三郎兼続の日記

趣味の写真で山登り・旅行を主体にした日記
最近は山登りが少なく、城郭・巨木へ

城郭の縄張り図と本丸7.

2020-06-02 21:06:24 | 城郭縄張図

2020年6月2日(火)今日は久しぶりに近所で外食、床屋さんにも行って来ました。

岐阜城 岐阜県岐阜市、長良川を背後にした金華山山頂の山城、天文2年(1533)長井新九郎則秀(後の斉藤道三)が居城とした、永禄10年(1567)天下布武・・織田信長が斉藤龍興から奪い改修、難攻不落の名城とうたわれたが5回の落城、天正11年(1583)当時の城主織田信孝は滝川一益と秀吉に対抗すべき挙兵、秀吉の美濃返しで敗れる、天正13年(1585)にはあの姫路城築城の池田輝政も城主でしたね。

岐阜城 山頂を尾根筋を利用した山城、上側下に長良川。

長良川から見上げた山の上に岐阜城が見えますね。

岐阜城二の門 この中が二の丸(下台所・上台所郭)、上の図真ん中少し上。

台所郭から見た岐阜城、尾根が狭く写しずらいですね。

岐阜城天守 長良川の橋上からアップ。

吉田城 愛知県豊橋市、半円郭式平城豊川を背後に本丸を囲みますね、永禄3年(1560)今川義元が桶狭間の戦いで敗れ、永禄8年(1565)今川氏を離反した松平家康が攻略。

吉田城 元亀2年(1572)武田信玄が南進城下まで攻められましたが守り抜きました、天正18年(1590)豊臣秀吉により徳川家が関東移封、池田輝政が15・2万石で入りました、慶長6年(1601)には姫路城へ移封・・・姫路城築城したのです。

吉田城 本丸虎口。

吉田城天主 本丸から。

吉田城天守 豊川側より。

佐倉城 千葉県佐倉市、連郭式平山城、鹿島川(西側)と高崎川(南側)が流れ北には印旛沼の湿地帯、土塁・水堀・空堀(石垣は無し)、千葉邦胤時代築城を行うが親子2代暗殺され頓挫、慶長15年(1610)土井利勝改修築城、その後城主は入れ替わる、幕末には老中首座の堀田正睦が城主でした。

佐倉城 上の図と角度が異なりますが、連格式平山城、馬出の土塁空堀が見られます。

佐倉城本丸 土塁が見られますね、天守は御三階櫓(独立式層塔型3重4階)。

佐倉城三の丸 堀田正睦・・幕末の天保の改革(水野忠邦(老中首座)・・失敗?)、ハリスと日米修好条約・・・、この後井伊大老が老中の上に。

大垣城 岐阜県大垣市、連郭輪郭式複合式平城、水堀に囲まれた大きな城郭です、天正11年(1583)池田恒興15万石の城主、翌年戦死輝政が継いだが翌年には岐阜城主へ移封。

大垣城本丸 慶長18年(1613)石川忠親によって総堀が松平忠良が天守改修、寛永12年(1635)戸田氏鉄が摂津尼崎5万石がら美濃大垣藩10万石に移封。

大垣城天守 複合式層塔型3重4階。

大垣城本丸には戸田氏鉄の像が。

福山城 広島県福山市、近世城郭円熟期の代表、輪郭式平山城、二重の堀瀬戸内海へ抜ける運河を持つ海城、元和8年(1622)水野勝成が備中福山藩10万石の城として築城。

福山城 築城当初より搦め手側(図上側)の防御の弱さが指摘、三の丸はJR福井駅でありません、昭和20年(1945)の空襲で天守は焼失(沢山の残った天守が戦災で焼失しました)。

福山城天守 連結式層塔型5重6階。

福山城 筋鉄御門(本丸虎口)・多門櫓・御湯殿・月見櫓・・・此処には伏見城から移築しました建物が幾つか。

福山城 石垣が続き、月見櫓・鏡櫓・天守と奇麗ですね、幕末期ここの城主阿部正弘はやはり老中首座で井伊大老が桜田門外で死亡後の幕府を支えた人ですね、ペリー来航・・鎖国をやめるとか・・・・、でも人の話をよく聞き人材を登用(勝海舟・・)。

明石城 兵庫県明石市、連郭梯郭式平山城、元和4年(1618)小笠原忠真10万石の居城、JR明石駅の目の前です・・・中国地方のお城は海沿いが多く海と山沿いが狭く、山陽本線がすれすれ又は分断した城郭も幾つかありますね。

明石城 連郭・・・本丸、梯郭・・・本丸ー二の丸が並びますね・・・説明にならず。

明石城三の丸大手門虎口(JR明石駅脇)から本丸の坤櫓・巽櫓が見れますね。

明石城 三の丸から二の丸への虎口途中から坤(未申)櫓(奥)・巽(辰巳)櫓と二の丸御門の石垣(手前)、天守は無かったみたいですが天守台は坤櫓奥の左側にあります、この写真の石垣を上り右側が二の丸・東の丸。







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