三郎兼続の日記

趣味の写真で山登り・旅行を主体にした日記
最近は山登りが少なく、城郭・巨木へ

造海城に行って来ました(後編)。

2024-03-12 07:31:11 | 城郭千葉
2024年3月10日(日)に千葉県の富津市竹岡の造海(つくろうみ)城に行って来ました、今回は城内の主郭内です。

大手道から突き当り、右方面に進みました、左側(海側)下側に削平された堀状態が・・・・此処は土橋かな?、左右が切ってありますからね。

左側に降りて見ました、明らかに切り落としてありますね。

その下側(海側)には削平された曲輪が広がっていますね・・・雨水?が溜まっていました・・・・下る路が解らないので無理はしません(行かなかった)ね。

土橋に戻り上がりました、曲輪に出てきました。

山頂でしょうか、削平された、大きな曲輪。

海側の端から見た東京湾・・・三浦半島でしょうかネ、近くに見えますが、此処は里見氏の水軍の拠点ですからネ。

端から見た曲輪、まだ先に少し高く見える曲輪がありますね・・・。

曲輪脇から降り道が?、・・・汚れたロープが掛かっていました(よく見ないと気がたかない)。

曲輪脇に犬走?が。

曲輪の海側の城塁ですね。

道が荒れているので・・・・大丈夫そうなので注意して進みました。

振り返ります、大分崩壊していますネ。

上り道らしき?・・・崩れていますが。

先の曲輪方面への尾根道ですね。

曲輪の入り口に・・・。

曲輪内は藪のままです・・・・冬だから(山城は当然ですが)草が刈れているので良いのですよ。

曲輪中央に石の社がありました、此処が小さいですが、主郭・・・この先は竹岡港側への下り方面になりますが、此処で戻ります無理はいけませんからネ。

大手道の分岐まで引き返しました、左側(海)方面へ下ります、先程は写真左側へ上がって行きましたね。

少し横により、左側から下って来たのです、趣のある岩場に木の根が絡んでいますね・・・前の写真の場所、下側が荒れていて下るのが危なそうなので横に這います、結構な急坂。

先程はこの上側を進みました、今回は下側を進みますね。

在れていますが、階段ですね・・・。

石が奇麗に?・・・。

異様な光景ですが、多分石切り場の跡ですね?・・・・城の城壁ではありませんね・・・此処に城壁を作っても意味ありませんからネ?。

砂岩の岩を断ち切っているのが解りますか・・・。

折角ですから中に入りますね、鋸山の房州石は有名ですが、此処石は?・・・まあ、むき出しの状態だったので切り出したのでしょうかネ、下の切通のトンネルでもわかる石が取れる場所なのでしょうか。

まあ別の意味の遺産の一部なのでしょうね、城内の土の部分の木が倒れたり土が流れたりして危ない所が見えるので無理せず引き返しましたが面白いお城でした。




造海城に行って来ました(前編)。

2024-03-11 14:35:27 | 城郭千葉
2024年3月10日(日)に千葉県の富津市竹岡の造海城に行って来ました、埼玉から千葉・・・結構遠いし、電車の乗り継ぎ方が多く成れない私は大変でした、特に西船橋・・南船橋・・曽我・・君津への乗り換え等アレでしたね、無差別に線路が増えたせいで鈍行・快速等々。

JR内房線の竹岡駅に降り立ちました、本数が1時間に一本・・・お猿さんが出迎えてくれました。

竹岡駅前に富士山が・・・・。

三浦半島でしょうかネ、富士山も目の前・・・・国道127号線を千葉方面へ・・・。

10ー15分位歩きましたか、造海城(つくろうみ)ですね、標高100mの山城(海城)です・・・まだ先ですが。

竹岡トンネルです・・・歩行者専用トンネルがあるので・・・このトンネルの上の山が造海城。

トンネルを抜ければありました、灯篭坂大師の鳥居が・・・。

又、トンネルが・・・くぐってもう一つトンネルがありますね。

トンネルを出てすぐ右側にトンネルが・・・。

砂岩の岩でしょうか・・・・見事なトンネル。

抜け出て振り返りましたね。

弘法大師を祀った灯篭坂大師堂がこの横に・・。

切通トンネル脇上に・・。

灯篭坂大師堂。

大師堂脇が造海城大手門。

この切通が大手門。

切通を抜けてすぐ左折。

切通トンネルの上を通りますね。

細い尾根筋からやや広がった尾根へ。

広がった尾根。

切岸でしょうかネ・・?。

大手道が続きますね。

狭くなったり?。

漸く 道しるべが。

登坂に…わき道には行かない様。

竹岡港 この造海城は真里谷信興が里見氏に対抗するために築城寛正二年(1461)、天文6年(1537)里見氏の攻撃にあい開城、里見氏の家臣正木氏が造海城を治め後北条氏ち対抗、里見氏の主要な水軍基地だったのです、天正18年(1590)豊臣秀吉の小田原征伐後廃城、その後江戸後期海防の為台場が築かれたそうです、標高99mの城山、今見える下が当時の水軍基地だったのでしょうね。

砂岩の岩を切り開いたのでしょう。

この辺りもそうですね。

大手道を来ましたが、此処から東西の尾根筋・・・実際の造海城の城内なのでしょうね、まず右側へ行き戻って左側へ行きますね。

まず右側方面へ標識も・・。

また戻って下へ・・・・・城内へ続きますね。










































千葉緑区土気の大椎城跡に行って来ました。

2018-04-01 08:13:04 | 城郭千葉
2018年3月30日(金)に千葉緑区にある土気駅から大椎城跡に行って来ました、土気城跡もあり大分無駄な動きをして歩き回りましたね、地元の方もご存じない方が多く苦労しました。
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いい加減なうろ覚えで方角違いに進み土気城跡の一部善勝寺に出てしまいました、山門です、此処は土気城善勝寺曲輪なのです、土気城主酒井一族の墓もありました、此れから行く大椎城は酒井氏の支城で千葉氏が亥鼻城を築城し移転したのちも使用した城なのです。
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大椎城跡の全景です、西側から見た景色です、左側(北側)は断崖で湿地隊、その北側は丘陵地帯で現在はバブル期の高級住宅街です、右側に村田川があり根古屋です,橋は当然なく切り込んだ断崖?ですからね。
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城がわから見た高級住宅街です、あすみが丘側です、このあすみが丘はアップダウンの激しい所でした東のハズレの方まで歩き此処まで漸くたどり着きましたね。
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海抜80mですが山中を登ります、回り込むように道筋を歩き漸く登りになりました、途中人工的な竪堀らしき跡が在りましたが竹が乱雑で?。
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漸く堀切らしき横矢状に上り詰めましたネ。
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堀切により尾根を東西に分割してありますね、結構大きいですね、左側が三の郭で右側が二の郭です、今回は三の郭方面には行きませんでした、二の郭にも上がりませんでした。
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南面側を工事中でした、右側が二の郭です、奇麗な登り口はありませんでした。
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南側の根古屋側の居住地区です、詰めの城として城郭形成です、川・断崖に囲まれた舌状台地を堀切で分割利用した中世連郭式城郭の姿ですね。
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根古屋からの登り口で左右に腰郭、右上が二の郭、奥が一の郭で堀切で分かれています。
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一の郭と二の郭の間の堀切です、堀切の先から二の郭を少し回り込み出先がありますね、多分最初に来た途中の竪堀らしき下に出るのでしょう?。
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一の郭への虎口です、碑がありました,郭の最西端側でわずかな土塁跡が在りましたね、郭は平坦でそこそこの広さがあります。
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郭を回り込むように腰郭がありますが竹ヤブが凄く地形が読みずらかったですね。
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先程の登り口上部に出ました。
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最初はこの下の遊歩道?を進みました、この地形は登り口を狭めた虎口ですかね、逆側を削られていますから。
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此れが腰郭から降りてきた逆側の山肌です、左右とも人工的ですが当時からかは私にはわかりませんが、最近舌状台地による中世連郭式城郭を見てきましたね、鉄砲や多数の軍勢による戦でなければ兵糧・裏切り等でなければの防御の仕組みが構築されてものです・・・・当然命がかかっているのですからね。

















千葉県小見川城跡に行って来ました。

2018-03-24 19:24:02 | 城郭千葉
2018年3月23日(金)に青春18切符で千葉県香取市の小見川・佐原方面に行って来ました、以前より見たかった府馬の大クスを見に行きました、小見川駅でバスが11時01分発なので少し時間があるので小見川城跡まで歩いてみて回りました。

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朝家を出るときに見た雲があまり見た事のない雲なので撮りました。
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小見山城跡の一番南東部(小見川駅に近い)から登りました、急坂でした、登りつめた所が古墳で現在天満宮ですが、三の郭?ですね。
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堀切・・・現在は公園への車道ですが、の向こう側が二の郭側ですね、今ここは桜の公園で少し咲始めでした。
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三と二の間の堀切?の橋です。
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二の郭の広場で忠霊碑があります、左側が一の郭?がありますね。
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奥が一の郭で左が土橋で植え込みの後が空堀で土塁があります、此処の遺構はハッキリしていますね。
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土橋を渡ると一の郭です、此処は栗飯原氏の居城で千葉氏の家来筋ですかね、天正18年(1590年)の小田原攻めの際千葉氏と共に北条方に加わった為攻撃を受けて落城・・・・その後廃城になりました。
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空堀です、大分埋まっていますがハッキリしていますね
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土塁の上から空堀裏側を見ると当時の面影が見て取れますね。
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一の郭を囲む土塁が見て取れますね。
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これは二の郭側から三の郭側と駅方面を見ました、大昔から景色が良く高台なので古墳を築いたのですね。











千葉県久留里城址・館山城址に行って来ました。

2015-03-24 11:19:27 | 城郭千葉

2015年3月23日(月)に千葉県の城址を巡りに行って来ました、久留里城址・館山城址です、いずれもお城がある城址です。

お城・・・①現存天守、②復元天守、③復興天守、④模擬天守、⑤天守風建物に区別されてます(定義は省く)、今回のお城は模擬天守です。

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久留里駅から歩き一番下の旧二の丸へ上がる山道を上り(白い線は舗装道路)資料館脇へ、そこからは尾根筋から天守閣へ帰りは白い線の道を下りました。

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途中で見える久留里城の三の丸界隈の街。

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途中堀切が幾つか見られました。

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二の丸の塀を回り込みます、此処は中世の千葉の大名里見家の城と近世の江戸時代遺構が混在しています。

康正2年(1456)武田信長のお城、後に里見義堯が再構築、その後改易になり一時廃城1742年黒田直純が再建とあります。

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二の丸脇下の薬師曲輪・・・此処の曲輪は全体に狭いですネ。

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展望は好いです、切り立つ山なので木が邪魔しない、この下の郷が三の丸大手門堀とかが在ったみたいです、江戸時代です。

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現資料館のが二の丸跡・・・・正面が薬師曲輪、左側が三の丸へ下る道、後ろ側が天守閣への尾根筋、その脇が現在は白い道で脇に鶴曲輪(やに狭いですが)あります。

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狭い切り立つ尾根の先が本丸(突き当り)左上は天神曲輪、右側に回り込むと池があります。

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本丸脇に2個の池があります。

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池を過ぎると本丸入口です、資料では2層2階の土台に立ったお城だそうですが、浜松城に似た2層3階の天守閣です。

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左の盛り土が当時の天守の土台と説明版にありました、ほとんどのお城は模擬天守ですネ、でもやはりお城が在ると無いのでは違いますから・・・・特に有名なお城跡では建物が無いと見栄えがしませんからネ。

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尾根筋の道を二の丸脇から下る先に久留里曲輪があります、此処は少し他より広いです。

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青春18キップなので時間が有ったので(何せ電車が余りないのですがひとつ前に間に合ったので)館山まで行きました。

館山駅側からも見える高台にお城があります、あるいて30分ぐらいですかね、下側から孔雀園脇を回り込んで、万葉の径へ戻って山頂へ行きました。

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公園入口の下から見た館山城です、犬山城(国宝)に似た(破風が異なるか?)お城ですが美しいですネ。

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館山城址・・・今は公園ですネ。

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結構お城の遺構らしき景観がありますが、説明版が無いので思いにふけるだけですが。

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回り込むように突き当りが本丸です、左側が万葉の径側で結構昔の遺構らしき場所が見られました。

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上からの景色が右下側は梅園ですが、此処は三の丸相当ですかね?。

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戻り、左が二本庭園とかツツジ園とか(二の丸相当?)、左上が本丸です。

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本丸の脇に・・・此処では里見城跡とあります(脇の碑では館山城跡で説明がありました)。

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山頂からの景色は素晴らしいです、何せ海が目の前ですから、館山の街が眼下です、桜の花ももう少しで咲きますネ。

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本丸の天守です、犬山城を模したお城です、里見義康が天正18年(1590)の小田原の役の時完成した城は?その後1614年大久保忠隣事件に連座し改易になり廃城、戦時中は高射砲部隊が進駐し改変したので当時の様子は?判らないのでしょう・・・・。

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ツツジ園側からの館山城・・・・今見ると流石に国宝(?)好いお城ですね、今江戸城に天守再建をの運動が有りますが、建物が在るほうが好いかもネ。


千葉の臼井・本佐倉に行って来ました(臼井城址・本佐倉城址)。

2015-03-19 11:11:15 | 城郭千葉

2015年3月17日(火)に京成臼井・佐倉・本佐倉駅近辺に広がる城跡を見てきました、臼井城址・本佐倉城址です。

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印旛沼近くの臼井城址です、現在は二の丸と本丸の遺構が残されています、此処は千葉一族の臼井・原氏が納めた結構大きな城です、有名な太田道灌も攻めました弟が戦死・・・上杉謙信も攻めましたがこれは失敗した有名なお城です。

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妙見さまの星神社側から土橋を渡り二の丸広場に入りました、河津桜でしょうか満開でお花見も地元の方がされていました、此の広場の周りは空堀です・・・・千葉のお城は殆どが平山城(山城では無く岡状態の山林を切り開いた感じです)で川・沼・崖状態の空堀等が多いですね。

星神社等も外郭の城の一部だそうですが今は殆ど判りません。

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二の丸と本丸を繋ぐ土橋・・・奥が本丸で左右は空堀で本丸は一段高くなっています。

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本丸からの眺望です、奥が印旛沼です、結構な広さがあり向こう側は帯郭が段々に構成された本丸の遺構が見えました。

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本丸の虎口で先ほどの土橋になります、土塁で周りが盛り上げてあります。

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現在は駐車場の広場ですが深い空堀後です、正面が土橋、右が本丸、左が二の丸です。

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本佐倉城址の全体図です、千葉の名門千葉氏の本拠地です、上総の里見氏・小田原の北条・関東管領の上杉に対抗最後は北条にのみこまれ秀吉の小田原攻めで名門も終焉、徳川は佐倉に城を築き、此処は廃城となりましたが遺構状態は良好です。

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山を背景にした東光寺ビョウ(Ⅵ郭)です、各ブロックの郭に分かれたお城で内郭部でも広いです、奥がセッテイ山(Ⅶ郭)です・・・名前は?。

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東光寺ビョウ(Ⅵ郭)の後ろの山の中腹にあるセッテイ虎口後です、右側がセッテイ山でです、入ると山を回り込むように帯(腰)郭状態の広い道になります。

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空堀手前を上がるとセッテイ山(Ⅶ郭)の広場です、かなり広いですが木々が生い茂っています、私か行ったらウサギが逃げ出しました・・・・金明竹も多く此処は山中の雰囲気です。

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セッテイ山(Ⅶ郭)は空堀で囲まれて独立した形の郭です、此処は空堀の底で右側がセッテイ山で左側は倉跡(Ⅲ郭)です、この手前が南奥虎口で東光寺ビョウ(Ⅵ郭)側出ていけます、下の図参照。

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空からの写真を参考に、写真にはありませんが右側がセッテイ山です、これから東山虎口から城内に入ります東山は今回説明しません、細い尾根筋と帯郭で東山虎口を補助した形ですね。

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東山虎口の一段目で回り込むように第二弾があります。

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東山虎口の第二弾目です向こう側が城内(Ⅳ郭)です。

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東山馬場郭(Ⅴ郭)から見たⅣ郭です。

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Ⅳ郭を上がる途中にある堀切での道があります、左が城山(Ⅰ郭)右が奥ノ山(Ⅱ郭)で回り込むように道が作られています(横矢掛ですか)。

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回り込んで城山の門入口です、この左にも門が在ったみたいです。

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城山の全景です、結構広いですね、右側から上って来たのです。

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上からⅣ郭を見ました、この下を半分回り込んで上がってきたのです、右側の外れが東山虎口方面です、右側は東山馬場です。

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次に奥ノ山(Ⅱ郭)に来ました、奥の高い所が妙見様の社跡とか・・・・千葉氏は妙見・・北斗七星を氏神様としていたそうです。

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奥ノ山と空堀を隔てて倉跡(Ⅲ郭)の広場です、右奥がセッテイ山です。

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本佐倉城址の前景です左側が東山虎口・東光寺ビョウ・セッテイ山方面で右側に京成線が走り本佐倉駅もそう遠くではありません。


千葉の佐倉に行って来ました(佐倉城址・千葉城・千葉寺)。

2015-03-18 23:04:46 | 城郭千葉

2015年3月17日(火)に青春18キップで千葉県の佐倉・成田・本千葉と行って来ました、当日は暑く本千葉は時間が有ったので周り非常に疲れましたが良かったです。

京成の臼井・佐倉・本佐倉と連続した駅近くに城址が在るのでまとめて見学しました、まずJR佐倉で降りて・・・・・・・。

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佐倉は今も武家屋敷が現存している侍の街です、高級な武士?の家並みです土塁で生垣が在るので馬の上からも家の中が覗けないのです、ここは丘の上なので残ったのでしょうか?。

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佐倉城址の図面です、鹿島川・高崎川が写真上から左側を流れています、右側は成田街道です、江戸時代に築かれた平山城です、図の下から左上と時計回りにみて回りました。

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三の門跡を過ぎて三の丸です、左側は空堀です、今は浅いですが・・・、千葉の内陸は石が無いので石垣の城ではありませんネ。

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三の丸の外れから出丸へ行ってみました、大分急坂を下ります。

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水堀に囲まれた出丸跡(左側)・・・・土塁が今は平らですが・・・・。

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急な細道を上り三の丸と本丸の近くに上りました、これは三の丸と本丸に架かる土橋で向こう側の不明門がありました、土橋の脇は深い空堀です。

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本丸不明門脇の櫓の土塁上から見た所です、脇は空堀です。

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本丸の奥から見た広場で左側にもありかなり広いですネ。

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此れが本丸の左側で土塁で脇が盛り上がっています、正面が一の門の土橋です。

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一の門を渡り二の丸側から見た一の門の土橋と空堀です。

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二の丸の二の門傍に立つ幕末の城主堀田正睦の殿様です、老中首座で幕末の国難に対応した人です、佐倉城は戦火を浴びませんが建物は佐倉連隊の設置で全て破却したそうです堀等も一部埋められたのです、城は土井利勝が今の形を作成したとかその後利勝は古河に移封しましたネ。

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姥が池で二の丸・三の丸の下にある池で城内に取り込まれています。

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此れは成田街道よりの水堀で左側が城内です、当時のお城は武家屋敷を取り込み大分広いですね、日本百名城ですネ。

この後、臼井城址・本佐倉城址を見学しましたが先に千葉の方を照会します。

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千葉城です、これは千葉市内の猪鼻城址に立つお城で復元天守閣ではありませんがやはりお城ですネ。

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この地は城跡に間違いはありませんが、当時は天守閣は無いそうです、名前も”亥鼻”が正しいのでは?。

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千葉寺の公孫樹の巨木です、樹齢1000年幹回り8mで樹勢も良さそうです。

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乳根も見事で太さも申し分ない1本イチョウですネ、わざわざ寄った甲斐がありました、疲れが跳んだ・・・・・イエイエやはり疲れましたが此れから帰ります。