三郎兼続の日記

趣味の写真で山登り・旅行を主体にした日記
最近は山登りが少なく、城郭・巨木へ

大分臼杵城跡に行って来ました。

2017-05-02 15:49:27 | 城郭大分

2017年4月27日(木)に大分臼杵城跡に行って来ました、今日は帰りの日ですが少し時間が有るので逆方向ですが行って来ました。


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臼杵は磨崖仏で有名ですね、駅にもレプリカが在りますがとても時間がありませんから。


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臼杵は海の近くです此れから行く臼杵城跡は別名丹生島城で陸地近くの島でしたから。


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島一つがお城で左側したの方が濠で三の丸方面でした、上・左側が海みたいですね。


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駅からの都合で搦め手門・・・卯寅口門から入りました今は島の脇まで民家と道路で埋まっています、右側が臼杵城跡です。


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門を入ると左側の建物は現存の卯寅口門脇櫓です、岸壁と石垣を組み合わせた城壁ですね。


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此れは本丸の鉄門櫓跡ですね、二の丸と本丸の櫓門です、この左側が本丸です。


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本丸と二の丸の間には石垣による空堀があります。


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城の外側は岸壁ですね。


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京はグランドゴルフの大会か人が一杯で本丸跡に車が止められていました、此処は空堀横の二の丸屋敷跡です、その向こう側が二の丸ですね。


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この城の当初の主大友宗麟です、大分の府内城も大友宗麟です、豊後の大大名ですね、薩摩との戦で敗れおかしくなりましたが、この地では国崩し・・・フランキ砲を使い薩摩を撃退しました、その後藩主が入れ替わりますが関ケ原合戦ごは稲葉貞道が入封しました、1877年(明治10年)西南戦争では薩軍により落城。


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大手門です内側から。


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大手門をでて脇に畳櫓(現存遺構)、右側が大手口です。


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畳櫓から見た大手門です。


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大手門脇の鐘楼から見た大手口です(左上方向大手門公園)、堀(濠)・古橋・亭櫓跡です。


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鐘楼方向からの大手門櫓と畳櫓とあぶみ坂です・・・あぶみ坂は石垣と天然の岩場を削りできた大手門道です。


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大手門櫓方面二の丸から見た二の丸屋敷跡、左側は神社です。


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下の道は腰曲輪です、埋門前櫓跡です、左下は海でしょう。


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なおも腰曲輪を回り込みます、本丸の石垣で右側は空堀へ回り込みますね、右の石垣は二の丸屋敷跡です、少し時間が足りず三の丸(大手門口した周辺)までいけませんでした、此れから大分まで戻り大分空港です、出来れば杵築にも行ければ良かったのですが予定はすべて行けました。





















大分中津城跡に行って来ました。

2017-05-02 11:07:39 | 城郭大分

2017年4月26日(水)に小倉から戻り大分の中津城跡に行って来ました、雨もも少し小降りになりました。


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中津川の下流で海(周防灘)の近くです、駅はこの写真の少し下です、昔は海沿いですね、三大海城の一つです(今治城・高松城)・・・明日行く臼杵城は元々の海の島ですから海城でしょうが・・・・?、此処は大分県ですが豊前ですね。


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中津城今は真ん中の三角が本丸としてあります、左と右端が三の丸で下から右が二の丸です。


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本丸には幾つかの神社があります、右端は藩主一族の奥平神社です、真ん中が中津城右側が南東隅櫓(二重櫓)です。


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薬研堀側(二の丸側)から見た中津城です、模擬天守で萩城天守をモデルとか、外観下見板張り五重五階の望楼型です。


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中津城は御存じ黒田官兵衛(孝高)如水が1588年(天正16年)12・3万石で入封、その後細川忠興(小倉城へ)・小笠原・奥平家となります、像は黒田官兵衛・光姫です、右側の石垣斜めは黒田時代のものだそうです。


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此処からが良いですかネ、雨が降ったり止んだりです。


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此方からも如何でしょうか?、堀は内堀の薬研堀です。


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最上階から見た景色ですが、天気が悪いので・・・・中津川です、この後別府に戻ったのですが普通電車は無く雨なので臼杵に行くつもりは無いが仕方なく特急で帰りました。








大分県豊後竹田の岡城跡に行って来ました。

2017-04-30 08:11:59 | 城郭大分

2017年4月25日(火)に豊肥本線の豊後竹田にある荒城の月でおなじみの岡城跡に行って来ました、日本100名城でもあります。


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大野川の支流である稲葉川と白滝川に挟まれた標高325mの天神山の山上に高石垣がそびえる防御力の高い城ですね。


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左橋の大手門から入城し、西の丸方面・近戸門・家老屋敷・桜の馬場・本丸方面へ見て回りました、前の図は上からの入城になりますね、やはり、竹田城を思い出しますね、南千畳・本丸・北千畳の各石垣の構成です。


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駐車場(総役所跡)から見た西の丸の石垣、右側を回り込み大手門へ、左側を廻り込み急坂を上ると近戸門へとでます。


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この山は天然の壁があり石垣が不要の断崖を多いですね。


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山側を回り込み大手門を仰ぎます、左側の斜面を上がります、奥の石垣は大手門の方がわです・・・まるで塔のように見えますね。


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急坂を上ると大手門です、右側はガケ、左側は石垣です。


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大手門跡ですね大手門前に番所が在ったのですね。


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大手門跡を入り内側から見た所です、奥が西の丸側ですね、こちら側が後期になると主流になるみたいですね。


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大手門内側の石垣から今来た道を見ました。


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西の丸脇の道です、上が西の丸です。


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西の丸は結構広いのです、端まで来て下を見ると駐車場が眼下です、右横上には小さな物見台跡がありますね


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西の丸脇から右側が家老屋敷跡(3家老か?それぞれあります)と正面石垣が普請方跡、左側が近戸門側です。


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近戸門跡です、石垣に囲まれた防御性が高いですね。


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近戸門を入り真すぐな道を突き当たるとガケに出ます、正面左側に見えるのが三の丸・二の丸の高石垣です、その奥が本丸の石垣です、右側を迂回し本丸がわへ向かいますね。


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大手門から西の丸側に行かず右側に直進するとやはり家老屋敷跡(左石垣)・さくらの馬場(正面)へと続きます。


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さくらの馬場の奥の狭まった場所に西中仕切り門があります。


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入口脇から見る高石垣です。


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有名な所なのでさらにアップで・・・・高石垣です。


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西中仕切り門を入るとそこにも枡形の太鼓櫓門跡(奥)がありました。


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太鼓櫓門を入ると三の丸です、奥の石垣が本丸の石垣ですね。


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三の丸です。


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三の丸奥脇から本丸への登り口左側奥が二の丸で階段横に井戸があります、結構井戸が見られますね。


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西の丸側の石垣です、深い急な崖で分けられています、なおかつ石垣で防御です、島津軍が天正14年三万七〇〇名の大軍で三回に及ぶ攻撃にも落城しない難攻不落の城ですから。


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此処が二の丸です、荒城の月の作曲家滝廉太郎の像もあります、阿蘇山・久住・祖母山等が見えますから。


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此処が本丸です。


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本丸から見た三の丸方面です、右側石垣が西の丸方面です。


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やはり本丸から見た東中仕切り門跡の石垣です、この奥にも御廟所跡があります。


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東中仕切り門跡から二の丸の石垣を望む、岡城は中川氏が7・3万石で13代続きました、山城は遺産が当時のまま残り規模の大きさが目の当たりに見え感動しますね、ゆっくりしたいのですが他の予定もあり急いで戻りました。