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三郎兼続の日記

趣味の写真で山登り・旅行を主体にした日記
最近は山登りが少なく、城郭・巨木へ

越後の荒戸城に行って来ました(本丸・三の丸)。

2025-06-24 06:40:57 | 城郭新潟

2025年6月17日(火)越後の荒戸城に行って来ました、今回は本丸・三の丸について。

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荒戸城の縄張り図・・・大手から二の丸へ・・・二の丸から本丸へ入りますね。

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荒戸城本丸・・・・前回は此処まで・

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荒戸城本丸から二の丸からの虎口を振り返りますね・・・本丸東側は土塁が奇麗に残っていますネ。

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荒戸城二の丸虎口周辺から本丸北側からぐるりと・・・右側のブナが二の丸から見えた木ですね、北・西側には土塁がありませんね。

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少しずらし、西南方面・・・西側は土塁無・・・南側は土塁で三の丸(西)への虎口脇から土塁が始まっていますネ。

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荒戸城本丸東南の隅・・・東側は土塁、南側奥は高台ですね。

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南側の高台へ・・・。

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登と小さな削平地が・・・・狼煙台か隅櫓?なのでしょうね・・・今は周りに木々が・・。

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高台の奥から本丸を・・・・右側が土塁・・・土塁右下は二の丸と坂虎口、左側が本丸。

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土塁上から二の丸と越後湯沢方面・・・狼煙台・櫓からの連絡が出来ますね・・・見晴らしが良いのです。

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本丸からの虎口、その先が二の丸からの虎口と城内は小さい境目の城です、北条軍により落城しましたね。

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荒戸城本丸・・・北側です・・・この下側に当時の三国街道(上杉軍道)があり関東・越後の境目を抑えていたのですネ。

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ブナの木に目がいきますネ・・・奥が虎口と東側の土塁。

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左側が二の丸の北側、前回二の丸からこのブナを見上げていましたね・・・こちら側は土塁でなく木での城壁なのでしょうかネ?。

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二の丸と三の丸の間の谷間ですね、水の手があるみたいですが・・・私は未確認。

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荒戸城本丸西側から見た三の丸・・・左側の木々がある一段低い所が三の丸搦め手筋の虎口。

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三の丸脇の一段低い曲輪・・・搦め手の虎口へ。

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荒戸城本丸西側から見た所・・・正面左二の丸へのの虎口・・・右側が三の丸への虎口・・・本丸からは虎口は2か所。

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三の丸への虎口。

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本丸脇を回り込むように三の丸手前の一段低い曲輪へ

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荒戸城三の丸・・・・虎口手前に竪堀があり虎口に殺到しづらく細めてありますね。

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荒戸城三の丸・・・右側は本丸の城壁。

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荒戸城搦め手の虎口・・・右側が三の丸。

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三の丸端から見た本丸。

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三の丸北側から見た東方面の二の丸・・・二の丸・三の丸の間には谷(堀が)により隔たれています(この下に水の手)。

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二の丸側の堀が下へ続きますね・・・・二の丸からの堀底道へは降りませんでした、そこから見上げれば違う景色も・・・上杉方の城ですが北条軍も改修したのでしょうからね。

 


越後の荒戸城に行って来ました(二の丸)。

2025-06-23 07:49:32 | 城郭新潟

2025年6月17日(火)越後の荒戸城に行って来ました、天正6年(1578)上杉謙信の急死を受けて養子2名の内乱になった御館の乱が発生・・・北条家からの養子景虎を援護すべき、三国峠を越えて上越から越後の荒戸城へ・・・・今回はその荒戸城へ見参。

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越後湯沢駅前の雪国舎で電動自転車を借りて県道462号(温泉通り・旧三国街道)を南に17号に合流、登坂ですがママチャリの電動自転車スイスイ上りますね、芝原の集落を過ぎて・・・・中央の少し低い山辺りが荒戸城(荒砥城・・信州戸倉の城はこの字)。

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国道17号芝原トンネル・・・・このトンネル上が荒戸城・・・・トンネルに入ってはいけません、トンネル脇に進みますね。

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脇道少し先に荒戸城への案内板・・・・安心しますね。

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脇道から今来た道が見えます、奥が越後湯沢方面、下が芝原集落・・・右端からUターンし、再度Uターン(上の写真)・・・トンネルまでグングン登って来たのです。

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荒戸城大手入口・駐車場・・・此処へ来る前にも入り口がありましたが、此方が良いですね、この先搦め手方面へ行ったのですが登り口は解りませんでした、あのママチャリで登って来ました、新しいバッテリーの半分使用(帰りは殆ど使用せず・・・ブレイキが心配でしたね)。

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荒戸城の説明。

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御館の乱のお話と北条軍が攻めてきた話・・・この城は北条軍により落城、上杉景勝軍は六日町の坂戸城で対応、信越方面は武田勝頼軍が攻め込んだのですが、勝頼軍は資金援助の話し合いで引き揚げてしまったのですね、北条軍も冬が近づき撤退、景虎は鮫ケ尾城で敗れたのです。

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荒戸城の縄張り図 左下側(下が北)の大手筋から二の丸へ上がり・・・・次回本丸・三の丸へ。

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荒戸城大手登城口から少し上ります・・・T字路へ・・・旧三国街道(上杉軍道)。

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此処が旧三国街道・上杉軍道・・・・此処を通り関東へ何度も上杉謙信は行ったのです。

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上杉軍道を少し下がると荒戸城への大手筋が。

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雪が解けて下草も生えていない、新緑の枝が・・・直線の道を上りますね・・・少し削平?。

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花は見えませんが、ギンリョウソウが沢山見られましたね。

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なおも、登ると見えてきましたね・・・脇が削平され、切岸らしき城壁が。

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荒戸城の城壁が幾段にも重なり、正面の切岸。

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上ります、荒戸城二の丸の城壁と堀底道が・・・右奥が三の丸。

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荒戸城 大手筋虎口・・・正面は竪堀、右側へ(小さな枡形・馬出)。

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荒戸城大手虎口 右へ曲がり左へ。

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虎口脇から本丸の城壁。

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本丸城壁脇に立派なブナでしょうか見事な木が・・・。

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大手虎口を入ると荒戸城二の丸、奥右側が本丸。

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荒戸城二の丸。

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二の丸から見た二の丸虎口・・・馬出ですね・・・虎口両サイドが堀切でその先に・・・。

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少し斜めから見た虎口・・・遺構説明では馬出。

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二の丸・・・左上が本丸、向こう側が三の丸。

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上の写真の少し右下・・・・説明では井戸がある・・・確認しませんでした。

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三の丸・・・次回こちら側へ。

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二の丸北側の端から、荒戸城本丸の城壁を見る。

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荒戸城二の丸・・・右側は本丸への坂虎口・・・本丸からの横矢がかりですね。

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坂虎口から見た二の丸虎口。

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坂虎口から見た本丸虎口。

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荒戸城本丸・・・・本丸・三の丸説明は次回。


鮫ケ尾城(二の丸・本丸・米蔵)に行って来ました。

2025-06-13 07:24:04 | 城郭新潟

2025年6月6日(金)鮫ケ尾城に行って来ました。

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鮫ケ尾城の南登城道(左・三の丸)と東登城道(背後)と北登城道の集合・・・奥が本丸方面。

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本丸入口 左・・二の丸、正面本丸の壁登り口、右側本丸脇の腰曲輪・・・まず左へ。

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鮫ケ尾城二の丸。

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二の丸脇から・・・下側に三の丸。

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戻って、本丸へ・・・右側は本丸脇の腰曲輪。

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鮫ケ尾城本丸・・・二段になっていますね。

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鮫ケ尾城本丸へ。

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鮫ケ尾城の案内板・・・こちら側からは妙高山が見えますね。

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鮫ケ尾城の案内板。

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鮫ケ尾城の地形図と遺構説明。

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鮫ケ尾城の本丸から見た景色・・・高田平野・・・正面の山は・・・・米山。

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春日山城も左側方面に見える?、武田信玄の北信濃侵攻への抑えの城ですね、御館の乱終焉の地、上杉謙信亡き後の相続争いで、上杉景虎は此処まで来たのですが、上杉景勝に攻められ自害火を放たのです。

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高田城・春日山城・米山はどれ・・・。

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鮫ケ尾城本丸から見た米蔵。

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焼けた米が出るのです・・・取らない様注意が・・・・。

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米蔵から見た鮫ケ尾城本丸。

 


鮫ケ尾城(東登城道)に行って来ました。

2025-06-12 06:52:10 | 城郭新潟

2025年6月6日(金)に越後の鮫ケ尾城に行って来ました、今回は東登城道からイザ城内へ。

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北新井駅から鮫ケ尾城まで歩きますね・・・周囲は田圃が・・・高田平野の信州の入り口を固めた城ですね・・・後ろに妙高山246mとまだ冠雪の火打山2462mが良く見えますね。

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案内板に鮫ケ尾城の文字が・・・右端手前の低い山ですね。

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大分近づきました、車でないので、徒歩は左の道が近いのです・・・親切ですよ。

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今回は東登城道・・・現在地から・・・斐太神社は右横すぐですね。

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鮫ケ尾城東登城道・・・・入口・・・右側へ行けば斐太神社、北登城道へ。

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クマ出没の看板が・・・近所の人に聞いたら、食い物が無いので今は出ないとか?、念のためクマよけの鈴を。

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図でもわかりますが、長い尾根筋の道になります・・・・この辺りは環濠集落の空堀跡(弥生時代の堀で固めた集落・・・斐太の里は古墳時代の集落なのです。

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左側が北登城道入口への分岐。

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なだらかな道が続きますね・・・この辺りは住むのには良いがお城としては駄目ですね。

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漸く堀切らしい分断が・・・・切岸なのでしょうかネ。

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少しずつ坂道に・・・比高110mの山道ですからね、私はヤマヤですからこの辺りの上り下りは問題ないですね。

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説明版 尾根筋の細い斜面を切り落とした堀切です、正面が切岸で食い止めて横に回れば上から横矢掛かりで防御するのです。

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此処も細い沢筋を堀切でカット。

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上側から見た所・・・・何となく危なそうですね。

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上に上がりますね・・・切岸なのでしょうが・・・土なので、今はなだらかに・・・。

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山城の特徴ですね・・・・段々に切岸が続きますね・

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尾根筋をカットした堀切・・・大分小さいですが解り易いですね。

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東1の丸・・・削平された曲輪跡・・・この尾根の主郭ですね。

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東1の丸を下るとすぐ・・・東1は独立した曲輪ですね。

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大きな切岸が立ち塞がります・・・本丸を守る前衛ですね。

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切岸の上から覗き込みました・・・急坂ですよ、敵を迎え撃ちますね。

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此処で南登城道(水の手・三の丸方面)と合流地点へ出ましたね・・・奥が二の丸・本丸・米蔵。


鮫ケ尾城(南登城道)に行って来ました。

2025-06-11 14:58:01 | 城郭新潟

2025年6月6日(金)越後の鮫ケ尾城に行って来ました・・・今回は北新井駅から鮫ケ尾城大手道である南登城道を上がります。

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まず、駅からは東登城道入口(図の中央下の現在地)が近いですね、そこから左側の道を山側に沿って進みます、左上の方が南登城道。

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高速道路下をくぐり抜けますね、左側の岡は弥生時代の集落の天神堂古墳群で斐太の里として有名みたい。

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高速道路を過ぎれば・・・鮫ケ尾城の旗が・・・上杉景虎終焉の地(上杉謙信ではありません)、景虎は北条氏照の子で謙信の養子の名、もう一れ景勝、二人の養子がいたのですが、謙信がいきなり死亡、跡目争いがおこりましたね・・・世に言う、御館の乱天正7年(1579)景虎が敗れたのです。

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鮫ケ尾城、大手道入口。

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もう一度、鮫ケ尾城の縄張り図・・・左側中央から・・・山頂の本丸入口まで。

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鮫ケ尾城は上杉謙信の家臣、堀江宗近が城主で春日山城を武田信玄からの北信への侵攻に対抗する国境の城。

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縄張り図で見ても、山頂へ近く、左右に屈折した山道で、小さな曲輪が段々に重なっていますね。

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坂路を上がれば削平された曲輪が・・・・何度か続きますね。

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この登城道は・・・当時の道がそのまま残っているとか?。

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上から振り返りますね道の脇が削平され、段々が解りますね。

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いよいよ、城内の人工的、切岸の雰囲気が解りますね。

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下の道の上に上の道が見えますね、横矢掛かりでしょうかネ?。

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鮫ケ尾城の虎口・・・大手門(左側)・・・上側の土塁上から横矢ですね。

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鮫ケ尾城の虎口。

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虎口を入ると折り返して・・・・正面が水の手曲輪、左上が三の丸の土塁、右下が虎口の登城道。

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水の手曲輪の木に動くものが・・・・熊ではありませんでした・・・可愛いリスが。

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鮫ケ尾城 水の手曲輪。

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もう少しアップ。

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水の手曲輪を回り込むように上がります、左右に分かれますが、まず、左側へ。

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鮫ケ尾城三の丸。

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三の丸 奥から・・・堀切の向こう側が二の丸です、三の丸からは”焼けおにぎり”が出土したのです、鮫ケ尾城は戦に敗れそのまま廃城、右側の道を上がりますね。

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三の丸を出て本丸方面へ・・・水の手曲輪が下側に見えますね。

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此処が南・東登城道の集合の地点。

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鮫が城 集合・・・この先が二の丸・本丸・米蔵(最後に説明)。


高田城に行って来ました。

2025-06-10 07:48:16 | 城郭新潟

2025年6月6日(金)に越後の高田城に行って来ました、徳川家康六男忠輝が慶長19年(1614)に天下普請でわずか4カ月で築城・・・豊臣対策の一つですね。

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高田城の縄張り図・・・内堀・外堀・その又外堀・・・・今の高田駅は左側ですね。

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高田城縄張り図 外堀・・三の丸(下側)・二の丸(一部北の丸)・・・内堀・・本丸(天守無)。

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上記図の左側・・大手門筋・・・外堀・・右側が大手橋・・右奥が三の丸方向。

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外堀の西堀・・・向こう側が二の丸。

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外堀を渡り・・・三の丸。

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高田城内堀・・・南側此処は二の丸です、左側本丸西南・・・極楽橋・・・南門の本城御門へ。

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南の二の丸方面から見た・・・現三階櫓の高田城(南西隅櫓ですね)。

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大手門に架かる極楽橋。

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極楽橋脇から見た西側内堀。

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極楽橋手前から見た東側内堀・・・・城内へ。

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高田城本丸の縄張り図・・・本丸の虎口へは3か所・・・今下側南門・・・内枡形の虎口・・・本丸は御殿のみ天守は無し・・大阪城には比べられませんね。

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本丸内は・・・現在学校・・・枡形虎口は?。

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本丸左側方面へ(西側)・・・・高田城三階櫓。

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高田城三階櫓 稲葉正通・松平光長時代を模したとか。

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幻の橋方面から仰ぎ見ました。

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幻の橋から見た・・・本城堀(西側の内堀)。

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西側の二の丸から見た 高田城三階櫓。

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北側から見た外堀(西側)・・・左側が二の丸方面・・・奥に妙高山・・・先程はこの奥右側から来ました。


佐渡島の雑太城に行って来ました(真野宮・妙宣寺=雑太城)。

2024-06-02 07:13:00 | 城郭新潟

2024年5月29日(水)に佐渡の真野宮・妙宣寺に行って来ました。

真野宮 承久の変(1221)で順徳天皇が佐渡に御遷幸(難しい言葉ですね)、御火葬塚を管理していた真輪寺が明治に真野宮となり順徳天皇を祀る、菅原道真・日野資朝も配祀。

真野宮・

本殿の裏側が御在所。

妙宣寺・・・五重塔で有名なのですが、佐渡の守護代本間氏の居城とは・・・。

妙宣寺の仁王門。

階段を上がると五重塔が見えます。

趣のある妙宣寺の仁王門。

仁王像。

仁王像。

五重塔。

もう一枚。

日蓮宗妙宣寺の山門・・・・手前にある橋・・・お城の空堀、右側は本丸の土塁跡。

妙宣寺=雑太城(さわた)、佐渡の守護代本間氏の居城跡、天正17年(1589)上杉景勝は佐渡に侵攻、家老の直江兼続により此処に妙宣寺を移築したのです・・・との案内板が。

本丸への橋 正面は妙宣寺山門。

橋手前から・・・空堀と土塁。

本丸に入りました、振り返ります、山門と日野資朝の墓。

日野資朝の墓、後醍醐天皇の正中の変、正中2年(1325)北条高塒により佐渡に佐渡に流されその後切られましたね。

妙宣寺番神堂。

此処は本丸の搦め手虎口?、に見えました。

祖師堂(1880)。

妙宣寺本堂(1863築)。

本堂と庫裏。

庫裏(1862築)。

妙宣寺庫裏の大黒柱・・・・クロマツの大木からを使用したものですね、思わぬところで城郭を・・・佐渡は結構お城跡が多いのですよ、たらい船の脇も城山の丘。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


新潟県の村上城跡に行って来ました。

2018-06-27 22:28:37 | 城郭新潟
2018年6月25日(月)に新幹線で新潟その後特急で村上まで行きました。
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村上は鼻曲がり鮭で有名ですね、店の前にぶら下がっていました、凄い顔でした。
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駅前の道から見える山が村上城です、駅で自転車を借りて村上城跡にいざ見参。
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山下の一文字門跡から七曲りの道を登ります、山下左側は御主殿跡ですね。
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七曲りを登りきると石垣が現れましたね、この標高135mの臥牛山の尾根・山頂付近が村上城です。
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この尾根の最初に現れた石垣が四つ門跡・・・・多分四方向への分かれ道を管理する門?1、七曲り2、二の丸3、三の丸4、中世遺構方面への分岐
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縄張り図です、三の丸を見て、中世遺構コースを見て本丸へ、最後に本丸から二の丸を見て回ります。
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中世遺構コースを散策し本丸脇へ出ましたね、コ-スは一度下がり回り込んでの帯曲輪を過ぎて急坂を上ると本丸脇の虎口へ出ました。
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本丸の石垣を見るため一度二の丸方面から見ました、帰りは此処から下ります。
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本丸下の石垣を時計回り見て歩きます、本丸はほぼ長方形です。
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先程上った虎口の脇が本丸への虎口で冠木門跡でした。
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こちら側が天守側の石垣で脇は腰曲輪もありますね。
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北側の石垣です、村上市が眼下に見えますね。
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左側が二の丸側へ下る方向です、今私がいる場所は出櫓の上ですね。
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本丸の冠木門から入ります、枡形の虎口です。
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本丸内部から見た虎口です。
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本丸内から見た天守跡です南側方面ですね。
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村上市側(日本海側)です。
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晴れた日は佐渡島を見えるとか?。
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本丸の天守反対方向二の丸方面へ突き出した出櫓が見て取れます。
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本丸を降りて二の丸方面に下ります石垣が見事ですね。
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二の丸へ向かい突き出した出櫓の石垣です、奥が本丸の石垣です。
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二の丸の一部を現在発掘調査(東門あたりかな?)を行っていました、此れは二の丸防御の御鐘門です。
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山を下りお城方面を見上げると石垣が見えましたね、天守は落雷で燃えて以降は立たなかったみたいです。
























新発田城跡に行って来ました。

2018-06-26 21:28:18 | 城郭新潟
2018年6月25日(月)に新潟の新発田城跡に行って来ました、先に村上城跡に行ってきたのですが、JR東日本の大人の休日倶楽部15000円切符で毎日旅行中の為短い内容から載せます。
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新発田城跡の縄張り図です、新発田藩は溝口秀勝が豊臣秀吉から6万石で入封し、その後関ケ原の戦いで徳川方に着いた外様大名ながら明治まで残りました、城の構えは本丸を二の丸が囲む輪郭ですが、三の丸が南に突き出した梯郭式併用です、南以外が湿地の為とか、現存は北側自衛隊基地で本丸上はありません、今は本丸下側が堀と表門現存門・旧二の丸隅櫓が現存です、辰巳櫓と三階櫓が復元されたものです。
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これは本丸の隅櫓ですが、旧二の丸隅櫓を移したものです、この左奥に三階隅櫓があります。
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二の丸から解体し再構築奇麗な海鼠壁ですね。
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旧二の丸隅櫓の右側が表門方向で右に少し見えるのが土橋門跡で復元を検討しているとか?。
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復元した三階隅櫓です・・・天守ですが外様なのでわざわざそう呼んだとか。
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最上層の屋根の棟がT字型で三個の鯱が乗っています、白漆喰塗の壁で各層の腰壁は海鼠壁で仕上げてありますね。
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少し堀から離れて二の丸方面から、このお城には入れません、自衛隊の基地中なのです。
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土橋門宝庫から見た表門です・・・既存の門です。
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これは復元した辰巳櫓です白漆喰塗の壁ですね、美しい櫓ですね。
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表の堀と辰巳櫓・表門・旧二の丸の隅櫓そろい踏みです、此れから家に帰り明日は岩手県です。









春日山城跡に行って来ました。

2017-06-29 12:51:10 | 城郭新潟

2017年6月26日(月)に新潟の春日山城跡に行って来ました、御存じ越後の竜上杉謙信のお城です。

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信越線春日山駅前の通りから見える山がそうです、正面全体の山城です。

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山全体が城跡です。

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上越市埋蔵文化財センター前の上杉謙信像です、後程出ますが春日山神社脇にも像が在りました。

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右側が神社方面ですが、大手道を進みました、山道と舗装が入り交じった道を登りました。

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しばらく山道を上り詰めると峠にでます、この辺りは南三の丸に当たり権現堂方面へとイザ城が落ちそうな時の落ち筋とも思われます。

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なおも山側の大手道を進むみ堀切状態を上がると大きな曲輪に出ました、重臣の柿崎泉の守の屋敷跡です、大手道の守りの要でしょう。

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御成り街道?関白近衛前嗣が通ったのでこの名前が山道に着いたそうですね、関東に受け入れてもらえず失敗したのですが、左側の上の曲輪は上杉兼勝の屋敷跡、正面は鐘櫓跡です。

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鐘櫓から見た大手道方面です回り込んで上がってくるのです。

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堀切・切岸で各曲輪を分けてありますね。

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山頂直下にある井戸曲輪です、水は今も枯れることなくあります・・・山城は水が命ですからね。

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井戸曲輪を登ると本丸横の天守台に出ました、直江津方面が一望ですね、米山も見えます。

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天守台の脇が本丸跡です。

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本丸の下に二の丸・三の丸と続きますね。

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本丸横に護摩堂跡があります、建物は休憩所です。

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護摩堂跡です、出陣に辺り護摩堂にこもり毘沙門天に祈ったのでしょう。

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護摩堂下に毘沙門堂があり・花畑曲輪と続きます。

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虎口から二の丸・三の丸方面ですが(上の山頂は本丸)崩れて立入禁止でした。

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少し下がると千貫門跡です、登り口が分かれて迷路・・空き堀に誘導の防御を構築したみたいですね。

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上杉謙信を祭神にした春日山神社本殿です。

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神社脇に建つ謙信公像です。

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下から見た春日山城です。

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謙信公の墓がある林泉寺…山門です、流石春日山城歩きでもあり遺構がよく保存されていました、・・・大人の休日倶楽部パス15000円キップで3日目流石に疲れてきました。