2017年4月27日(木)に大分臼杵城跡に行って来ました、今日は帰りの日ですが少し時間が有るので逆方向ですが行って来ました。
臼杵は磨崖仏で有名ですね、駅にもレプリカが在りますがとても時間がありませんから。
臼杵は海の近くです此れから行く臼杵城跡は別名丹生島城で陸地近くの島でしたから。
島一つがお城で左側したの方が濠で三の丸方面でした、上・左側が海みたいですね。
駅からの都合で搦め手門・・・卯寅口門から入りました今は島の脇まで民家と道路で埋まっています、右側が臼杵城跡です。
門を入ると左側の建物は現存の卯寅口門脇櫓です、岸壁と石垣を組み合わせた城壁ですね。
此れは本丸の鉄門櫓跡ですね、二の丸と本丸の櫓門です、この左側が本丸です。
京はグランドゴルフの大会か人が一杯で本丸跡に車が止められていました、此処は空堀横の二の丸屋敷跡です、その向こう側が二の丸ですね。
この城の当初の主大友宗麟です、大分の府内城も大友宗麟です、豊後の大大名ですね、薩摩との戦で敗れおかしくなりましたが、この地では国崩し・・・フランキ砲を使い薩摩を撃退しました、その後藩主が入れ替わりますが関ケ原合戦ごは稲葉貞道が入封しました、1877年(明治10年)西南戦争では薩軍により落城。
大手門脇の鐘楼から見た大手口です(左上方向大手門公園)、堀(濠)・古橋・亭櫓跡です。
鐘楼方向からの大手門櫓と畳櫓とあぶみ坂です・・・あぶみ坂は石垣と天然の岩場を削りできた大手門道です。
なおも腰曲輪を回り込みます、本丸の石垣で右側は空堀へ回り込みますね、右の石垣は二の丸屋敷跡です、少し時間が足りず三の丸(大手門口した周辺)までいけませんでした、此れから大分まで戻り大分空港です、出来れば杵築にも行ければ良かったのですが予定はすべて行けました。