三郎兼続の日記

趣味の写真で山登り・旅行を主体にした日記
最近は山登りが少なく、城郭・巨木へ

茂木城に行って来ました。

2022-01-21 12:19:32 | 城郭栃木
2022年1月17日(月)に栃木県芳賀郡茂木町の茂木城に行って来ました。

下館から真岡鉄道で茂木(もてぎ)・・・以前近所にいた方は(もぎ)さんなので読み方が?。

以前乗ったか?チョット覚えがありませんが?、水戸城に行った帰りに乗り換えての茂木城訪問です。

駅少し先にあった八雲神社です・・・須佐之男命。

神社前の通りから見た桔梗山・・・茂木城です山城です・・・中世の山城から江戸期初期まで、宇都宮氏の支族、茂木知基(とももと)が建久3年(1192)築城(鎌倉創立期ですね)・・・それから400年16代まで、佐竹氏秋田移封に伴い慶長15年(1610)廃城。

車で上がれますが、遊歩道が途中より・・・・私はすべて歩きですから当然こちらのコースへ。

此れが茂木城の縄張り図です・・見ずらく御免なさい、下側が町側でこちらから登って来ました、下側左側が本丸・本丸左上が二の丸・二の丸右上が三の丸(上側)・真ん中が千人溜の大広場(ヤヤ低い位置)・下側右が出丸で出丸脇から大手門筋に入り千人溜みぎがわへ大手門へ繋がっています。

途中聖徳太子堂があります、大手門筋の曲輪なのでしょうか?(縄張り図では説明なし)削平されていますね、奥が出丸。

太子堂前を進む、橋下が大手筋、右側が出丸、左側上が千人溜です。

出丸です、出丸の脇は馬場との説明が各曲輪の周りを廻れますね。、出丸左側が大手筋、出丸右側が馬場で回り込むとやはり大手門へ。

大手筋へ、左側が千人溜側・右側が出丸の堀底道です・・・直線で無く曲がっていますね。

大手筋を進みます。

橋上から見た大手筋、曲がっていますね。

この先が大手門広場。

出丸の右側端に建つ”姫の望楼”(伝説があり)・・・見晴らし台。

姫の望楼から見た茂木の町・・・・こちら側が本来の大手筋?。

姫の望楼から見た出丸曲輪。

もう一度姫の望楼を仰ぎ見ますね。

茂木城の駐車場所(千人溜)から見た、左側奥が本丸・右側奥の木立が二の丸。

少し角度を変えて中央が水場、奥が二の丸、左側に三の丸と続きますね、この広場を囲むような縄張りですね。

千人溜の右横一段低い所が大手門、右側奥が先程の出丸。

千人溜奥・・・土塁上が三の丸(藪の中)。

千人溜奥二の丸下にある鏡ケ池(姫の伝説あり)・・・二の丸は右側・・・木々の中(此れで池の水が)。

池から木道が・・・右側が本丸の土塁。

いよいよ、本丸虎口です、イザ本丸へ。

茂木城本丸。

本丸脇から見た茂木町。

茂木城本丸脇の斜面。

茂木城本丸奥の土塁上から見た所、堀切があり後ろの備えが・・・この堀切は町中からも見えましたね。

本丸脇の土塁上・・・右側が堀切です。

本丸土塁上から・・・・左側が二の丸・・・奥が千人溜。

此れも本丸の土塁から見た千人溜・・・・・この城も天正13年(1585)北条・結城氏らの連合軍に攻められ落城、佐竹氏の援軍で奪回したとか戦場となったのですネ。

水戸城に行って来ました。

2022-01-19 08:16:14 | 城郭茨城
2022年1月17日(月)に茨城県水戸市の水戸徳川家35万石の水戸城に行って来ました、大手門・二の丸隅櫓の復元を見ました。

JR水戸駅の前に広がる水戸城、北側に那珂川と南側に千波湖挟まれた丘に建つ水戸城。

見ずらいですね、右側上の方が水戸城。

水戸城の縄張り図です、右側東側から下の丸・本丸・二の丸・三の丸と丘の台地を堀で分割、今回は二の丸と三の丸の堀から大手門へ。

JR水戸駅北口です、水戸黄門の像の後の木々がある場所が二の丸。

駅前から見える二の丸角(隅)櫓・・・復元された櫓。

大手門の橋上から見た二の丸(左側)と三の丸の間の堀です、正面がJR水戸駅、水戸城は大きな土の城なのです、大掾氏・江戸氏・佐竹氏・水戸徳川氏のお城です、佐竹氏は天正18年(1590)から慶長7年(1602)まで治めましたが秋田へ転封54・8万石=>20万石(40)、以後35万石の水戸徳川家が治めました。

大手門前を振り返ると三の丸です、弘道館です。

此れが復元された大手門、二の丸への虎口

大手門正面から・・・・二の丸への虎口・・・西側。

大手門を入りました内型枡形ですね。

二の丸にある大シイ・・・樹齢400年目通り4・3mと3・3m・・・・巨木にどおしても眼が行きますね。

二の丸北側から見た那珂川。

二の丸虎口は東西南北の4か所あり、此れは北側虎口の杉山門。

此れも二の丸の南口虎口の棚町坂下門。

大手門を入り二の丸です、正面奥が本丸です、江戸期は此処がお城の中心とか・・・本丸は重要性が落ちて来たとか。

二の丸隅櫓への入り口です、隅櫓のある場所は今は幼稚園の為、こちら側から迂回するのです。

二の丸隅櫓・・・二の丸の裏鬼門・・・南西(未申・坤)櫓です、狭間はありませんね。

隅の高台に。

此方から中に入れます。

此処は二の丸と本丸(右側)の堀です。

本丸への虎口・・・・二の丸東側虎口。

本丸にある、現存建もの薬医門・・・・佐竹氏時代の作とか、本丸は県立水戸第一高校の敷地です。

此れが二の丸隅櫓の南側からの写真です、如何ですか?。
佐竹氏は源義光の孫で常陸の国の守護大名で戦国大名・江戸の大名として残りましたね、薩摩の島津。関東管領上杉家とか数少ないですね。


神奈川県逗子市の鷹取山に行って来ました。

2022-01-10 17:40:21 | 山関係
2022年1月9日(日)に逗子市の鷹取山ハイキングコースを縦走してきました、山は低いですが、趣のあるコースです。

JR東逗子駅から追浜駅まで、そこから逗子駅まで戻りました、JRの休日おでかけパスを使用したためバスや京浜急行を乗り換えました。

東逗子駅から神武寺へここからお寺の参道を上ります。

昔の城郭風の参道を上ります。

大分上ると出てきました、この手前に”みろくやぐら”がありましたがそちら方面には行きませんでした、正面に見えるのが惣門で昔は東逗子駅近くにあったとか1773年築とか。

神武寺です、左側の切通を入った所です(立入禁止)、正面の階段を・・・。

神武寺の鐘楼1859年築。

六地蔵が迎えてくれました・・・やぐらですかネ。

神武寺の楼門1761年築・・・この奥に薬師堂がありますね。

楼門脇にある”なんじゃもんじゃ”の木それ程太くありませんが樹齢400年とか。

薬師堂伝1594年ですが1666年とか?、趣のある建物です。

立入禁止の為入りませんでした、神武寺の本堂の屋根を・・・。

薬師堂のお隣に地蔵堂が。

楼門を横側から。

此れから奥の院へ・・・・女人禁制の碑が・・・昔は修験の場所なのですね。

登りつめると奥の院(跡)に碑が?。

神武山山頂134mかわかりませんが?、振り返ると霊峰富士山が・・・。

幾つかの上り下りを・・・・岩場が続きますね。

クサリ場もありましたね。

岩登りの人が見えました、鷹取山は近いかな・・・・鷹取山はクライミングのゲレンデで有名ですからネ。

坂を上ると出てきましたね、鷹取山は明治から昭和初期まで鷹取石の石切り場でした・・・これらは遺跡ですね。

此れが鷹取山山頂139mの展望台と岩場。

山頂の展望台から、柵の外にクライマーが練習していますね、看板がありますが?。

此れも山頂展望台から・・・食事後、この方面へ行きますね。

これらは石切り場の跡ですね、ボツボツはハーケンを打ち込んだ痕です。

あの岩場が鷹取山山頂です139m。

もう一つゲレンデを・・・・此処で練習を繰り返し、三つ峠等でさらに練習し谷川岳へと・・・・。

此れが鷹取山の磨崖仏です・・・千葉の鋸山の岩場にも大きな磨崖仏が居られますね。

折角ですからもう一枚、如何ですか変化のあるハイキングコースでしたね、この地区は大河ドラマの鎌倉殿の影響もあり此れからは混むかもしれませんね。