2014年7月29日(火)に群馬県水上市の後閑にある名胡桃(なぐるみ)城址・沼田城址に行ってきました、暑かったです。
後閑駅前から利根川を渡りました、地元の方が親切に水路橋を教えてくれて少し近道が出来ましたが、結構歩きました、正面左(ここからは左木の陰方面)奥の高台です。
国道17号に少し切られた形です、図の上の方が利根川後閑駅方面で、駅の先山の麓に北条方の沼田からの出城明徳寺城が有ります、そう此処は真田昌幸が築いた山城です。
城は簡単な連郭式な山城です、尾根筋を利用し堀切で区分け。
豊臣秀吉に北条氏を攻める原因を与えたお城です、秀吉が関東。奥州の大名に私闘を禁じた「関東奥惣無事令」をだし、北条側が無視してこの城を攻め取ったのです。
国道17号から見た城内です土塁は農地として使用したため、平らに削られていますが空堀が綺麗に残っています、丸馬出しで左が三の丸の空堀です、馬出しの後ろに空堀があり三の丸です。
此れは右側が三の丸で左側が二の丸で此処は二の丸の空堀です。
これは二の丸横の腰曲輪でその先は湯舟沢の断崖です。
二の丸と本丸を渡す土橋(昔は木橋)で空堀は筋違いに彫られています。
土橋を渡ると本丸です、碑文は徳富蘇峰による揮毫とありました。
本丸先のササ郭です、尾根筋を堀切で分断した様子が判りやすいです、此処には土塁が少し見られます。
ササ郭から沼田方面をみる、木の陰でわずかに見えません。
ササ郭からみた本丸です、土橋横が両サイド堀切で落としてありますネ、右側は空堀で踏み込んで上がると二の丸・三の丸・般若郭の壁に阻まれます。
本丸から二の丸方面をみる。
二の丸からみた左が三の丸と向かい側が般若郭です。
小さなお城ですが、縄張り状態がよく、地元のボランテイアの方の説明で判りやすかったです感謝です、この後沼田に引換し沼田城址を見ました。
沼田駅から坂道を上り沼田城址に行きました。
ここも真田家ゆかりのお城ですが5代目で廃城取り壊しに在った為、広場の縄張り以外当時の状態はありません。
わずかな、石垣が残る西櫓台後、石垣は土で埋められていた為残っこた。
おなじ石垣と樹齢400年の桜(御殿桜)です。
捨曲輪後、利根川の段丘が左・正面方向で切り立っています。
名胡桃城方面をみる。
真田信幸(真田昌幸の息子(長男で徳川方)、昌幸と信繁(幸村・・次男)は豊臣方))が築いた当時のお城図面。
テニスコート裏にある池に僅かに残る石垣(多分掘れば内堀の石垣等が取り壊しで埋めた状態で復元出来るのでしょう。
本丸跡・・・・今は公園の広場で花壇とかテニスコートとか野球場でした。