三郎兼続の日記

趣味の写真で山登り・旅行を主体にした日記
最近は山登りが少なく、城郭・巨木へ

郡上八幡城に行って来ました。

2022-04-17 12:05:08 | 城郭岐阜
2022年4月12日(火)に岐阜駅から郡上八幡城下町へ、電車の方が時間がかかるのでバスにしました本数はありませんが結構早く行けますね。

地図の左下側から駐車プラザバス停、此処から山側の城山公園山頂の郡上八幡城を目指します。

駐車プラザから安養寺横の急坂を城山公園、ジグザクの急坂を20分程登ります。

お城の大手門奥の安養寺です、右横がお城への道。

お城への道、正面が岸剱神社ですが、左側へ。

坂道を上ると安養寺が眼下。

城山公園の案内図・・・此処が二の丸跡です、八幡城は山城で詰めの城ですね。

城山公園から見上げると郡上八幡城の天守が桜の花に埋もれて見えます。

公園の山内一豊と千代(生まれ在所)(土佐の高地の殿様)の像が(名馬を購入した所)。

郡上八幡城の縄張り図です、山頂付近に石垣と帯曲輪で囲まれた城です、木造による復興天守と櫓高塀があります。

急坂を(山道)を上ると出てきましたね、石垣・・・上の図の右端下。

イザ此れから城内へ。

しかし、立派な石垣ですね、見えるのは正面門脇の隅櫓。

本丸下の帯曲輪が此処は2段下の櫓があった場所から見上げました、奥が天守・・・独立層塔型4層5階、此れから下の道を左へ天守下の虎口を上がり隅櫓脇から天守裏・・上の帯曲輪を戻ってきますね。

その前に天守を・・・隅櫓は木々で隠れていますね。

下の帯曲輪を進むと石垣に囲まれた虎口が。

上段の帯曲輪へ上がります。

上段の帯曲輪から見た隅櫓。

先程下から見上げた隅櫓。

帯曲輪から見た郡上市八幡の町を流れる吉田川と小駄良川。

今登って来た虎口と隅櫓。

天守裏側の曲輪。

上段の帯曲輪から見た郡上八幡城と高塀と隅櫓。

本丸御門。

本丸から見た郡上八幡城、八幡山山頂354m/130m登って来ました、永禄2年(1559)時の郡上領主東常慶(とうのつねよし)と遠藤盛数が争う、その時遠藤方が陣を構えたのが八幡山(古名牛首山)、天正16年(1588)稲葉貞道が城主となり大改修本格的な山城へ、慶長5年関ヶ原の戦い後遠藤慶隆が返り咲き中腹に二の丸を構築。

天守最上段より見た城下町・・・この方向から登って来ましたネ。

城下町下から見上げた郡上八幡城です、意外と交通が不便な為以前よ来たかったお城なので良かったです、しかし暑く汗だくでしたね、この後岐阜駅に戻り墨俣一夜城(記載済)へ行ったのです。


墨俣一夜城に行って来ました。

2022-04-15 11:48:49 | 城郭岐阜
2022年4月12日(火)に岐阜県大垣市の長良川西岸の州股(墨俣)墨俣城に行って来ました。

郡上八幡城の帰りに岐阜駅からバスで終点”墨俣”へ、墨俣界隈を歩き川沿いの今は立派なお城を散策しました、桜並木がありますが終わっていましたね、今日は凄く暑い。

墨俣は美濃路の宿場町なのです、この脇は寺町界隈でお寺さんが沢山ありますね。

此処が長良川の脇犀川と天王川の州股なのでしょう?(中州)なのです、永禄4年(1561)ー9年(1566)の織田信長の美濃侵攻の足掛かりとして築城した砦・・・・永禄9年木下藤吉郎が一夜に築いた二階建て高櫓とは違いますが

お城を回り込むように見ますね。

正面がわから。

しかし随分立派なお城を築きましたね、この川原の土手には桜並木が縦横にお花見が進みますね。

回り込んできました。

ここは犀川の橋の上から、お城に架かるのが出世橋、土手の水門向こうは長良川・・・・上流に稲葉山(岐阜城)があるのです・・・美濃斉藤氏。

いよいよ城内へ。

城内に神社がありました。

墨俣一夜城。

ひょうたんの出世の泉・・・・馬柵(敵の騎馬を防ぐ)がありますね、実際は沢山の馬柵を並べ敵がこれなくし砦を作ったのです。

お城の前の犀川の水門。

出世橋を渡ります、太閤秀吉の像が正面にありましたね。

橋の上からもう一枚。

右側の山の真ん中建物が付いた所が稲葉山・・・・・岐阜城が見えますね・・・・この時には織田信長は清州城からすでに小牧山城へ移っていますね、永禄10年(1567)美濃斉藤氏滅びますね。




大垣城跡に行って来ました。

2017-10-11 07:05:55 | 城郭岐阜

2017年10月8日(日)に大垣城跡に行って来ました、当日は大垣市の10万石まつりで賑わっていました。

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駅前通りを少し進むと右側に大垣城跡が在りました、大手門脇の丑寅隅櫓です、大垣城は関ケ原の戦いで石田三成の西軍の拠点になった事でも有名ですね、三重・四重の堀に囲まれた平城ですが戦前は国宝でした。

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戌亥隅櫓脇から見上げた天守です、今は町中と木々がありお城が見ずらい環境でした。

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少し中に入り見上げました。

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本丸中よりの姿です木々が多くもう少し離れたいのですが取れません、江戸時代の本丸は内堀内に二つの分かれた敷地が連結し虎口は一つの防御性の優れたお城みたいですが今は想像しずらいですね。

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お城を正面入り口から見ました。

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現在の大手門です右端が先程の丑寅隅櫓です。

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天守脇の黒門跡とありました、この周辺が堀で此処から橋で本丸へは入れたのでしょう?。

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西側からのお城です、此方がわ公園ですが今日はお祭りで沢山の方がいました、丁度も粽まき前でした。

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西門とお城と戌亥隅櫓です。

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江戸時代の城主戸田氏鉄公の像左が戌亥隅櫓です。

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木が邪魔して、此処で今餅まきが始まり私も二個ゲットしましたがチョット危険でした。

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関ケ原の戦いは1日で終わりましたがその後もここでは攻防戦は続いたのですが最後は裏切りが出て落城したのです、明日は犬山城・名古屋城です、清州城を計画しなかったのが残念ですが!!。




岩村城跡に行って来ました。

2017-10-10 10:45:49 | 城郭岐阜

2017年10月8日(日)に名古屋周辺のお城巡りに行って来ました、まず岩村城跡です。

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明知鉄道恵那駅から30分程で岩村に着きました、1車両の単線です。

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ここ岩村は松平の城下町です、城下の奥の山に岩村城があります。

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城下のメイン道路を進みます、今日はお祭りでした、帰りに見ましたネ。

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酒屋さんに女城主の看板が・・・・おつやさんです信長の叔母が此処遠山家に嫁いだのですが旦那が亡くなり・・・・その後武田軍の秋山虎繁が攻め無血開城・・・夫婦になったのですが信長の為後に殺されました・・・・。

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城下端から山の入り口から山頂にかけて岩村城です、完全な山城です・・・日本三大山城?の一つです。

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山麓にある岩村城太鼓櫓です。

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山道を登りしばらくすると石垣が出てきました、一の門です。

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この辺は山登りですね、横矢がかりのくねった道です。

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土岐門手前です、この辺から見事な石垣が在りますね。

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大手門を入ると両サイドが石垣の通路に入りました右側が三重櫓跡ですね。

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なおも進むと右側に菱型の石垣があり上が二の丸です。

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回り込むと本丸の石垣が見えます、左側はガケです、六段の石垣でとみに有名ですね、左側の石垣の上が東曲輪です。

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左側が東曲輪右側が長局・本丸側です。

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本丸の六段の石垣です。

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東曲輪から見上げた長局埋門です、本丸は石垣手前が長局奥が本丸と二段になっていますね。

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長局門跡です、切り込み接ぎの石垣ですね。

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本丸の六段石垣の上から見た登ってきた道です、正面左側が二の丸で菱型石垣が在ります。

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同じ位置から見た東曲輪と長局門方向です。

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本丸跡です、左側は井戸のあとで、奥が天守跡です。

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岩村城天守跡です。

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本丸脇の埋門跡です。

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味方を変えた埋門跡です、上が本丸、下が長局です。

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埋門を下から見た所です。

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埋門下からの石垣で石垣向こうが六段の石垣です。

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城下は祭礼でした、此れから大垣へ向かいます、結構山道での石段が歩くのに大変でしたが素晴らしいものでしたので満足です。