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三郎兼続の日記

趣味の写真で山登り・旅行を主体にした日記
最近は山登りが少なく、城郭・巨木へ

姫路城に行って来ました。

2024-03-08 17:17:56 | 城郭兵庫1

2024年2月29日(木)に姫路城に行って来ました。

好古園を見て、此れから姫路城の堀の周りを見ながら城内へ・・・・まず広い水堀を。

大手門桜門・姫路城大天守・小天守。

城見台公園から見た姫路城。

三の丸から見た大天守・小天守。

同じく三の丸から見た西の丸方面の隅櫓。

三の丸から近づいて見上げる姫路城連立式天守。

西の丸百閒廊下入口の櫓・手前が”カの櫓”・・・・虎口・櫓の数が多いのでイロハで呼んだりしますね。

大手門の菱の門・・・櫓門。

菱の門を入った所から見上げた、乾小天守・西小天守・大天守。

これは”いの門”ですね。

二の丸から見た姫路城連立式天守・・・・素晴らしい眺めですね。

これも西の丸の長局と姫路城天守・・・・お城ですよね。

西の丸百閒廊下出口から見た姫路城天守。

これも同じところから少し左側の櫓・門を入れた姫路城。

狭間の将軍坂”いの門”

天守への虎口が近づきましたね、水の二門。

この狭い虎口が姫路城天守への出入口なのです。

大天守の設計図。

大天守の最上階に祀られている、長壁神社。

最上階から見た景色・・・何度来てみても良いですね、2年ぶりかな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


淡路島の洲本城に行って来ました(本丸)。

2024-03-07 06:53:47 | 城郭兵庫1

2024年2月28日(水)に淡路島の洲本城に行って来ました・・・今回は本丸です、昭和3年(1928)に作られた模擬天守・・・そろそろ100年となりますね。

洲本城 縄張り図 駐車場から進んで左側下から南の丸方面から本丸を回り込みました、西の丸・東の丸・山麓方面へは行けませんでした。

山頂の全体図。

此方が高低差があり解りやすいかな、①・・・⑤・・・⑪・・・⑳・・・搦め手門の方面を見てきました。

洲本城本丸大石段。

石段を上ると筋違い虎口・・・⑫。

正面から・・・枡形虎口・・・・石垣も荒らしいですね。

城塁への登り口。

洲本城天守?、昭和3年(1928)の模擬天守・・・当時は展望台で4階まで上がれたみたいですが、現在は老朽化の為上がれません、下の石垣とも会っていませんね。

反対側の天守台(連立式・・小天守側)・・・右手に広がる海は大阪湾。

本丸上から見た本丸への上り口。

同じく二の丸?・東の丸方面。

本丸脇から見た洲本城天守。

折角なのでアップ・・・模擬天守では最古とか。

小天守側の天守台・・・・連立式天守とか。

三熊山山頂の天守台へ。

天守台へ登る途中から大天守を見る。

大天守。

洲本の街並み・・・・この下側に居館の洲本城が在るのです。

小天守側から見た大阪湾。

小天守側から・・・。

大天守側から見た小天守側。

大天守脇の曲輪?。

大天守脇から見た本丸の城塁・・・手前は搦め手側。

本丸搦め手虎口、この山の上に多数の石垣を見ることが出来ました・・・凄いものですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


淡路島の洲本城に行って来ました(本丸周辺)。

2024-03-06 07:24:09 | 城郭兵庫1

2024年2月28日(水)に兵庫県淡路島の洲本城(山城部分・・・三熊山(高熊山))に行って来ました、大永6年(1526)淡路水軍を率いた安宅氏により築城、その後豊臣秀吉の四国攻めにより、水軍の将脇坂安治が洲本城主となり本格的な修築を加え、現在の城郭となった。 脇坂安治は九州攻め・小田原攻め・朝鮮等の攻めに参加、関ケ原の戦いでは東軍へ寝返り伊予大洲53万石の大名となった人ですね、その後洲本城は池田氏・大阪の陣後は蜂須賀氏の物となりましたが、山下に居を構えて山上の城は使用されずになったそうですが遺構がそのまま残っています。

山下から見上げた洲本城・・・・模擬天守。

洲本城は山頂部が広く、今回は本丸周辺の一部と本丸部分の見学となりました、右側下側を左側へ進み中央の本丸周辺を見ます・・・右側の上方面へは行きませんでした。

縄張り図 駐車場の現在地スタート 階段を上り左側横南の丸突き当たりまで進み右上へ進み本丸方面の石垣横を・・・・。

バスの駐車場から階段を上がると石垣が・・・馬屋曲輪の石段(上の写真の下側の出っ張り部分)・・・右側方面へ。

大手門方面へ・・・右側の石垣上は東の丸(東の丸方面へは行かなかったです)。

右側はまだ東の丸方面の石垣が続きますね。

少しずれますがまだ右側の石垣が続きます、左側は馬屋曲輪が終わり崖になります。

漸く突き当り・・・正面石垣は南の丸、右側が虎口。

虎口へ近づきました、正面、南の丸・・・右側へ。

?門・・・右側は東の丸方面・・・・多分二の丸?、向こう側まで行けば八王子木戸がわへ、奥左側が本丸の高石垣下側(二の丸?)。

この虎口の左側、左正面は南の丸石垣、すぐ左の石垣は門櫓?、右側の石垣は回り込んで本丸への通路。

回り込みます、二の丸・・・東の丸方面、左側に回り込めば本丸方面へ。

回り込みました、左側が南の丸、右側が本丸の石垣。

回り込んだ右側、東の丸の石垣・・・・右側の奥の下あたりが駐車場方面。

回り込んで端から、右下脇の石垣下横を来たのです。

東の丸方面を見ますた・・・・池もあります。

手前が二の丸の石垣?、奥が本丸の高石垣・・・・右側が東の丸、左側が本丸の虎口方面へ。

左側、本丸方面へ、右側は二の丸方面。

二の丸?・・・・左側は本丸石垣。

本丸方面へ・・・・左側は南の丸方面。

本丸脇の帯曲輪上に・・・・此方が本丸大手口でしょうかネ・・・昔の階段。

先程の虎口上に出てきました・・・・右側は南の丸の石垣、左側下を来たのです。

同じ場所から少し拡大・・・・大変な防御地帯ですね。

此処が本丸の大手口の石段、途中踊り場があり右側へ・・・。

まず、本丸脇を見て回りますね・・・。

左側が南の丸、右側が本丸側。

本丸脇・・・・正面の曲輪の名前が?。

名無し曲輪の上から、本丸天守を見ました、模擬天守。

搦め手虎口側から見た洲本城天守。

天守台に比べ大分小さな模擬天守ですね、以前は上れたみたいですが、今は老朽化が進み登れないとの事、・・・・一番最初の写真は向こう側から見た写真ですね・・・この後、本丸です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


出石(いずし)城に行って来ました。

2023-05-26 07:26:38 | 城郭兵庫1

2023年5月22日(月)に兵庫県の竹田城・次に出石城に行って来ました、今日は城崎温泉宿泊、天気が悪くなってきましたが、何とか持ってくれましたね此処での雨は辛いですからネ。

城下町出石、町の南(図上)の有子山山頂には戦国期の名城有子山城が、麓には近世期の名城出石城が築かれています、谷山川と出石川を外堀とした惣構えの城下町・・・・但馬の国。

出石城 慶長9年(1604)小出吉英(よしふさ)が有子山の麓に築城。

出石城登城橋(江戸期には橋は無い)、埋め門、西隅櫓、後ろが有子山。

門内へ、石垣前が下の曲輪、右側が西の曲輪、手前の石垣上が二の丸、奥が本丸西隅櫓。

少しちかずきます、出石城本丸の西隅櫓(天主は無かったそうです)・・・・本丸の上に高石垣があり稲荷曲輪がありますね。

本丸脇方面から見た西隅櫓、一段下の石垣が二の丸、ちなみに登城橋の前が三の丸。

本丸です、西隅櫓(右側)、高石垣(左側)、この建物は感応殿(明治に建つ)仙石権兵衛秀久(江戸末期の藩主仙石氏の祖)を祀った。

お城坂(稲荷参道)・・・・お城の中を突き抜ける、最上段の稲荷神社への参道、元々は有子山城への大手道?。

参道脇には出石城稲荷曲輪の石垣・・・この右下が本丸。

参道を上り切りました、左側が有子山城への道、右側が稲荷曲輪(神社)。

有子山城へ・・・・登山道です・・・残念ながら今回はいけませんが。

稲荷曲輪にある稲荷神社。

稲荷曲輪です、出石城下町が眼下・・・・。

石垣上から城下町を望む、右側中央に見えるのが明治期に建てられた辰鼓楼で三の丸大手門跡。

同じ場所から下を見ます、出石城本丸・・・稲荷曲輪の下に本丸があるのです、珍しいですね、西隅櫓と感応殿。

参道を下ります、途中右側は山里丸の曲輪と石垣。

此処は二の丸下の下の曲輪?。

参道入口です、右側下流が先程の登城橋、この辺り一帯が出石城なのです、橋手前は三の丸です。

三の丸(対面所跡)・・・元禄15年(1702)松平忠周が建設本丸より移る、この正面が辰鼓楼。

三の丸から見た本丸方面、左側が東隅櫓、後が稲荷曲輪の石垣。

三の丸から見た、有子山城の石垣・・・羽柴秀長の命で築城の名手藤堂高虎が最初に築いた石垣?、有子山城は天正2年(1574)但馬守護山名裕豊(すけとよ)が有子山山頂(321m)に築城、天正8年(1580)羽柴秀長による改修、元和元年(1615)の一国一城令で廃城。

出石城三の丸濠横の土塁。

出石城三の丸の堀と辰鼓楼。

出石城三の丸大手門跡に建つ、辰鼓楼・・・・屋根の上の後の有子山尾根に有子山城石垣が見えますね。
この後は城崎温泉(きのさき)で外湯7湯(1湯は休み)をしましたが、途中大雨となり4湯で止めました、久しぶりに下駄をはいたので歩きずらかったですね。


竹田城に行って来ました。

2023-05-25 07:25:30 | 城郭兵庫1

2023年5月22日(月)に兵庫県の竹田城に行って来ました。

天正5年(1577)羽柴秀吉の但馬攻めで羽柴秀長が城代になり、以降織豊方の拠点城郭として機能、天正8年(1580)羽柴秀長は出石有子山城へ、天正13年(1585)赤松広秀が城主となり、石垣の城を構築(豊臣の力を示すお城)。

竹田城大手門下から石垣を仰ぐ・・・・・。

竹田城大手門・・・・北側・・・階段が奥に行くほど詰まっていますね。

大手門脇の石垣の上から今来た上り路を見る、奥の石垣が本丸側。

同じ場所から、大手門跡を見ます、左側が北千畳曲輪側、大手門を入ると桝形虎口が続きますね。

北千畳曲輪の西側から見た、二の丸・本丸の石垣と天守の石垣、以前4月ごろに来た時は木々の葉が無く良く見えたのですが・・・こちら側が昔は大手筋とか・・・水の手もこの下側にあるとか?。

大手門上側から見た所、枡形構造。

大手門上の東側端から見た、南側方面、奥に行くには正面の石垣を避けて、西側から回り込みますね。

振り返りますね、大手門・・・先程登って来た所・・・上からの攻撃で厳しいですね。

西側から二の丸・本丸・南側方面へ・・・・大手門筋からは此処を進むのです、横矢にかかりますね。

漸く二の丸へ上がりました、正面が、竹田城本丸天守台、以前来た時はその先立入禁止で上がれませんでしたね!!。

竹田城本丸・・・・天守台石垣。

天守台石垣から見渡しますね、まず、南側、右脇から平殿・南二の丸・南千畳。

もう少しアップで南二の丸と南千畳。

本丸脇から見た西側の花屋敷の曲輪。

北側の二の丸・三の丸・北千畳・・・此方から来ましたね。

北側方面西側、本丸下の通路(花屋敷・南側へ)、正面奥は北千畳・左下に水の手?。

もう一度南側の石垣を見ますね、見事な石垣ですね・・・・この時期は雲海は出ませんね・・・これだけのお城を築いたのですが、生活空間ではありませんからネ。

南千畳まで降りてきました、南二の丸虎口の石垣・天守石垣・二の丸の石垣群。

少し離れて、竹田城の本丸石垣を・・・見せる城ですね。


姫路城に行って来ました。

2023-05-24 15:30:56 | 城郭兵庫1

2023年5月21日(日)に兵庫県に行って来ました、姫路城を久しぶりに見てきましたよ、4回目かな・・・。

姫路城大手門・・・。

姫路城大手門を入ると三の丸ですが、正面に連結式天守が、手前はリの一渡櫓、後が大天守・西小天守・乾小天守・・・前回に比べると大分落ち着いた色になりましたね。

少しちかずきましたね。

菱の門・・・・この先沢山の門を通過して天守へ・・・・、城内のスタート地点ですね、よく日本一のお城とかやりますが、此れだけの石垣・建物が存在するは此処だけですからね。

菱の門を抜けた先がこれです、三国堀がこの前にあるのですが此れだけでも・・・。

これはイの門かな?・・・。

これはハの門?、石垣と塀の隙間を天守まで繰り返しますね、段々狭くなって、大勢が一度に攻め込めませんね・・。

大分天守の下に来ましたね・・・、姫路城は黒田官兵衛・羽柴秀吉・・・関ケ原の戦い後池田輝政が大改築、現存の五重七階の連立式天守。

天守が見えたり見えなくなったり、門が段々低くなる・・・。

西小天守下の水2の門?・・・・、左側へ回り込み隙間からいよいよ、天守へ・・・。

天守建物内・・・現在は上りハシゴ・・・昔のもの・・・右側、今は混雑防止で下りようハシゴ(新しく作成・・古けど)。

最上階から見た所、菱の門ですね、後側が西の丸方面ですね、百閒廊下櫓かな?。

西の丸、長局・化粧櫓・・・徳川家康の孫娘千姫は大阪夏の陣で豊臣秀頼が自刃、本多忠刻に再嫁・・・化粧櫓で10年を生活。

姫路城天守への虎口、乾小天守・西小天守・大天守、右側下が本丸(備前丸)。

多分、左側が帯郭櫓(腹切丸)・・・・正面がリの門太鼓櫓・・抜けると二の丸・・・・右側が本丸。

二の丸の右側ヌの門を抜けて三国堀へ・・・後が菱の門。

姫路城連結式天守・・・・です、素晴らしいですね、搦め手側を見たかったのですが、今は入れないとか?。


兵庫の有岡城に行って来ました。

2023-04-06 08:21:47 | 城郭兵庫1
2023年3月30日(木)に兵庫の有岡城(伊丹城)に行って来ました、JR伊丹駅の目の前にわずかな遺構が・・・、地図で行けば少し上に大阪の池田市、少し下に兵庫の尼崎市がならんだ摂津の国、戦国大名・荒木村重の生き抜いた所です。

地図の右側がJR伊丹駅線路の右側は低地・・・左側が伊丹台地の高台を利用した総構えの平城。

遺構は台地端に少し残っているみたいですが・・・?。

JR伊丹駅の目の前。

隣にある公園・・・此処がわずかに残る有岡城主郭の一部?。

この空間がお城に見えますね・・・有岡城。

すぐわき・・・堀跡なのでしょうか?。

有岡城主と言えば荒木村重ですね、昨日行った、池田城(細川氏の家臣池田氏)の池田氏の内紛に乗じて池田城を支配し、天正2年(1574)織田信長の命で、この伊丹城も落とします、伊丹城を街ぐるみの総構えに改築し有岡城と改め居城としますが、天正6年織田信長に背き天正7年(1579)落城・・・・途中荒木村重は尼崎城へ離脱・・・生き延びたのです、2年間の織田軍の攻めに耐えた名城とか?。

有岡城の主郭が在った場所?。

有岡城の井戸の跡。

有岡城の石垣、チョット寂しいのですが、駅前で良く残ったと思いますね。

堀跡跡なのか?。

猪名野神社、有岡城総構えの北の端、岸の砦跡。

地図の先端部分ですね、上臈砦(付近にも行きましたが高低段差)。

猪名野神社、右側後方面は低地・・・此処までが台地なのですね。

神社後側、低地が解りますね。

神社後側・・・横の土塁が・・。

土塁がこの神社には遺構として残っています・・・神社だからこそ。

町中を見て回りました、クスノキの巨木。
 
法巌寺の大楠、樹齢500年?・幹回り6・2mの巨木。

立派な巨木につられ屋内に入らせて頂きました。