三郎兼続の日記

趣味の写真で山登り・旅行を主体にした日記
最近は山登りが少なく、城郭・巨木へ

大宮公園に花見に行って来ました。

2019-03-30 11:37:17 | 日記・エッセイ・コラム
2019年3月29日(金)に大宮公園に花見に行って来ました、いきがい大学の卒業生でのお花見です、寒いので中止かと思ったのですが連絡もなく開催。

その前に東大宮のケヤキの巨木を・・・大宮氷川神社の参道にもケヤキが多いのですがここまでは大きくありませんからね。

大宮氷川神社三の鳥居です、神社は武蔵一宮で2400年からの古い歴史を持つ神社です。

鳥居をくぐり境内に。

神池の辺からの楼門です。

楼門の奥に舞殿があります。

少し横側から、舞殿・拝殿・本殿となりますね、本殿の奥の林の裏が大宮公園です。

今日は寒いのですが、桜の花は8-9分咲のほぼ満開ですね、でも結構寒いのですがネ。

やはり寒いのか人手はそれ程ではありませんが。

桜の花はご覧のように満開ですかネ。

公園脇の護国神社とアカシデの老木です、優に100以上でアカシデは幹の成長が均等でない為脈状分かれるので趣のある木に育つのです、やはり寒かったので早めに切り上げましたね。



蓮田市の慶福寺に行って来ました(枝垂れ桜)。

2019-03-25 17:20:48 | 日記
2019年3月25日(月)に蓮田市にある慶福寺の江戸彼岸桜枝垂れ桜に行って来ました。

その前に我が家に咲いていた椿の花を・・・・。

慶福寺の桜には将軍桜の名前がある1本桜です。

お寺の入り口側から見た将軍桜の全景今が満開ですね。

桜に知被いて。

本堂側から。

本堂階段の上の方からアップで如何ですか。

やはり下側から江戸彼岸桜は彼岸頃に咲くのでソメイヨシノより少し早く咲くのです毎年見に来てますよ、年々歳々花・・・・・。

金沢市内に行って来ました。

2019-03-23 06:43:37 | 巨木巡礼北陸

2019年3月14日(木)に金沢市内に行って来ました、今回の金沢は天候に恵まれませんでしたね、午後から漸く落ち着きましたね。


金沢駅に出来た鼓門です、北陸新幹線に合わせて作成したとか。


シイノキの巨木です、シイノキ迎賓館前に2本の木が・・・・。


正面から見たシイノキ迎賓館のシイノキ(スダジイ)です。


金沢と言えば兼六園ですね、金沢城石川門百間堀を挟んである加賀藩の庭園ですね。


有名な琴柱燈籠と虹橋と霞ケ池です・・・琴柱・・琴の糸を立てる道具に似ているのでこの名前が。


もう一度琴柱燈籠を奥に見える雪吊松も風情がありますね。


この雪吊松も唐崎松(黒松)も有名みたいですね。


13代加賀藩主の前田斉泰が近江八景の琵琶湖の唐崎松の種子から育てとか。


いろいろな松が有りますね。


名前までは着いていないのかな?。


此れも凄い枝ぶりですが。


この松は根上松と名前が有りますね、土盛した根元の土をどかして根を立ち上げたのですね、長い年月かけての作品ですね。


松だけでなく石とかコケ・曲水も・・・。


コケも主役ですね。


イエイエ今は梅の花も丁度満開の時期ですした。


紅梅・白梅・枝垂れとか見事でしたよ。


霞ケ池と雪吊松の風情をもう一度。


武家屋敷が立ち並ぶ街並みを散策しました。


今も住んでいる街並みです、一城谷の復原街並みとは異なりますね。


大きな武家屋敷でしょうね。


以前は東茶屋に行ったので今度は西茶屋へ、やはり昼間は風情がありませんね、まあ観光ですからね、今回の金沢はここまででした。



金沢城に行って来ました。

2019-03-20 08:27:42 | 城郭石川
2019年3月13日(水)に金沢城に行って来ました。


金沢城惣構跡ですね、惣構は小田原城が有名ですね。


黒門口から見た大手堀です。


黒門口です、左側が新丸、右側は今は駐車場?。


金沢城の縄張り図です、下側の右側から上がりました。


新丸の広場から見た、二の丸の菱櫓と左側が河北門。


河北門をアップで以前来た時は新丸広場に降りないのでこの角度は初めてです。


正面からの河北門。


河北門の登り口からの石垣と菱櫓。


城内をでて外側からの石川門です、門付きの櫓・高麗門・渡櫓門の枡形構造、手前は百間堀。


百間堀側本丸脇の四段にわたる石垣です。


本丸脇のいもり堀側から見た所上が辰巳櫓跡ですね。


金沢城の出丸・・・・金谷出丸(現・尾山神社)に行きました。


加賀前田家の初代前田利家の像が。


奥さんのお松の方も。


尾山神社です、前田家の神社ですね。


神社の門も変わっていますね。


再び城内へ大手門口か入城します。


建物はありませんが見事な巨石の石垣です。


この石垣と堀は三の丸と二の丸の内堀です、旧第六旅団司令部側です。


玉泉院丸です、左奥が二の丸・正面奥が本丸で建物は三十間長屋です。


玉泉院の庭園バックの短冊石垣です・・・色々な石で遊び心のある石垣です。


二の丸・本丸との内堀(空堀)です、極楽橋が見えますね。


本丸に架かる極楽橋です、三十間長屋です、左側に鉄門跡が在りますが本丸です(昔の尾山御坊の跡とか)。


菱櫓内から見た河北門です手前が内堀で三の丸です。


五十間長屋から見た橋爪門と内堀です。


本丸戌亥櫓跡から見た橋爪門・橋爪門続櫓・五十間長屋・菱櫓と三の丸も右奥が石川門です。


菱櫓をアップで見ます。


橋爪門枡形の中から見た橋爪門(渡櫓・続櫓・高麗門)です。


三の丸から見た橋爪門です。


同じく三の丸から見た菱櫓と五十間長屋です、金沢城は三度目ですが、復元されて沢山の建物が見られて嬉しいですね、玉泉院丸側は今も工事中ですが、何か出来るのでしょうかネ。

越前一乗谷城跡に行って来ました。

2019-03-18 07:22:06 | 城郭福井
2019年3月13日(水)に越前(福井県)一乗谷城跡に行って来ました、天気予報では雨カミナリなので金沢城を見に行きましたがあまり雨も降らないので特急で福井へ福井駅から高速バスで一乗谷朝倉氏遺跡の復原街並へ行きました、雨は降ったり止んだりです。
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一乗谷城跡はご覧のような山の谷間(一乗谷)を利用した生活空間の城下町と背後に有事の際の詰めの城(山城)と周囲の山々の山上にも支城を設けた防御に優れた城です、一乗谷の前後に城戸を設けてを有ります。
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此れが上城戸です、土塁・石垣を積み上げ敵を遮断しています。
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川の両側に館を築いた城下町で朝倉氏五代103年の栄華を誇ったのです。
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復原した武家屋敷の街並みです、発掘により基石通りに建物を復元したのです。
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もう一つ復原写真を。
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復元していない場所も当然多数あります、当時1万人からの集落だそうです。
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此処が朝倉氏当主朝倉義景の館跡です、三方を堀・土塁で囲んだ通常の生活空間です、後は山です。
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唐門ですね・・・・。
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此れが館跡内部です、多数の建物の基石があります。
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内部から見た土塁です、普通の生活空間の館ですね。
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折角ですから、もう一枚、朝倉氏朝倉孝景の時は室町時代管領の下の御相伴家ですが、応仁の乱(応仁元年1467年~文明9年1477年)で活躍し戦国大名として力を付けました、隣国加賀は一向一揆の為100年にわたり争ってきました、戦国期の最初から最後近くまで頑張ってきたわけですね。
室町幕府最後の将軍足利義昭も一時この一乗谷館にいたわけですが織田家に移り織田家越前侵攻の名目を与え元亀元年1570年侵攻、この時は織田信長の義弟浅井長政の寝が入りで敗退、以後4年間対立、織田方の内部懐柔工作等で戦意が無くなり、天正元年1577年に再度侵攻刀根坂の戦いで敗れ一乗谷へ帰陣したが500名程とかで、再起をはかり越前大野へ移るが裏切りにあい自刃、織田信長は取って返し小谷城の浅井軍を打ち取ったのです。
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これから一乗谷城跡・・詰めの城へ登城、八幡宮脇から馬出コースからです。
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馬出ルート・下城戸ルートが有りますが馬出ルートは急坂を上りますね、約1時間とあります。
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少し林道を上ると山道の入り口がこの辺が馬出曲輪ですね。
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大きく削平されているのが解りますか。
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段々に削平・・・石積みも少し見えますが?。
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しばらく上ると砂防ダムがありその上に小見放城の看板が、右奥が多分堀切でしょうその上が多分・・・・急坂なうえに雨でグシャグシャで・・・。
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もう少しわかりやすい写真を、右側が明らかに堀切ですね、そちら側には入れず左側の道を上がります、ハッキリ城跡はわからず。
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なをも上に、磨崖仏の石です、登りには気が付かずでした。
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帰りに撮ったのです、わかりますか。
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所々が泥濘で滑る急坂を上り漸く標識があらわれてホー・・・・何せクマよけの鈴を手に持ち鳴らしながら登るのですからね!。
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千畳敷下の不動清水の水場です、後少しですね。
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頂いた歴史の証人の城跡の縄張り図が解りやすいので、左側千畳敷に直接登ってきたのです、此れから山上御殿群を見て連続曲輪群を見て回ります。
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千畳敷です、城主の山上の居住空間ですね。
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千畳敷脇に土塁で囲まれた観音屋敷跡、奥が月見櫓跡で右側が宿直郭です。
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宿直郭です。
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宿直郭からの景色です眼下に一乗谷が見えますね・・・・当番で山上に居住し見張っていたのでしょうね?。
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この標識の縄張り図では上側から登って来たのです、今山上御殿群と連続曲輪群の分岐にいます。
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分岐です、下城戸ルートと右側が馬出ルート(千畳敷)が合流、此れから連続曲輪群へ入ります(直進)。
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細く切った尾根筋を進みます、奥が一の丸です。
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この上が一の丸です、この上には今日は登れませんね・・・・滑りそうで危険ですから、脇を回り込み二の丸へ。
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此処も二の丸の広場には登れません。
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二の丸と三の丸を区切る堀切です、一の丸と二の丸の堀切が一番大きいかな。
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三の丸です、此処は上りました細い尾根筋ですね、昔でも建造物が有ったのか?柵ぐらい?。
何せ雹が雪のように降ったり、雨になったり道は悪く、脇の構造までは・・・・・帰りは木の杖で慎重に下りましたが靴ズボンは泥だらけでした、信長との戦いではこの城の防御も使われなかったのでしょうね?、防御の仕組みも人心が離れれば崩壊ですね。



































大聖寺城跡に行って来ました。

2019-03-16 11:39:18 | 城郭福井
2019年3月12日(火)に金沢に午後から大聖寺城跡に行ってきました、JR大聖寺駅から歩いて20分ぐらいでしょうか、やはり途中から雨・雹にあい大変でしたね、大聖寺城は旧北国街道に面した標高60-70mの小高い山に築かれたお城です。
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駅前の案内所に有ったお城の模型ですが??。
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駅前から旧北国街道にでて熊坂川の向こう側に見える森が大聖寺城跡です。
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大聖寺城跡の入り口に架かる案内図です、この城跡は加賀藩の御止め山で入山禁止だったので遺構が良く残っているのです、本丸・二の丸・三の丸(北の丸)・東西・鐘の丸と各曲輪が解りやすく配置されています。
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真ん中に駐車場でこの東側の脇から入りますね。
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階段を少し上ると本丸脇が続きます、正面が本丸方面で、左側が東の丸側です。
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まず左側の東の丸から・・・急な横矢状態の階段を上がります。
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回り込むように上がると東の丸です。
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此処からの見晴は良好ですね大聖寺の街が眼下に見えますね、今日は天気が悪いので霞んでいますが。
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小さな曲輪が幾つか続きますが、漸く鐘が丸でしょうか?。
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登り詰めると大きな曲輪が・・・鐘が丸です、奥が高くなっています。
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鐘が丸を回り込み進むと本丸の脇(左側)に右側奥が鐘が丸です、此処を左方面へ回り込みます・・・本丸脇へ。
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この辺では大雨ですね、先程の登り口の上に出てきたのです、此れから左側の本丸方面へ進みます。
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イザ、本丸へ。
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登った所が馬出曲輪。
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馬出曲輪から本丸へ。
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階段を上ると本丸・・・イイエ本丸前の腰曲輪でした、奥が本丸ですね。
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本丸南虎口を経て本丸へ。
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大聖寺城本丸です、奥が城主山口宋永(玄葉)の墓です、此処加賀の国は一向一揆が根強く尾山御坊(金沢御坊)を織田信長軍の柴田勝家が鎮圧・・・佐久間盛政がここの城主になりました天正5年1577年の事です、元亀天正・・・戦国期の真っただ中です、その後上杉謙信が能登七尾城を攻略し南下、柴田軍は大敗したのです、秀吉時代に小早川秀秋が越前北ノ庄(福井)で15万石となり重臣の山口宗栄が6万3千石で大聖寺城の城主となったのですが関ケ原の戦いで西軍(のちに秀秋は寝返り東軍へ)へ前田利長は2万山口宗栄は500での攻防となり滅亡したのです。
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城を枕に討ち死にした山口玄葉の墓が今も本丸に・・・・。
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本丸北東虎口で二の丸方面へ・・・本丸からの虎口は二つですね。
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本丸・二の丸・西の丸の間にある馬洗池・・・ここでは大雨・雹でカメラは曇るは足元はぬかるは大変の一言でもここまで来たら帰るわけにはいかない・・・・。
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二の丸へと上がりました、此処から右側奥の虎口へ・・・この向こう側に腰曲輪のように三の丸(北の丸)が・・。
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二の丸からの虎口です、左側が三の丸側、右側が戸次丸方面です。
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左側の三の丸(北の丸)へ戸次丸へは下りませんでした。
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三の丸です。
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三の丸を回り込み西の丸へ下が馬洗池斜め左側が二の丸、右側が本丸と空堀で鵜あけられていますね、なをも進むと本丸脇から下城、なお、この城は元和元年1615年の一国一城令で廃城となり、1639年利家の三男利治が7万石で加賀支藩となったがお城は置かず陣屋だったそうです、結構数奇なお城です。























金沢に行って来ました(小松城跡)。

2019-03-15 16:14:59 | 城郭石川
2019年3月12日(火)から14日(木)まで金沢方面に行って来ました、写真の整理の都合上小松城跡を乗せます、石川県小松市にある城跡ですが、今は天守の石垣のみが有ります、芦城・小松の浮き城と呼ばれやはり加賀藩ですが金沢城の2倍の面積を誇る珍しいお城なのです。
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小松駅から芦城公園へ・・・ここは三の丸跡とか現在は小松城は市役所・公園図書館・裁判所・小松高校ですね。
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公園内にある藤の巨木です、幹回り2・14m樹齢は200年以上とか、この日は天気が悪く(3日間すべて悪い)土砂降り・雹・雷と大変でしたね、特にこの藤を見ていたら落雷が近くで・・・・・・。
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近所で聞いてもお城が解らず・・・・・取り合えず小松高校へグランド橋で漸く見つけました。
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グランド脇に本丸の碑が、この辺は加賀一向宗が盛んで天正4年1576年若林長門守が築城、その後丹羽長重が治めたが関ケ原の戦いで西軍に着いたため東軍の前田利長が2万5千の大軍で攻撃したが湿地帯の為落城しなかったそうです、その後前田家2代目藩主利常の隠居城として改修・・・この時広大なお城を築いたが元和元年1615年一国一城令で廃城となる・・・が後に加賀藩から20万石の分藩として小松藩をおこしお城も復活したみたいですね。
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流石に立派な石垣が・・・小松は石の産地ですからね。
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石垣には登れず仕方ないので周りをウロウロと。
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こちら側の石垣野横に白山井戸があります・・・・、芝生も雨で水を含み大変ですよ。
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こちら側が小松高校のグランドでその向こう側は川原です。
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これで一回りですね・・・この天守石垣がポッツ・・・・実はこの小松城を訪れる前に大聖寺城跡に行ってきたのですそれは山城で御止め山なので遺構が残っていましたね。