三郎兼続の日記

趣味の写真で山登り・旅行を主体にした日記
最近は山登りが少なく、城郭・巨木へ

滝山城跡に行って来ました・・いよいよ本丸へ。

2019-11-17 06:26:55 | 城郭東京1
2019年11月15日(金)いよいよ滝山城本丸へ・・・しかし、私は八王子うまれですが、八王子周辺は城郭が多数存在していますね・・・武蔵の国には群雄割拠で沢山の豪族が・・・。

前回と同様の図・・・今回は左下の大手筋三の丸・小宮曲輪から千畳敷曲輪へ、再び二の丸空堀・土橋から二の丸へ・・・中の丸・本丸へ左側上に行きますね。

大手筋で道路になり当時の面影が無い場所かも?、右側が三の丸、左側奥が千畳敷曲輪。

此処は少し解りずらい写真ですね、千畳敷曲輪の奥の馬出部分の虎口ですね広場向こうが大手筋の道路でこの浅い空堀から見えない様出陣し敵に襲い掛かる出口です。

此処は大手筋の二の丸脇から再び外れ二の丸脇の空堀脇を南側方面へ。

二の丸三土橋のある虎口で奥が枡形構造の防御門です・・・大分土塁が崩れて低くなっていますが。

二の丸の虎口の上の土塁から見た空堀と土橋です、高低差がありますね、武田信玄が永禄12年1569年10月にこの滝山城を攻撃しましたが、この二の丸は抜けなかったそうですね・・・本命は小田原の為2日か程での戦いとか城下は焼き払われたとか・・・。

大手筋から二の丸脇を通り、中の丸方面へ右側の空堀向こうが中の丸で左側奥が一回下がり又上がれば本丸となりますね。

中の丸です、右側横は空堀で二の丸、正面は多摩川です、左側が本丸です。

中の丸から見た拝島側の多摩川です、この下側は腰曲輪があり、多摩川と併せて防御ですね、武田信玄は川向うで采配したとか。

本丸への木橋です、イザの時は引き込む橋とか?。

本丸虎口です、枡形構造です、現在は土塁が低いですが、三方向からの攻撃で撃退するシクミですね。

本丸です、構造的に二段ですね、右側の霞神社側が高く、左側にもう一つの虎口・井戸もありますね。

本丸南側の虎口です、枡形構造で木橋無ければ此方からおなります。

本丸の一番奥にある金毘羅神社です。

神社裏側から見た土塁下です、腰曲輪が有り、多摩川の抑えの出丸と連携されているとか・・・今回はこちら側までは行きませんでした。

一度中の丸から下り本丸下へ、本丸に架かる木橋です、ここの空堀はもう少し深く、多摩川へ下れます、当時は?、如何ですまだまだ色々な滝山城が有りますが、まだ草木があり写真が撮りずらかったですね春早くが見頃ですね、以前山の神曲輪も藪の中で落ち着きませんでしたが・・・今度は川沿いも歩きたいですね。




滝山城跡に行って来ました。

2019-11-16 13:42:20 | 城郭東京1
2019年11月1日(金)に八王子の滝山城跡に行って来ました・・・お墓参りのついで?・・・・お墓の裏の加住丘陵なので比較的簡単に行けるのです・・・もう十何回と行っていますが、結構保存状態が良く新たな思い出見える御城ですね、続100名城でもありますからね。

お城の全体図です、上が秋川と多摩川の合流点で川が削った70m程の崖です、今回は丹木1丁目のバス停からの登城(下側の黒い道を上りました・・・城の南方から進み上に上がり左側に下り又登とヤヤ勝手に歩き回りました。

バス停から幼稚園の駐車場脇へ山道へ・・・谷戸と呼ばれる沢沿いの谷へ・・・此処は幾つかの谷戸があり天然の空堀・ないしは水堀となっています・
なおも奥に二つの大池・・・写真右側と右奥の土手奥、左側上は曲輪です・・・結構大きい曲輪でした。

上の大池です・・・現在は水がたまらない様土手の一部が削られていますが。

大池の尾根筋上にある小さな曲輪です、この上には尾根筋を立ち割った堀切があり、引橋の木橋で弱点を防御していたのです。

再び大池に下り大馬出脇から二の丸前に・・・此処は二の丸の空堀です・・・このお城は石垣はありませんが大きな空堀と高い土塁の防護の高いお城です、元は八王子を本拠におく、大石氏が築いたお城ですね、・・・北条氏の力が強くなり北条氏照を養子に迎えたのですが、そのころ武田信玄が小田原城へ攻める前にこの城にも攻めかかったのです・・当時三の丸まで攻略とか・・・その後氏照は八王子城を築城し移ったのですがね。

説明版が要所要所にあり、わかりやすいのです、今は大馬出曲輪の脇の二の丸虎口目にいます、此処からも細い土橋・向こう側の大手からも土橋二の丸の入る口も土橋と深い空堀に狭い道に絞った防御が見られますね。

大馬出側から見た土橋、右側も土橋で二の丸の枡形虎口となります。

道正面から見た土橋、向こう側、右側も土橋。

二の丸への土橋と奥が二の丸枡形穂口へ繋がります。

大手筋からの土橋、奥右側は二の丸で手前が空堀です。

此処は三の丸の空堀、右側上が三の丸。

三の丸空堀をぐるりと半周・・・大手筋から見た三の丸です。

大手筋へ出ました、右側が三の丸です。

三の丸上から見た三の丸の空堀です、素晴らしい城壁ですね、当然当時はより深く切り立っていたのですからね、此れから、千畳敷曲輪・二の丸・中の丸・本丸へ進みますよ。



八王子根小屋城跡に行って来ました(戸吹城跡)。

2019-04-22 18:42:57 | 城郭東京1
2019年4月21日(日)に八王子の戸吹城跡・・現在は根小屋城跡に行って来ました、滝山三城(滝山城・高月城・根古屋城)で以前より気に泣ていたのですが、交通の便が悪く行けませんでした、本日高校の時のクラブの飲み会がありお願いし現地に行って来ました。



滝山街道(古甲州道(武蔵府中の国府から甲斐の国府を結んでいます))沿いを少し離れた加住丘陵にあり秋川の渡河地点の近くにある軍事的な要衝なのです、お城というよりは見晴らし砦でしょうかネ、細い道路を入り案内板が有るのでたどり着きましたね。



どのくらいな規模?、上の方に秋川が有ります、下ののうから入りますが南北に分かれた曲輪が細尾根で連結したものですね、砂交じりの土なので雨風で風化し崩れています。



少し拡大下南曲輪です右横が秋川側です、私たちは左側中央辺りからこの尾根筋へ出ました、一度上の方に、続いて右側の北曲輪方面へ(いけませんでしたが)最後に下側にと見て歩きました、防御は北側もしくは東側をほぼ重点的に考えられていますね・・・高月城・滝山城の支城ですから。



案内板の先の竹林がほぼ南曲輪です、私有地の竹林には入れませんが階段状に削地されていますね。



少し上の方から見ればよくわかりますね。



急な坂ですが短いのですぐに尾根筋まで登れます、社があります・・・南曲輪の中心でしょう・・・東西に尾根があり、この社の後側に北曲輪の道が有ります。



右側が南曲輪で北側に空堀が有ります左側が秋川側で奥の高い所を左に行けば北曲輪ですね。



少し離れて同じ場所を見て見ます、右側の広場の尾根が南曲輪で左側は防御の空堀です。



南曲輪の西側です、こんもりと土塁?でしょうかネ、横側を尾根が少し下り・・・その後は細い尾根ですね、多分あまり警戒していないのでは。


此れがその先の尾根筋ですね・・・、防除的仕組みを見て取れませんした、元に戻ります。


空堀をまたぎいよいよ北曲輪方面へ



此処から左側へと向かいます、右側は社のうえですね、北側くればこの正面から迎え撃つのでしょう。



馬出・・・小さな広場がありその先は細い支線の尾根です、両サイドが切れていますね・・・一応注意のロープが。


上がったり下ったり細い道が続きますねこちら側は結構切れ立つ崖の連続なのですね。



なおも先へ進みます・・・結構危なそうです、崩れたのと削ったのもわかりませんからね・・・。



崖で右側が見えました、南曲輪です、今日送迎した人が向こうで見ていますね。



結局北曲輪まで行かずもどります・・・残念ですが!!。



いずれにしろ、此処までは無理そうですからね。



無事元の場所にもどりました、此れから右側(東)へ。



社の土塁の上から北曲輪方面を見る。



尾根筋です。



尾根筋を少し進むと堀切で分断・・・堀切に細いくの字がたの土橋(よく読み取れませんでしたが)横矢がかりの側面攻撃の防御です。



堀切から竪堀で落としてありますね。



此方から見るとくの字型土橋に見えますね。



無事に降りてきましたが、そんなにすごくみえませんが秋川側は天然の要塞なのですね。

これからクラブOB会の飲み会です、幹事さんのご厚意に合わせて感謝です・・・飲みすぎないように注意しますね。

三輪城跡に行って来ました。

2018-10-17 11:14:37 | 城郭東京1
2018年10月16日(火)に町田市鶴川駅近くの三輪城跡に行って来ました、後北条のお城ですね。
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鶴川駅周辺ではご存知の方がいなく、交番でもわからず苦労しました、この地図は帰りに見たのです、早くに見れば苦労しないですんだのですが、光明会館脇の道に在りました。
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取り合えず鶴見川沿いに下りました、昔のお城は川沿いの段丘(防御性)にありますからね。
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川から少し離れた小さな山(丘)にある、三輪白坂横穴群の切通です、この上一体も多分出城だと思いますね、この上は現在お墓ですが、櫓台跡風に見受けられますね。
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光明会館隣の高蔵寺です。
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寺の前の道から見た三輪城跡(沢山城跡)一帯ですね、お寺側も当時はお城の一部の郭に思えますね。
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今来た道を戻り城山を回り込むように見て回ります、調整池を回い混み沢谷戸自然公園の入り口から見た三輪城跡です、案内図の真ん中がそうです・・・案内図には記入されていませんね、なおも左側方面へ行きました。
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これは東京都の資料の三輪城跡の縄張り図です、右上から左の上の道を往復し調整池から下の道へ今まで見てきたのです。
階段を上り城跡中へ三の郭の土塁脇へ出ました、左側も郭みたいですね。
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土塁にに沿って上がると四の郭と思われる広場がありました。
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個人所有の城跡なのですね、注意書きがあります、守りますね、正面が三の郭ですね見事な土塁が迎えてくれました。
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虎口脇から見た四の郭と右三の郭の土塁ですね。
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三の郭です。
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三の郭から見た一の郭の七面堂です、空堀で仕切られていますね。
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空堀から見た左が三の郭・正面が四の郭・右側が二の郭です。
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此処が二の郭・・・・・東京都の資料の縄張り図は?、一の郭と二の郭は一つで櫓台(一の郭)を一の郭と定義しているみたいです。
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二の郭の下には腰曲輪があり脇を囲んでいます、しかし個人の所有地ですが手入れが行き届き大切にされているのが見て取れました、ありがとうございました。