三郎兼続の日記

趣味の写真で山登り・旅行を主体にした日記
最近は山登りが少なく、城郭・巨木へ

首里城に行って来ました。

2023-02-18 21:20:59 | 城郭沖縄
2023年2月14日(火)今日がツアー最後の日、沖縄の首里城見学です、飛行機の時間までは大分あるのですが、見学時間は余り貰えませんでしたね、でもお城見学ができたので急いでみて回りましたよ。

首里城の縄張り図です、右側の下側から外郭の石垣沿いを左側まで行、戻ってきて下側中央右から内郭へ入りますね、首里城は外城・中城・内城の三地区から出来た二重の石垣城壁から出来た城です。

守礼門(しゅれいもん)ですが、一部工事中ですね・・・・城の外側ですね。

園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)・・・世界遺産ですね。

歓会門(かんかいもん)正門ですね、石垣が此処から二手に分かれます、右側が内側の石垣、左側が外側の石垣・・・門の中が中城です。

歓会門前を左側へ、外郭の石垣北側の城壁・・・琉球石灰岩・・・此処からは見えませんが、階段右側が久慶門、左下が池。

円鑑池・弁財天堂・天女橋・・・・縄張り図の下側(北側)・・・向こう側は琉球大学。

池の前が円覚寺・総門。

池から戻ります、久慶門(きゅうけいもん)通用門・・・外郭の門・・・首里城の外郭には4つのアーチ門があるとか。

外郭の石垣が続きますね、右側奥の石垣は内郭の東アザナ(展望台石垣・・でしょう?)。

なおも湾曲した石垣が続きますね・・・琉球の城の特徴ですね。

東の城壁の端まで来ました、南側へは行かず戻りますね・・・時間が気になるので。

久慶門まで戻り入りますね、中城内へ。

久慶門内です・・・・中城ですね、奥の建物が建設中の首里城本殿・・・右下は水場。

水場です・・・・洗濯場とか?。

振り返りますね、久慶門です。

中城の久慶門から見た歓会門です。

歓会門を内側から見た所(此処が中城?)、左側が久慶門・建設中の本殿・漏刻門・瑞泉門。

瑞泉門(ずいせんもん)右側階段横に水場 龍樋があります。

龍樋・・・水飲み場。

龍樋横の階段から見上げた瑞泉門。

瑞泉門脇から見た中城?。

瑞泉門を入りました、漏刻門(ろうこくもん)・・・完全な桝形構造ですね。

漏刻門前から振り返りますね、瑞泉門です・・・三角の枡形構造ですね。

漏刻門を入ると日影台の広場があり奥の右側に広福門が・・・この門奥が首里城の御庭・奉神門のある下之御庭へ繋がりますね、日影台からの中城の写真がありませんね。

2年前に撮った日影台からの中城、久慶門・・奥が歓会門。

奉神門から振り返りました、漏刻門・・・この広場が日影台です。

下之御庭です、左側が奉神門・・奥に本殿、右側は首里森御嶽(すいむいうたき)。

下之御庭から木曳門(こびきもん)へ。

木曳門外側・・・これで城外ですね・・・まだ幾つかの門があるのですが・・・・。


沖縄に行って来ました(琉球王国のグスク(首里城))。

2020-12-13 12:22:36 | 城郭沖縄

2020年12月06日(日)沖縄最終日に世界遺産琉球王国のグスク中心の首里城に行って来ました、2019年(令和1年)10月31日に正殿は火災で焼失しました・・・・石垣までは無くならないので見て回りました・・・以前は正殿内に入りました。

琉球王国の中心首里城・・・尚巴志が琉球統一した1429年(宣徳4年)頃にはすでに築城、その後450年王国の中心です、室町幕府の中頃ですね20年後に応仁の乱(1467年)。

首里城の平面図・・・右下から入城 守礼の門から・・・・残念ですが、外側の石垣方面は見てまわる時間は無く、今回もほんの一部ですね、下の方の石垣に沿って奥の方までは行きましたが東のアザナ(城壁)には上がれませんでした。

二千円札でおなじみの守礼の門(邦)です・・・奥が大手門?の歓会門です、左側に世界遺産の園比屋武御嶽(そのひゃんうたき)の石門があります。

首里城の歓会門です、左側下の石垣を見て回れませんでしたが、この奥の方面は先まで行きました。

此れが、園比屋武御嶽石門です・・・世界遺産です、国王が外出する時の安全を祈願、1519年創建その後復元。

瑞泉門の入り口階段より・・・・久慶門です。

同じ場所から振り返り歓会門です・・・・この日は大雨で風も強く傘は壊れてしまいました、レンズは雨が付くので大変。

瑞泉門を入り(瑞泉門の写真が無い?)、漏刻門・・・此処は枡形でしたね(四方が城壁で囲まれていましたね)。

漏刻門(写真)を入り此処は日影台です、左側に廣福門。

日影台からの景観です、左側が歓会門、右側は久慶門で・・・・後からこの下の道を奥に進んでみますね。

廣福門です、此処を入れば正殿の下の庭に入ります、のの広場が日影台。

下の庭にある首里森御嶽です・・・・御嶽(うたき)・・・神が宿る場所神社なのですか?(沖縄には神社がありませんね?)。

奉神門・・・正殿への入り口です、はいるとお庭があり、正殿があり、裏庭があり、奥に建物と続きますね(現在は火災で焼失)。

奉神門脇から正殿側を覗きました、復元に向けて整理中です。

振り返りました、帰り道方面の京の内方面です。

下の庭から戻り瑞泉門まで出て、日影台下の石垣に沿って進みました、右掖門(うえき)です・・・正殿の脇の方です。

なおも進みますね、淑順門と正殿を守る高い石垣が続きますね。

淑順門と湾曲した石垣、見事な光景ですね、右側が正殿の裏側辺りでしょうかネ?。

戻ります、右掖門を抜けての石垣に沿って・・・正面は歓会門ですね・・・・高い石垣ですね、この右側にもう一つ石垣がありますからネ。

京の内から戻りました、木挽門です(帰りの出口に使用)。

木挽門脇の方にあう西のアザナ・・・見張り用の高石垣ですね・・・・登らずでした、雨と時間が無くて忙しく、大変でした此れで沖縄の城郭は終わりです、今帰仁城・中城城は残念ですがもう無理かも?。

出口に首里城堰の碑がありました。









沖縄に行って来ました(琉球王国のグスク(勝連城))。

2020-12-12 07:24:39 | 城郭沖縄


2020年12月03日(木)に世界遺産琉球王国のグスクの一つ勝連城に行って来ました、この城は初めてですね、続100名城でもあります、今回は後琉球王国の首里城です。

沖縄の琉球王国ののグスクの世界遺産です、今帰仁城・中城城には行けませんでしたね、勝連城は太平洋側で100mの小高い丘を利用したお城です、勝連城城主は琉球王国に抵抗した有力な地方の豪族(按司)阿麻和利の城です、中城の護佐丸を滅ぼし、首里城に迫ったのですが敗れたとか。

太平洋に突き出す半島の付け根に位置するお城です。

勝連城の縄張り図です、右側の最後部から一の郭・二の郭・三の郭・四の郭と階段状に構成されていますね、石垣は湾曲していますね。

センター前に城郭の模型図がありました。

下から見上げた勝連城全体です、手前全体が五の郭?。

四の郭の石垣?。

登り石垣風の石垣が、多分四の郭の城壁でしょうかネ?。

四の郭の下から見上げた勝連城の石垣・・・・三の郭です、本格的な石垣による守りは三の郭からですネ、

少し左側方向に回り込みました、こちら側にも崩れた石垣が美しい石垣の城ですね15世紀の城ですからネ、中国の影響が強いですね。

石垣をアップで美しい石垣ですね、座喜味城・勝連城の散策時には雨が無くラッキーでした、此処で雨風では写真も撮れず泣きですからネ、首里城では雨でしたがね。

もう一枚、此れから本丸方向へ。

三の丸大手門方向への登り口です。

三の郭への登り口途中・・・急な斜面を回り込むように。

階段を振り返ります、如何ですか。

三の郭の門です。

三の郭です、階段の上が二の郭です、奥の石垣奥が一の郭です、連格式ですね。

上が二の郭で右側が三の郭・・・・・二の郭左奥から一の郭への登り口(虎口)になります。

二の郭跡です、立派な建物が在ったみたいですね。

二の郭から一の郭への虎口。

階段途中から振り返ります、東の曲輪方面でしょうか?。

二の郭から一の郭への石段の踊り場から振り返りました防御性が高いですね。

一の郭への最後の石段です、石垣の上からの横矢がかりですよ。

振り返ります。

一の郭の城門です、海は太平洋ですね。

一の郭です。

一の郭です。

一の郭から見た二の郭と三の郭です四の郭は見えませんね、向こう側の丘が気になりますね?、しかし、美し山城ですね。


沖縄に行って来ました(琉球王国のグスク(座喜味城))。

2020-12-10 06:28:03 | 城郭沖縄


2020年12月03日(木)に沖縄の世界遺産関連の琉球王国のグスク(城郭)を見て回りました、まず、座喜味城です15世紀の城郭とか。

沖縄本島のやや真ん中下東シナ海に位置しますね、太平洋側の勝連城に対応する抑えです。

左側が東シナ海です、座喜味城は15世紀に読谷山按司(地方の豪族)の護佐丸が築城。

座喜味城周辺です、右側が北側です東側(下側)は渓谷ですね。

座喜味城の縄張り図です二の郭・一の郭は曲線の石垣の城です・・・本丸の虎口は一つです・・・・この城は2度目の訪問です続100名城ですね。

座喜味城大手門側です、標高120mの丘陵地帯に立つ城ですね。

階段を上がり(三の郭?)正面に二の郭の石垣が見えてきますね。

座喜味城二の郭のアーチ石門と取り巻く石垣。

二の郭のアーチ石門・・・クサビ石の建造で有名ですね。

二の郭内から見た一の郭のアーチ石門です、一の郭への虎口は此れだけですね。

二の郭です。

二の郭を少しずらしました、二の郭のアーチ石裏側です、正面の石垣に囲まれた所は右側へ曲がると城外へ抜けますね。

一の郭のアーチ石門です。

一の郭です、奥の右側から城壁へ上がる石段がありますね、防御石垣の上から。

礎石建物跡です。

城壁の上に上がりました、湾曲した石垣、石垣右側が、二の郭側。

同じ城壁上から二の郭を見る、左側は二の郭を巡る城壁です。

少し先から二の郭を覗き見る、二の郭まで侵入した場合一の郭から囲みながら上からの攻撃を行うのですね。

東側方面です、右下がわは渓谷ですね。

振り返ります、石垣は湾曲させていますね、登る敵を左右から挟む構造でしょう。

城壁上から一の郭内を見ます。

二の郭内を回り込みます、下側の石垣は大分低い構造です。

振り返り見た二の郭です、このお城は、日本軍高射砲台地で使用、後にアメリカ軍のレーダー基地としても使用されました。