三郎兼続の日記

趣味の写真で山登り・旅行を主体にした日記
最近は山登りが少なく、城郭・巨木へ

佐渡島の雑太城に行って来ました(真野宮・妙宣寺=雑太城)。

2024-06-02 07:13:00 | 城郭新潟

2024年5月29日(水)に佐渡の真野宮・妙宣寺に行って来ました。

真野宮 承久の変(1221)で順徳天皇が佐渡に御遷幸(難しい言葉ですね)、御火葬塚を管理していた真輪寺が明治に真野宮となり順徳天皇を祀る、菅原道真・日野資朝も配祀。

真野宮・

本殿の裏側が御在所。

妙宣寺・・・五重塔で有名なのですが、佐渡の守護代本間氏の居城とは・・・。

妙宣寺の仁王門。

階段を上がると五重塔が見えます。

趣のある妙宣寺の仁王門。

仁王像。

仁王像。

五重塔。

もう一枚。

日蓮宗妙宣寺の山門・・・・手前にある橋・・・お城の空堀、右側は本丸の土塁跡。

妙宣寺=雑太城(さわた)、佐渡の守護代本間氏の居城跡、天正17年(1589)上杉景勝は佐渡に侵攻、家老の直江兼続により此処に妙宣寺を移築したのです・・・との案内板が。

本丸への橋 正面は妙宣寺山門。

橋手前から・・・空堀と土塁。

本丸に入りました、振り返ります、山門と日野資朝の墓。

日野資朝の墓、後醍醐天皇の正中の変、正中2年(1325)北条高塒により佐渡に佐渡に流されその後切られましたね。

妙宣寺番神堂。

此処は本丸の搦め手虎口?、に見えました。

祖師堂(1880)。

妙宣寺本堂(1863築)。

本堂と庫裏。

庫裏(1862築)。

妙宣寺庫裏の大黒柱・・・・クロマツの大木からを使用したものですね、思わぬところで城郭を・・・佐渡は結構お城跡が多いのですよ、たらい船の脇も城山の丘。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


新潟県の村上城跡に行って来ました。

2018-06-27 22:28:37 | 城郭新潟
2018年6月25日(月)に新幹線で新潟その後特急で村上まで行きました。
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村上は鼻曲がり鮭で有名ですね、店の前にぶら下がっていました、凄い顔でした。
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駅前の道から見える山が村上城です、駅で自転車を借りて村上城跡にいざ見参。
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山下の一文字門跡から七曲りの道を登ります、山下左側は御主殿跡ですね。
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七曲りを登りきると石垣が現れましたね、この標高135mの臥牛山の尾根・山頂付近が村上城です。
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この尾根の最初に現れた石垣が四つ門跡・・・・多分四方向への分かれ道を管理する門?1、七曲り2、二の丸3、三の丸4、中世遺構方面への分岐
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縄張り図です、三の丸を見て、中世遺構コースを見て本丸へ、最後に本丸から二の丸を見て回ります。
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中世遺構コースを散策し本丸脇へ出ましたね、コ-スは一度下がり回り込んでの帯曲輪を過ぎて急坂を上ると本丸脇の虎口へ出ました。
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本丸の石垣を見るため一度二の丸方面から見ました、帰りは此処から下ります。
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本丸下の石垣を時計回り見て歩きます、本丸はほぼ長方形です。
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先程上った虎口の脇が本丸への虎口で冠木門跡でした。
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こちら側が天守側の石垣で脇は腰曲輪もありますね。
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北側の石垣です、村上市が眼下に見えますね。
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左側が二の丸側へ下る方向です、今私がいる場所は出櫓の上ですね。
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本丸の冠木門から入ります、枡形の虎口です。
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本丸内部から見た虎口です。
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本丸内から見た天守跡です南側方面ですね。
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村上市側(日本海側)です。
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晴れた日は佐渡島を見えるとか?。
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本丸の天守反対方向二の丸方面へ突き出した出櫓が見て取れます。
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本丸を降りて二の丸方面に下ります石垣が見事ですね。
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二の丸へ向かい突き出した出櫓の石垣です、奥が本丸の石垣です。
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二の丸の一部を現在発掘調査(東門あたりかな?)を行っていました、此れは二の丸防御の御鐘門です。
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山を下りお城方面を見上げると石垣が見えましたね、天守は落雷で燃えて以降は立たなかったみたいです。
























新発田城跡に行って来ました。

2018-06-26 21:28:18 | 城郭新潟
2018年6月25日(月)に新潟の新発田城跡に行って来ました、先に村上城跡に行ってきたのですが、JR東日本の大人の休日倶楽部15000円切符で毎日旅行中の為短い内容から載せます。
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新発田城跡の縄張り図です、新発田藩は溝口秀勝が豊臣秀吉から6万石で入封し、その後関ケ原の戦いで徳川方に着いた外様大名ながら明治まで残りました、城の構えは本丸を二の丸が囲む輪郭ですが、三の丸が南に突き出した梯郭式併用です、南以外が湿地の為とか、現存は北側自衛隊基地で本丸上はありません、今は本丸下側が堀と表門現存門・旧二の丸隅櫓が現存です、辰巳櫓と三階櫓が復元されたものです。
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これは本丸の隅櫓ですが、旧二の丸隅櫓を移したものです、この左奥に三階隅櫓があります。
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二の丸から解体し再構築奇麗な海鼠壁ですね。
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旧二の丸隅櫓の右側が表門方向で右に少し見えるのが土橋門跡で復元を検討しているとか?。
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復元した三階隅櫓です・・・天守ですが外様なのでわざわざそう呼んだとか。
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最上層の屋根の棟がT字型で三個の鯱が乗っています、白漆喰塗の壁で各層の腰壁は海鼠壁で仕上げてありますね。
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少し堀から離れて二の丸方面から、このお城には入れません、自衛隊の基地中なのです。
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土橋門宝庫から見た表門です・・・既存の門です。
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これは復元した辰巳櫓です白漆喰塗の壁ですね、美しい櫓ですね。
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表の堀と辰巳櫓・表門・旧二の丸の隅櫓そろい踏みです、此れから家に帰り明日は岩手県です。









春日山城跡に行って来ました。

2017-06-29 12:51:10 | 城郭新潟

2017年6月26日(月)に新潟の春日山城跡に行って来ました、御存じ越後の竜上杉謙信のお城です。

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信越線春日山駅前の通りから見える山がそうです、正面全体の山城です。

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山全体が城跡です。

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上越市埋蔵文化財センター前の上杉謙信像です、後程出ますが春日山神社脇にも像が在りました。

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右側が神社方面ですが、大手道を進みました、山道と舗装が入り交じった道を登りました。

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しばらく山道を上り詰めると峠にでます、この辺りは南三の丸に当たり権現堂方面へとイザ城が落ちそうな時の落ち筋とも思われます。

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なおも山側の大手道を進むみ堀切状態を上がると大きな曲輪に出ました、重臣の柿崎泉の守の屋敷跡です、大手道の守りの要でしょう。

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御成り街道?関白近衛前嗣が通ったのでこの名前が山道に着いたそうですね、関東に受け入れてもらえず失敗したのですが、左側の上の曲輪は上杉兼勝の屋敷跡、正面は鐘櫓跡です。

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鐘櫓から見た大手道方面です回り込んで上がってくるのです。

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堀切・切岸で各曲輪を分けてありますね。

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山頂直下にある井戸曲輪です、水は今も枯れることなくあります・・・山城は水が命ですからね。

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井戸曲輪を登ると本丸横の天守台に出ました、直江津方面が一望ですね、米山も見えます。

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天守台の脇が本丸跡です。

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本丸の下に二の丸・三の丸と続きますね。

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本丸横に護摩堂跡があります、建物は休憩所です。

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護摩堂跡です、出陣に辺り護摩堂にこもり毘沙門天に祈ったのでしょう。

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護摩堂下に毘沙門堂があり・花畑曲輪と続きます。

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虎口から二の丸・三の丸方面ですが(上の山頂は本丸)崩れて立入禁止でした。

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少し下がると千貫門跡です、登り口が分かれて迷路・・空き堀に誘導の防御を構築したみたいですね。

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上杉謙信を祭神にした春日山神社本殿です。

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神社脇に建つ謙信公像です。

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下から見た春日山城です。

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謙信公の墓がある林泉寺…山門です、流石春日山城歩きでもあり遺構がよく保存されていました、・・・大人の休日倶楽部パス15000円キップで3日目流石に疲れてきました。














高田城跡に行って来ました。

2017-06-29 05:59:42 | 城郭新潟

2017年6月26日(月)に新潟の高田城・春日山城に行って来ました。

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高田駅から駅前通りを行くと高田城跡の外堀(西堀)があります、すごい幅の外堀です東洋一のハス園で有名とか、向こう側が西二の丸側です、三方向を二の丸が囲み北側は北の丸とよばれますね。

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縄張り図です、平城です、大阪の陣前に川を利用し4ケ月で造成したとか、石垣・天守の無いお城ですが、天下普請ですね、伊達政宗が築いたそうです。

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当時のお城の縄張り図ですね、左側が西堀で西二の丸を入ると本城堀と呼ばれる内堀が在り本丸です、南側が三の丸で現在は公園の一部です。

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内堀の本城堀です、河川利用のため、石垣無の土塁です、右側が本丸側です。

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南西の隅に建つ高田城三重櫓です、初代城主は松平忠輝です、徳川家康六男ですが、家康に嫌われた?、不運な武将ですね、晩年は諏訪湖の高島城預かりで亡くなりましたね。

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高田城三重櫓です。

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城内側から見た三重櫓で望楼型ですね。

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此れは南側から見た三重櫓ですね、土塁の上に建っています。

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南二の丸と本丸に架かる極楽橋です。

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もう一度、高田城三重櫓を本丸無いは今は桜の名所で夜桜でとみに有名ですね。