三郎兼続の日記

趣味の写真で山登り・旅行を主体にした日記
最近は山登りが少なく、城郭・巨木へ

山形米沢城跡に行って来ました(上杉神社)。

2019-06-30 10:21:25 | 城郭山形

2019年6月26日(水)に山形の米沢城跡に行って来ました、御存じ上杉謙信を家祖とした米沢藩上杉家のお城です、伊達政宗が生まれたお城とも、謙信亡き後上杉景勝が秀吉の命で会津120万石に移封、米沢は家臣の直江兼続が30万石で収めましたが、関ケ原の戦いで30万石に減封此処米沢を与えられたのですが、藩士の召し放ち(解雇せず)をせず沢山の藩士が溢れたとか。


当時のお城と城下町です、現在は中央部分近辺の堀と土塁が遺構でしょうか?。


現在は公園で中央が本丸の上杉神社。下側が二の丸跡とか。


この旗を見れば米沢藩?越後の上杉謙信が先に浮かびますね、本丸に架かる舞鶴橋です。


本丸の堀です、米沢城は殆ど石垣は無く土塁です。


舞鶴橋左側の濠、向こう側が二の丸で上杉伯爵邸です。


上杉謙信の像。


上杉景勝・直江兼続の像。


上杉鷹山(9代藩主上杉治憲)の像と名言が、沢山の家臣を抱えて財政の窮迫が進行し倒産寸前から再建・・・なせばなる・・・。


上杉神社・・・米沢城本丸跡。


上杉神社本殿、米沢城は平城で町中の為遺構は堀と土塁、上杉家の関連神社でしょうか、昨日・今日と長野山形とお城を巡りましたがやや消化不良なので明日も続行しますね疲れましたがね。

山形新庄城跡に行って来ました。

2019-06-29 20:14:19 | 城郭山形

2019年6月26日(水)に山形の新庄城跡に行って来ました。


新庄駅から歩いていきましたが今日は凄く暑く大変・・・こぶとり爺さん通りを歩きましたね、正面下側の中央が大手門跡です。


大手門跡の石垣です、右側が歴史資料館。


大手門跡の公園の奥が新庄城跡(今は戸澤神社)の堀と本丸跡です。


堀と土塁が当時の面影を本丸跡に戸澤神社が・・・新庄藩は戸澤正盛(6万石)のお城です、明治まで継続。


当時の新庄城で水堀の平城ですね。


神社左脇に表御門跡の石垣が対で残っています、左側が中印?、右側は心字池があり裏門跡が横方向にありますからね。


本丸を左側方面へ進み本丸から外に出た所が二の丸跡です、釣り人が魚を釣り上げていました、此れからお城の堀を見て回ります。


堀に奇麗な睡蓮が咲いていたので・・・・。


本丸裏側にはアジサイの花が咲いています、アジサイ祭が開かれるみたいですね。


裏側を回り込み裏門側まで来ました、水堀が今は此処までです、此れから又本丸へ入ります。


本丸の戸澤神社右脇の心字池です。


戸澤神社です、左隣に護国神社(天守台跡)、その先が天満神社があります。


これが天満神社・・・学問の神様です。


堀の外から 武器矢倉跡です、土手 の隅には櫓があったのです、戊辰戦争で戦火にあい炎上したのです。

小諸城跡(懐古園)に行って来ました。

2019-06-29 07:07:28 | 城郭長野

2019年6月25日(火)に小諸城跡に行って来ました、確か2度目の登城かな随分忘れていましたね。


駅側にある大手門公園?の大手門うん・・・江戸初期の藩主仙石秀久が築いた大手門が有ったかな?、仙石秀久・・・織田信長時代秀吉の部下・・初代小諸藩主ですね。


立派な大手門ですね、此れから駅向こうの千曲川に切り立つ崖に作られた小諸城へ駅が出来て線路で分割されたのですね、しかも低地にお城が有る珍しい条件のお城なのですが、此れから見れば素晴らしさが解りますね、武田信玄・・・山本勘助が縄張り?とか、仙石秀久が改修、以下牧野家へ。


概ねの縄張り図、左側が大手門、線路右側が此れからの説明場所です、後が千曲川で上側がしし谷、下側が地獄谷でお城は駅から見て低地になる珍しい穴城。


三の門・・・大手門を四の門(本丸から数えて四番目)懐古園の大額は16代徳川家達の筆とか、格調の高い門ですね。


三の門を入ると二の丸の石垣があり、この石垣沿いを上がり本丸方面へ進みますね。


二の丸の石垣を上ります、正面の石垣は南丸の石垣で喰い違い門を構成していますね。


左側上が南丸で二の丸との喰い違いを進む構造ですね。


振り返ります、二の丸石垣と三の丸門が。


喰い違いの右側に二の丸への虎口の石段があります。


階段を上がれば二の丸跡です。


二の丸の階段上から本丸方面を見ます、左側が南の丸で右側が北の丸、正面は空堀で本丸への黒門橋です。


北の丸です、今は弓道の矢場ですね。


本丸の入り口に架かる黒門橋、下は空堀ですね。


橋脇が本丸の黒門跡です。


黒門前の石垣を回り込むと懐古神社・・・本丸跡です。


神社左側奥の石垣、隅櫓跡。


隅櫓跡の石垣脇から下の見る。


本丸裏側の石垣の上から見た天守閣の石垣(奥)が見えます。


天守石垣隅より下の見る・・・・石垣の土が無くなり石が縊れていますね・・・後程下から見ますが。


本丸石垣の外と井戸(荒神井戸)。


本丸荒神井近くにあるオオケヤキ樹齢500年幹回り6・3mの巨木ですね。


折角の巨木なので、如何ですか、右側が荒神井戸で脇が本丸石垣です、この一帯を紅葉が丘。


これが天守の石垣です野面積み算木式ですが大分中の土が流れ落ちて凹んでいますね。


このお城の脇は天然の谷が深く切り込んでいます、地獄谷で左上は水の手郭(展望台)です、正目の先が千曲川です。


此処が水の手郭(左側)と島崎藤村の碑です。


水の手郭から見た千曲川です。


同じく水の手郭から見た地獄谷の天然の堀です。


此処は水の手郭の反対方向にある富士見展望台です・・・富士山がみえるのです、この先はやはり天然の断崖で囲まれています。

戸倉の荒砥城跡に行って来ました。

2019-06-27 06:48:15 | 城郭長野

2019年6月25日(火)に千曲市戸倉の荒砥城跡に行って来ました、趣のある山城で、武田信玄との攻防をした村上義清の一族の山田氏のお城です、何度か武田を抑えたのですが圧倒的な武田軍の軍事力の前に落城、現在は復元され当時の面影が見て取れるのです、戸倉駅からタクシーで上がれました(2000円弱)。



駐車場までは急坂を上ります、帰りは歩いて下りましたが、此処からも少し歩きます。



素晴らしい石垣が見えてきましたが・・・当時は無いでしょうね・・・、村上義清の本城はこの城の向こう側の山戸倉駅の次の坂城駅の葛尾山の葛尾城なのです・・・そこには石垣は無いみたいですからね。



荒砥城の碑奥の冠木門脇が関所です・・300円です、この辺りが四の丸。



三の丸を上り細い路横奥が二の丸(郭)の櫓門です、横矢掛かりの防御システムです、門上からも下の敵を狙いますね。



門内に入ると正面は壁で右側に回り込みますが狭い坂を上らなければなりませんね、奥に見張り台の櫓があります。



見張り台の櫓です・・・見晴らしがよいのです。



まず城内二の郭の兵舎と奥が本郭が見えます。



少しずらして今来た二の郭の櫓門と石垣に挟まれた登り口、下から来る敵兵を上から狙い撃ちですね・・・敵の兵力が少なければなかなか敗れませんが、大勢いで一気に四方八方から攻めれば・・・・。



見晴らし台からの千曲川と村上義清の本拠地坂城方面です左側の山が葛尾山で葛尾城が目の前に有ります・・・晴れた日は旗を振るだけでも会津が出来そうですね、敵が迫るのが・・・。



先程の虎口を見た所です、上からすぐやられますね。



本郭手前から振り返ります、見晴らし台の櫓、右下が虎口で、左側が兵舎ですね。



いよいよ本郭へ柵と冠木門、やはり石垣沿いの細い道を・・・横矢掛かりです。



本郭の櫓門です、道が細く大勢が取り付けないように。



やはり門内は同じ造りの坂道です、上から。



本郭の柵から見た二の郭です・・・絵になりますね。



少し角度を変えて柵と見晴らし櫓。



本郭の兵舎と正面が館で裏側に見晴らし場が有りますね・・・・此処は水場は無いみたいですね・・・途中の沢から持ち込むのでしょう。



これは以前NHKの撮影現場で使用されたみたいですね。



本郭裏側から見たアルプスがわ長野側ですね、素晴らしい眺望です、やはり普段は上山田温泉で暮らしていたのですよ。



NHKさんではありませんがこの景色がお城の風情を出していますね。



本郭から二の郭へと出てきました、昔の武将になった気分ですね。



二の郭から本郭を仰ぎ見ました、如何ですか、・・・此れからこの下の城泉山観音寺横の奧津神社の男女の性器が祭られた男女和合のパワースポットをお参りして下ります、自然石でなくリアル造形でしたね。