三郎兼続の日記

趣味の写真で山登り・旅行を主体にした日記
最近は山登りが少なく、城郭・巨木へ

佐渡島の大野亀に行って来ました(トビシマカンゾウ)。

2024-05-31 14:05:54 | 旅行記
2024年5月28日(火)に新潟の佐渡島に行って来ました、20年ぶりですね。

新潟港からフェリーで両津港へ・・・2時間半も乗船・・・トキが出迎えてくれましたが、今日は朝から雨が・・・。

右側の真ん中が両津港・・・今日は地図の上右側の内海府の海岸沿いを先端まで北上・・・大野亀まで、同じ道を又戻り両津の加茂湖脇に連泊。

北部の大野亀・・・マグマが地表近くに上昇し冷えて固まった貫入岩・・・標高167mの1枚岩だそうです。

此処はトビシマカンゾウ(キバナカンゾウ)の群生地なのです。

小振りの雨の中ですが・・・カンゾウが漸く咲き始めたガイドさんが言ってくれました・・・・良かったです、花は一夜花・・明日は枯れて別の花が開花するのです・・・日光キスゲの種みたいですね。

まだ花が全体を覆うほどではありませんね。

何故か風当たりの厳しい所を好むとか・・・。

大野亀と花が上手く撮れる所にはまだ花が咲いていないので・・・少し時期が早いのかしら?。

それでも良い所を撮るために頑張るのです・・・。

全盛期には百万株の花が・・・?。

大野亀の反対側は結構花が一杯咲いているのですが。

如何です・・・。

まだまだ・・・これからなのでしょうね。

でもこれだけ見えたので、満足ですね。

外海府側。

佐渡島の北の果てです、あれが多分二つ岩?・・・あれも、大野亀と同じ貫入岩とか・・・。

此れはホテルから見た加茂湖・・・虹が出たのですが上手く写真には撮れませんでしたが、翌日からは良い天気になりました。


静岡浜松二俣の鳥羽山城に行って来ました。

2024-05-27 14:20:05 | 城郭静岡1

2024年5月18日(土)に静岡県浜松市天竜区二俣の鳥羽山城に行って来ました。

天正3年(1575)武田勝頼に奪われた二俣城(依田信繁)を奪還すべき、徳川家康が本陣にした標高180mの鳥羽山、二俣城は目の前。

鳥羽山城搦め手口。

本丸から見た搦め手口。

鳥羽山城本丸。

本丸東門方面。

本丸東口。

本丸外周は全体に土塁が取り枚巻く・・・現石垣は堀尾氏時代に築かれた、二俣城別城一郭?。

本丸見晴場・・・・木々が育ち浜松方面の景色が見えない。

大t門口から見た本丸 右側東門方面、左奥が搦め手方面。

大手門口の土塁、向こう側が東曲輪(二の丸)。

本丸大手門口。

大手門口枡形。

大手門口枡形。

東曲輪(二の丸)。

大手道。

大手道入り口に立つ鳥羽山城碑。

鳥羽山の舗装道路を下る・・・二俣城。

下って振り返る・・・鳥羽山。

此れで二俣城・鳥羽山城に行って来ました、徳川軍が武田軍と激戦を繰り返した場所ですね、浜松に近い徳川軍としては何としても死守すべきお城なのですね、取り返したのは設楽原の戦いで勝利したのちになります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


二俣城に行って来ました。

2024-05-27 06:47:08 | 城郭静岡1

2024年5月18日(土)に静岡県浜松市天竜区の二俣城に行って来ました。

今日は旅行が終わりなので早めにホテルを出て、弁天島から浜松・遠州鉄道で新浜松から西鹿島・天龍浜名湖線西鹿島から二俣本町駅へ・・・・二俣城・鳥羽山城を見ますね。

天龍浜名湖線の二俣本町駅。

駅前から標識があり二俣城へ向かいますね、道路の向こう側に標識が見えたので向こう側を進みますね。

階段を上り舗装道路を上ります・・・・二俣城入口が見えてきました、私は此処から上りましたが、もう少し先にも北曲輪方面からの入り口がありますね。

此れは北曲輪方面に在った案内図・・・・右側・・・私は右下側北曲輪の真下から登りました。

途中石灯籠がありましたが・・・直進しました、登れば本丸と北曲輪の間に出れます。

二の丸・本丸への標識・・・右側へ、直進は南曲輪方面ですね。

二俣城の縄張り図 今右側の真ん中あたりの、二の丸大手門前、此処二俣城は元亀3年(1572)武田信玄が大軍を率いて信濃から遠江に侵攻、武田勝頼の軍が二俣城を攻撃落城、その後三方ヶ原で両軍が激突武田軍の大勝・・・浜松に近い場所なのです。

此処が二の丸大手門の石垣。

左側の石垣・・・・野面積ですね・・・木の根がこんなに広がっていたのに崩れないのですね。

二の丸に入りました、左側奥に社があります(写真ではハッキリしませんが)。

右側方面を見ますね・・・二の丸、右側に石垣向こう側が中仕切り門があり本丸です。

まず本丸の左側の土塁上に上がります、左側が南曲輪。

二の丸の土塁の端・・・南曲輪・西の曲輪方面の境目、堀切・竪堀で分割されています、後程此処を下ります、取れ会えず二の丸へ戻ります。

二の丸から見た本丸方面の石垣。

本丸への中仕切り門。

中仕切り門を入れば本丸。

本丸西側(天竜川方面)に天守石垣が見られます、地元の方々が本丸でグランドゴルフを行っていました。

天守石垣。

少し離れて。

本丸北側の搦め手門方面。

搦め手門から見た北側・・・奥が北曲輪。

北曲輪。

本丸へ戻り二の丸の後方面へ。

先程の二の丸の南の端の土塁上方面です・・・堀切の向こう側が南の曲輪。

西の曲輪方面へ下りますね。

西の曲輪を抜けて水の手曲輪。

二俣城を抜けて鳥羽山城へ向かいますね、後は天竜川。

天竜川です、向こう側が鳥羽山城です、二俣城築城者は今川の二俣昌長、改修者は徳川の大久保忠世、廃城は慶長5年(1600)武田家・豊臣家も滅亡し不要となったのですね、しかも天正7年(1579)家康の長男の信康が切腹させられた場所なのですから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


新居関所に行って来ました。

2024-05-26 06:51:06 | 城郭静岡1

2024年5月17日(金)静岡県湖西市の新居関所(今切関所)に行って来ました、東海道の浜名湖に遮られた関所。

静岡県の浜名湖・・・地図の左下側・・・現在と少し位置が異なるみたいですが。

新居・・・荒井の東海道は船での渡し場所なのです。

新居関所は慶長5年(1600)徳川家康により創設。

此れは関係ない建物です・・・・・昔風なので写真を撮りました。

新居関所・・・面場所などの一部建物は安政2年ー5年(1858)の建造物・・・他は復元、場所は街道の変化で今とは異なるそうですが。

関所の大御門・・・明け六つ(午前6時)から暮れ六つ(午後6時)開いていました、以外は通れないのです。

大御門前は枡形高札場。

高札場・・・幕府の法令等が掲げている。

大御門の内側。

面場所・・・・お調べの部屋なのでしょう、女性は隣の女改め長屋で調べたとか。

関所・・・街道を旅する人には大変でしたね・・・渋滞するのでしょうから。

怪しい人と思われたら調べられたので・・・。

関所ですから、門・濠・・・簡単には抜けられないように・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


吉田城に行って来ました。

2024-05-25 06:09:01 | 城郭愛知1

2024年5月17日(金)長篠城の帰り豊橋駅から市電で吉田城に行って来ました。

愛知県豊橋市の豊橋公園内にある吉田城、豊川の大河沿いですね、大きなお城です・・・・今回で二度目。

明応5年(1496)ー永正2年(1505)今川氏の豊川の領主牧野古白が築城、その後家康が関東移封、豊臣秀吉の重臣池田輝政15・2万石が吉田城を改修。

明治時期から歩兵大8連隊が使用・・・・三の丸入口。

三の丸から・・・現豊橋公園、二の丸口あたり・・・・左は着倒櫓跡。

吉田城 縄張り図 豊川を背後に抱えた大規模な城郭なのです。

二の丸から見た南多門・・・・左側石垣隅に千貫櫓跡。

千貫櫓跡?。

本丸内から見た・・・・南多門の石垣。

本丸内から見た・・・千貫櫓側の石垣、スズメバチの為石垣上には上がることが出来ません。

再建された・・・・本丸・・鉄櫓。

本丸・・・・裏門石垣。

裏門がわへ出ますね、現土橋

深い堀。

金柑丸・・・・藩祖 豊城神社・・・?。

豊城命(豊城入彦命)の像・・・・・・?。

裏門・・・・虎口へ戻り、再び本丸へ。

鉄櫓。

鉄櫓。

北多門・・・・向こう側は豊川。

豊川沿いの腰曲輪から見た、北多門の石垣と鉄櫓。

帯曲輪から角度を変えて。

今回は豊川を渡り対岸からの吉田城鉄櫓を見ますね・・・吉田大橋から。

もう一枚、北多門の石垣・・・・帯曲輪、鉄櫓・・・・豊川・・・如何ですか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


長篠城に行って来ました。

2024-05-24 06:14:41 | 城郭愛知

2024年5月17日(金)愛知県新城市の長篠城に行って来ました、あの武田軍が大敗した設楽原の戦いを引き起こした籠城戦の場ですね。

長篠城と設楽原の位置関係 武田勝頼軍(1・5万人)が長篠城の籠城を解いて織田信長・徳川家康軍(3・8万人)へ戦いを挑んだのですネ。

長篠城は豊川と宇連川の合流点を背後に利用した城ですね、永正5年(1508)菅沼元成築城、改修奥平信昌・徳川家康。

JR飯田線の長篠城駅・・・線路が長篠城本丸脇を分断して走っていますね、弁天島ー豊橋駅から来ました。

駅前から歩きます、まず搦め手門跡の標識が・・・次に瓢曲輪・巴城曲輪・・・。

帯郭・・・・二の丸・・・この先が大手口方面。

帯曲輪から馬出・・・主郭方面・・・右側奥が弾正曲輪方面。

弾正曲輪跡・・・・民家ですかネ。

長篠城帯曲輪・馬出跡に建つ資料館。

長篠城主郭前の帯曲輪・・・主郭の空堀と土塁。

主郭の空堀と右側が土塁部分。

主郭の土橋。

土橋前から見た長篠城の主郭への虎口。

長篠城主郭虎口。

長篠城主郭・・・櫓台。

主郭を右側から左側へ。

主郭左側・・・向こう側の山々には武田軍が陣城とした所、武田軍1・5万で包囲。

主郭左側の土塁へ。

土塁上。

土塁上を奥に・・・。

奥にJR飯田線が・・・・主郭部分と向こう側の野牛曲輪を分断。

野牛曲輪側・・・・後程、川の向こう側へ行ってみますね。

主郭の右手がわ(土塁の反対側)・・・向こう側(磔)から呼びかけた・・・豊川で分断・・・後程向こう側へ。

JR飯田線の駅方面へ戻り川を渡り、対岸から長篠城方面を見ます。

この橋上からが長篠城のビューポイントとの事。

宇連川と豊川の合流点・・・野牛曲輪・・奥が主郭・・・豊川(左)に飯田線が・・・。

橋を渡り飯田線を渡り鳥居強右衛門の磔場所にある墓所跡へ、主郭が見えますね・・・武田軍織田・徳川軍とも長篠城よりもお互いの機を待っていたのでしょうね、天正3年(1575)の事、よく天正4年(1576)廃城。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


三河田原城に行って来ました。

2024-05-23 05:04:13 | 城郭愛知

2024年5月16日(木)三河田原城に行って来ました。

愛知県田原市・・・渥美半島の入り口・・・豊橋鉄道渥美線の終点駅駅。

田原駅から歩いて20分弱・・・・昔は海に近いお城との事・・・・今は海はどこ?。

色々説明版があるのですが・・・・地元の人?に聞いたら解らなかった?・・・。

この時計台を目安に・・・・此処で聞いたのですが?、この道を上がりますね。

上の坂道を上がると、図の右上の”C”の場所に上がってきます。

坂路を上がります、右手にそれらしきものが・・・・。

田原城の水堀・・・袖池とい石垣。

近づきます、右側石垣奥が三の丸。

大手門・・桜門前。

田原城の縄張り図 文明12年(1480)頃戸田宗光海に面した小さな丘に築城、天正18年(1590)池田輝政が東三河に吉田城を築く・・・その頃の曲輪・石垣が残っているみたいですね、寛文4年(1664)三宅氏が1・2万石で治める。

田原城模擬大手門 桜門。

左側が枡池。

枡池から見た桜門。

枡池左側・・・二の丸方面?、左側方面には渡辺崋山を祀る、崋山神社。

崋山神社。

桜門・・・・大手門。

大手門を入ると二の丸・・・復元の模擬櫓(博物館)。

二の丸櫓。

二の丸櫓。

大手道右側が三の丸・・・現護国神社。

大手道本丸前の土橋・・・・左側が二の丸側、右側が本丸、堀底へまず降りますね。

堀底から見た本丸への土橋。

本丸横の曲輪・・・現田原博物館。

本丸へ戻ります、土橋方面より本丸を見る、現巴江(はこう)神社。

巴江神社。

脇に熊野社・稲荷社。

大分離れた位置に田原城惣門・・・右上です。

惣門の石垣がありますが、脇にある田原市報民倉(災害対策備蓄倉庫)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


西尾城に行って来ました。

2024-05-22 05:56:54 | 城郭愛知

2024年5月16日(木)愛知県の西尾市の西尾城に行って来ました、浜松の弁天島から豊橋・新安城・西尾まで今日は朝の内雨でしたが上がってきましたね。

小京都西尾・・・道はわかりやすく、雨もやみ良かった。

新門の当時の絵が・・・。

此れが西尾城新門。

尚古荘 西尾城の東の丸の遺構を利用した枯山水の庭園。

庭園内・・・雨上がりで奇麗な緑が・・・・・。

庭園を見て回りました、この先が西尾城。

西尾城 左側が本丸、堀があり右側が二の丸。

上の図は左側から見た所 実際の天守は二の丸の端にある珍しい配置の城 城下から見やすい位置なのですね。

鍮石門(ちゅうじゃく) 二の丸の大手門。

二の丸城内へ左側に本丸丑寅櫓が見えます。

左側には水堀が・・・・。

二の丸の堀脇から見た本丸丑寅櫓(北東)再現・・・本丸には四隅に櫓が会ったのです。

二の丸奥・・・旧近衛邸。

二の丸から本丸への虎口。

西尾城本丸 現在西尾神社。

西尾神社。

西尾城 本丸丑寅櫓。

丑寅櫓から見た二の丸・・・今来た方向です、右手前が鍮石門、その先が二の丸丑寅櫓(再現)。

本丸を出て中の丸から見た本丸丑寅櫓。

此れは二の丸方面から見た西尾城、再び二の丸へ。

江戸期には本丸でなく二の丸が政庁の中心に明和元年(1764)大給(おぎゅう)松平6万石 西尾藩。

二の丸の手前は現駐車場。

屛風折れ土塀。

二の丸丑寅櫓 漆喰塗壁・下見板張り。

二の丸天守石垣上から見た二の丸全景。

二の丸から見た、西尾城本丸丑寅櫓。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


浜松八幡宮の雲立楠に行って来ました。

2024-05-21 06:20:25 | 巨木巡礼東海

2024年5月15日(水)浜松城近くの浜松八幡宮の大楠を見に行って来ました。

浜松八幡宮・・・右脇手前に大クスがあります。

雲立のクスノキの伝承が書かれていました。

石碑も・・・東照宮・徳川家康が元亀3年(1572)三方ヶ原の戦いで甲斐の武田信玄に敗れ、追手を逃れるためこのクスノキの洞穴に身を潜め難を逃れた伝説・・・・。

樹齢1000年・根廻15m・幹回り13mの巨木・・・御神木。

真ん中は空洞。

一時期弱ったようですが、元気そうですね。

如何ですか、頑張れデスネ。

二つに割れそうな・・・・しかし、楠は巨木も多いですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


浜松城に行って来ました。

2024-05-20 07:24:47 | 城郭静岡1

2024年5月15日(水)に浜松城に行って来ました。

静岡県浜松市にある城郭で野面積みの石垣、徳川家康が17年間在。

浜松城も時代により改修されていますからネ。

徳川家康在城期の浜松城はこんなイメージなのですね・・・。

徳川家康が関東へ移った後・・・堀尾吉晴が築城。

埋門側から見た浜松城・・・・模擬天守ですね。

日本庭園がわ・・・北側ですかね。

南側から見た石垣と天守・天守門。

石垣下にちかずきます。

日本庭園側から天守への登り口。

富士見櫓跡に出てきました。

富士枚櫓跡から天守方面を振り返ります。

天守門・・・・野面積のい石垣が荒々しいですね。

天守城内へ。

浜松城。

城内から角度を変えて。

埋め門脇の土塁上から。

再び回り込みます、天守虎口。

浜松城の古城 曳馬城方面へ行きます。

曳馬城の標識。

曳馬城本丸あとは元城町東照宮。

曳馬城の説明版。

東照宮・・・・・浜松城が出来た後は浜松城の出城なのでしょうね。

東照宮。

藤吉郎が最初に奉公に上がった所がこの場所とか・・・・ここから出世したわけでは無いですが?。