三郎兼続の日記

趣味の写真で山登り・旅行を主体にした日記
最近は山登りが少なく、城郭・巨木へ

綾瀬川の護岸工事に行って来ました。

2023-01-27 07:51:41 | 日記・エッセイ・コラム
2023年1月23日(月)埼玉県蓮田市と伊奈町を流れる綾瀬川の護岸工事が始まりました、昨年末土手に鉄板を引いていたので気にしていたのですが・・・。

蓮田市側の護岸工事、手前は上尾市側です・・・土手脇の石をはぎ取っていました・・・重機の力は凄いですね。

次から次へとはぎ取っていますね、この辺りは確りしていますが。

下流側が瓦葺の落合橋です、見沼代用水が綾瀬川とクロス・・・現在は見沼代用水は綾瀬川の川下を潜り抜け(伏越)ですが、昔は川の上に水路を渡す(掛樋井)ですね・・・レンガの掛樋井跡が残っています・・・・工事は橋の手前までですね・・・川が曲がって逆に土が堆積するので護岸の必要がないのかな?。

振り返り上流を見ています、川の先の石垣?が下がっていますね・・・石垣の下の地盤が弱く土地が流されて滑って潜るため石垣が崩れているのですね・・・その為張り替えるのですね・・・地盤改良工事がどのように進められるのか楽しみですね。

地盤沈下による石垣が見られる場所、逆にこちら側は昨年堆積した土を除いたのですが、また溜まり始めていますからネ・・・。

此処までが石垣ですね・・・どこまでやるかわかりませんが、川がゆったりと広がっている場所はやらないのか?、川の流れに沿って行うものなのでしょうね?。

綾瀬川(写真右側)と原市沼側の合流地点です、正面が伊奈町・左側が上尾市・右側が蓮田市・・・この辺りは昔から低地で奥江戸湾の端なのでしょうね、側の高台には志の崎の地名がありますから?・・・何せ大昔ですからネ。

八甲田山に行って来ました(樹氷)。

2023-01-20 12:53:51 | 旅行記
2023年1月17日(火)に青森県の八甲田山に行って来ました、吹雪の為、樹氷がはっきり見えず、視界が無く山頂駅側でも駅が解らずの状態でしたね。

十和田湖から再び奥入瀬渓流を通り、蔦温泉・谷地温泉(以前宿泊した覚えが・・・男風呂は混浴だったと)の前の国道103号を・・・凄い雪の中を行きましたネ、雪上車も途中見られました。

八甲田山ロープウェイ山頂までは約10分・・・スキー客が結構沢山来ていました。

ロープウェイから見た・・・殆ど見えませんが、木々達です。

ロープウェイ山頂駅を出て見ましたが、全然見えません、観光客はすぐ戻りました、外はマイナス10度、私は冬山の装備で出たので小一時間彷徨しましたが・・・・写真も写っているのかわからず取り合えず撮りましたね。

ロープウェイ山頂駅を少し進むと、わずかに樹氷らしきものが見えます・・・足元もわからず進みましたね・・・沢山の中から少しは樹氷らしく見えるものを・・・。

駅側の樹氷の全体が解らないので取り合えず・・・・写真を撮りながら。

如何でしょうか、かなり補正してこんなものですが、・・・・。

蔵王の樹氷はスキーで何回か行きましたが、八甲田山は冬は初めてです。

やはり、人を入れた方が少しわかりやすくなりますかネ?。

樹氷の雰囲気が伝わりますかネ、晴れたら素晴らしいのでしょうが、此ればかりは・・・。

実際もこんな風にしか見えず、少し離れると見えませんね。

これはスマホでの写真です。

もう一枚、しかし、戻ろうとしたら、側の山頂駅が見えないのにはビックリしましたね、方角もわからず、辺りを見回しても何も建物が見えないのですから・・・よく生還で来ました、天は我々を見放さなかったので無事下山、今度は夏この辺りの高山植物を見に来たいですね、春の新緑・夏の高山植物・秋の紅葉・冬の樹氷・・・見どころ満載ですからね。


青森十和田湖・奥入瀬渓流に行って来ました。

2023-01-19 07:39:48 | 旅行記
 2023年1月16日(月)に十和田湖・奥入瀬渓流行って来ました。

宿泊先の白神山地入口そばの乳穂の滝を見ました、不動明王を祀った滝ですね、高さ33mの滝で全面凍結するみたいですが、温かいので奇麗に流れ落ちています。

滝裏にも不動明王を祀ってあります、裏見の滝。

全体の感じです、氷の柱になるそうです。

冬の十和田湖です、今日は奥入瀬渓流氷瀑ツアーです、昼間見て、夜にもライトアップした氷瀑を見ます・・・奥入瀬渓流を二往復明日も通るので2・5回見ますね。

十和田湖御前ケ浜・・・奥入瀬渓流1回目を見た後にホテルに着きました、夜まで暇ですから雪の降る中乙女の像を見に来ました、この先。

十和田湖に浮かぶ恵比寿大黒島、十和田湖は青森県と秋田県にまたがる大きな湖。

高村光太郎晩年の作乙女の像。

昼間の奥入瀬渓流・・・滝名は?、バスの中から見るだけです、歩く事は出来ません。

バスの中からなかなか難しい。

沢山取りましたが・・ボツ。

昼めし後、山の雪を・・・弘前の桜ではありませんが・・・。

帰りにも、此処までが昼間の写真。
下が夜の奥入瀬渓流を5か所ほど別の車でライトアップを・・・外に出て写真撮影・・・光が上手く届かず上手く撮れませんでしたが、何枚か。

滝まで光が?。

道路脇に近いものが・・・。

車の上に固定したライトでライトアップの微妙な加減差が無く?・・・・ほとんどははっきりせず?・・・なに技が無いその通りかも(泣)。

青森の弘前城に行って来ました。

2023-01-18 11:44:33 | 城郭青森
2023年1月15日(日)に青森県行って来ました、青森の旅行が何回か続いていますね。

津軽の三味線の演奏・・・ねぶたの飾り物を見ました。

これは扇方です。

この前五所川原に寄ったのですが、立佞武多はそういえば見ていませんね・・。

今回は”冬に咲くさくらライトアップ”のツアーに乗せられて出かけたのですが?・・・・何もありません・・弘前城前のお堀端の桜の木に雪が付き・・・・桜の花のように見える??・・・しかも温かく雪は無く何も?。

いいさー・・・私は弘前城を見ますから、城前の堀端で良かった・・・弘前城三の丸追手門。

追手門から城内へ、津軽4・7万石の居城、津軽為信。

お城見学には中途半端な時間でしたね、弘前城二の丸南門。

二の丸の辰巳櫓ですね。

弘前城天守・・・・現存する12の一つ、独立式層塔型3層3階・・・現在石垣を修理中です、早く石垣の上に戻した姿を見たいですね、やはり桜の花の咲いた良い時期に・・・、此れから白神山地の手前まで。


埼玉の毛呂氏の館跡に行って来ました。

2023-01-15 08:07:58 | 城郭埼玉1
2023年1月11日(水)に埼玉県毛呂山にある毛呂氏の館跡に行って来ました。

JR八高線毛呂駅の西側高台には埼玉医科大学病院がありますが、そこより少し南の山麓(石尊山)の長栄寺一帯が毛呂氏の館跡、長栄寺を街道側から見た所、高台が解りますね。

長栄寺を正面に・・・・現在長栄寺の墓場が大きく広がっていますね、手前後ろには不動尊のお堂もあります・・・どこまでが館かわわかりませんがお寺の裏側の山は明らかに削平された地形です。

長栄寺前にある石碑‥毛呂顕季の館。

山門手前にも毛呂氏館の説明が、毛呂氏は治承4年(1180)源頼朝挙兵以来の側近、鎌倉殿の13人の抗争に嫌気がさし此方に引き込んだとか、戦国末期小田原北条に属し、天正18年(1590)小田原攻時には八王子城の守備につき多くは討ち死にし滅んだのです。

奥の山間に溜池がありますね、高台なので水の手が必要なのです、沢から水を・・・。

山門前から左側の鐘撞堂を進むと溜池があり、山側(寺の横)に毛呂氏のお墓が・・・・。

墓石の表面が崩れて読み込め無いようなことが説明版にありましたが、確かに風化してますね、諸行無常・・・。

毛呂氏のお墓の後に館跡の標識が・・・お寺の後方になりますね。

お寺との隙間にも小さな掘りらしきものが・・・・・。

少し先を回り込むと館跡へでますね、右側が、小さな堀がわ・・・その下側がお寺がわ、段々に削平された館。

回り込みました、お寺の後方上の高台になりますね・・・毛呂氏館跡。

山肌を切り落とし削平したのです・・・・此処が毛呂氏の館跡。

先まで行って振り返りました。

少し先まで少し下りました、回り込むようにお寺の間に腰曲輪?。

戻って館の後方に回り込みました、館の後ろ側には小さな堀跡が見られますね?。

戻りました、長栄寺の正面側の山側には不動堂がありますね・・・此処は?。

長栄寺が目の前、お墓は屋敷地区・・・それとも沢ののか・・・いずれにしろ長栄寺は毛呂氏の館跡です。


埼玉の毛呂竜ケ谷城に行って来ました。

2023-01-14 12:56:46 | 城郭埼玉1
2023年1月11日(水)に埼玉県毛呂山に竜ケ谷城に行って来ました、JR八高線の毛呂駅からの歩きとなりました。

毛呂駅から毛呂本郷交差点から見た毛呂山城(竜ケ谷城)の竜ケ谷山205m・・・庚申塚の分岐を左側に曲がり橋を渡り200-300mが入口。

埼玉医科大学病院の裏手側なのでしょうね?、竜ヶ谷城よりは雷電神社です(多分地元の人に聞いても神社が解りやすいのでは)、この右側はゴルフ場で神社があるので残された遺構では・・。

漸く竜ケ谷城の文字が現れましたね。

チョット先に神社の入り口が・・・後は右側へ・・・山道でゴルフ場へ上りますね。

山道をゴルフ場が正面に・・。

ゴルフ場です、雷電神社へのお参りは昼間はOKですね、カギを外して入ったら閉めてください、入って左側方向です。

左側少し先の石燈籠先を右側にいけばよいのです、此処はゴルフ場のカートの道路ですね。

此処からは一本道です階段を上りますね。

階段を上りきると正面に鳥居が・・・此処が竜ケ谷城の三の郭。

竜ケ谷城の縄張り図・・・今は下の方の三の郭先端です・・・これから二の郭、一の郭と行きますね。

鳥居の奥が二の郭、此処は三の郭ですが、左側の脇下、鳥居の右側も曲輪がありますね・・・三の郭の一部?。

鳥居を潜り抜け上がると社務所・神楽殿のある二の郭。

二の郭の右側に一の郭方面への上り路が・・・。

二の郭から振り返ります、下が三の郭・・・そこそこの落差はあります。

少し上って振り返りますね、二の郭です、帰りは右側へ降りて見ますね。

一の郭はもう少し、横矢掛かりの虎口になりますね。

階段横上も削平された小さな曲輪がありますね。

雷電神社ですね、竜ケ谷山山頂です。

雷電神社隣は稲荷神社です。

雷電神社と稲荷曲輪。

神社へ上がります、縄張り図では全体が一の郭ですが、神社の所は少し高くなっていますね。

雷電神社の脇にも小さな社が・・・この神社域は完全な一の郭ですね、この左下に腰曲輪があります。

一の郭の後がわです、先の方はゴルフ場ですが手前は急斜面ですね。

神社側から見た北側・・・此処も一の郭。

先端から見た毛呂山の町、正面森が出雲伊波比神社、手前の大きな建物は埼玉医科大学病院。

先端先を少し下ってみますね、先には小さな削平地が見られますね?。

木下は段々で削平されています、縄張り図の通りですが・・・随分小さいですね・・・?。

竜ケ谷城の説明版・・・毛呂氏の詰めの城・・・標高205mの山(要害山)を利用した中世の山城、各郭の周辺に腰曲輪や竪堀

一の郭先端から神社側を見る。

神社前の石段より二の郭方面を見る、右側は一の郭下の腰曲輪。

階段脇を見る三の曲輪の腰曲輪?。

二の郭神楽殿の脇から下る、右側方面にも二の郭腰曲輪があり。

下から二の郭を見上げる。

もう少し下がって二の郭方面を見上げる、二の郭横に腰曲輪。

三の郭の反対側・・・・神社への車道?・・・左上が二の郭、右側を回り込むと三の郭へ。

脇はゴルフ場に囲まれていますね、神社があるのと高いので残ってよかったですね。

やはり三の郭脇にも脇に削平地が見られますね。

神社の下り口から見える正面の山、多分牛頭山312mでしょうね?、毛呂三山・・・牛頭山・竜ケ谷山・石尊山(毛呂氏の館跡のある)。

出雲伊波比(いわい)神社に行って来ました(埼玉県毛呂山)。

2023-01-14 07:16:07 | 日記・エッセイ・コラム

2023年1月11日(水)に埼玉県毛呂山町の出雲伊波比神社に行って来ました、伊波比で・・・いわい・・・毛呂駅は毛呂山岩井・・・昔の地名なのでしょうかネ?。

JR八高線毛呂駅からわりと近くにある丘一帯が神社です、出雲伊波比神社入口。

森に囲まれた神社で流鏑馬(やぶさめ)で有名ですね。

祭神が大名牟退神(大己貴命=オオナムチノミコト)大国主神(オオクニヌシのカミ)、天津神と国津神の神々がいますが国津神の頭領ですね、天穂日命は天津神側ですが派遣されそのまま居ついた神とか。

なおも参道が続きますね。

なおもです。

漸く鳥の向こうに出雲伊波比神社が見えてきました、左側が流鏑馬の馬場。

出雲伊波比神社の拝殿、天平勝宝7年(755)からの神社、源頼朝が畠山重忠に造営を命じたとか、大永7年(1528)焼失、享禄元年(1529)当地の豪族毛呂顕繁が再建、県内最古の神社建築、一間社流造。

少し横から、拝殿ー中門祝詞屋ー本殿。

出雲伊波比神社拝殿・・・奥に中門祝詞屋が見えますね。

今度は右側方面から・・・右側は八幡宮・境内社の天神地祇社。

出雲伊波比神社の中門祝詞屋・・奥が本殿。

天神地祇社。

出雲伊波比神社の中門祝詞屋。

出雲伊波比神社の本殿。

流鏑馬の馬場です・・・まだ見た事はありませんね、此れから毛呂氏の館跡に行きます。

 

 

 

 

 

 

 

 


埼玉県上尾市の原市に行って来ました(その2)。

2023-01-13 07:23:38 | 日記・エッセイ・コラム

2023年1月11日(水)今日も天気が良いので原市方面を散策・・今日は自転車で回りました。

第二産業道路脇の妙厳寺です・・・正面から入れないので脇に回りますね。

脇の門も立派なのです・・・此処には織田信長・徳川家康に仕えた西尾吉次のお墓があるのです。

直接見たわけではありませんが、西尾家が織田信長拝領した鞍と鐙があるそうです。

脇のお堂。

本堂。

西尾家の累代のお墓の説明。

西尾家のお墓11代のお墓です。

西尾吉次のお墓・・・西尾吉次は享禄3年(1536)三河の吉良に生まれその後織田信長の人質にだされました、桶狭間の戦い後に家来、安土城築城の石奉行、武田戦の兵量搬入、長篠の戦、天正10年(1582)本能寺の変時には徳川家康の饗応役・・・徳川家康の伊賀越えには護衛しその後家臣となった人です、天正18年(1590)徳川家康関東入国時上尾桶川の東部5000石を領しました、関ケ原の戦いでは旗本備えとして活躍7000石の加増で大名になった人です、隣国(伊奈町)の伊奈忠次も当時7000石を領したので・・・多分知り合いなのでしょうね?。

上尾下にある陣屋公園・・・・西尾吉次の陣屋跡地?・・・遺構はありませんね・・・川と湿地が左側にありますが、条件としては?。

原市の氷川神社です、スサノウノ命を祀ります、獅子が右側が雄、左側が雌(2匹の子ずれですからネ・・・珍しい?)、社には正観音像・地蔵菩薩立像・秋葉大権現立像・天満天神坐像の四体が筐に納められているとか・・・神仏分離の規制に遭わなかったとか・・。

取り留めもなくアチラコチラ。

 

 

 

 

 

 

 

 


埼玉県上尾市の原市に行って来ました。

2023-01-12 07:54:18 | 日記・エッセイ・コラム

2023年1月9日(月)近所の原市に行って来ました。

東北新幹線脇の宝蔵院のラカンマキ・・・樹齢500年とか幹回り2.47m巨木の定義には入りませんが・・・昭和56年新幹線の為この場所に移植。

第二産業道路脇にある相頓寺・・・南北朝時代の永徳2年(1382)開山のお寺、山門は鐘楼門。

相頓寺本堂。

本堂前にある若き法然像。

御本尊の説明があります・・・実物は見ていませんが。

左下の六字名言・・・南無阿弥陀仏。

此方もそうですね、板碑に・・・南無阿弥陀仏の六字名言。

本堂前の脇のお堂に三仏が・・・説明。

中を外から写させてもらいました。

折角ですから・・・アップで・・、上の方には絵馬が。

これもアップで如何でしょうか?。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


久米城に行って来ました(その4南の出城)。

2023-01-10 09:04:33 | 城郭茨城2
2023年1月5日(木)に茨城県常陸太田市の佐竹氏一門の佐竹北家の本拠地 久米城に行って来ました・・・大きな山城なので4回に分けて説明・・・今回で4回目です。

東の城の本城と二の郭(鹿島神社)の中間地点から南側(地図下側)の尾根筋を下ります。

尾根筋にはヤハリ堀切で切断。

南の出城までは尾根筋が続きますネ。

深い堀切があり、梯子が掛けてある道を進みますね、向こう側が南の出城でしょう。

此れは見事な二重の堀切が見えました・・・・一番南側の出城から見た南側の尾根・・・・縄張り図の一番下です。

同じ場所から横を見ると、右側は南の出城、出城を守るための中央にあるのが横堀ですね。

南の出城です、左側下は横堀(空堀)、右側は東の城側・・・正面下側が根古屋地区。

南の出城のずれた所から南側の横堀(二重)を見ますね。

此処が南の出城の一の曲輪跡ですね・・・・此処からは根古屋地区ですね・・・・山入氏側は右手の方(北)ですからネ。

南の出城 本城より14m程低い位置になります。

折角ですから、久米城の全体の縄張り図・・・左側が根古屋(武家の屋敷地区)、左側の下側が城下町方面ですね。

南の出城の左側にはまだ尾根筋が続きます堀切で分割細い土橋で正面が向こう側二の曲輪。

南の出城二の曲輪。

南の出城二の曲輪脇から見た南の出城の虎口。

横堀脇に降りてきました、左側が南の出城。

堀底道に入りました、此処だけ見ると単に山道ですね、ワクワクしていますよ、こんな中に入れば横矢掛かりでやられますからネ。

尾根筋の先です・・・・この先は城下町方面へ下るのでしょうね。

南の出城から東の城脇を入口方面へ回り込みます、正面が東の城二の曲輪側・・・切岸(切り立つ崖)が見事なものですね。

切岸の脇を回り込み入口まで戻りました・・・・この辺りは何となく水の手なのでしょう(地面がジメジメしていましたね)、これで久米城散策は終わりです、良い山城でした、今回は田渡城までは見れませんでしたが何とか行きたいですね。