2018年3月30日(金)に千葉県市原市の里見に行って来ました、JR五井駅から小湊鉄道で里見駅へ、駅から歩いて高瀧湖・加茂運動公園の脇にある本郷三峰神社の大イチュウを見てきました。
高台の広場にボツーとある三峰神社鳥居と祠と大イチョウです。
里見駅前の道を左側にしばらく行くと加茂運動場があり高台にイチョウが見えますね、樹齢300年幹回り10・1mの大イチョウです。
見ればわかりますが、主幹ではなく側幹が各巨大に成長し樹形を築いたのでしょうね・・・樹齢300年も何となくわかりますね。
それでも素晴らしい大イチョウです、イチョウの葉が無いので幹が良く見れて良かったですね。
小湊鉄道は本数が多く無いので急いで戻りました、里見駅は単線のすれ違いよう駅なので・・桜が今満開です。
駅脇から校内を見ました桜と菜の花・・・平日なのですが沢山の方が来ていましたね。
トロッコ電車が入ってきました、此れを目当てに来ている人を・・・2両の車ですが乗客が満員でした、私は土気まで此れから行きます。
朝家を出るときに見た雲があまり見た事のない雲なので撮りました。
小見山城跡の一番南東部(小見川駅に近い)から登りました、急坂でした、登りつめた所が古墳で現在天満宮ですが、三の郭?ですね。
堀切・・・現在は公園への車道ですが、の向こう側が二の郭側ですね、今ここは桜の公園で少し咲始めでした。
三と二の間の堀切?の橋です。
二の郭の広場で忠霊碑があります、左側が一の郭?がありますね。
奥が一の郭で左が土橋で植え込みの後が空堀で土塁があります、此処の遺構はハッキリしていますね。
土橋を渡ると一の郭です、此処は栗飯原氏の居城で千葉氏の家来筋ですかね、天正18年(1590年)の小田原攻めの際千葉氏と共に北条方に加わった為攻撃を受けて落城・・・・その後廃城になりました。
空堀です、大分埋まっていますがハッキリしていますね
土塁の上から空堀裏側を見ると当時の面影が見て取れますね。
一の郭を囲む土塁が見て取れますね。
これは二の郭側から三の郭側と駅方面を見ました、大昔から景色が良く高台なので古墳を築いたのですね。
2018年3月18日(日)から20日(火)までの2泊3日で奄美大島本島に行って来ました。
奄美大島は鹿児島県です、鹿児島と沖縄の中間地点の島で太平洋と東シナ海を分ける位置づけですね、島は山が多く雨も多いのです、屋久島を思い出します、現在は道が開通し比較的簡単に回れますが以前は峠越えが多く大変だったとか。
1日目と3日目は北側で2日目が本当を時計回りに回りました、天気は雨がパラツク陽気でしたね、羽田からの直行便でした、笠利崎灯台方面です。
少し南下した太平洋側のあやまる岬ですが天気が悪くスッキリ感がありませんね・・あやは彩・・・まるは丸岬 見たいです。
奄美大島と言えばやはりハブです・・・ハブのショーを見ました、山が多いので今でも沢山のハブが生息していrみたいですね、クロウサギとか固有種が多いのですね。
翌日はカヌー体験でマングローブの森に分け入りました満ち潮で帰りが流されましたね、沖縄ではマングローブは船で見ましたが、今回はカヌーです、朝雨でしたが止みました。
これは昼食後に見た近所の陸軍爆薬藏跡、中に蝙蝠が飛んでいました。
奄美大島の本島南端の古仁屋港です、マグロの養殖日本一だそうです、此処は日本海軍連合艦隊の基地で向かい側に加計呂麻島がありリアス式海峡だそうです。
ここでサンゴ礁の海中を覗くのです、船の底に突き出した部屋から海中が見えるのです。
サンゴ礁のある近くの岩礁です、左側が加計呂麻島方面ですね?。
大島最高峰の湯湾岳から流れ落ちる川にあるアランガチの滝です。
峯山公園からの海岸線です、東シナ海側です、平家の落人伝説が残り当時の見晴らし台だそうです。
3日目の大島紬の製造工程見学です、この泥で大島紬の糸を染めるのです、気がとおくなる工程で大島紬が出来るのです、芸術品ですよ。
これは昔の穀物の貯蔵庫の高倉です、湿気や動物から守る倉庫です、丸い4本柱の上が貯蔵庫です。
奄美大島酒造のカンバンです、試飲させて頂きました黒糖焼酎です代表銘柄”高倉”・・・ここ奄美では黒糖焼酎と島唄と踊りで長寿だそうです。
最後にあまみパークで田中一村画伯の絵を鑑賞し帰途につきましたノンビリした旅でしたね、男はつらいよの寅さん最終編は奄美の加計呂麻島だそうです・・・・向こうは本島とは大分雰囲気が違うのでしょうね。
2018年3月15日(木)に渋川の白井城跡に行って来ました、白井城は利根川と吾妻川の合流点に突き出した台地の先端の自然の要害を利用した城です、関東管領山内上杉憲実の家来長尾景仲による築城、上杉・武田・北条に挟まれながら頑張ったが、秀吉軍の前田利家らに攻められ開城とのこと、江戸初期何人かの城主が入れ替わりましたが本多家を最後に廃城、城としての遺構があります。
国道17号バイパスの脇に白井宿(城下町)が残ります、明治に国道が渋川を通り衰退、渋川駅からは徒歩30分?・バス5番線での鯉沢か国立医療センター行(此れが便利)、駅観光協会。
白井宿を見学し道の駅こもちで食事、その後源空寺・此処は愛宕神社ですケヤキの巨木がありました。
いよいよ、北郭から三の丸へ左側正面が二の丸・本丸です、右側が吾妻側の断崖?側。
二の丸です、正面の木々が本丸との境の三日月堀あたりです、随分と広い城郭なのです。
漸く本丸前に来ました本丸左側の三日月堀(湾曲した堀)、堀の向こう側は本丸の土塁です。
本丸の大手門の石垣(石積)の土塁跡です、小さな枡形構造です、左側に高い土塁があります(こちら側の写真に気がいき全体が無い)。
本丸からの虎口です、左側が石積、右側が張り出した土塁、木の辺りは堀です。
此れが縄張り図です、左側が吾妻川でお城は川沿いに郭が並んでいるのです、左側辺りに国道17号で沼田方面へバイパスは右端側でその右側に利根川で大きな巾着の形状の地です。
これは本丸北西の角の土塁の上から見た左吾妻川・堀・二の丸側です。
南側土塁の上から見た南側のささ郭です、この先に南郭・新郭と在りますが、現在は多分さくら館で遺構としては不明です?。
三日月堀に入り進むと分岐正面が帯郭で本丸・二の丸・三の丸の前衛拠点ですね。
帯郭を二の丸・三の丸を左に見ながら進むと神明宮があり、虎口です。
お城の外側の畑側から見た本丸側です、手前が帯郭の防壁で空堀があり本丸です、わかりやすい構図ですが川に挟まれた要害なのですね、それぞれの土地にそれぞれの城郭があり、それぞれ命がけで構築したわけですからネ。
2018年3月15日(木)に青春18切符2回目で群馬方面の群馬原市・渋川・帰りに深谷城跡に行って来ました、最初に吾妻線の群馬原町行きました。
以前岩櫃城跡に行ったのに拠れなかったので大ケヤキを見に来ました、群馬原町駅前の県道35号を戻るように左へ10分弱歩けば交差点の真ん中にありますね。
樹齢1000年幹回り11mの巨木ですが、中は空洞状態です、一枝の幹が空洞の中に根を下ろしていますね。
何せ、県道の交差点で車の量も半端でない三角地点ですから何時までも倒れない様願いますね。
此れから渋川に戻り白井城跡を見たのですが画面の都合で深谷城跡を載せます。
ここ深谷は偉人渋沢栄一の故郷ですから、深谷駅のレンガ(東京駅)もこの人が起こした明治の産業が絡んでいますからネ。
駅前の道を15分位歩き右側の学校辺りが深谷上杉房憲が古河公方からの侵攻に備え築城した深谷城跡です、学校校内に碑が見えました。
学校の横が城址公園です、昔のお城の一角を城風に見建っててありました。
縄張り図です、場所以外は面影もありませんが、平城で唐沢川・福川に囲まれた低湿地に築城したのです。
深谷上杉も秀吉の関東攻めの折に開城、その後徳川初期に廃城との事すこし城風な公園でした。
2018年2月28日(水)に伊豆半島南端の石廊崎に行って来ました、太平洋とフイリピン海の境界だそうです、遊覧船で蓑掛岩を見た後に灯台先の岩場を見ました、帰りにタライ岬で奇岩を見ました。
遊覧船で外洋?へと出かけます、溶岩流が浸食され崩れやすく見えますが硬いのだと説明がありました、結構船は揺れます。
港から外海へ波が結構高く船が揺れます、写真を撮るのも大変です外に飛び出さないように(少しオオバーかな)、突先の石廊崎です灯台、石室神社が良く見えます、後で行きます。
役の行者が大島から飛来中に雨にあい飛行の蓑を掛けたとの伝説の岩です。
この蓑掛岩を巡るBコースです30分位、Aコースは欠航でした。
岩は船でまわり角度が変わるので、見てくれが大分変わりますね。
港の脇から20分位坂を上り灯台方面へ行きました、浸食された岩場の海岸が荒々しく見えます、こちら側はAコース側ですね。
石廊崎の景色も奇麗でしたが、帰りに弓ヶ浜からタライ岬をハイキングしました、海に突き出した奇岩が見えました、水が引いていたので近くまで岩場を伝い見ましたね。
タライ岬を高い岩場から海を覗き込むように見ました・・・近かずけませんネ。