三郎兼続の日記

趣味の写真で山登り・旅行を主体にした日記
最近は山登りが少なく、城郭・巨木へ

明神ケ岳に行って来ました。

2015-04-18 21:22:57 | 山関係

2015年4月18日(土)に明神ケ岳1169mに山水会の定例会で登りました、天気予報では後楽日和でした。

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大雄山最乗寺が上り始めです、本堂のシダレサクラは終わりでした。

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本堂脇の金剛水堂・・・霊泉が湧き出ています。

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本堂前の石段・・・ここは杉の巨木が多数ある参道です。

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皆さんが集まる前に、本堂広場を抜け出し、巨木を探しました樹齢500年幹回り7m・・・・この木かどうかは判りませんが、見た目これも相当な巨木です。

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本堂を出て脇の道から山道へ見晴小屋を抜けて、しばらくしてカヤトの稜線にでます、此処は神明水の湧水があります・・・・以前は殆ど無い記憶でしたが今日は沢山流れていました。

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山を上るにつけて雲が多くなり景色がボヤケて来ました、桜の花はこの道筋ではまだ咲いていました。

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結構山登りに来ています、右側は同じ会のメンバー、左側は他の人たちでスピードが違いました、もう少しで山頂です、フレーフレー。

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此処が明神ケ岳の山頂です(奥)、凄い風が左側からガスと小砂利(?)を噴き上げてきます、景色は見えず寒いし、結局写真のみで少し下り昼食としました、快晴のはずが・・・山の天気はあまりあてに出来ませんネ、装備がしっかりしないと寒さに耐えられませんヨ。

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稜線から少し下がった道を明星ケ岳方面へ進みます、ここは風が来ないので楽です。

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結局明星ケ岳(正面先)には行かず右側宮城野へと下りました、私は箱根湯元から小田原乗り換えでJRにて直通で帰りました・・・・便利になりました、おかげで反省会には参加せず皆様失礼しました。

 


竹田城址に行って来ました。

2015-04-17 11:48:54 | 城郭兵庫

2015年4月14日(火)に竹田城址に行って来ました、小雨の降る中ガスもでましたが、天空の城の浮き上がりは見られませんでしたが、感動ものの時間を過ごせました。

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竹田城は最高所に本丸があり北千畳曲輪・花屋敷曲輪・南千畳曲輪があり北と南千畳と比翼型の梯郭式山城で総石垣造りです。

応仁元年(1467年)かの応仁の乱(細川勝元:山名宗全)の張本人の但馬の守護山名宗全が築城者に挙げられています、太田垣氏が納めていましたが、永禄12年(1569年)織田信長の配下の木下秀吉軍2万が10日間で但馬18城を落城・・・毛利:織田軍の綱引きで、その後天正8年(1580年)羽柴秀長が6400の兵で大田垣氏を滅ぼし、秀吉に投降した龍野城主赤松広秀が城主になり今の城を築いたとあります。

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北千畳に上る所が大手門につながります・・・・・山ですから急坂を上ります。

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急坂を上ると石垣が見えてきます、すべて石垣に囲まれた城で中の虎口(出入り口)も数多くあり区切られています。

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大手門です両側に石垣があり、櫓が在ったのでしょう、左側上が三の丸・正面左側が二番目の虎口で桝形の形式です・右側が北千畳曲輪。

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二番目の虎口です。

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北千畳曲輪の多分櫓の在った場所から見た大手門の虎口、右奥が二番目の桝形虎口へとなります、正面が三の丸、その一番奥(左側が)二の丸です。

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二番目の虎口上(三の丸)から下を見た所です、奥が北千畳曲輪。

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三の丸外れから見た大手門への登り口・正面が一番目の虎口石垣、奥が北千畳曲輪。

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三の丸外れから見た二の丸側、前の石垣は武の門です、右側が二の丸へ続く道ですが城内は数多く、段差と鍵の手に折れ曲がり細かく仕切る門で構成された複雑な造りが見れます。

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此れが三の丸から二の丸への道で、右奥が本丸天守台、その右下が花屋敷曲輪、正面の石垣が武の門の片方です。
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竹田の城下町が一望です、川は円山川です、此処は兵庫県(但馬の国の中央(南部)で北部・山陰道の接点で交通の要衝なのです。

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左側が武の門で回り込み二の丸に来ました、二の丸外れから見た三の丸・大手口・北千畳・右下が城の入口で上がってきたわけです。

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二の丸から見た左奥が南千畳曲輪・その手前が南の虎口です、櫓の石垣があり大門の虎口、その上向こう側が南二の丸、また櫓の石垣があり平殿へと続きます,しつこく続きますネ。

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上の写真を少しずらしました、櫓の石垣が判りやすいですネ、右側は本丸の石垣です。

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二の丸から見た、此処が最高所の本丸の天守台と天守付け櫓の石垣です、南側には本丸の右側を回り込みます。

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天守台の石垣です・・・・・今は中に入れません、天守台へ回り込む形ですが付け櫓から天守台へ登る口が見えません・・・?、多分付け櫓と天守は中の階段で連結した建物なのかな?、右側下が花屋敷曲輪がある方です。
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上の位置から振り返りました、右側が二の丸・武の門の石垣・三の丸・二番目の虎口の上・左側奥が北千畳曲輪の外れです、天守台上から見れば大分景色が違うのでしょうが、ここ数年で見学者数が何十倍も増えて来たそうですから入れない個所も増えますネ、高倉健の「あなたへ」の2012年は入場料も無でした、日本100名城の挙げられて一躍有名になりました。

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ここも入れません、花屋敷曲輪です。

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本丸の石垣です、穴太積みで姫路城・安土城と同様です、隅角部分は算木積み方式です、石を見ると野面積みでしょうね・・・おかげで水捌けが良く何百年も保存状態が良いのでしょう(大分補修しましたが)。

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平殿あたりから見た南側、虎口の櫓用の石垣、その奥が南二の丸、その奥見えませんが南千畳。

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虎口を出たあたりから見た本丸の石垣と二の丸。

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上を見上げると本丸の石垣と天守台の石垣。

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南二の丸です。

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南二の丸脇の虎口、右側が南二の丸、左側は門櫓でしょうか?、何せ仕切り門が多く厳重な構造です。

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南千畳曲輪。44dsc08773

南千畳曲輪から見た正門の虎口。

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南千畳曲輪の奥から見た本丸天守台・二の丸方面。

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南の虎口脇から見た虎口]脇の石垣、左奥が二の丸・三の丸・北千畳方面。

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同じく、ズームアップ、大手口の上り階段、城の入口受付場所が見えます。

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立雲峡から見たお城の全貌ですが、雨が再び降り、残念ですがこの程度です。

木下秀吉の弟、秀長が但馬の国に攻め込みましたが当時は3000の兵とか良く城が落とせたと思いましたが、城方は投石、秀長軍は300の鉄砲で対応とあります織田軍の戦闘能力は非常に高いのですね、此の城もその後の改修でこのような近代的な(?)山城に変貌させ権力のシンボルとして見せたのでしょう?。


桜を見に京都・奈良周辺に行って来ました(仁和寺・吉野山)。

2015-04-16 21:39:48 | 旅行記

2015年4月13日(月)から15日(水)にかけて京都・兵庫・奈良に行って来ました、京都は仁和寺の御室桜・原谷苑の桜・嵐山は天竜寺、そして奈良は吉野山の桜・・・残念ですが吉野山の桜は終わりでしたが・・・・14日は竹田城址です・・・次回登録いたします。

今回の旅行は天候に恵まれず雨の中のハイキングとなりました。Dsc08477

仁和寺の御室桜・・・・遅咲きの桜ですが、今年は盛りを過ぎていました、樹齢は300年位でしょうか?でも樹が低いのが特徴見たいです・・・・人は沢山出ていました雨の中大変でした。

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世界遺産の仁和寺の御室桜と五重の塔・・・絵になりますか!。

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此れが御室桜です・・・・・。

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仁和寺のお堂と山ツツジが雨に打たれ風情が・・・・・。

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五重の塔・・・スマートが特徴とか。

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仁和寺の裏の山深い所に桜の名所があります、舗装道路を歩きました、この日は大雨になりました・・・原谷苑は売り出し中の桜の新名所?、シダレ桜が今盛りでした。

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白いのは御室桜かな?、黄色は山吹です、雨にも負けず咲いています。

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山中なので歩く道がドロンコで花を見ながら滑らない様歩くのです、でも綺麗でした。

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此れはシダレとボケでしょうか、シダレですが、この前秩父の清雲寺のシダレには感動しましたヨ(ブログに載せましたからぜひ、観てくださいね)。

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此れもシダレと御室桜かね。

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続いて、嵐山の天竜寺を拝観しました、まず庭を・・・・・。

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庭の池の石を切り出してみました、如何でしょうか?、深山名石は。

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少し拡大しました。

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天竜寺のお堂です。

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庭の後ろが嵯峨野の竹林です・・・これも雨の中風情が有りました。

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渡月橋です何年か前嵐で水浸しになりました、この上流をトロッコ電車で以前行きましたネ。

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15日(水)に吉野山の桜を見に下・中・上・奥千本を見て廻りました、桜は殆ど散り落ちていました、紅葉の新緑が凄く綺麗で癒されました。

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これは奥千本の金峰山蔵王権現堂でえす、この右側の道が大峰山奥駆け道で熊野古道でした。

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此れは国宝の金峰山蔵王堂です、私たちは如意輪寺を見て廻りました、この日は段々天気が回復してきましたが雨に祟られた旅行となりました、でも竹田城址は良かったです。


静岡県浜松・掛川に行って来ました(浜松城址・掛川城址)。

2015-04-01 12:26:12 | 城郭静岡

2015年3月31日(火)に静岡県浜松城址・掛川城址に行って来ました、青春18キップの最後です、片道5000円を超えるので十分なもとをとりました、でも疲れますね・・・・天気が今日まで良いので花見を兼ねていきました。

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まず、浜松に行き駅から歩きました、城内は花見の客で混雑していました、天守門と浜松城天守です、石垣は当時の野面積みの荒々しい様子が見てとれました、美しい景色です。

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石垣が美しいですね、天守門、此処は今川氏の城でその後徳川家康が17年間過ごしたと説明にあります、この天守は家康が秀吉により関東に移封後、堀尾吉晴が築いたと思われる天守の再現です、地震により江戸時代には天守は無いそうです。

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徳川家康公の像です随分痩せているのでイメージが違いますが、若い時ですからネ、何せ元亀元年(1570)に武田信玄に対抗すべく岡崎城を長男信康に譲り、本城を築き城主になったのですから、元亀天正と言えば戦国時代の激戦時代ですから。

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天守門を入り直ぐの所より見上げました、虎口は石垣に挟まれるように回り込みます、この石垣は石を余り加工しないで大きい所を中に入れるので見てくれほど弱くない製法らしいです、水はけは良いのです隅角部は算木らしい(2;1)ですね。

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此れは広場少し奥からです、こうして見ると建物は天守台一杯で無く当時より小さめですね。3層3階の天守曲輪、左側が搦め手の門方向です。

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搦め手の土塁上から見た城と門です。

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これは城の虎口から見た天守門と石段です。

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天守門の内側です。

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公園市役所側から見た天守門と天守です手前は石垣です。

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市役所横の大通りからお城を仰ぎ見ました、平日ですが皆さんお花見がてら沢山の人が来られていました。

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掛川駅まで戻り掛川城址へ逆川近辺から仰見た掛川城天守です、ここは駅から近いので助かります。

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本丸広場から掛川城天守をみる、元は今川側の城で徳川が納め、やはり家康が関東に移封された後に山内一豊(後の土佐藩高知城主)が拡張し天守を設けた、後に地震で江戸時代は天守は無かったそうですが、木造で再現された城です、此処も浜松城と同じ望楼型天守閣です。

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此れは四足門脇の太鼓櫓です。

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三の丸側からみた掛川城(右が天守・四足門・太鼓櫓)、右側が二の丸側です。

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四足門の内からみた掛川城天守3層4階で付櫓があります、手前は石垣(?)ですが・・・。

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天守の虎口から見た右側が本丸広場、左側が太鼓櫓、正面に逆川が流れている、昔は深い淵で岸壁だそうです。

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天守上から見た二の丸と正面が二の丸奥御殿で文久元年(1861)の幕末の建物だそうです、奥御殿は以外と現在に残っていないみたいです、二条城・高知城・川越城は有名です、そうそう熊本城は復元しましたネ。

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奥御殿の玄関先です。

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奥御殿庭先から見た掛川城天守です、やはり堅固な高台に築かれた城です。

駅の観光センターで高天神城跡のパンフレットをゲットしました、その内にぜひ行ってみたいと夢が膨らみます・・・・・でも鈍行では疲れます、春日城・七尾城も行きたいし・・・・・。