三郎兼続の日記

趣味の写真で山登り・旅行を主体にした日記
最近は山登りが少なく、城郭・巨木へ

横手城に行って来ました。

2024-06-30 07:38:13 | 城郭秋田

2024年6月27日(木)に秋田の横手城に行って来ました。

JR横手駅から歩いて横手城へ・・・・今日も暑い・・・・秋田でも暑い・・・・横手川の学校橋から見上げた横手城。

横手城です・・・・アップ。

横手川沿いを横手川が90度曲がっている・・・・右側が横手城大手門七曲り・・・・横手川沿いは紫陽花回廊、前に見えるのは観音寺鐘撞堂。

横手城大手道の七曲り・・・・比高38mで城内。

七曲りを上がると、切岸らしき土塁が立ち塞がりますね・・・・・横手城は奥羽山脈が横手盆地に舌状に張り出した先端部に築城。

切岸を回り込むように・・・。

横手城大手門・・・・城内ですね。

今、左側下のグニャグニャ七曲りを上がりました、上がった所が武者溜まりの曲輪、左上が二の丸、右側中央が本丸、弘治ー永禄年間(1550-1560)最初に拠点としたのは戦国大名の小野寺氏、現在の遺構は慶長7年(1602)佐竹氏が秋田に入って整備・・・佐竹氏は久保田城と同様天守は築かず。

大手門から見た武者溜まり・二の丸の天守(模擬天守展望台)。

武者溜まりから見た横手盆地・・・川は横手川。

武者溜まりから二の丸へ・・・・・横手城。

横手城。

二の丸から横手城を見て回りますね。

付櫓がある天守。

回り込みます。

よりアップ。

二の丸にある戊辰戦争の慰霊碑。

二の丸。

此れも二の丸にある小野寺氏への説明。

横手城天守から見た二の丸風景。

同じく横手の街並み。

武者溜まりから見た本丸側、右手木の向こう側が大手道がわ。

本丸への虎口、横矢掛かり回り込みますね。

横手城本丸・・・草が刈ってありませんね、左側の碑は横手の伝説の人・・瀬尾兼忠の碑、右奥側が秋田神社。

横手城本丸と秋田神社。

秋田神社…戊辰戦争の戦没者供養の為明治12年建立、当初の祭神は佐竹義宣・義堯(よしたか)。社殿には佐竹氏の家紋五本骨扇に月丸、神社には本丸表門の材木が使用されており銃痕あとと言われている、戊辰戦争は庄内・仙台・山形の藩兵攻撃を受け横手城は炎上21名の方々が戦死(官軍なのですね)・・・・此処でも主力戦士は転戦していたため防御の人が少なかったのですね。

本丸から見える横手城天守。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


秋田久保田城に行って来ました。

2024-02-14 10:53:53 | 城郭秋田
2024年2月10日(土)秋田の男鹿半島(脇本城の脇を通過しましたね)から秋田市内・・・久保田城の目の前に宿泊。

秋田の久保田城、宿泊はお堀前、朝の出発が10時なので、ゆっくりと見学・・・これで2度目。

久保田城縄張り図、この絵では下側中央から城内へ入りました。

大手門の堀を渡ります、中土橋。

堀を渡る、中土橋門脇に久保田城の碑、秋田藩佐竹氏21万石の居城(石垣・天守が無い土の城)、初代佐竹義宣が慶長5年(1600)関ケ原の戦いで中立、常陸水戸からこの地に54万石から21万石で減地国替え、慶長7年(1602)から築城。

三の丸を抜けて、内堀の唐金橋(現千秋公園入口)の虎口。

唐金橋から見た内堀(穴門の堀)。

穴門の堀側から見た、唐金橋、堀向こうは本丸側の土塁。

橋を上がると松下門・・・・・二の丸・本丸下の犬走手前の門。

松下門から振り返ります。

少し上ると、左側に本丸の城塁が下は本丸を囲む犬走?。

二の丸。

二の丸左奥(北側)に帯曲輪門。

二の丸から見た本丸一の門、左側の階段を登。

本丸への虎口が続く、少し先が長坂門。

長坂門から見た本丸一の門。

本丸一の門前から。

本丸一の門前から二の丸を望む。

本丸一の門脇上から松下門を見る。

本丸より一の門を振り返る。

本丸・・・一の門前から、左正面が八幡秋田神社、右手側に本丸が広がる。

本丸広場。

本丸の絵図。

本丸北側奥の土塁上に立つ隅櫓(復元・・・三階に展望追加)。

土塁上からの隅櫓。

折角ですから、もう一枚。

埋め門方面から隅櫓方面を・・・・・葉は無いが枝が邪魔して隅櫓は見えませんね。

本丸裏手?の埋め門。

御出し書院方面の帯曲輪、右下は犬走かな?。

御出し書院から見た鐘撞堂方面、下は何の曲輪かな?。

御出し書院から見た正面奥が、現八幡秋田神社・・・・右下は帯曲輪か犬走。

犬走へ降りて本丸脇を進むと、直進二の丸へ、右側が松下門上に出てきました、此れで久保田城内を見て回れました、今回はラッキーでしたね。