三郎兼続の日記

趣味の写真で山登り・旅行を主体にした日記
最近は山登りが少なく、城郭・巨木へ

福岡城に行って来ました(博多・舞鶴城)。

2021-12-16 17:16:23 | 城郭福岡
2021年12月7日(火)に博多の福岡城に行って来ました、9日(木)にも行きました・・・7日には雨に振られ時間も少ないので帰る前にもう一度。

福岡城跡大濠公園です・・・舞鶴公園が福岡城天守の呼び名ですね、地下鉄博多駅から赤坂駅まで来て(地図の左側下側から)お堀を渡り城内へ時計回りに本丸を廻込ました、最終日はお堀端を歩き右側から城内へ天守を見て帰りました。

福岡城周辺の石垣です、7日は①の左側を直進、⑫武具櫓下、⑬多門櫓横、⑪多門櫓虎口、⑩本丸横、⑨本丸横虎口、⑧武具櫓、⑦本丸天守を廻天守台で大雨にあいました・・・急いで帰りました、9日は右側下の下ノ橋御門、潮見櫓から本丸方面へ入り散策しました。

明治道りから見た水堀と上の橋と上の橋御門跡。

上の橋御門跡です、右側が正規な道ですが、左側から平和台球場跡地を回り込み東御門跡から南側へ。

東御門跡横の石垣を南へ進みました、途中で石垣が無くなり野球場が現れました。

野球場(二の丸)の向こう側が本丸の石垣です、角が祈念櫓の石垣。

本丸南東方面の裏手ですね。

本丸南側の石垣、武具櫓側ですね。

前に見える石垣は多門櫓(第二の本丸)側です。

回り込むと多門櫓が見えました。

多門櫓を見上げます。

多門櫓を回り込みます、左側下が三の丸で・・と続きます、江戸時代から残る両端に二層の隅櫓。

脇から見ます、左側下がわが三の丸。

折角ですから、多門櫓を。

二の丸の石垣。

二の丸へ入り、本丸の虎口へ回り込みますね・・・本丸への虎口は2か所表御門とこの桐の木坂御門?。

此処が本丸裏の武具櫓へ上がる虎口。

曲がった石垣を上がると武具櫓。

武具櫓から見た天守台、左側へ回り込む。

天守台脇に天守へ繋がる石垣が。

石垣をくぐると表側への狭い虎口が・・・此処が鉄御門跡?、振り返ります。

天守への登り口です、今くぐった石垣、裏が武具櫓ですね。

階段を上り天守方面を見る・・・大雨が降ってきました。

三の丸方面を振り返りました、さっき上がって来た所下側は左方面が多門櫓方面です。

天守石垣へ入りました、天守の地下からの出入りですね。

天守から振り返りました、?方面でしょうか。

天守から博多駅・天神方面、下が二の丸方面で木々の脇が左側から先程歩いてきた場所ですね、福岡城は関ケ原の戦いで勝利に大きく貢献した、黒田長政が筑前52万石を与えられ、父の黒田官兵衛(孝高・如水)と共に1601年から約7年の歳月をかけて築城、天守閣有無は?。

天守石垣横に小・中天守台の石垣があります。

天守から見た天守への虎口、右側は本丸。

天守虎口・・・本丸から小・中天守へ。

天守下を回り込み小・中天守へ・・・・・此処で写真をやめ、大手門から帰りました。

表御門跡・・・本丸と二の丸の虎口です。

9日(木)再度来ました、堀端から下の橋へ下の橋御門と奥が潮見櫓、城内への虎口は上の橋・下の橋・追廻橋(多門櫓の南側)の三か所。

下の橋御門と潮見櫓。

松の木坂御門から表御門跡、二の丸から本丸へ。

本丸へ入りました、左側が二の丸側、奥が小・中天守。

小・中天守の石垣。

登りました、天守方面を見ます・・・中天守の登り口石垣はありませんね。

中天守の下から見た所です・・・・これで福岡城(舞鶴城)まで見ましたね、あと8・9日(一部は此処)となりました。

福岡久留米城に行って来ました。

2021-12-15 11:45:12 | 城郭福岡
2021年12月7日(火)に福岡県久留米城に行って来ました。

JR久留米駅から久留米城まで歩いて行きます、道は解りやすいですね、工場脇を北上します、築後川ぞいですね。

本丸もわかりやすく長方形で天守はありません、右下の巽櫓を天守の代わりとか、久留米城は築後一国を領した田中吉政の支城でしたが1616年の一国一城令でほぼ廃城同然とか、元和6年(1620)田中吉政の跡忠政が病没跡取りが無く改易、丹波福知山8万石有馬豊氏が21万石の大出世で久留米城に・・・天下泰平の世で天守は建てず。

JR久留米駅からの途中に三の丸の標識、この先(左側)は家老屋敷・・・外郭(四の丸)には上級武家屋敷が置かれたとか。

二の丸跡ですね、正面が本丸、左側は一段と低く(此処は河岸段丘)、二の丸は藩主の生活の場とか。

久留米城大手口、此れより反時計回りに城外を廻こみます。

大手口右脇の内堀外からの石垣です二段の石垣上が巽櫓で天守代わりに聳えていたのですね。

久留米城東側の石垣です、道路は蜜柑丸と言う腰曲輪、奥の虎口上が月見櫓。

東側の虎口です、本丸への虎口は2か所ですね、右石垣の上が月見櫓。

築後川がわへ回り込みました、左側石垣は崩壊したみたいですね、この石垣は艮(丑寅)櫓です・・・すこし崩れが!。

北西側の築後川です。

築後川の土手に沿った西側の石垣。

南側の大手口脇に戻りました、手前左側角に坤櫓、右側の角に太鼓櫓。

大手口、突き当りが冠木御門(枡形ですね).

冠木御門を入りました。

太鼓櫓跡です。

太鼓櫓から見た西側方面・・・築後川方面。

同じく太鼓櫓から見た、大手口側。

太鼓櫓から冠木御門方面を振り返りました。

イザ、本丸へ二の門、奥が篠山神社です(有馬家の神社・・明治に神社を起こした藩が結構ありますね)。

篠山神社拝殿・・・本丸御殿跡。

艮櫓跡・・・・先程見た石垣の上です。

月見櫓跡です、・・・東側ですね、昔の(田中吉政)城は東が大手門側とか・・・東側は湿地帯だったとか。

月見櫓脇の虎口・・・密柑丸の腰曲輪への虎口。

折角ですからもう一枚。

天守代わりのあった巽(辰巳・南東)櫓です、久留米の街並みがみえます。

巽櫓から見た大手口・・・二段の石垣構造ですネ。

同じ巽櫓から見た月見櫓方面。

同じ巽櫓から見た、大手口一の門、此れで久留米城散策は終わり此れから福岡城へ・・・時間が・・・。

福岡小倉城に行って来ました。

2017-05-01 18:18:50 | 城郭福岡

2017年4月26日(水)に小倉城跡・中津城跡に行って来ました、昨日の天気予報があたり朝から雨です、岡城は山中なので当初予定を入れ替えたのでまだ良かったです。


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雨なので歩く距離が半分のJR西小倉駅にしました。


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小倉城のお堀です、昔の北の丸今は八坂神社の石垣です、左側が神社入口方面ですが、右側の堀沿いに。


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堀沿いに見える着見櫓と八坂神社の社です、櫓は三層三階ですから天守なみですね。


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廻込駐車場(城内)から見た小倉城です、小倉城は関ケ原合戦の功労で細川忠興が39・9万石の大名になり1602年築城・・・・中津城からこの地に入封、後に熊本城へ移りますが。


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駐車場の道を大手門を過ぎお城近くに。


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小倉城です唐造りの天守と呼ばれます、四層五階で四と五階の間に屋根のひさしが無く五階の方が大きいのです、石垣は野面積みで荒々しいですね。


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このポイントの写真がほとんどなので堀を入れて、右側が八坂神社側です。


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北の丸の八坂神社本殿です。


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八坂神社入口の門です。


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堀外から見た小倉城です堀の正面左が北門口です。


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駐車場に戻り大手門から入城です、枡形ですね。


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大手門を入ると槻門櫓跡ですね、今はお城が直見えますが。


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天守と逆側の松丸(本丸の一部)には小倉陸軍歩兵旅団本部があり門が残っていました、西南(の役)戦争には後の乃木将軍もここから出征しました。


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着見櫓です。


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小倉城入城口です。


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天守最上段から見た小倉城庭園方面です。


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これは八坂神社側を見ました、雨は降りつづけています、此れから中津まで戻ります。