三郎兼続の日記

趣味の写真で山登り・旅行を主体にした日記
最近は山登りが少なく、城郭・巨木へ

長浜城に行って来ました。

2023-12-18 20:42:00 | 城郭滋賀1
2023年12月12日(火)滋賀県長浜市の長浜城に行って来ました。

天正元年(1573)羽柴秀吉が浅井長政攻めの功により織田信長より近江拝領・・・・琵琶湖湖畔に建てた水城。

天正13年(1586)の天正地震による地盤沈下で城は壊滅。

長浜城・・・復興天守、反時計回りに見ていきますね。

JR長浜駅側から・・・・向こう側が琵琶湖。

正面から見た長浜城。

回り込みますね。

やはり、正面より斜めが良いですね。

脇の小山?に豊臣秀吉の像が此処が天守閣跡・・・元和元年(1615)廃城・・・彦根城築城に転用されたのです、天秤櫓・・、他に人柱の話が脇の碑に残っていました。

今年は琵琶湖の水位が下がっているので、明智光秀が築いた坂本城の石垣とか・・・遺構が見えます、此れは太閤井戸の碑、縄張り図で見ればこの先の水の中に長浜城の遺構が残っているのでしょうね?。

琵琶湖湖畔から見た長浜城。

長浜城へは此れで2度目ですね、今回は長浜を拠点として滋賀県のお城を見て回りました。


水口岡山城に行って来ました。

2023-12-17 10:02:30 | 城郭滋賀1

2023年12月12日(火)滋賀県甲賀市の水口岡山城に行って来ました。

水口岡山城(みなくちおかやま)豊臣秀吉の家臣中村一氏6万石城主として築城、その後豊臣政権の5奉行の増田長盛・長束正家と変わりましたが、関ケ原の戦いで長束は西軍に所属自刃・・・廃城となる、中村一氏はその後駿河府中14万石となり関ケ原の戦いでは東軍に着くが戦い前に病死。

本丸部分は総石垣づくり・・・水口城へ転用されたとか。

水口岡山城の縄張り図・・・右下から登城・・・雨の中 西の丸・本丸・二の丸・三の丸を見て引き返しました、その頃漸く雨が止みましたね。

近江鉄道水口駅から歩きます、此処から上ります・・・舗装道路。

大岡山282mの途中の分岐を私は右側へ・・・左側は上の駐車場まで上れるみたいです、正面は曲輪の一つなのでしょうね。

此処から本格的に登り始めます。

此処も曲輪の一つ、少し進むと駐車場に出ます。

駐車場?。

西の丸の切岸。

西の丸・・・・忍者の里甲賀らしく・・・雨にむせぶ・・・建物は西の丸の見張り台(模擬)。

西の丸から見た、本丸への階段、左側へ回り込むと本丸の石垣の一部があります(水口城築城で転用)。

残存石垣を見ますね・・・・野面積みですね。

元に戻り・・西の丸方面を見ました。

本丸方面が漸く目前に見え始めました、当時は石垣が在ったのでしょうね、この左側に少し石垣が・・・。

本丸の石垣が見えますね、先程の石垣はこの下側方面でしたね。

本丸に上がりました、天守跡とか見張り台跡とか?・・・・ほとんどが(伝)が付きますハッキリしません。

山頂部なので細長い本丸ですね。

雨にむせびますね・・・。

大岡山(古城山)282mの山頂・・・水口岡山城本丸、もう少し前なら紅葉が美しかったでしょうね。

本丸の東の端・・・これから二の丸・三の丸方面へ。

本丸を降りました、喰い違い虎口が右側へ後側が大空堀。

本丸東側の筋違い虎口と石垣。

大空堀、左側が本丸・右側が二の丸。

二の丸の虎口。

二の丸。

次が三の丸と尾根筋を削平堀切で分割した曲輪が続きますね。

三の丸へ・・・。

三の丸端から見た、出丸、此処から引き返します、雨はまだ降っています、カメラをしまいストックを出して用心しての戻りとなりましたね・・・流石にこの雨の中誰にも会いませんでしたネ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


滋賀県甲賀の水口城に行って来ました。

2023-12-16 12:51:40 | 城郭滋賀1
2023年12月12日(火)滋賀県甲賀市の水口(みなくち)城に行って来ました。 水口は東海道の宿場町ですが、3代将軍家光が寛永11年(1634)上洛の際、従来の水口御殿にかえて築かせた、水口城(水口御茶屋)、作事奉行は小堀正一(遠州)石垣は水口岡山城(当時廃城)の石を使った、使用は一回のみでその後は番城、天和2年(1682)加藤明友が2万石で入城し水口藩となる。 本丸はほぼ四角で四方に隅櫓を配した、巽(辰巳櫓)・坤(未申櫓)・乾(戌亥櫓)・艮(丑寅櫓)・・・水堀、北門・大手門は出丸大手外枡形虎口・・・現在この出丸跡に本丸乾櫓(二階櫓)を移築。 出丸跡に建つ、乾櫓(いぬい)、本丸の水堀を時計回りに見て回ります。 南側から水口城。 東側・・・巽。 南側・・・坤。 西側・・・乾・・・この石垣の上の二階櫓を移築したのですね。 北側・・・北口御門。 北口門の端上から見た乾櫓の石垣。 本丸・・・・現水口高校運動場・・・・今日は雨が降っている中の登城なのですよ・・・。 大手門の橋・・・・老朽化していて渡れないので城内から出入りしますね。 城内から出丸跡へ入りました・・・・水口城二階櫓。 角度を変えて・・・。 大手門。 水口城大手門から・・・。 大手門橋も見える角度で・・・。 再び角度を変えての、水口城・・・如何ですかネ。 最後にもう一枚、此れから水口岡山城を雨にも負けず頑張ります。

滋賀県長浜の山本山城に行って来ました。

2023-12-16 07:02:04 | 城郭滋賀1

2023年12月11日(月)に滋賀県長浜市の山本山城に行って来ました。

山本山城は賤ケ岳の南稜線の端に突き出した324mの山頂・・・古くからあるが、戦国期、浅井氏の支城となり、家臣阿閉(あつじ)氏が守備した山城。

地図の右端が山本山城・・・地図の右上外側にJR河毛駅があり、その先に小谷城が在りますね、城主阿閉貞征は元亀三年(1572)織田信長の小谷城攻めの際、木下秀吉の調略に内応開城、本領を安堵されたのですが天正10年(1582)本能寺の変後、明智光秀側につき中村一氏に討たれ、城は廃城、私は河毛駅で自転車を借りてきました。

一番端の宇賀神社から登りました・・・・右側の麓からが良かったかな(三の丸経由ですからね)。

神社脇から道なりに・・・この辺りはそれ程の坂道では中たのですがね。

神社裏山の一番高い場所は古墳があるみたいですね、この先から獣除けのフェンスがあり。

フェンスをくぐりこの先が急坂です・・・玄蕃尾城の後ですから・・・・。

急斜面なのです。

漸く緩斜面へ・・・・もう少しで山頂かな。

飛び出しました、山本山城の搦め手側でしょうね・・・・いきなり城内へ。

城内の端から見た・・・手前が虎口少し盛り上がり二の丸、奥が本丸・・・右側が麓側からの登城口で下側に三の丸があるみたいです。

此処が二の丸、右下側が三の丸方面ですね。

二の丸から見た琵琶湖・・・・島は竹生島・・・・当時から舟運が使用できたのですね。

説明版がありました・・・・。

二の丸から見た、山本山城の本丸虎口・・・周囲は土塁で囲まれています。

虎口から見た本丸内部、

本丸周囲には土塁が・・・。

本丸反対側から(北側)の本丸。

北側の虎口から見た馬場曲輪方面・・・・細い尾根上を削平堀切で分割・・・尾根筋の防御です・・・三方は急坂ですから。

本丸西側の脇下には犬走らしき削平地が・・・。

本丸虎口から見た二の丸全景・・・・・土塁はありませんね。

降る前にもう一度。

山本山城の搦め手側、結局今回も虎御前山城(織田軍の小谷城包囲網)には行けませんでしたが、いずれ。

 

 

 

 

 

 


玄蕃尾城に行って来ました。

2023-12-15 12:24:11 | 城郭滋賀1
2023年12月11日(月)に滋賀県の玄蕃尾城に行って来ました、JR余呉駅からレンタル自転車電動で国道364号(北陸街道)を北上。

下に琵琶湖・賤ヶ岳・余呉湖・・・・そうです、豊臣秀吉;柴田勝家が争った賤ケ岳の戦いの場所・・・その昔は織田信長が朝倉義景との戦いで破った刀根の戦いの場所でもある場所に向かいます、国道365号を上に向かいます。

JR余呉駅の貸自転車で頂いた地図、国道沿いの柳ケ瀬から刀根峠(久々坂峠・倉坂峠)への登山道・・・・。

柳ケ瀬入口から国道を離れて進むと又国道へ出る手前にある看板(玄蕃尾城の話)、後ろの道を左側奥に進む・・・・。

久々橋を渡ると・・・登山道案内が・・・右側へ進みます・・・・此処まで40-50分?(ゆっくりと)、此処から本格的山道ですよ、約45分で峠(ストックあり)。

山道を登りますが、約1700mで1500m・1000m・500m・300mと標識があり助かりました、横は深い谷なので注意が必要。

もう少し・・・後100mで峠・・・正面。

此処が刀根越え(峠)コンクリートの建造物は?、向こう側が福井側からの上り路。

此処から200m先が玄蕃尾城・・・私は向こう側から登って来ました、まだまだ上ります。

漸く案内板が見えてきましたね。

玄蕃尾城案内板・・・築城主はヤヤ曖昧みたいですが、賤ケ岳の戦いでは柴田勝家が本陣としたお城、福井・滋賀の県境で内中尾山山頂の中世後期n山城。

縄張り図・・・4つの曲輪が土橋で連結、土塁で防御、主要部は土塁+空堀での防御、およそ南北250m・東西150m、東側の張出郭からは北陸街道が見えますね。

玄蕃尾城・・・大手筋の郭1・・・正面の高い土塁、左側が虎口。

正面の土塁上から郭1を見る、左下が大手口の虎口。

右側方面。

郭2との境目・・・右側が土橋、土塁・空堀共月日が経っているので・・・・。

郭1と2の境目の堀切。

郭2の虎口部から見た奥の方。

郭2から見た馬出部分の切岸と空堀。

郭2と郭3(主郭・本丸)の間の空堀(左側・南西)。

郭3(主郭)の虎口・・・空堀と土橋。

土橋反対方向から見た主郭虎口。

主郭への虎口側から振り返る・・・・虎口前の馬出部分。

郭3(主郭)の虎口内から見た土橋(左右空堀)と土塁に囲まれた馬出郭・・・・素晴らしいですね。

主郭の土塁上から見た土橋と馬出郭。

正面虎口から見た主郭内。

土塁上からの主郭内櫓台方面。

主郭内北側方面。

主郭東側虎口脇の土塁上から見た張出郭・・・手前下土橋・空堀。

張出郭。

張出郭から見た主郭東虎口。

張出郭から見た東側下・・・・北国街道・・・・越前の守りには確かに聞く場所ですが、賤ケ岳での戦いに行きだされては・・・。

主郭の北口の虎口から見た馬出郭と左側奥が北の郭。

馬出郭から見た北の郭。

北の郭から見た主郭の西側の土塁と右側の崖、此れで玄蕃尾城の曲輪を見ましたが、曲輪の外側からは危ないので見ませんでした、やはり本陣をこのような山上に置いたのに戦いの場所が賤ケ岳とは柴田勝家も戦えずに無念でしたろうに・・・・。