三郎兼続の日記

趣味の写真で山登り・旅行を主体にした日記
最近は山登りが少なく、城郭・巨木へ

栗林公園に行って来ました。

2023-10-26 07:01:14 | 旅行記

2023年10月18日(水)に四国香川県高松市の栗林公園に行って来ました、JR高松駅からの通り真っ直ぐ(高松駅前には高松城・・・今回は見学出来ず(残念))。

高松城主生駒氏の江戸時代の回遊式大名庭園です、背景に紫雲山、池と築山を配し・・・栗でなく手入れされた松の公園、北庭園・南庭園と大きく分かれていますが、この時期は南庭園ですね。

正面入り口から・・・・松と紫雲山・・・右側に商工奨励館。

明治32年建築とか・・・。

手入れされた松が見ごたえあるのです・・・・。

中には名前の付いた松も・・・・鶴亀松・・・亀は下の石・・・鶴が松。

箱松・屛風松・・・・でしょう?。

池と築山の松・・・・。

旧日暮亭?、江戸初期の大名茶室。

此方が旧日暮亭かも・・・。

美しい枝ぶりの手入れの入った松が・・・。

南湖に張り出した、掬月停。

角度を変えて・・・。

和船が南湖を・・・。

南湖・・掬月亭・・・右側が根上り五葉松。

根上り五葉松・・・11代徳川将軍家斉公からもらった盆栽を地植えしたものとか・・・・栗林公園は二度目ですね、高松城には行きたかったのですが駅での時間も無く本当に残念でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


桂浜・牧野植物園に行って来ました(四国高知)。

2023-10-25 10:26:50 | 旅行記
2023年10月18日(水)に高知の桂浜・牧野植物園に行って来ました。

桂浜は高知市の真南・・・上の図の土佐湾の文字の上、鏡川が土佐湾へ注ぐ浦戸湾より、土佐湾にめんする方が桂浜・・・意外と小さな浜ですね。

桂浜の案内図・・・・右側が桂浜・・右端上に坂本龍馬像、右下が龍王岬・・・左側は長宗我部家の居城・・浦戸城なのです、上側が鏡川の下流、浦戸湾高知港。

高台から見た桂浜・・・・右側が龍王岬・・・・この辺りも浦戸城の一部かも?。

此れが桂浜の先端の高台に建つ、坂本龍馬。

折角ですから・・・アップで・・・・高知駅前にも像がありましたね、他に京都丸山・長崎風頭公園でも見ましたね。

桂浜から見た龍王岬。

龍王岬から見た桂浜、右端の高台に坂本龍馬像。

その後、牧野植物園に行って来ました五台山竹林寺の隣接した植物園・・・NHKのらんまんで今有名ですね。

ひろい内部の一部を見るだけでしたね・・・・・。

説明版が付いて・・・・・。

ホトトギスが今花開いていました・・・。

これもホトトギス。

同じホトトギスですが、種類が色々・・・・今は此れが売り・・・。

花が垂れさがって・・・。

少しアップ。

花を少し持ち上げて・・・・。

最後は手で上向きにしての写真となりましたが、如何ですか、確かクリスマスローズも花が下向きで中々写真が撮りずらかったですが。










高知城に行って来ました。

2023-10-24 10:05:57 | 城郭高知

2023年10月17日(火)に高知城に行って来ました、前日の夜にも行ったのですが暗くて写真がハッキリしませんので朝早くから出かけました。

以前にも行ったので場所も直ぐにわかりました、一度夜食の前に城内を散策したのですが、写真が撮れず、朝早く出かけたのですが日の出が遅くやはり、写真が撮れず城内を見て歩きました。

高知城の縄張り。

大手門・・・石垣は野面積で荒々しいですね。

城門と高知城天守。

大手門を城内から・・・。

城内へ入ると正面の切岸・・・・石垣に水抜きが見られますね。

正面石垣の上から見た、三の丸の石垣です。

三の丸の石垣を下から見ました。

三の丸の石垣が右高知城天守、正面突き当りを右側に・・・二の丸・三の丸へ。

三の丸石垣拠りを天守方面へ。

二の丸・三の丸へ進む石段より天守を・・・。

同じ角度から全体を・・・、右側は詰門(本丸と二の丸を櫓門)。

二の丸へ上がる石段からの高知城天守、外観4重(内部は3層6階)の高欄廻縁の望楼型で右側下側に本丸御殿が現存。

少し、アップ・・・。

初代土佐藩主の山内一豊、関ケ原の功で慶長6年(1601)土佐24万石の藩主となり、この地大髙坂山に築城、その前の長宗我部家時代の石垣が三の丸に一部残る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


内子町・四万十川に行って来ました。

2023-10-23 09:59:34 | 旅行記
2023年10月17日(火)四国愛媛の内子町・高知の四万十川に行って来ました。

愛媛県の中央に位置する内子町の古い街並みを散策、この前行った大州城はこの横を流れる肱川の上流ですね。

駐車場から駅方面へ本町通りを散策しました。

朝が早かったので、人通りが少なかったですね。

此処は木蝋資料館上芳我邸・・・家も庭も大きいです。

多分上芳我邸の庭内から見た家の一部・・・海鼠壁の家。

町中を進みますね。

本芳我邸・・・。

漆喰の家が並んでいますね。

内子座までは距離があり、今回は行かずに途中で引き返しました、以前には内部まで見学しましたね。

これは宇和島市を通る途中で写した、宇和島城天守・・・丸亀城天守の時は見えたのですが写真撮れませんでした、大州城は見えませんでしたね。

いよいよ、四万十川の遊覧船に乗りますね。

四万十川にかかる、高瀬の沈下橋です。

沈下橋を船でくぐります、後程橋の上を歩きますね。

遊覧船乗り場。

流石、清流の川、四万十川・・・水の透明度を・・・。

魚が泳いでいるのも・・・。

高瀬の沈下橋・・・欄干がありませんが、車は走りますね、中央にすれ違いの広場?が・・・。

対岸に渡り、下から見た沈下橋・・・如何でしょうか。


松山城に行って来ました。

2023-10-22 06:37:10 | 城郭愛媛

2023年10月16日に四国愛媛の松山城に行って来ました、昨年は二の丸を訪れましたが、いつ来ても良いお城ですね。

左側山下が堀に囲まれた三の丸、中央の山麓が二の丸、右上の山頂部が本丸でさらに本壇の石垣に囲まれた天守。

上の図が逆さになっていますが山頂部の本丸と天守の本壇・・・連立式天守・・・・今回は本丸部分を見て回りました。

ロープウェイ山頂長者ケ平から回り込み大手門跡へ・・・・二の丸横の黒門口からの登城道・・・此処までくるだけでも大変なのですね。

大手門を上がり、本丸の高い石垣沿いを・・・太鼓櫓・奥に小天守・天守が見えますね。

太鼓櫓の下まで来て振り返りますね、右側が大手門方面、上がって戸無門、上が藤井門西続櫓。

藤井門・・・本丸最大の大手を固める門・・・・しかも。

藤井門の奥脇にある隠門、藤井門前に来た敵を回り込んで奇襲。

門内から見た、左が隠門、右が藤井門・・・・枡形で簡単に雪崩れ込めませんね。

藤井門を抜けると更に立ち塞がります、太鼓門です、外枡形。

太鼓門を門内から・・・・抜けると内枡形の防御・・・・これで本丸へ来ました。

本丸太鼓櫓横から見た、屛風折石垣と手前から、武具櫓・天守・小天守・南隅櫓・乾門。

松山城本丸中央広場から見た松山城本壇(天守・小天守・南隅櫓)、此れから本壇脇を右側から回り込みますね。

ちかずき、左側から、二の門南櫓・天守・一の門南櫓・小天守・南隅櫓・・・手前は天守城内へ受付建物です(本壇入り口は此処だけ)、私は本壇脇を右側へ。

本壇脇の石垣と天神櫓・・・左奥が天守。

此処は本丸虎口の一つ艮門(うしとら)・・・城内側から。

北側の本壇石垣、天神櫓・天神櫓西折曲塀・奥は天守。

更に進みますね、本壇端の北隅櫓。

正面左が北隅櫓・十間廊下・南隅櫓・奥が天守(小天守を含んで連立式に繋がっているのです)。

上の左側にある、野原櫓(当時の建物)。

城内から見た乾門・・・正面が乾櫓(当時の建物)。

本丸から出ました、三つ目の虎口乾門、左が乾櫓(いぬい)方角からなずけていますね。

乾門脇から見た本丸・本壇の石垣・・・建物は乾門・乾門東続櫓・乾門東続櫓東折曲塀・紫竹門・・・、上は南隅櫓・小天守・一の門南櫓・・・・いい景色ですね。

再び本丸内へ小天守、紫竹門。

紫竹門を出て正面から、小天守・天守。

紫竹門・紫竹門東塀・一の門南櫓・一の門東塀・二の門南櫓(この辺りの建物は当時のもの)、本壇城内への複雑な虎口です。

築城者の加藤嘉明、賤ケ岳の七本槍の一人、慶長5年(1600)関ケ原の戦いで武功を認められ20万石となり、この地勝山(132m)に築城し松山と改名、着工から25年・・・完成目前、会津へ転封になりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


四国かずら橋・大歩危峡に行って来ました。

2023-10-21 06:52:27 | 旅行記

2023年10月16日(月)四国徳島の吉野川沿いのかずら橋・大歩危小歩危に行って来ました。

祖谷のかずら橋・・・日本三奇橋・・・カズラのツルで組んだ吊橋ですね。

祖谷(いや)川に架かる・・・現在は一方通行ですね。

大きな支柱に巻き付いたカズラのツル。

祖谷川・・・水面までの高さが14m・・・橋げたから川が見えますね。

吊り橋です、長さ45m・幅2m・・・3年ごとにかけ替えるとか。

橋から見た祖谷川。

かずら橋の雰囲気が伝わりますか・・・。

折角ですから・・・・。

漸く渡り終えました。

次から次へと結構観光客が・・・・如何でしたかネ。

次に吉野川上流の渓谷 大歩危(おおぼけ)小歩危の大歩危峡を遊覧船で観光。

渓谷美を見て・・。

・・・

折り返してくる船とすれ違いますね・・・。

上の方に国道が・・・先程のかずら橋はこのもっと上流に登ったのです、下流が小歩危峡・・船は折り返しますね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


金刀比羅宮

2023-10-20 10:56:51 | 旅行記
2023年10月15日(日)に金刀比羅宮に行って来ました、今回は新幹線で岡山へ岡山からJR琴平駅へ朝が早かったので・・・。

JR琴平駅・・・香川県琴平町・・・大正時代の駅を再現レトロな雰囲気・・・此処は”こんぴらさん”で有名なのです、まずは町中を散策後金刀比羅宮へ。

JR琴平駅前の道を・・琴電の琴平駅、駅脇には高燈籠があります・・・右横奥に見えますね。

高燈籠・・・木造では日本一とか、慶応元年(1865)高さ27m内部3階建て・・・現在は入場不可・・・夜にくれば雰囲気が異なったのでしょうがネ。

琴電の琴平駅脇を流れる金倉川の上流に架かる鞘橋・・・現在のは明治2年(1869)長さ23・6m幅4・5m、刀の鞘のような屋根のある橋。

正面から見た鞘橋、唐破風に彫刻を施した立派なものですね。

これは鞘橋近くの”センダン”の巨木、樹齢300年幹回り6・85m。

素晴らしいですね・・・センダンの木ではトップクラスでしょうかネ。

折角ですから、もう一枚、まだまだ元気ですね。


金刀比羅宮表参道・・・こんぴら温泉敷島館・・・趣のある建物が・・・。

此処からが階段スタート 御本宮785段(海抜251m)、奥社1368段(海抜421m)の階段を上りますね。

およその案内図、右端がJR琴平駅、琴電、金倉川・・左側に鞘橋・センダンの巨木、今は真ん中の表参道を・・もう少しで大門。

大門 もう少しで365段。

大門脇の鼓楼・・・まるでお城の櫓門ですね、脇が今登って来た参道。

大門先の桜馬場・・・平坦な所が少し続き ホ。

鳥居をくぐれば金刀比羅宮境内へ。

案内図 今鳥居です、そこから左へ・・・・。

表書院(社務所) ここには円山応挙の襖絵が・・・。

奥を覗いて見ました・・・此処には入りません。

階段を上れば、左側に木馬舎 階段500ですね。

祓戸社・火雷社。

もう少し、旭社・手前が回廊・・・・御本宮へはまだまだ。

立派建物ですね、旭社・・・・此処金刀比羅宮は元々、神仏が混ざり合っていましたからネ・・・此処は御本宮参拝後のお参りが習わしとか・・右側上から降りてきます、私は右下から御本宮へ・・・。

御本宮へは回廊前を・・・・。

賢木門(サカキ)・・・土佐の長宗我部家寄進の門とか。

真須賀神社・・・左側を上ればいよいよ御本宮。

御前四段坂 133段の階段を四つの踊り場に分けられて・・・正面が御本宮。

金刀比羅宮 御本宮 祭神は大物主神・崇徳天皇。

建物は1878年再建 桧皮葦大社関連造り 拝殿・奥の宮、此処は海抜251m785階段、奥社は海抜421m1368階段。

御本宮脇を奥社へ・・・・此処から約30分位との事。

途中の白峰神社。

漸く着きました、奥社 厳魂(いづたま)神社。

1368段目を上り奥社へお参り。

奥社脇からの見晴らし・・・海抜421m・・・・結構な山登りでしたね・・・本日は1・7万歩歩きました。

厳魂神社のお守りをゲットしました。

奥社から御本宮へ戻りました。

御本宮隣の御別宮 三穂津姫(みほつひめ)神社。

さらに下り、先程の旭社の脇に・・・。

旭社脇の大甕の水に・・・・一円玉が浮けば願い事がかなうとか・・・沢山の御金が沈んでいましたが・・・皆さん何度も浮かべていましたネ、私は一円玉が無くやりませんでした。

鹿沼城に行って来ました。

2023-10-11 07:05:34 | 城郭栃木1

2023年10月8日(日)に鹿沼秋まつりに行って来ました、事前準備無に急遽思い付き鹿沼城を訪れました。

説明版に従えば、折角の遺構が残って残っていたのですが、近年壊したとの事ですね・・・・残念なことですね。

東側の駐車場脇から見た本丸の城塁・・・本丸は野球場に。

城塁脇から城内へ潜り込みますね、左側は病院と化していますネ。

病院の裏手の土塁上・・・・遺構かどうかお墓ですね・・・。

三の丸?、テニスコートです。

テニスコートの上側を抜けてきました、向こう側から来ました。

上に上がりました、本丸の野球場・・・お祭りなので駐車場として開放?・・・調べてこなかったので、正面北側から西側にかけて堀・土塁が残っているみたいなのです・・・残念ですが行きそこないました。

此処は野球場入口下、テニスコート上・・・鹿沼城の碑がありました。

少し土塁の雰囲気が感じられますが??。

野球場の脇本丸・二の丸・土塁かハッキリわかりませんが?。

これは城脇の土塁らしき・・・。

土塁らしき上から覗き込めば・・・武術館・弓場が・・・多分三の丸周辺ですね、この右側上方面に遺構が残っているのでしょうね(残念ですが行きませんでした)。

土塁下がヤハリ三の丸なのでしょう・・・テニスコート側へ回り込みますからネ、此処は城塁なのでしょうね?。

三の丸下側?。

三の丸の城塁。

右側は市役所宿舎・・・上が野球所。

市役所かな・・・・上の野球場は本丸で周辺には土塁?脇には腰曲輪?らしきものが見られますが、ハッキリしませんね。

 

 

 

 


下館城に行って来ました。

2023-10-10 07:40:03 | 城郭茨城2
2023年10月6日(金)に茨城の筑西市の下館城に行って来ました、天慶年間(938-948)藤原秀郷が平将門追討の為に築いた三館(久下田城(上館)・伊佐城(中館)・下館城(下館))の三城を巡りました、三城共、真岡鉄道と五行川に挟まれた段丘を堀切で分割した条件ですね・・・・五行川=>利根川水系の小貝川の支流河川、今から1000年も前でですから全て伝承ですね、その後城跡は再利用されたので当時の面影は解りませんがお城を築く好条件なのですね。

真岡鉄道の下館二高前の駅から歩きました、大分疲れてきましたね、まず、定林寺に拠りました、下館藩主の墓所が・・。

折角ですから墓参り、なお、水谷家は寛永16年(1639)水谷勝隆の時備中松山へ転封、その子が備中松山城を築城、現存12天守で今に残っていますね。

定林寺の道を下館方面へ少し先右側に・・・下館城出丸跡がありました。

下館城西城跡の説明版・・・中に入りましたが、小さな公園と大きな水道タンク・・・その先は切り立つ崖?。

西城(出丸)入口から見える木々が八幡神社・・・・この辺り一帯は下館城なのですね。

八幡神社です、案内板がありました。

下館城の縄張り図・・・前の西城(出丸)の説明版と少しずれる絵?、八幡神社・・本丸跡?・・・。

説明版・・・文明10年(1478)水谷勝氏が築城、天正14年(1545)水谷正村(蟠龍斉)が宇都宮氏に供え・・・上館(久下田城)を築いたとありますね・・・。

下館城跡の碑。

八幡神社。

本丸跡に八幡神社、他は下館小学校・宅地・・・溜池は?、五行川は残っています。

八幡神社の説明が・・・。

八幡神社脇から・・・・結構な台地に築かれていますね、下に五行川。

神社脇を下ります・・・堀跡なのでしょうね?。

右側が二の丸側、正面が五行川へ。

五行川。

振り返りますね、右が本丸、左側が二の丸側・・・・これで上館・中館・下館を巡りました。


鹿沼秋まつりに行って来ました。

2023-10-09 14:36:25 | 日記・エッセイ・コラム
2023年10月8日(日)に栃木県鹿沼の秋まつりに行って来ました、ユネスコ無形文化遺産「鹿沼今宮神社祭の屋台行事」です、彫刻屋台です。

鹿沼の今宮神社の例大祭です、まずお参り、34の氏子町が上組・下組・田町下組・田町上組の四組に分けられていますね、今年の当番組は下組蓬莱町です、今回は下組の屋台を見て回りました。

一番町・・・蓬莱町からの巡行・・・。

2番・・・鳥居跡町。

14時から始まる巡行の前、それぞれの彫刻を・・屋根は唐破風付・屋根の前後鬼板の大きな彫刻が・・・。

前鬼板・横の障子廻・横の高欄=>これは虹高欄。

これは後側、後鬼板・鬼板の下側を縣魚。

側面の彫刻、障子廻、高覧、右側が脇障子。

3番・・・仲町・・・天保7年(1836)製作。

これは後側・・・・確かに彫刻屋台・

5番(四番は使用せず)・・・麻荢町安政3年(1856)製作。

麻荢町・・・巡行開始。

・・・・。

麻荢町屋台後・・・・直高欄に龍が。

6番・・・・石橋町、文化9年(1812)製作・・・下組の中では最古ですかね、当時凄いお金をかけて製作したのでしょうね。

巡行開始。

石橋町屋台後側・・・白木造りでなく彩色。

7番・・・・下材木町巡行開始、天保3年(1832)製作。

後ろがわ・・・彩色ですね、今は此処までの彩色はなかなか出来ないでしょうね、漆に金箔。

8番・・・・寺町、昭和3年(1928)製作。

寺町巡行開始。

寺町の前鬼板彫刻の龍虎をアップ。

側面をアップ、虹高欄、障子廻、脇障子、向拝柱・・・・凄い。

8番寺町の彫刻屋台の後です、夜の屋台を見たかったのですが、この後、鹿沼城を見たりしたので疲れたのと帰るのが大変なので諦めました、でも素晴らしい工芸品ですね。