三郎兼続の日記

趣味の写真で山登り・旅行を主体にした日記
最近は山登りが少なく、城郭・巨木へ

砥石城に行って来ました(真田一族ゆかりの地・・砥石本城・桝形城)。

2021-04-24 15:56:43 | 城郭長野
2021年4月16日(金)に真田一族ゆかりの地長野県上田の砥石城に行って来ました、米山城・砥石城・砥石本城・桝形城と一連の山城から構成された砥石城です、今回は砥石本城・桝形城です。

今回は真ん中緑の濃い部分と山から下り水の手を見て戻ってきます。

砥石城の一の曲輪を降りて振り返ります、ここから砥石本城の尾根筋へ。

尾根筋です。

砥石本城が見えてきました。

砥石本城の虎口ですね、桝形城へ行った後に此処まで戻り下城します、取り合えず本城へ進みますね。

尾根筋ですが結構横幅がありますね。

段々に削平された曲輪が続きますね、米山城・砥石城には沢山の軍勢を養う場所ではありませんからネ。

土塁に混ざり石垣?(石積)が見受けられますね。

一の曲輪の土塁と石垣。

砥石本城の一の曲輪です、奥に見えるのが桝形城です。

砥石本城の一の曲輪。

枡形城へ向かいます。

枡形城への上り路。

枡形城虎口ですね。

枡形城です・・・今までのお城の中で一番小さい曲輪ですね。

枡形城の隣に二の曲輪?・・・出城・・・堀切で分断土橋で連結が見えます・・・見晴らし場所です。

下に見えるのが、真田の里で真田本城・・・複数の山城が点在質ますね。

この図のように複数の山城に囲まれた真田の里。

上の図を見ながら如何ですかネ?。

先程の本城入り口まで戻り下りました、途中でもう一本別の降り口と合流しました。

少し下るとやはり削平地が木々の間から見えますね。

水の手曲輪の標識がありました、大手門方向と水の手方向の分岐がありましたが・・・・水の手を見に来ました。

横に少し入るとありましたね。

水の手です、山肌から水が湧き出ていました・・・今も水が出ていますね。

なおも下ると、松代道へ合流しました、あの佐久間像山が勉学の為通った道とか。

砥石城大手門への道です・・・水の手の為この道は通らず。

大手門を少し下れば陽泰寺へ伊勢山のバス停はもう近いですね・・・・でもこの後雨が降り出しましたね・・・でも・・上田城へ見参です。


砥石城に行って来ました(真田一族ゆかりの城)。

2021-04-24 07:29:22 | 城郭長野
2021年4月16日(金)に長野県上田市の砥石城に行って来ました、砥石城は米山城・砥石城・砥石本城・枡形城の4つの山城からなり、近辺にも沢山(70近くの山城)この真田一族ゆかりの地には山城があるのです、隣の坂城には村上義清が支配しこの砥石城も築城したものです。

砥石城は米山城を前に後ろを枡形城を背景にした山城ですね、天文19年(1550)武田信玄が信濃攻略で村上義清に2度も大敗した戸石崩れで有名な所ですね、その翌年真田幸隆が調略して奪い取りましたね・・・・真田はこの地方の小さな豪族なのですが一族も多くいたのでですその後武田信玄の元で活躍、長篠の戦で長男・次男が討死、三男の昌幸が真田性に復帰・・・上田城築城は天正11年(1583)ですからね。

さて、砥石城へ米山城から女坂を戻り分岐へ、正面が砥石城です直進します。

結構な急な階段を上りますね。

振り返りますね、右側はガケですね。

上ると虎口でしょうか岩に囲まれた隙間が・・・。

中側はなをも上りでしたね。

漸く上が見えてきました虎口らしく見えますね。

岩壁を回り込むように上りますね。

此処でも振り返りました、上からの攻撃に耐えられませんね。

最後の階段を上りますね。

砥石城一の曲輪ですね。

砥石城からの景色です上田市内が眼下に・・・富士山も見えるみたいです。

上の看板の景色です、上田城?は。

右側が富士山の見える位置ですね、多分櫓門のあった方角かな・・・。

脇に腰曲輪?かな。

砥石本城への虎口です・・・・こちら側に山尾根が続きます、砥石城もまた小さな砦ですね。

砥石城虎口を外下から・・・・。

砥石城を少し離れて、此れから尾根筋を砥石本城・桝形城へ見て回りますね。


砥石・米山城に行って来ました(真田家ゆかりの山城)。

2021-04-23 11:39:38 | 城郭長野
2021年4月16日(金)砥石・米山城に行って来ました、上田駅から伊勢山バス停へ砥石城の山城(米山城・砥石城・砥石本城・枡形城)を見て回りました、真田幸村で有名な真田家のお城です。

真田丸で一躍有名に・・・・砥石城は上田駅の北北東の低山にあり米山城・砥石城・砥石本城・枡形城の四城から出来ていますね、元々は北信濃の戦国大名村上義清(坂城の葛尾城本拠)が築城、天文19年(1550)上田の合戦(1548)で敗れた武田信玄は村上義清に属する砥石城へ再び攻撃したが失敗した”砥石くずれ”は有名ですね、翌年、真田幸隆調略で砥石城を落とし、その後真田のお城となったのです、この奥の方には真田氏本城をはじめ幾つかの山城がありますね。

上田駅から右下の伊勢山バス停へそこから山城を見て回り本城より水の手・陽泰寺を経由し戻りました・・・軽い山登りです。

コースをもう一度、今回は下の方の米山城のみです。

バス停から案内版を頼りに砥石城出てきました・・・この辺はすでに裾野で岡状態ですね、左が米山城です。

砥石・米山城の虎口です。

虎口から振り返ると上田市が見えますね、武田信玄は多分左手の山殿城山へ陣を張ったのでしょう?。

模擬の櫓門が出迎えてくれました。

低く張り出したしばらく上りますね、

右側に見えるのが米山城です。

尾根筋に出ましたね、右側が砥石城方面です、左側が米山城。

振り返ります、砥石城ですね、後程此処まで戻りますよ。

砥石城の虎口でしょうか?。

虎口?、男坂と女坂に分かれていました、男坂を上ります・・帰りは下側に出てきましたね。

急坂を上りました。

いきなり一の曲輪ですね。

振り返りますね、厳しいのです、向こうの山が砥石城です。

上れば一の曲輪です。

一の曲輪には村上義清の碑がありました。

上田の町が見えますね。

一の曲輪下側に二の曲輪が見えますね。

二の曲輪の下に三の曲輪?と段々に削平地が見られますね。

虎口ですね、右側が金剛寺ロート側、左側が先程の女坂方面への出口ですね、此処までが米山城です、見た感じは此処だけでは砦(出城)ですね単独での機能は難しく感じましたね。


飯山城跡に行って来ました。

2019-11-09 08:42:55 | 城郭長野

2019年11月4日(月)から6日(木)まで斑尾高原に行って来ました、飯山駅まで新幹線なので飯山城跡を散策しました、飯山駅から寺町方面へ歩いて行きました、あまり電車の本数が無いので・・15分ー20分位で一駅(北飯山駅)意外と近くでした。

高橋まゆみ人形の店の角を曲がればすぐですね、この奥が少し高台で飯山城です、この辺りはお堀でしょうかネ。

飯山城の縄張り図です、上が千曲川(東)・下側が山沿い(西)で沢山のお寺、私は右下から入りました、この城は上杉謙信が甲斐武田との前進基地として改修したお城です、江戸時代は色々大名が変わりましたが、本多家が飯山藩2万5千石で明治を迎えました、・・・武田対策では逆方向の城向きなのですね(左側が越後側なのですから)、でも後堅固な作りとか水堀が大きく土塁が高く急な造りでいきなり本丸ですからね、それと下側の飯山街道脇は山側で寺が山沿いに並び街道を見ていますね、沢山の寺は当時越後から信州善光寺への軍隊を派遣する拠点だったのでしょう、春日山城ー鮫ケ尾城(御館の乱・・上杉景虎討ち死)-飯山城は近いですからね・・貴重な防衛ラインでもあるわけですからね。

飯山城の駐車場石垣・・・此処はお堀跡なのでしょう。

この石垣南側上に復元した城門がありました・・・江戸期には十幾つかの門が有ったとか・・・どこの御門かは?、左下が先程の石垣右側の土塁、上が西の丸で門奥から回り込むように西の丸へ・・・・今はこの右側から西の丸へ直接上がれますが、当時はありませんね。

御門を潜り抜け、振り返りました、左側上がが西の丸です。

西の丸の虎口上です下の道から上がって来た所ですね、正面方向が本丸です・・・今は葵神社(本丸)への登り口ですが、昔は無く左方面から三の丸へ登のでした。

西の丸です、右側下が先程の御門からの道になりますね。

西の丸端(南側)奥が本丸下の帯曲輪の土塁です、土塁が割れていますが(葵神社への道)昔は無かった。

先程の分岐の道から左側奥へ・・・右側は葵神社への道で昔は無かったはず、此処が三の丸への上がり路のはずですね。

石段を上らず三の丸脇を進む、北中門跡とか、奥が三の丸土塁です、この左側方面は現在グランドで当時堀があり北郭の外郭が有った場所ですね、お城は越後方面の防御構造ですね、20m程のの丘を切り崩し構築した梯郭式平山城ですからね。

先程の階段を上ります、三の丸です、右側は二の丸の土塁ですね、奥は千曲川側です。

二の丸の少し入った所から左が登り口、奥が三の丸、此処は二の丸の虎口ですね。

二の丸虎口から見た二の丸と奥が本丸の石垣と建物は葵神社です。

本丸石垣上から見た二の丸全景です・・・江戸期は此処が殿さまの御殿場所とか。

二の丸脇から見た千曲川です、結構高いですね。

二の丸から見た本丸石垣です、正面が本丸門の石垣枡形構造。

同じく裏側の虎口の本丸石垣・・・搦め手門側です。

本丸から見た搦め手の虎口。

本丸南西の端二重櫓跡?から見た、下が帯曲輪と先程の西の丸・・・真ん中の石垣の道は当時は無かった?。

同じ場所から見た南側です、現在は学校?、急な高い土塁の斜面と広い水堀で当時は防御。

同じ場所からの本丸・・・現葵神社です。

本丸にある葵神社です。

本丸御門の石垣。

本丸御門の石垣・・枡形構造。

少し角度を変えて。

二の丸側から見た本丸御門・・・・。

此処は二の丸から続く帯曲輪です、右側が本丸です。

現在の葵神社への登り口・・・・昔は無かった・・帯曲輪の一部、正面下側は現在弓道場ですが、大手門筋の城内の曲輪跡ですね。

現在の葵神社への登り口です、昔は無かったのです・・・石垣か土塁か?、少し姿が変わっていますが当時の面影が色濃く残ていますね。

小諸城跡(懐古園)に行って来ました。

2019-06-29 07:07:28 | 城郭長野

2019年6月25日(火)に小諸城跡に行って来ました、確か2度目の登城かな随分忘れていましたね。


駅側にある大手門公園?の大手門うん・・・江戸初期の藩主仙石秀久が築いた大手門が有ったかな?、仙石秀久・・・織田信長時代秀吉の部下・・初代小諸藩主ですね。


立派な大手門ですね、此れから駅向こうの千曲川に切り立つ崖に作られた小諸城へ駅が出来て線路で分割されたのですね、しかも低地にお城が有る珍しい条件のお城なのですが、此れから見れば素晴らしさが解りますね、武田信玄・・・山本勘助が縄張り?とか、仙石秀久が改修、以下牧野家へ。


概ねの縄張り図、左側が大手門、線路右側が此れからの説明場所です、後が千曲川で上側がしし谷、下側が地獄谷でお城は駅から見て低地になる珍しい穴城。


三の門・・・大手門を四の門(本丸から数えて四番目)懐古園の大額は16代徳川家達の筆とか、格調の高い門ですね。


三の門を入ると二の丸の石垣があり、この石垣沿いを上がり本丸方面へ進みますね。


二の丸の石垣を上ります、正面の石垣は南丸の石垣で喰い違い門を構成していますね。


左側上が南丸で二の丸との喰い違いを進む構造ですね。


振り返ります、二の丸石垣と三の丸門が。


喰い違いの右側に二の丸への虎口の石段があります。


階段を上がれば二の丸跡です。


二の丸の階段上から本丸方面を見ます、左側が南の丸で右側が北の丸、正面は空堀で本丸への黒門橋です。


北の丸です、今は弓道の矢場ですね。


本丸の入り口に架かる黒門橋、下は空堀ですね。


橋脇が本丸の黒門跡です。


黒門前の石垣を回り込むと懐古神社・・・本丸跡です。


神社左側奥の石垣、隅櫓跡。


隅櫓跡の石垣脇から下の見る。


本丸裏側の石垣の上から見た天守閣の石垣(奥)が見えます。


天守石垣隅より下の見る・・・・石垣の土が無くなり石が縊れていますね・・・後程下から見ますが。


本丸石垣の外と井戸(荒神井戸)。


本丸荒神井近くにあるオオケヤキ樹齢500年幹回り6・3mの巨木ですね。


折角の巨木なので、如何ですか、右側が荒神井戸で脇が本丸石垣です、この一帯を紅葉が丘。


これが天守の石垣です野面積み算木式ですが大分中の土が流れ落ちて凹んでいますね。


このお城の脇は天然の谷が深く切り込んでいます、地獄谷で左上は水の手郭(展望台)です、正目の先が千曲川です。


此処が水の手郭(左側)と島崎藤村の碑です。


水の手郭から見た千曲川です。


同じく水の手郭から見た地獄谷の天然の堀です。


此処は水の手郭の反対方向にある富士見展望台です・・・富士山がみえるのです、この先はやはり天然の断崖で囲まれています。

戸倉の荒砥城跡に行って来ました。

2019-06-27 06:48:15 | 城郭長野

2019年6月25日(火)に千曲市戸倉の荒砥城跡に行って来ました、趣のある山城で、武田信玄との攻防をした村上義清の一族の山田氏のお城です、何度か武田を抑えたのですが圧倒的な武田軍の軍事力の前に落城、現在は復元され当時の面影が見て取れるのです、戸倉駅からタクシーで上がれました(2000円弱)。



駐車場までは急坂を上ります、帰りは歩いて下りましたが、此処からも少し歩きます。



素晴らしい石垣が見えてきましたが・・・当時は無いでしょうね・・・、村上義清の本城はこの城の向こう側の山戸倉駅の次の坂城駅の葛尾山の葛尾城なのです・・・そこには石垣は無いみたいですからね。



荒砥城の碑奥の冠木門脇が関所です・・300円です、この辺りが四の丸。



三の丸を上り細い路横奥が二の丸(郭)の櫓門です、横矢掛かりの防御システムです、門上からも下の敵を狙いますね。



門内に入ると正面は壁で右側に回り込みますが狭い坂を上らなければなりませんね、奥に見張り台の櫓があります。



見張り台の櫓です・・・見晴らしがよいのです。



まず城内二の郭の兵舎と奥が本郭が見えます。



少しずらして今来た二の郭の櫓門と石垣に挟まれた登り口、下から来る敵兵を上から狙い撃ちですね・・・敵の兵力が少なければなかなか敗れませんが、大勢いで一気に四方八方から攻めれば・・・・。



見晴らし台からの千曲川と村上義清の本拠地坂城方面です左側の山が葛尾山で葛尾城が目の前に有ります・・・晴れた日は旗を振るだけでも会津が出来そうですね、敵が迫るのが・・・。



先程の虎口を見た所です、上からすぐやられますね。



本郭手前から振り返ります、見晴らし台の櫓、右下が虎口で、左側が兵舎ですね。



いよいよ本郭へ柵と冠木門、やはり石垣沿いの細い道を・・・横矢掛かりです。



本郭の櫓門です、道が細く大勢が取り付けないように。



やはり門内は同じ造りの坂道です、上から。



本郭の柵から見た二の郭です・・・絵になりますね。



少し角度を変えて柵と見晴らし櫓。



本郭の兵舎と正面が館で裏側に見晴らし場が有りますね・・・・此処は水場は無いみたいですね・・・途中の沢から持ち込むのでしょう。



これは以前NHKの撮影現場で使用されたみたいですね。



本郭裏側から見たアルプスがわ長野側ですね、素晴らしい眺望です、やはり普段は上山田温泉で暮らしていたのですよ。



NHKさんではありませんがこの景色がお城の風情を出していますね。



本郭から二の郭へと出てきました、昔の武将になった気分ですね。



二の郭から本郭を仰ぎ見ました、如何ですか、・・・此れからこの下の城泉山観音寺横の奧津神社の男女の性器が祭られた男女和合のパワースポットをお参りして下ります、自然石でなくリアル造形でしたね。

上田城に行って来ました。

2017-06-30 06:52:04 | 城郭長野

2017年6月27日(火)に長野の上田城跡に行って来ました、キップ期限4日目の最終日で新潟まで行きたかったのですがヤヤ近場にしました、二度半の訪問ですね。

Dsc04289

昨年のNHK大河ドラマ真田丸の舞台ですね、今回はゆっくりと見学させて頂きました。

Dsc04290

昔の縄張り図でです、千曲川の断崖尼ケ淵が天然の要害ですね、三方が水堀での防御ですからね、御存じ真田昌幸が築いた平城です・・・真田は山城も多いですが、地形を見抜いての築城に長けていたのでしょう。

Dsc04297

二の丸橋を渡り二の丸方面から見た、東虎口櫓(正面)・南櫓(左側・・・その左側が尼ケ淵)・北櫓です、北櫓前から土塁での水堀が三方向に囲っています、中が本丸で外側が二の丸となります。

Dsc04298

南櫓ですね。

Dsc04300

東虎口櫓門と北櫓です・・・・枝垂れ桜。

Dsc04304

櫓門の石垣真田石・・・・信之が松代移封の折持ち去ろうとしたが動かなかったとの伝説が?。

Dsc04310

城内から見た東虎口櫓門と南櫓です。

Dsc04319

西櫓と石垣です、西側の虎口ですね。

Dsc04324

本丸跡です。

Dsc04329

真田神社の真田井戸・・・実は抜け穴で外と通じていたとの事?。

Dsc04362

尼ケ淵から見た西櫓自然の崖と石垣の組み合わせた防御で当時は下を千曲川が流れて居たみたいですね。

Dsc04367

同じ位置から見た南櫓です。

Dsc04389

北側の内堀です、本丸土塁の隅落とし・・・(土塁の北東(丑寅)隅を切り落とし鬼門よけして隅櫓を二個建てたのです。

Dsc04398

此処は昔の城主館跡・・・今は上田高校ですか。