2023年2月28日(火)に群馬藤岡の平井金山城に行って来ました、平井金山城は関東管領山内上杉憲実(初代平井城城主)の詰めの城、永享10年(1438)の乱で鎌倉公方足利持氏と対峙・・・籠城した旨の説明が本丸(主郭)にあるが天正元年(1466)上杉顕定(4代藩主)が拡張・・・天文21年(1552)上杉憲正(8代藩主)が北条氏康に攻め落とされたので、その当時の遺構として残っているのでしょうネ。
平井金山城の縄張り図・・・下側の右から左へ説明しました、今回は下側中央の二の丸から上に上がりますね、井戸曲輪まで行少し戻り櫓門・カロウト岩まで。
本丸を下り二の丸脇を右側方面へ本丸を回り込むように下ります。
此処が二の丸ですね、向こうから来ましたね。
最初狭い細い道を下りますね、本丸を回り込むように・・・。
廻込いよいよ、北側正面方向へ・・・目の前は堀切が・
二重の堀切が・・・狭い尾根筋を切っていますね・・・・当時は土橋か・木橋か?。
少し先は大きな曲輪が。
その先は又堀切で大きく分断されていますね。
尾根筋の段差を利用した曲輪が右側が横矢で正面は切岸での防御ですね。
分岐が出てきましたね、左側が井戸曲輪へ、右側は大手門方面。
横矢・切岸ですね。
廻込進むと避難所が見えましたが、あすこが井戸曲輪脇です。
岩盤を掘削してありますね・・・・井戸曲輪です。
説明版が・・・・水は山城の生命線ですからネ。
また先程の分岐に戻りますね、井戸曲輪から見上げます、細く切ってありますね。
先程の切岸・横矢ですね・・・・素晴らしいですね・ワクワクしますよ。
分岐に戻り先に進みますね、細い尾根筋に変わります。
またまた、堀切が・・・。
出てきました虎口が櫓門ですね、正面は平場が続き、右側に虎口が・・・石積も見られますね。
櫓門下側から見上げますね。
少し離れて櫓門を・・・平場の脇は石垣(石積)が見られます。
櫓門先には土橋・・・堀切ですが岩盤を削っていますね。
かろうと岩ですね、この先下側に大手門があるとか・・・下のゴルフ場から声も聞こえたのでそこまで下がらず此処から戻りました・・・権利的にはこの辺はゴルフ場の持ち物みたいですが遺構を崩さず残されたみたいです、まずは良かったです、・・・・この辺りの遺構はやはり戦国期のものでしょうね、此処から戻り・・・高山城・平井城と見て回りました、特に高山城は目の前なのに皆さん知らないので苦労しました。
本丸前まで戻りました、此れから左側へ回り込み、二の丸へ・・・。
平井金山城の縄張り図・・・下側の右から左へ説明しました、今回は下側中央の二の丸から上に上がりますね、井戸曲輪まで行少し戻り櫓門・カロウト岩まで。
本丸を下り二の丸脇を右側方面へ本丸を回り込むように下ります。
此処が二の丸ですね、向こうから来ましたね。
最初狭い細い道を下りますね、本丸を回り込むように・・・。
廻込いよいよ、北側正面方向へ・・・目の前は堀切が・
二重の堀切が・・・狭い尾根筋を切っていますね・・・・当時は土橋か・木橋か?。
少し先は大きな曲輪が。
その先は又堀切で大きく分断されていますね。
尾根筋の段差を利用した曲輪が右側が横矢で正面は切岸での防御ですね。
分岐が出てきましたね、左側が井戸曲輪へ、右側は大手門方面。
横矢・切岸ですね。
廻込進むと避難所が見えましたが、あすこが井戸曲輪脇です。
岩盤を掘削してありますね・・・・井戸曲輪です。
説明版が・・・・水は山城の生命線ですからネ。
また先程の分岐に戻りますね、井戸曲輪から見上げます、細く切ってありますね。
先程の切岸・横矢ですね・・・・素晴らしいですね・ワクワクしますよ。
分岐に戻り先に進みますね、細い尾根筋に変わります。
またまた、堀切が・・・。
出てきました虎口が櫓門ですね、正面は平場が続き、右側に虎口が・・・石積も見られますね。
櫓門下側から見上げますね。
少し離れて櫓門を・・・平場の脇は石垣(石積)が見られます。
櫓門先には土橋・・・堀切ですが岩盤を削っていますね。
かろうと岩ですね、この先下側に大手門があるとか・・・下のゴルフ場から声も聞こえたのでそこまで下がらず此処から戻りました・・・権利的にはこの辺はゴルフ場の持ち物みたいですが遺構を崩さず残されたみたいです、まずは良かったです、・・・・この辺りの遺構はやはり戦国期のものでしょうね、此処から戻り・・・高山城・平井城と見て回りました、特に高山城は目の前なのに皆さん知らないので苦労しました。
本丸前まで戻りました、此れから左側へ回り込み、二の丸へ・・・。