三郎兼続の日記

趣味の写真で山登り・旅行を主体にした日記
最近は山登りが少なく、城郭・巨木へ

城郭の石垣天守5。

2022-06-28 06:42:05 | 城郭天守石垣

2022年6月28日(火)天守石垣が残るが天守が無い、もしくは当初より築城無・・・・シリーズ5番目。

三重県松阪市の松坂城、蒲生氏郷12・3万石が天正16年(1588)に築城、天正18年(1590)には会津若松へ60万石で転封。

大手門脇石垣の上から見た、二の丸の石垣。

本丸上への虎口・・・。

松坂城本丸の天守石垣、連結式三重五階の天守、正保元年(1644)の台風で倒壊、以後無。

三重県津市の津城縄張り図、細野藤光が永禄年間(1588-1570)築城、天正5年(1577)織田信包が改築し五重天守を設ける、慶長13年(1608)藤堂高虎が伊勢・伊予22万石で転封し改築。

本丸石垣から見た西の丸方面、左側が本丸で以前は堀で分割。

津城天守台・・・三重の大天守と二重の小天守とか、寛文2年(1622)焼失以後無。

三重県桑名市の桑名城縄張り図、本多忠勝10万石が慶長6年(1601)に築城。

大手門口から見た左本丸と堀。

本丸の天守台四重六階の天守、元禄14年(1701)焼失以後無。

滋賀県近江市の近江八幡城、羽柴秀次が近江八幡20万石が天正13年(1585)に築城。

近江八幡城本丸大手門、現在は瑞龍寺山門。

現本丸の瑞龍寺、天守台あり・・・・天守構造は不明。

長野県飯山市の飯山城の縄張り図、上杉謙信が改築、江戸時代藩主が度々変わる。

二の丸から見た本丸の石垣。

飯山城本丸の石垣、天守は無く二重櫓を代用。

石川県小松市の小松城の縄張り図。

小松城本丸、寛永16年(1639)加賀藩2代目前田利常の隠居城として再築。

小松城天守台・・・・代用天守として御三階櫓を構築。

兵庫県丹波篠山市の篠山城、慶長14年(1609)徳川家康築城、対豊臣政権と西国大名への抑え天下普請、藤堂高虎が縄張り。

三の丸から見た二の丸・本丸・天守台の石垣。

二の丸から見た本丸方向、本丸右奥が天守台。

本丸奥左側の天守台・・・・・城郭が強固過ぎるので天守は不要との家康の言葉で天守は建てず。

 

 


城郭の石垣天守4。

2022-06-27 15:42:45 | 城郭天守石垣

2022年6月26日(月)訪問した城郭で石垣のみ、現存の天守無・もしくは当時から築城されなかったお城。

佐賀県佐賀市の佐賀城本丸・二の丸の昔の縄張り図、広い水堀に囲まれたお城、竜造寺隆信が築城、その後慶長7年(1602)から鍋島直茂・勝茂が改築

本丸南側の櫓台跡から見た、左側は当時三の丸との間の水堀、本丸の石垣で右側が本丸、正面石垣が天守の石垣。

天守石垣、左側奥が鯱の門本丸大手門、右側が天守石垣で登り口はこちら側本丸からで無く二の丸からとなりますね。

天守石垣を登、四重五階建の天守慶長16年(1611)に完成、享保11年(1726)大火で焼失以後天守は建てず、小倉城天守を参考に建てたとか。

佐賀県唐津市にある名護屋城、太閤豊臣秀吉が文禄の役を始める前に天正19年(1591)築城。

名護屋城大手門正門から見た名護屋城石垣、本丸は右手奥。

手前に三の丸・本丸・天守・二の丸。

名護屋城天守台、五重七階、文禄元年(1592)に完成、慶長3年(1598)に廃城・・・一部は唐津城へ移築、島原の乱の後再利用を恐れ破却、秀吉の夢の跡。

長崎県南島原市の原城の縄張り図、明応5年(1496)有馬貴純が築城、有馬晴信が改築、松倉重政時代に元和4年(1618)島原城完成に伴い廃城。

二の丸方面から見た原城本丸側。

本丸の縄張り図、寛永14年(1637)松倉重政の重税・キリシタン迫害で島原の乱が発生、一揆軍2万数千人が建て籠った城。

原城本丸の櫓台跡、三重櫓・・・・元和の一国一城制で廃城、島原の乱後徹底的に破城。

福岡県久留米市の久留米城・・・本丸の縄張り図、田中吉政32・5万石柳川藩の支城として築城、元和7年(1621)有馬豊氏21万石が廃城改築。

久留米城本丸の石垣、右側の石垣上に代用の巽櫓・・・天守は当時から築城せず。

久留米城巽櫓石垣・・・・代用天守三重三階櫓。

福岡県福岡市の福岡城。

福岡城本丸脇の石垣、左側奥の天守石垣。

福岡城の小天守から見た、正面が中天守石垣、奥が大天守石垣、黒田長政52・3万石慶長6年(1606)から築城7年後に完成、天守は当時から存在せず?。

 

 

 

 


城郭の石垣天守3.

2020-05-08 07:22:52 | 城郭天守石垣

2020年5月8日(金)天守が現存していませんが天守台の石垣が残るお城の3回目です。

大分県臼杵城二の丸大門櫓です、大友宗麟が永禄5年(1562)この丹生島に築城(もとは海に突き出た島)、関ヶ原の戦いで稲葉貞通(一鉄)が5万石の大名となり治め改修した城です。

臼杵城本丸天守石垣です、層塔・望楼型?3重4階の天守だそうですね、西南の役で薩摩軍の前に落城。
竹田城 虎臥山353mに聳える石垣の天空の城南千畳側です、羽柴秀長縄張りとか天正6年(1578)但馬攻めの後赤松広秀(斉村正広)が改修、秀長一門の土木技術は凄いですね。

竹田城本丸天守石垣です、天守への登り口が無い作りなのです?、手前の石垣が”高倉健のあなた”の場面で使われましたね、角川映画”天と地”ではお城が建てられましたネ、天守の構造は不明。

二条城本丸石垣から見た西橋の虎口です、二条城二の丸に御殿が存在で国宝です、慶長8年(1603)徳川家康が上洛時の宿柏所として築てたのです。

二条城西橋から見た本丸天守の石垣です、最初は伏見城天守を移築望楼型、2度目は層塔型で5重5階の天守、寛延3年(1750)落雷で焼失・・・以後はそのまま。

二本松城箕輪門付櫓、天正19年(1591)蒲生氏郷が改修、寛永20年(1642)丹羽光重10万700石が改修、幕末は戊辰戦争の戦場になりましたね。

二本松城本丸天守の石垣です、白旗が峰345mの上に建ちます、この石垣の脇下に蒲生時代の石垣が残っています、天守は不明ですが、3重櫓との事、安達太良山が良く見えますね。

苗木城三の丸から本丸を見上げました、岩場を利用した天然の要塞ですね、慶長5年(1600)関ケ原の後取り戻した遠山友政1万石の城。

山上の本丸から大岩を利用した天守石垣です、天守は不明、三の丸櫓跡の石垣を見事ですね。

大分府内城の石垣です、正面石垣の後の石垣が天守石垣です、右側は人質櫓?、慶長2年(1597)福原直高12万石が築城。

府内城本丸天守石垣上から見た廊下橋、慶長12年(1607)4重の天守、万治元年(1743)焼失。

福井城本丸天守石垣から見た廊下橋、徳川家康次男の結城秀康(豊臣に養子・結城に養子)68万石が慶長6年(1601)ここ北ノ庄に築城。

福井城本丸天守石垣、望楼型4重5階天守、寛文9年(1669)福井大火で焼失。

淀城本丸石垣、松平定綱3・5万石元和9年(1623)築城、秀吉築城の淀城とは異なりますね。

淀城本丸内から見た天守石垣、穴倉式天守(石垣の下から入る)連立式望楼型5重5階地下1階の天守。
これで、私が訪問した天守石垣の概ねです・・・佐和山城も行きましたが、石垣が現存2個(破却されたのです)なので取り上げません、山とか城巡りに行きたいですね、幾つか候補もあるのですが・・・・では。


城郭の石垣天守2。

2020-05-06 12:27:00 | 城郭天守石垣

2020年5月6日(水)天守石垣が存在するが建物無の城郭について整理2、早く外歩きがしたいですね。

広島の三原城です、毛利家の両川の智将とうたわれた小早川隆景のお城ですね、天正8年(1580)築城の海城ですね、毛利水軍を束ね瀬戸内海を収めた拠点です。

海と山に挟まれた三原の為、三原城は鉄道に分断されています、脇は三原駅の新幹線が走っています、三層の天守が在ったみたいですが詳細は?、関ケ原の戦いで活躍?した小早川秀秋は隆景の養子になりますね。

山形城二の丸東大手門です、門前の堀は今はJRの線路が走っていますね、最上義光の居城です。

山形城本丸にかかる橋・一文字門と本丸石垣です、本丸に天守は存在しないみたいですね?、枡形形式の本丸の門が復元されていましたが、本丸は?。

小諸城二の丸の正面石垣です、武田信玄・山本勘助等の名前が築城者(天文23年(1554))に挙げられますが、仙石秀久5万石が天正18年(1590)に改修。

小諸城本丸天守の石垣です、3重の建物とか?、現在の石垣を見ると大分へこみが見られましたね。

松代城本丸太鼓門・・・・別名海津城、川中島の戦いでの武田信玄の城、元和8年(1622)真田信之13万石のお城です、あの真田幸村の兄。

松代城本丸天守台石垣ですが、建物は不明・・・・中には当初から無・・・途中で消失・・・等色々ありますからね。

盛岡城二の丸から本丸を望む・・・空堀に橋で繋いでいますね、三戸城からこの地に築城移りましたね、南部信直、慶長3年(1598)。

盛岡城本丸天守石垣です、天守は御三階櫓だそうです。

石垣山一夜城の井戸曲輪の石垣です、あの豊臣秀吉が小田原攻(天正18年(1590))めのおりに構築した一夜城ですが沢山の石垣が組み込まれた本格的なお城です。

本丸上にある天守台です、石垣はくずれ?ハッキリしませんが、天守は存在したみたいですが不明?。

播州赤穂城本丸大手門、慶長5年(1600)池田長政築城・・・あの赤穂浪士の浅野家の城です、此処も後は海だったそうですが、今は海は見えませんね。

赤穂城本丸と天守石垣です、此処は当初から天守台のみだそうですね。

新潟県村上の村上城本丸の虎口石垣です、慶長3年(1598)村上氏改修、松平直矩慶安2年(1649)改修。

本丸天守石垣です、3重櫓だそうです、山上のお城です、見事な石垣が現存です。
2回目は此処までですが次回まで。




城郭の石垣天守。

2020-05-05 14:33:53 | 城郭天守石垣

2020年5月5日(火)今までに訪問した天守無、石垣残存のお城を取り上げました、新型コロナで自粛中城郭巡りが出来ず・・・・。

安土城・・・ご存知城郭革命、天守(天主と呼んだみたいですが)が出来たのですね、天正4年(1576)安土山198m琵琶湖東岸に織田信長が築城した大手通りの石段です。

安土城本丸天主の石垣です、5重6階地下1が築城。

豊後竹田城(岡城)です、高石垣で有名な山城です、天神山325mに築城した防御力の高い山城ですね。

本丸天守石垣です、中川秀成7万石、文禄3年(1594)に改修、層塔型3重4階の天守が聳えていたみたいですね。

茨城の笠間佐白山182mにある、蒲生郷成3万石が慶長3年(1598)に改修した、笠間城本丸の石垣です、東日本大震災で石垣が崩れました。

笠間城天守の石垣です、今は佐志能神社がありますが、当時は殿守櫓2重2階の天守。

金沢城・・・加賀百万石のお城です、慶長8年(1603)前田利家・利長、橋詰門・続櫓で二の丸への虎口ですね、左奥が天守方向。

金沢城本丸天守の石垣ですね、正面に本丸戌亥櫓、左後に辰巳櫓、中央に望楼型3重4階の天守があったのそうですが、落雷で焼失以後再建されずとの事ですね。

奈良郡山城の追手門・追手門向櫓です、天正13年(1589)豊臣秀長100万石が改修。

郡山城本丸天守の石垣です、5重6階の天守があったのです、秀長は防御性の高い築城家だったのでしょうね。

ご存知徳川家康が築城(改修)した江戸城の北詰門の高石垣です、この中後ろに天守があるのです、美しい石垣ですね。

江戸城本丸の天守台の石垣です、江戸城天守は3度建てられたのです、寛永14年(1637)層塔型5重5階地下1階の天守ですが明暦の大火(明暦3年(1657))で焼失、天守台は復元されましたが、江戸の町復興を挙げた会津藩主保科正之により天守は再建され無かったのですね。

甲斐府中城(甲府城)の稲荷櫓です、築城者は徳川家康?、天正11年(1583)・・今のは江戸期に改修されたものを復元。

鉄門脇の石垣から見た本丸石垣と奥中が天守台石垣・・・天守は不明。

奈良高取城・・・三の丸大手門石垣、高取山583m比高350mと山中にこれでもかコレデモカと石垣を並べた日本三大山城(備中松山城・岩村城)です、これも豊臣秀長の家臣本多利久が天正17年(1589)改修した城です。

二の丸から見た本丸天守の石垣です、天守は連立式3重3階地下1が山上に聳えていたのです、凄い城ですよ。

香川の高松城の月見櫓です、天正15年(1587)生駒親正築城の海城ですね、水堀はすべて海水ですね。

高松城本丸です、本丸には廊下橋で入ります、正面石垣が天守です、3重4階地下1だそうです、再建の話があるみたいですね・・・・見れればいいな。
結構昔の写真を集め大変なので取り合えず今回は・・・あと2回ぐらいは出来そうですが。