三郎兼続の日記

趣味の写真で山登り・旅行を主体にした日記
最近は山登りが少なく、城郭・巨木へ

福島の棚倉城に行って来ました。

2024-06-26 20:42:18 | 城郭福島1

2024年6月25日(火)に福島の棚倉城に行って来ました。

JR水郡線の磐城棚倉駅から歩いて10分ぐらいですかね、お城は平城で建物はありませんが本丸は水堀で囲まれ本丸全がは土塁で囲まれています、二の丸の西側は石垣が残されています。

寛永元年(1624)幕府の命でこの地に在った近津明神を移し丹羽五郎佐衛門長重が築城・・・その後城主が変わりますが幕末の戊辰戦争まで続きますね。

現在は本丸を囲む内堀が残っています。

模型図本丸には天守は無く土塁上に隅櫓・多門櫓で全周囲まれ北と南に虎口が見られますね。

北口の土橋・・・・・此処から右側の内堀の回ります(反時計回り)南口から本丸へ入り土塁上を1周して内堀の外側を見て此処まで戻りますネ、最後に西側の二の丸脇の石垣を見ますね。

北西の角から北口の土橋側・・・・。

北から西側・・・右側は二の丸・・・二の丸の西側は石垣が見られる下側は学校。

南西角。

南側内堀。

南東側・・・・右側堀向こうにオオケヤキが見えますね。

追手門前の大ケヤキ推定650年・幹回り9・5m、築城当時から・・・。

本丸追手門の土橋・・・南東隅。

追手門土橋。

土橋から見た東側内堀。

本丸城内へ・・・・亀ケ城址の碑・・・枡形門の虎口。

枡形門をはいると、この辺りは枡形内・・・右側に櫓門。

櫓門あたりから見た本丸城内・・・・本丸御殿が当時は立ち並ぶ。

櫓門脇から本丸土塁へ上がり1周します。

南側の本丸土塁・・・多門櫓がすべてあったのです、突き当りには南西の二階隅櫓。

西側の本丸土塁上。

西側本丸土塁から二の丸側を見る。

突き当りの角に北西隅櫓。

北側。

北の虎口・・・・小さな枡形門。

北側から見た本丸城内。

北東隅櫓から見た北側。

東側土塁上・・・・。

南東端・・・追手門の櫓門が在った場所、向かい側の階段を上がり土塁を見てきました。

二の丸(西側)の石垣・・・・下側は違いますね・・・学校のグランド脇から見上げました。

石垣・・・大分崩れたりしていました、修理していたのかしら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


桑折西山城に行って来ました(西館)。

2024-01-22 07:22:11 | 城郭福島1

2024年1月17日(水)に福島の桑折西山城に行って来ました、前日の雪のせいで部分的に結構雪がありましたね。

桑折西山城の二の丸から回り込むように中館・西館地区へ行きます。

桑折西山城の縄張り図・・・左側の中館・西館地区に・・・・残念ながら中館の周りを歩いただけで中の虎口・曲輪等見ることが出来ませんでした・・・雪と藪とで踏み込まなかった為外側を・・・。

中館と西岳の間の堀切(空堀)・・・右奥が西館。

土橋?を渡れば西館、西館も直進部分は見ての通りヤブの中ですが、此方は中に踏み込みます。

もう一度空堀を見ますね、後程西館ヤブの中を見て戻り、空堀横の右脇を進みます・・・素晴らしい空堀ですね。

西館の郭内に入りました、ヤブが多いので石積の土塁?上から見た所。

土塁の外側。

西館の奥に・・・石積の土塁が見えますね。

再び石積上に・・・・西側の石積、西館内は四角と🅻字に分割した形でしょうかネ。

石積が解りますよね。

曲輪内の東側空堀側へ戻り直進、此処にも区分けの門跡?らしき。

反対側にも土塁がありますからネ。

これは先程の西館の中央分離の土塁ですね。

なおも進む、左側が中館との空堀側、西館虎口方面へ進む。

西館の先に来ました、右側へ回り込みます。

西館の虎口方面の土塁が見えました。

近づきましたね、梯子は関係ありません、土塁を崩さないように設けただけです、中央右正面が虎口。

説明版、雪を払うのに寒いのでさわりだけ落としました、上側から来ました、今は一番下の端ですね、上が中館、左側が西館・・・真ん中が空堀・・・西館の上の曲輪内を見て戻り、空堀横を歩いて此処まで来ましたね。

西館の枡形虎口の上段。

西館桝形虎口を土塁上から見た所・・・橋の向こう側を下り下側も(四角に雪をかぶった)枡形がありますね。

土塁下方面の化粧道(通行止め)・・・・削平された曲輪が段々にあるみたいですが・・・・行けませんでしたね。

土塁上の橋の上から見た西館の枡形虎口・・・・この上側も枡形虎口状になっていますね・・・崩した石積みも見えますね。

念のため、もう一枚。

西館枡形虎口の案内板。

下側に降り立ちました、石垣がありますが・・・・?、この先が隠居曲輪・・・城外?。

下から見上げた西館桝形虎口・・・梯子は関係ありませんよ。

折角ですから少し角度を変えて、右方面が化粧道。

正面からもう一枚・・・・・結局中館の曲輪内へは入りませんでしたが、山城の遺構が残されたお城でしたね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


桑折(こおり)西山城に行って来ました(本丸・二の丸)。

2024-01-21 09:43:03 | 城郭福島1

2024年1月17日(水)に福島の桑折西山城に行って来ました。

JR福島駅より3つ目の桑折(こおり)駅、駅から見える手前の山が目指す桑折西山城、駅にある説明書を頂いて・・。

途中には説明の案内書が新幹線をくぐります・・・・万正寺のカヤも途中にあります。

新幹線のガード下を抜けると目の前にある桑折西山城・・・右側が本丸辺りですね。

観音寺方面が・・・右に・・・。

観音寺入口(時間が無く観音寺には行きませんでした)の脇を直進・・・・右側が大手門通りです。

脇の階段を上がれば柵がありますが、入口ですね、昔は右側下が大手門道でしょうね。

獣除けの柵を抜けます、直進の大手門道(今は通行止め)、左側方面から回り込みます。

桑折西山城の縄張り図、今は下側から・・・・今回はまず、右側を案内します、砲台場・本丸・二の丸の右半分です。

車も通れる道を大手門へ、当時は右下が大手門道ですね。

昨日は雪が降りました、今日は駄目かなと思いましたが行けるとこまで行きますね・・・・大手門道を上がり大手門の虎口まで来ました、大手門にかぶさるように右手の砲台場の曲輪が・・。

桑折西山城の大手門が見えてきましたね、この辺りは門前のたまり場でしょうね、今は左側がなめらかですが、当時は切り立つ土手でしょうか?。

桑折西山城の大手門。

大手道を少し進みました、左側奥が本丸・・・本丸を囲むように削平された曲輪が・・・まず右側の砲台場方面へ。

砲台場への上がり道・・・雪が結構ありますね。

砲台場の曲輪・・・・奥左側が砲台場の土塁・・・明治元年の改修した曲輪、明治政府が仙台藩に命じて作ったとの事、会津藩を抑えの為ですが、その後仙台藩も会津藩と同盟を結んで明治政府に対抗することに・・・実際は使用されなかったみたいですがね。

砲台場方面から見た桑折西山城の本丸(右上)、削平された曲輪と犬走のような道現在の宅地造成のような・・・。

桑折西山城本丸です、天文元年(1532)頃に陸奥国守護に任じられた伊達稙宗(14代)が築き、天文17年(1548)に嫡男伊達晴宗が米沢に移るまで戦国大名伊達氏の本拠の山城。

本丸の右側・・・正面右側が裏門側・・・・七曲道(搦め手道・・通行止め)。

本丸から見た左側下が大手門、正面奥が二の丸地区、手前が左が本丸表門、直進が本丸下段方面(空堀で区分け)。

本丸表門・・・大手門へ通じる。

本丸下段地区との分割の空堀。

本丸下段地区から見た二の丸地区、正面の土塁向こうは大きな空堀で二の丸地区と分割、二の丸地区側が見ると高いですね。

土塁を回り込みました、空堀の底道、左側が二の丸地区、右側が本丸地区。

二の丸側の低い曲輪を回り込んで二の丸側の下に出てきました。

二の丸側の右端から上に上がります、二の丸の途中から横を見た所です、削平地と切岸・犬走状態が解りますね。

二の丸。

二の丸から見た、桑折西山城本丸側。

二の丸奥の縁から見た全景、良い景色ですね。

西館方面の案内が・・・・・これから中館・西館へ。