三郎兼続の日記

趣味の写真で山登り・旅行を主体にした日記
最近は山登りが少なく、城郭・巨木へ

2023年訪問した城郭。

2024-01-02 22:51:07 | 訪問城郭年間総集
2023年に訪問した城郭の一部をまとめました、昨年はコロナ禍も後半落ち着いたのでそれなりに見て回りましたね、近場の山城にも行ったのですが、写真照会では解りずらいので・・・・。

写真で分かりやすいお城を並べました。

浪岡城 青森県青森市 低い丘陵を堀切で分割した各館・・・応仁年間(1460代)の中世の城郭北畠氏の居城、天正6年(1578)大浦(津軽)為信に攻められ落城。

山形城 山形県山形市 延文元年(1356)斯波兼頼築城、最上義光・鳥居忠政改修・・・山形城二の丸西不明門。

上山城 山形県上山市 模擬天守、天文4年(1535)武衛義忠築城。

二本松城 福島県二本松市 寛永20年(1643)丹羽光重10万700石で入城、戊辰戦争では火をつけて落城。

久米城 茨城県常陸太田市 佐竹氏の支城、山城 尾根筋を利用した、東・・主郭、北・・南・・の出城と見ごたえのあるお城でした。

久米城 主郭の本丸への虎口部分。

守谷城 茨城県守谷市 平将門伝説の城、後北条の城、相馬師常が城主。

守谷城 二の丸から楯形曲輪(木橋の向こう)・・・楯形曲輪の向こうも空堀でその奥が本丸(昔は木橋?今は空堀のみ)、見事な遺構が残っていますね。

平井金山城 群馬県藤岡市 永享10年(1438)山内上杉の上杉憲実は平井城に逃れ、詰めの城として築城(長尾忠房)・・文正元年(1466)関東管領上杉顕定により拡張、天文21年(1552)北条氏康により落城・・・その後越後長尾景虎(上杉謙信)に頼る。

平井金山城 櫓門の虎口、一部石垣も見える・・・上の図の上側。

小山城 静岡県島田市 模擬天守、馬場信春が築城、天正3年(1575)長篠の戦いで武田軍敗北、小山城にて防戦、天正9年(1581)高天神城落城により翌年自落。

諏訪原城 静岡県島田市 牧之原台地の舌状台地の山城、馬場信春築城、武田築城の特徴を備えた・・・丸馬出・三日月堀、写真では大きくてハッキリしないので模型を採用しました、小山城・諏訪原城は高天神城のツナギの城。

玄蕃尾城 滋賀県長浜市 山城、賤ケ岳の戦いの柴田勝家が本陣(陣城)とした・・・・結局戦わず北ノ庄に引き上げたので山中の遺構がそのまま残っていますね・・・・何せ凄い山の中。

玄蕃尾城 本郭虎口脇の土塁上から見た、土橋先の土塁に囲まれた馬出・・・・まるで模型の様な遺構。

水口岡山城 滋賀県甲賀市 天正13年(1585)中村一氏築城、慶長5年(1600)長束正家の時西軍に着き敗れ廃城。

水口岡山城 本丸の残存石垣、今は土塁だが当時本丸は総石垣とのこと。

水口城 滋賀県甲賀市 出丸虎口に復興櫓(乾櫓)本丸は右手側、寛永11年(1634)徳川家光上洛の時の宿泊の城・・・一度の使用のみとか、石垣は水口岡山城より転送再利用・・・佐和山城からの彦根城みたいですね(他にも小谷城からの長浜城)。

長浜城 滋賀県長浜市 模擬天守、羽柴秀吉が浅井長政の小谷城攻めの軍功で築城、そもそもは琵琶湖に突き出した水城。

三好山城・芥川山城 大阪府高槻市 永正12年(1515)細川高国築城、細川晴元・三好長慶、北・西・南の三方を芥川で囲まれた急崖の上、三好長慶永禄11年(1568)河内飯盛山城へ移る。

三好山 大手口の石垣。

池田城 大阪府池田市 小規模な城で何度となく落城、その都度?拡張強化、池田氏から荒木村重へ、村重謀反時、織田信長の有岡城攻めの本陣として使用。

飯盛山城 大阪府四条畷市 永禄3年(1560)畠山高政を破り三好長慶の居城とし、天下に号令(畿内)。

飯森山城 二の丸脇の堀切・・・・石垣が随所にみられる。

烏帽子形城 大阪府河内長野市 楠木正行・・築城元弘2年(1332)、天正12年(1584)中村一氏の支城として改修。

出石城 兵庫県豊岡市 慶長9年(1604)小出吉英が有子山城を廃止し山麓に築城、この時期から山から里に築城法も変わりましたね。

竹田城 兵庫県朝来市 天空の城、本丸天守台、永享3年(1431)山名定全、豊臣秀長により改修・・・その後斉村政広により今の竹田城に・・・・生野銀山監視の城?。

竹田城 南千里方面の石垣、見事ですね。

姫路城 兵庫県姫路市 池田輝政播磨52万石、連立式望楼型5重6階地下1階、ヤハリ日本一のお城ですね。

松山城 愛媛県松山市 安政元年(1854)再建、加藤嘉明20万石,連立式3重3階地下1階。

松山城 北隅櫓・十間廊下・南隅櫓(1968)再建。

高知城 高知県高知市 山内一豊高知24・2万石、慶長6年(1601)。

高知城 独立式望楼型4重6階。

麴池城 熊本県菊池市 ヤマト朝廷朝鮮式山城。

麴池城 古いお城で広大な山ですからね。

八代城 熊本県八代市 元和8年(1622)加藤正方(清正の次男)一国二城・・・その後細川氏に引き継ぐ。

八代城 本丸の石垣上から見た、小天守と大天守の石垣、天守への登り口が???。

延岡城 宮崎県延岡市 慶長8年(1603)高橋元種築城。

延岡城 千人殺しの名前が付いた高石垣。

佐土原城 宮崎県佐土原市 関ケ原の戦いで討死した島津豊久の居城。

志布志城 鹿児島志布志市 天正5年(1577)島津氏の外城、本丸の一部を除いて後は未整備。

知覧城 シラス台地を利用した山城。

首里城 沖縄 琉球王朝の王城、広福門前の広場から見た所・・・左奥・歓会門、右側久慶門。






















































2022年訪問した城郭。

2022-12-29 07:42:28 | 訪問城郭年間総集

2022年に訪問した城郭の一部をまとめました、一部は2021年末分も、お正月なのでよろしかったら見てやってください。

今年はコロナ禍にも関わらず結構見て歩きましたね、道楽ですね。

栃木県芳賀郡茂木町 茂木城・・・中世の山城、建久年間(1190-1199)茂木知基が築城、それから約400年16代・・・鎌倉時代ですね戦国時代は佐竹氏の支配下。

茂木城 本丸脇(手前が本丸の土塁)の望櫓跡・・・・茂木駅からも良く見えますね、佐竹氏秋田移封に伴い、慶長15年(1601)廃城。

茨城県水戸市 元は佐竹氏の居城、徳川御三家の水戸城 大手門復元で見に行きました、三の丸と二の丸に架かる大手橋と大手門。

水戸城 復元した二の丸隅櫓。

栃木県宇都宮市の多気城 中世山城、宇都宮国綱が後北条に対抗すため改修。

多気城 本丸から見た宇都宮方面、後に宇都宮へ戻るが豊臣秀吉により改易城は廃城となる。

清洲城 愛知県清須市 弘治元年(1555)織田信長が那古野城から移り大改修後に小牧山城へ移る。

徳川義直も名古屋城完成前はこの城にいましたね、本能寺の後の清須会議の場所でもありますね。

箕輪城 群馬県高崎市 榛名白川の河岸段丘に築かれた平山城、長野氏の居城、武田信玄との抗争の城、後に井伊直正12万石が改修、高崎城へ移り廃城。

箕輪城 二の丸側から見た大堀切に架かる土橋と郭馬出曲輪と西虎口門(復元)。

郡上八幡城 岐阜県郡上市八幡山山頂の山城、天正16年(1588)稲葉貞道が大改修、慶長5年(1600)関ケ原後遠藤氏が返り咲く・・・郡上八幡城天守と桜の丸隅櫓。

郡上八幡城 天守と木々で見ずらいが松の丸隅櫓。

墨俣城 岐阜県大垣市墨俣・・・木下藤吉郎の(豊臣秀吉)墨俣一夜城です。

墨俣城 それにしても立派なお城が出来上がりましたね・・・大垣城を模したとか。

松坂城 三重県松阪市 天正16年(1588)蒲生氏郷12・3万石が築城・・・その後会津へ移る、筋違い虎口石垣上から二の丸方面を右側の石垣は本丸下段の石垣。

松坂城 二の丸方面から中御門・本丸方面の虎口を見る。

桑名城 三重県桑名市 木曽三川(揖斐川・長良川・木曽川)の河口の水城、本丸から二の丸方面を見る。

桑名城 本丸天守台、本多忠勝11万石が慶長6年(1601)築城。

小牧山城 愛知県小牧市 織田信長が美濃攻めの拠点として築城永禄6年(1563)・・・今の堀は天正12年(1584)豊臣秀吉対徳川家康の小牧長久手の戦い時家康の本陣として改修。

小牧山城 小牧山はわずか86m、平野部の真ん中にあり辺りを一望、崩れた石垣が多数あり、織田信長はわずか4年、高速の寄せで岐阜城攻略。

名古屋城 愛知県名古屋市、天下普請慶長18年(1613)築城徳川御三家、尾張藩の城、大天守を仰ぐ。

名古屋城 大天守・渡櫓・小天守、木造再建が待ち遠しいですネ。

津城 三重県津市 織田信包が築城慶長13年(1608)藤堂高虎22万石が移り大改修、西北隅櫓石垣から見た西の丸方面。

津城 丑寅隅櫓。

小田城 茨城県筑波市 常陸南部を収めた守護15代のの城。

小田城 東虎口に架かる橋と堀、左側は本丸。

原城 長崎県南島原市、キリシタン関連との世界遺産キリシタン大名有馬晴信が築城その後廃城。

原城 二の丸から見た本丸、寛永14-15年(1637-1638)板倉氏の弾圧に耐えきれずに発生した島原天草一揆の3・7万人が籠城した城。

島原城 長崎県島原市、板倉氏4万石による元和4年(1618)築城、板倉重政・勝家二代による圧政で一揆が発生。

島原城 巽櫓、天守・・・二の丸・本丸は総石垣、島原・天草一揆の責任で勝家は斬首改易。

諫早城 長崎県諫早市、戦国時代初期に西郷尚善が築城。

諫早城 天正12年(1587)豊臣秀吉による島津征討のおりに付かず落城、本丸に残る楠の巨木。

大村城(玖島城) 長崎県大村市、慶長4年(1599)大村喜前が築城海城。

大村城 大村湾に突き出した半島の先端、二の丸脇の板敷櫓。

川之江城 愛媛県四国中央市、四国の中央に位置し昔からの激戦区であった、慶長5年(1600)関ケ原の戦いで移封された加藤嘉明が改築。

川之江城 加藤嘉明は松山城を築城移転・・・・廃城。

松山城 愛媛県松山市、松山城二の丸、慶長7年(1602)加藤嘉明築城。

松山城 二の丸。

大洲城 愛媛県大洲市、肱川脇の丘の上に・・・伊予の国守護宇都宮氏の居城、天正13年(1585)小早川隆景35万石の支城。

大洲城 天守と高欄櫓、藤堂高虎・脇坂安治・・・・改築。

この大洲城・郡上八幡城は前々から行きたかったので良かったですよ、でも結構行きましたが、まだ生きたい場所があるので頑張りたいですね。

 

 

 


2021年に訪問した城郭。

2021-12-31 13:52:04 | 訪問城郭年間総集

2021年に訪問した城郭の一部をまとめました、お正月ですが良かったら見てやってください。

コロナ禍にも関わらず結構見て回りましたネ。

滋賀県近江八幡市にある八幡山城。

豊臣秀次が天正13年(1585)43万石の近江の領主として築城、山麓にも居住の館跡が在ります。

兵庫県丹波市の山城(356m)にある黒井城・・・訪問後熊の出没が報道されていましたね。

別名保月城、明智光秀の丹波攻略に立ち塞がった、赤井直正のお城。

京都府福知山市にある明智光秀築城福知山城。

電車から撮影した、福知山城・・・天正7年(1579)築城・・丹波攻略が終わっての築城ですね。

兵庫県丹波篠山市の高城山(459m)の八上城。

丹波一帯を収めていた波多野氏の山城、明智光秀との戦いで籠城戦後落城、天正7年(1579)。

兵庫県丹波篠山市にある篠山城。

徳川家康が豊臣氏と西国大名の抑えに天下普請で築城、藤堂高虎縄張り。

豊臣秀吉と明智光秀とが争った山崎の戦い。

京都府の山崎、天王山270mにある山崎城。

天正10年(1582)本能寺の変後、豊臣秀吉が中国大返しで戻り明智光秀との山崎の合戦の地、その後大阪城築城までこの地に居たとか。

山崎の合戦の明智光秀軍の拠点の勝竜寺城。

合戦に敗れ抜け出した勝竜寺城北門、坂本城を目指すが・・・。

福島県会津市向羽黒山にある向羽黒山城。

向羽黒山城二の丸、永禄11年(1568)蘆名盛氏が7年の歳月を費やし築城。

向羽黒山本丸・・・・岩崎山409m。

長野県佐久市、龍岡城五稜郭。

文久3年(1863)松平乗かたが築城・・・幕末。

龍岡城の裏山にある田口城脇から見た龍岡城、五稜郭の一部が未完成ですね。

長野県松本市の松本城二の丸虎口。

松本城本丸・乾小天守・辰巳付櫓・月見櫓、複合連結式層塔型5重6階、石川数正・康長築城。

長野県上田市・・・米山城・砥石城・本城・枡形城・・・真田家ゆかりの山城。

米山城本丸、天文19年(1549)武田信玄と村上義清が争い武田軍が敗れた砥石崩れの舞台。

砥石城本丸、あの真田幸隆が調略で砥石城を落とし、村上軍はやぶれますね。

砥石本城・・・真田一族は上田城を築城移るまでこの地が本拠地です。

枡形城本丸・・・・山沿いの尾根筋に繋がるお城。

長野県上田市・・・・上田城本丸虎口、本丸南櫓・東虎口櫓門・本丸北櫓。

尼が淵ぞいの西櫓、真田昌幸が天正11年(1583)築城・・・徳川軍と対決した城。

佐賀県佐賀市の佐賀城竜造寺家、鍋島直茂・勝茂が慶長16年(1611)に完成。

佐賀城天守台。

福岡県福岡市の福岡城黒田長政が慶長6年(1601)から7年かけて築城、多門櫓。

福岡城小・中・大天守石垣。

福岡県久留米市の久留米城、田中吉政柳川藩32・5万石の支城、元和7年(1621)有馬豊氏が21万石で入封。

久留米城本丸石垣より・・・・4代目藩主有馬頼元の元禄4年(1691)に完成・・・天守は無し。

佐賀県唐津市の唐津城・・・・5重5階の模擬天守。

唐津城は寺沢広孝が慶長7年(1602)から7年かけて築城。

佐賀県 名護屋城三の丸、本丸大手門虎口。

名護屋城本丸、豊臣秀吉が唐入りの軍事拠点として天正19年(1591)築城。

名護屋城天守5重7階、玄界灘を壱岐・対馬・朝鮮へ約20万の兵士が渡海、一時期この地には10万の兵士が集まった、慶長3年(1598)廃城、夢のまた夢・・・

この頃はお城番組も多くなりましたが山城見学は、無盡状態の散策が楽しめますね。

























2020年に訪問した城郭。

2020-12-31 13:49:03 | 訪問城郭年間総集

コロナ禍の2020年・・・でも!、幾つかの城郭に行って来ました、最初の2-3カ月は通常の生活でしたからネ、後半はGOTOトラベルを利用したり・・・・。

これから訪問した城郭の幾つかを記載・・・名古屋・三重近辺に行けなかったので天守が余りありませんが。

まず、最近行った沖縄の琉球王国のグスク3城です。

沖縄県世界遺産琉球王国のグスクの5城の一つ、座喜味城・・・沖縄県読谷村・・・1420年頃護佐丸按司築城の曲線的な石垣の城です。

本丸石垣上から見た二の丸です、アーチの石門です、城壁の上からの攻撃が可能な仕組みですね。

移動した本丸城壁の上から見た本丸です、正面左側が城壁への石段、正面がアーチの石門。

次が勝連城です、4の丸(中間の内)から見上げた所、14世紀勝連按司の阿麻和利が築城海辺の100mの丘にある北城、後ろ側の丘が南条(行かないので遺構は?)。

四の丸からの石段と三の丸の石垣、連格式に三の丸・二の丸・本丸と段々に構成。

勝連城本丸です、海は太平洋です、この右下に二の丸・三の丸。四の丸(中間の内)・南城(向かい側の丘)の優れたお城ですね、力を付け琉球王に反乱し敗れ滅亡。

おなじみの首里城守礼の門です、14世紀尚巴志が築いた琉球王国の王城入口。

大手門である歓迎門。

正殿入口横の日影台から見た左側が歓迎門、右側は久慶門、やはり王城です、石垣の量が違いますね。

うって変わりますが、世田谷城・・・東京世田谷に残る城郭です、1月にいったのです、豪徳寺の一部にもかかる?広さですが、松陰神社も近く、経堂台地から南に突き出した舌状台地で下に烏山川が天然の堀となる中世城郭の立地条件をみたした城。

今は小さな公園ですが、この後の豪徳寺辺りも城の一部だったのでしょうね、右側は切れ落ちていますからネ、高台とわかります。

空堀の雰囲気は解りますが、土が流れ落ちない様舗装されていました、都会ならでのお城跡ですが今に残っています、サギソウ伝説の吉良氏のお城。

以前より行きたかったお城です、逆井城・・・茨城県坂市逆井の平城です川と湿地帯を利用したお城です、後北条が改築し拡大北条氏繁が治めた、交通の便が悪くいきずらかったですね。

奥にある逆井古城本丸逆井氏時代のお城・・・空堀、右手側は三の丸。

復元された逆井城です、安土・桃山以前のお城の形態ですね。

桐生城(柄杓山城) 群馬県桐生市山城桐生国綱築城、山頂本丸・二の丸・三の丸の連格式、元亀4年(1573年)に太田金山城由良繁が桐生親綱を攻撃し奪う。

桐生城三の丸から二の丸虎口を見る、堀切と虎口状態が解りやすく両サイドは竪堀、左側二の丸を回り込むと北の丸がありますね。

桐生城本丸、春は桜の名所でしょうかネ・・・まだ1月でしたからコロナも無く人も一人だけでした。

上山城 山形県上山市、天文4年(1535年)武衞義忠築城、その後城主は激しく入れ替わる。

上山城・・・右側の横手より。

上山城正面、ここはかみの山温泉です、以前も来たのですが修理中でした。

米沢城 山形県米沢市平城、城主は伊達晴宗・蒲生郷安・上杉景勝とかわる、関ケ原の戦いで西軍が敗れ会津120万石から米沢30万石に減封された上杉の城。

米沢城(米沢神社)本丸の虎口・・・・毘沙門天の旗印が見えますね。

米沢城本丸・・・現在米沢神社。

舘山城 山形県米沢市にある330mの舌状丘陵で南と北から川が合流する地点の山城中世城郭です、伊達晴宗の城。

一と二の郭にある土塁と虎口。

同じ一と二の間の土塁、破城で崩された模様・・・・奥の土塁・堀切等の遺構は良く残っていますね。

皆川城 栃木県栃木市、永享元年(1429年)皆川秀宗が築城、天正18年(1590年)皆川広照は小田原城に籠城降伏し家康の取り成しで領土安堵。

全山を曲輪・竪堀で防御。

山頂本丸。

志波城 岩手県盛岡市、古代城柵延暦22年(803年)坂上田村麻呂が築城。

志波城外部南門・・・城内より。

同じく築地塀と上の櫓。

五稜郭 北海道函館市、稜保式の城郭、慶応2年(1866年)函館戦争の舞台。

榎本武揚ら旧幕府軍が立てこもりましたね、郷土の先輩土方歳三は開城前に潔く突撃しましたタワーに像が二つもありました。

五稜郭内函館奉行所・・・・鉄砲・大砲時の堡塁としては狭く感じますね、他に幾つかのお城を廻ることが出来ました早くコロナ終息してほしいですね。















2018年訪問の城郭の一部を年賀用に一覧にしました。

2018-12-30 09:06:09 | 訪問城郭年間総集

2018年訪問の城郭の一部を年賀用に一覧にしました。
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石川県金沢市の加賀百万石前田家の金沢城の菱櫓、白漆喰に海鼠壁・唐破風・入母屋破風の出窓が特徴ですね。
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橋詰門一の門、左奥が本丸で尾山御坊が在った所です、大阪御坊(大阪石山本願寺・・・大阪城)一向一揆の拠点ですね。
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富山県富山市の富山城です此処も加賀藩から分家した富山藩10万石前田家の城です。
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城内から見た富山城ですね、高校2年の時国体で来たのですが・・・・。
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天守は無いのですが、有名な山城なので、石川県七尾市の七尾城の桜の馬場石垣です。
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山頂の本丸に七尾城の碑が・・・・七尾湾が眼下に見えます、長尾景虎が攻め落としたお城ですね、霜は軍営に満ちて 秋気清し・・・・。
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福井県坂井市の現存天守の丸岡城です柴田勝豊が築城、独立式望楼型二重三階です。
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丘下から見上げた丸岡城、丸岡藩有馬氏5万石のお城です。
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福井県大野市の大野城、連結式望楼型二重三階。
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織田信長の家臣金森長近が築城とか‥‥・越前大野城・・天空の城。
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新潟県村上市の村上城本丸跡です、村上藩本庄氏のお城です。
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山城ですが、見事な石垣が本丸を中心に残っている村上城。
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新潟県新発田市の柴田城です、御三階櫓・・・三つの鯱が珍しいですね。
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辰巳櫓・本丸表門・二の丸隅櫓と堀の新発田城。
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山形県山形市の山形城・・・最上義光の城です、本丸一文字門の大手橋です、本丸築城はまだ先?ですかネ。
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線路際で写しずらいのですが、山形城二の丸大手門です。
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岩手県二戸市の九戸城本丸です、豊臣秀吉の奥州仕置き九戸政実の乱の舞台です。
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本丸と二の丸の間の空堀です、蒲生氏郷が構築?、南部家家督相続と奥州仕置きが重なり秀吉軍6万とのいくさが此処で起こったのです。
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青森県三戸郡の三戸城です、南部信直の居城です、九戸政実との相手です。
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その後岩手県盛岡城へ南部家は本城を移し、三戸古城と呼ばれたみたいですね。
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長野県諏訪市の高島城です、諏訪の浮城と呼ばれたみたいです、今は諏訪湖が離れてしまいましたが。
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城内から見た高島城、諏訪家2万7千石諏訪家は徳川に所属し関ケ原の後所領を獲得したのです。
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岐阜県中津川市の苗木城です、遠山家のお城で、幕末1万石でのお城持ちは此処だけとか、苗木城三の丸の大矢倉の石垣です。
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苗木城本丸の天守展望台です、大石を利用し築城。
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秋田県秋田市の久保田城です、佐竹氏です。
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久保田城隅櫓佐竹氏は清和源氏の流れの名門で20万石ですが(実40万石)と裕福な藩でしたね。
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愛知県犬山市の国宝犬山城です、尾張藩附け家老成瀬家の居城です。
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城内から見た犬山城。
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愛知県名古屋市の名古屋城です、解体まえの石垣調査中で入れません。
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西南隅櫓から見た本丸門・東南隅櫓の名古屋城、徳川家康が西国の大名に作らせた天下普請のお城です、尾張徳川の居城です。
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愛知県岡崎市の岡崎城です、徳川家康誕生のお城ですね。
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石垣土塁に囲まれ、木々が多くお城が撮りずら岡崎城です、このほかにも有名無名のお城を訪問しましたがやはり建物の有るお城を並べて見ました、お正月ミカンでも食べながらでも見てくださいね。
































2017年の城郭訪問です。

2017-12-30 11:57:57 | 訪問城郭年間総集

2017年度に訪問した天守もしくは櫓がある城郭を年賀用に一覧にしました。

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三重県伊賀上野城の天守です、梯郭式平山城現在は木造模擬天守で層塔型3重3階ですが昔は5重と大きく石垣を当時の半分しか使用していないみたいです、此処は高石垣でも有名です。

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福井県越前大野城の天守です、現在は連結式望楼型2重3階、織田信長の家臣金森長近が一向一揆鎮圧の恩賞にこの地をもらい建てたそうです。

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福井県丸岡城の現存天守です、独立式望楼型2重3階、柴田勝家の甥柴田勝豊築城。

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岐阜県岐阜城の天守です、長良川脇の金華山(稲葉山)山頂、織田信長が斉藤龍興から奪い天下布武の号令戦国統一に向かいました、独立式望楼型3重4階。

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愛知県犬山城の現存天守国宝です、木曽川の脇望楼型3重4階。

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青森県弘前城の現存天守です、独立層塔型3層3階、現在石垣修理の為曳家で本丸広場に移動中でした。

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東京都江戸城伏見櫓・多門櫓です、皇居二重橋の奥に見える櫓です、西の丸の櫓はこれ一つとか。

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新潟県高田城です、松平忠輝で有名ですね独立式望楼型3重3階、大阪城が欲しくなるのも?。

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福岡県小倉城望楼型4重5階。

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長野県上田城西櫓です、真田氏の居城。

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岐阜県大垣城です関ケ原の戦いでの拠点でした、層塔型3重4階。

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大阪府大阪城です望楼型5重8階、豊臣秀吉で有名ですが、徳川秀忠が再建したのです。

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大分県府内城人質櫓幕末再建の櫓です、右側石垣が本丸です。

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奈良県大和郡山城追手門・追手門向櫓、本丸はこの奥の石垣に囲まれた跡があります、豊臣秀長です。

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大分県中津城です、黒田官兵衛(考高)築城の城です、独立式望楼型5重5階です。

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福島県二本松城箕輪門・付櫓、幕末の戦乱で落城した悲劇の城です(少年隊の悲話も)。

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宮城県白石城です、片倉小十郎の城です、三階櫓層塔型です、幕末の奥州連合の舞台とか。

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京都府福知山城です、明智光秀の居城で連結式望楼型3重3階です。

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愛知県名古屋城です、連結式層塔型5重5階の大天守・左側が小天守です、右側が御主殿です、徳川家康が天下普請でつくり尾張徳川家が治めました、今度木造での再建とか楽しみですね。

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和歌山県和歌山城です連立式層塔型3重3階豊臣秀長が築城、のち紀州徳川家が治めましたね。

他にも沢山のお城を訪問しましたが、お正月用に櫓・天守があるお城を載せました、来年も元気にお城探索が出来ればと良いと思っています。










お城(城址)探訪 2015年

2015-12-23 10:36:15 | 訪問城郭年間総集

 ☆画面はフル画面でお願いします☆

 沢山のお城がありますが、殆どは城址(城跡)です、当時の現存の天守閣が保存されているものは12城、お城の建物は最近建てられたものが殆どです分類分けとして,現存天守ー復元天守ー復興天守ー模擬天守ー天守風建物(お城とは無関係)。

城址に至っては保存状態次第です、保存状態が良ければ当時の状態が伺えますが、悪ければ名前のみに・・・・。

 

此れは江戸城北の丸”清水門”です・・・・・私の好きな門です、流石天下普請で見てくれはシンプルですが巧緻で防御制の高い作りですね。

左の写真の左側近くの石垣の上から見た所です、枡形式ですね右側が土橋からの出入り口での高麗門がありその外が鵜首で狭めてあります(大勢で来れない仕組み)高麗門を入り広場で右側に行くのですが清水門が立ちはだかります、手前は堀、左側は石垣、狙い撃ちされるのです。

 

例え門を破り突破しても正面・左側は堀の石垣で手前に来る道になります。

門を回り込むと左側は急な土塁、道は登坂なので上方向からの攻めをここでも食らいます、右側からも囲むように迎え撃つのです良くできた防御だと思いませんか?。

 

 この高い石垣は江戸城本丸(右側)と二の丸(左側)の間にあり内堀まで(白鳥濠)ある防御です、この坂は潮見坂(昔は海が見えたのでしょう)で坂を上ると突き当りに石垣、曲がって門があり防御されています。

江戸城大手門です、ここも高麗門・枡形式出入り口(虎口)で奥が大手門です。

 

東京駅から丸の内の外堀(まだ内堀が正しいか)を過ぎると桔梗濠があり、巽櫓が石垣の角にあります、奥が桔梗門でその奥が富士見櫓です、とても良い景色ですね、この内堀1周約5kmでジョギングコースです(北の丸は含みません)、皇居前広場・北の丸とは堀で分けてありますからネ。

江戸城内には沢山の門があります・・・・今はありませんが、石垣と石垣の間は門があるのです、また2重3重の水堀に防御された素晴らしいお城です。


 

二本松城の箕輪門です、戊辰戦争で激戦地となり落城しました、会津では白虎隊がここでは少年隊14名が戦でなくなりました(左下に像)。

門下から見上げる箕輪門、角にあるのは石落としです、銃撃・砲撃の戦は築城当時考えていないのは無理もありませんからね、しかも壮年の武士たちは防御で出払い老人・子供たちなのでしたから、藩としても簡単に落城すると思ってもいませんでしたね。

 

二本松城は白旗ケ峰に築かれた山城で頂上に天守閣跡の石垣が見られます、この反対方向に安達太良山が良く見えます、この石垣は修理され奇麗でしたね、昔来たので2度目のお城になります。

 

諏訪湖湖畔にある高島城、昔は向こう側まで湖水があり、現在は陸地化し湖水は大分先です、石垣が緩やかなのは湿地帯の性ですかね?。

手前が隅櫓・冠木門・天守、冠木門は現在は櫓門です。

 

 甲府城稲荷櫓、甲府の駅前(駅が2分)石垣の角に立つ櫓です、建物は此れだけで後は門が復元されていますね。

城内の縄張りがこの城はわかりやすく見られますね、鉄門本丸への入り口です、内松陰門からの枡形広場等上から見えるのでこれもわかりやすいです。

  

関宿城です・・・・関宿城博物館の名前です、利根川と江戸川に挟まれたスーパー堤防上にあります、昔の城は少し下流の土手から川の中です、古河城も渡良瀬川の川中にお城が在ったみたいです河川改修で変わりますからね、古河城も。土手の外側にお城を復元したら良いと思うのは私だけでしょうか。

関宿は後北条が関東制圧に必要な重要拠点でした、このため関東管領上杉と数度にわたる戦場でした・・・・後北条が収めましたが・・・・、この城は江戸期の城を模したものですが江戸城富士見櫓が原型とか。

 

高崎城乾櫓・・・堀と土塁が現存していますが町中の平城のため廃城後軍隊の駐屯地に使用されていました。

これも乾門です、三の丸は官庁街で面影はありません。

 

久留里城天守閣・・・山の上に立ちます2層2階、二の丸は別の連結した尾根にあり三の丸は山下にあります・・・・いろいろ城主が変わりますが戦国末期は里見氏ですがこれとは違いますね。

江戸期は黒田氏で写真手前が天守閣の台とあります、天守は浜松城模擬天守を模したみたいです。

 

館山城もとは里見氏のお城、その後のお城の内容外観は不明との事、丸亀城天守を模して建てたとあります、これがお城らしいお城ですね。

房総の海を目の前に小高い丘の上にそびえる高欄廻縁の付いた奇麗なものです入り口は付け櫓。
千葉県はお城が好きですね千葉城も全くの模擬天守閣ですから。

 

徳川家康ともゆかりの深い城、浜松城石垣の野面積みが荒々しいですね、高欄廻縁ですね、石落としが大きく広がっています。

大手門と浜松城・・・元々天守閣は無いとか?。

 

 掛川城、土佐の山内一豊が一時収めていましたね、ここは二の丸御殿が現存しています、この天守は日本初の木造での復元天守です、幕末の大地震で崩壊し無かったのです。

高知城をある程度参考に復元したと入母屋・唐破風・花頭窓、高欄廻縁は無いとの説も。

 

 駿府城二の丸巽櫓と東御門。

駿府城坤櫓。

 

 竹田城址です天空の城で有名、修復したのですが奇麗な石垣が見事なものですね、豊臣秀吉が弟秀長に改築指示し、当時の西国の武士達に見せつけたのでしょうね、大手門の石垣です。

山頂からの三方へ広がる山尾根を利用した縄張りです、本丸横から見た南二の丸・南千畳方面の石垣です。

 

 本丸の石垣です、本丸の入り口らしきものが見えないので最後は梯子の階段状態なのでしょうか・・・手前低い石垣は田中裕子がステージにした所とか。

南千畳方面からの二の丸・三の丸・大手門側を見た所です。

 

 後北条氏照が建てた八王子城の御主殿の石垣と冠木門です、右側の山上が八王子城本丸方面です、ここに天正18年(1590)年6月23日豊臣・北陸支隊50,000人(降伏部隊15000人を含む)が北条八王子留守部隊3,000人のこの城に猛攻撃をかけたのです、城主氏照は小田原城に4,000人で籠城中でした。

深澤山の山頂が本丸跡です、この右側に小宮曲輪がありこの曲輪の手薄の不備を突かれ落城したとあります、広大な城内を守る兵力不足・・・・逆に豊臣軍はそれ程の軍事力が有ったのでしょう、小田原は22万の兵力で囲んだのですから。

 

 武田信玄・勝頼と徳川家康の攻防の地高天神城の山城です。

急峻な山城でH型・・・この城が落ちてこのすぐ後に武田家が滅亡しました。

 

 唐沢山城の高石垣が今に残っています、唐沢山に建てた佐野氏の連郭式山城です、上杉謙信が何度となく攻めあぐんだとのことです、江戸時代江戸の火事を見て(晴れた日の展望が良い)早馬で駆け付けた所、江戸を監視との事で不興を買ったとも、その後佐野城に移転廃城になりましたが遺構が良いです。

本丸跡の唐沢山神社がありますが、横からの虎口は元石垣でしょう。

 

群馬県金山城址の見事な石垣です。

金山城本丸跡。

 

 

小田原攻めの折に作られた一夜城二の丸から見た本丸方面です、石垣も崩れていますがかなりあります。

一夜城の水曲輪です、ここは当時の石垣がそのままありますが崩れの為立ち入り禁止です。 

 

 群馬県の箕輪城址の本丸あと石垣ではありませんが、見事な深い土塁でのお城後に驚嘆します。

本丸土塁上から見た下が空堀です、武田信玄と争った長野業政・業盛らの夢の跡です、春風に梅も桜も散り果てて名のみぞ残る箕輪の山里(業盛)・・・水汲みに行くのか地獄の一ノ木戸行くとは見えて帰る人なし(詠み人知らず)