアザナ(城壁)には上がれませんでした。

二千円札でおなじみの守礼の門(邦)です・・・奥が大手門?の歓会門です、左側に世界遺産の園比屋武御嶽(そのひゃんうたき)の石門があります。

首里城の歓会門です、左側下の石垣を見て回れませんでしたが、この奥の方面は先まで行きました。

此れが、園比屋武御嶽石門です・・・世界遺産です、国王が外出する時の安全を祈願、1519年創建その後復元。

瑞泉門の入り口階段より・・・・久慶門です。

同じ場所から振り返り歓会門です・・・・この日は大雨で風も強く傘は壊れてしまいました、レンズは雨が付くので大変。

瑞泉門を入り(瑞泉門の写真が無い?)、漏刻門・・・此処は枡形でしたね(四方が城壁で囲まれていましたね)。

漏刻門(写真)を入り此処は日影台です、左側に廣福門。

日影台からの景観です、左側が歓会門、右側は久慶門で・・・・後からこの下の道を奥に進んでみますね。

廣福門です、此処を入れば正殿の下の庭に入ります、のの広場が日影台。

下の庭にある首里森御嶽です・・・・御嶽(うたき)・・・神が宿る場所神社なのですか?(沖縄には神社がありませんね?)。

奉神門・・・正殿への入り口です、はいるとお庭があり、正殿があり、裏庭があり、奥に建物と続きますね(現在は火災で焼失)。

奉神門脇から正殿側を覗きました、復元に向けて整理中です。

振り返りました、帰り道方面の京の内方面です。

下の庭から戻り瑞泉門まで出て、日影台下の石垣に沿って進みました、右掖門(うえき)です・・・正殿の脇の方です。

なおも進みますね、淑順門と正殿を守る高い石垣が続きますね。

淑順門と湾曲した石垣、見事な光景ですね、右側が正殿の裏側辺りでしょうかネ?。

戻ります、右掖門を抜けての石垣に沿って・・・正面は歓会門ですね・・・・高い石垣ですね、この右側にもう一つ石垣がありますからネ。

京の内から戻りました、木挽門です(帰りの出口に使用)。

木挽門脇の方にあう西のアザナ・・・見張り用の高石垣ですね・・・・登らずでした、雨と時間が無くて忙しく、大変でした此れで沖縄の城郭は終わりです、今帰仁城・中城城は残念ですがもう無理かも?。

出口に首里城堰の碑がありました。









沖縄に行って来ました(琉球王国のグスク(勝連城))。

2020-12-12 07:24:39 | 城郭沖縄


2020年12月03日(木)に世界遺産琉球王国のグスクの一つ勝連城に行って来ました、この城は初めてですね、続100名城でもあります、今回は後琉球王国の首里城です。

沖縄の琉球王国ののグスクの世界遺産です、今帰仁城・中城城には行けませんでしたね、勝連城は太平洋側で100mの小高い丘を利用したお城です、勝連城城主は琉球王国に抵抗した有力な地方の豪族(按司)阿麻和利の城です、中城の護佐丸を滅ぼし、首里城に迫ったのですが敗れたとか。

太平洋に突き出す半島の付け根に位置するお城です。

勝連城の縄張り図です、右側の最後部から一の郭・二の郭・三の郭・四の郭と階段状に構成されていますね、石垣は湾曲していますね。

センター前に城郭の模型図がありました。

下から見上げた勝連城全体です、手前全体が五の郭?。

四の郭の石垣?。

登り石垣風の石垣が、多分四の郭の城壁でしょうかネ?。

四の郭の下から見上げた勝連城の石垣・・・・三の郭です、本格的な石垣による守りは三の郭からですネ、

少し左側方向に回り込みました、こちら側にも崩れた石垣が美しい石垣の城ですね15世紀の城ですからネ、中国の影響が強いですね。

石垣をアップで美しい石垣ですね、座喜味城・勝連城の散策時には雨が無くラッキーでした、此処で雨風では写真も撮れず泣きですからネ、首里城では雨でしたがね。

もう一枚、此れから本丸方向へ。

三の丸大手門方向への登り口です。

三の郭への登り口途中・・・急な斜面を回り込むように。

階段を振り返ります、如何ですか。

三の郭の門です。

三の郭です、階段の上が二の郭です、奥の石垣奥が一の郭です、連格式ですね。

上が二の郭で右側が三の郭・・・・・二の郭左奥から一の郭への登り口(虎口)になります。

二の郭跡です、立派な建物が在ったみたいですね。

二の郭から一の郭への虎口。

階段途中から振り返ります、東の曲輪方面でしょうか?。

二の郭から一の郭への石段の踊り場から振り返りました防御性が高いですね。

一の郭への最後の石段です、石垣の上からの横矢がかりですよ。

振り返ります。

一の郭の城門です、海は太平洋ですね。

一の郭です。

一の郭です。

一の郭から見た二の郭と三の郭です四の郭は見えませんね、向こう側の丘が気になりますね?、しかし、美し山城ですね。


沖縄に行って来ました(琉球王国のグスク(座喜味城))。

2020-12-10 06:28:03 | 城郭沖縄


2020年12月03日(木)に沖縄の世界遺産関連の琉球王国のグスク(城郭)を見て回りました、まず、座喜味城です15世紀の城郭とか。

沖縄本島のやや真ん中下東シナ海に位置しますね、太平洋側の勝連城に対応する抑えです。

左側が東シナ海です、座喜味城は15世紀に読谷山按司(地方の豪族)の護佐丸が築城。

座喜味城周辺です、右側が北側です東側(下側)は渓谷ですね。

座喜味城の縄張り図です二の郭・一の郭は曲線の石垣の城です・・・本丸の虎口は一つです・・・・この城は2度目の訪問です続100名城ですね。

座喜味城大手門側です、標高120mの丘陵地帯に立つ城ですね。

階段を上がり(三の郭?)正面に二の郭の石垣が見えてきますね。

座喜味城二の郭のアーチ石門と取り巻く石垣。

二の郭のアーチ石門・・・クサビ石の建造で有名ですね。

二の郭内から見た一の郭のアーチ石門です、一の郭への虎口は此れだけですね。

二の郭です。

二の郭を少しずらしました、二の郭のアーチ石裏側です、正面の石垣に囲まれた所は右側へ曲がると城外へ抜けますね。

一の郭のアーチ石門です。

一の郭です、奥の右側から城壁へ上がる石段がありますね、防御石垣の上から。

礎石建物跡です。

城壁の上に上がりました、湾曲した石垣、石垣右側が、二の郭側。

同じ城壁上から二の郭を見る、左側は二の郭を巡る城壁です。

少し先から二の郭を覗き見る、二の郭まで侵入した場合一の郭から囲みながら上からの攻撃を行うのですね。

東側方面です、右下がわは渓谷ですね。

振り返ります、石垣は湾曲させていますね、登る敵を左右から挟む構造でしょう。

城壁上から一の郭内を見ます。

二の郭内を回り込みます、下側の石垣は大分低い構造です。

振り返り見た二の郭です、このお城は、日本軍高射砲台地で使用、後にアメリカ軍のレーダー基地としても使用されました。





沖縄に行って来ました。

2020-12-08 12:38:23 | 旅行記
2020年12月02日(月)-06日(日)まで沖縄本島を散策しました、沖縄は3度目でしょうかネ、GOTOトラベルを利用しました、世界遺産のグスク(城郭)を特に見たかったのですが・・・・まずは観光地を並べますね、今回は毎日雨で沖縄の奇麗な海も見えずですね。

琉球村の観光です、以前に来ましたね・・・・この前に城郭の座喜味城に行きました(別に紹介)此処で阿大雨でゆっくり見ることが出来ませんでした。

琉球の古民家(それなりの家)です、家の前に壁があり魔除けだそうですね、男は右側から、女は左側から入るそうです、家の左側に台所がある構造とか。

宮城島の海です、この時は雨がやんでいたかな、風は強いですね。

折角の沖縄なので海も少しは伊計島でしょうか?浜比嘉島?の神様を祀る側の海です。


辺戸岬です、雨風で景色を見るどころか。

岬から少し南下したところにある大石林山へ行きました、岬から振り返ると見れる四連の山・・・岬ではそれどころではありませんでしたが、此処では木々の間で風も無く散策出来ましたが。

大石林山の奇岩コースをまず歩きました、中国の石林ほどの規模はありませんが色々な岩が・・・。

散策路がしっかりとして名前の付いた岩が見られました、コースが幾つかあるので急いだので雨具の為汗びしょになりましたが。

いろいろ名前が付けられていますが読まずに通り抜けました、当然山頂まで行きましたよ、沖縄は殆ど石灰岩ですから、鍾乳洞もありますね。

沖縄本島巡りですが10島程渡りましたね、本島からの橋が架けられていますから、多分古宇利島に架かる古宇利橋、天気が良ければ奇麗な景色が眺望できたのですがね。

これが古宇利橋かな?。

これは瀬長島に架かる橋でしょう。

沖縄美ら海水続館を見ます。

巨大なジンベイサメが泳いでいましたね、さめは上の方を迂回しているのでなかなか写真を撮れず。

長いこと待ち続けて漸く写真に納まりましたね。

05日(土)知念岬に来ました、まず世界遺産の斎場御嶽(セファーウタキ)を見学します、沖縄は神社仏閣がほとんどありませんが自然の神々を祀る聖地を琉球王国は信仰していたのです。

此処が三庫理(サングーイ)の拝所です・・・説明は?。

ぶらタモリで何時でしたかやっていましたね・・・・三庫理の聖地です、三角の向こう側からは神の島久高島が見えるのです、現在コロナの影響で密になるので入れませんでした。

此処は奇満(ユインチ)・・・・豊穣の満ち満ちている所とか?。

ここは知念岬です、雨が上がっています・・・まるで城郭みたいな突き出しですね、斎場御嶽とは近いです、この左奥に神の島久高島があります、この海は太平洋です島の反対側は東シナ海です。

知念岬から見た左側上が斎場御嶽です。

おきなわワールドの玉泉洞(鍾乳洞)に入ります。

鍾乳洞です中は涼しくなく結構蒸れ真ていました。

美しい鍾乳石が・・・石筍でしょうか。


天井からはハリセンボンでしょうかネ?。

白く見えるのは川の水が流れているのですよ、地底の川の滝です。

鍾乳洞は世界のアチコチに有りますが規模は大きくありませんが奇麗な鍾乳洞です。

此処ではエイサーの踊りも見ました、1日目のホテルでやっていました・・・その時はカメラを持って行かなかったので。

ひめゆりの塔です、沢山の方が1945年3月23日米軍の上陸作戦かで戦場に駆り出され中なりましたね。

沖縄は沢山の鍾乳洞が点在防空壕として使用また野戦病院として使用され、介護要員(ひめゆり学徒隊)として働き戦争に巻き込まれたのですね。