三郎兼続の日記

趣味の写真で山登り・旅行を主体にした日記
最近は山登りが少なく、城郭・巨木へ

松山城に行って来ました。

2023-10-22 06:37:10 | 城郭愛媛

2023年10月16日に四国愛媛の松山城に行って来ました、昨年は二の丸を訪れましたが、いつ来ても良いお城ですね。

左側山下が堀に囲まれた三の丸、中央の山麓が二の丸、右上の山頂部が本丸でさらに本壇の石垣に囲まれた天守。

上の図が逆さになっていますが山頂部の本丸と天守の本壇・・・連立式天守・・・・今回は本丸部分を見て回りました。

ロープウェイ山頂長者ケ平から回り込み大手門跡へ・・・・二の丸横の黒門口からの登城道・・・此処までくるだけでも大変なのですね。

大手門を上がり、本丸の高い石垣沿いを・・・太鼓櫓・奥に小天守・天守が見えますね。

太鼓櫓の下まで来て振り返りますね、右側が大手門方面、上がって戸無門、上が藤井門西続櫓。

藤井門・・・本丸最大の大手を固める門・・・・しかも。

藤井門の奥脇にある隠門、藤井門前に来た敵を回り込んで奇襲。

門内から見た、左が隠門、右が藤井門・・・・枡形で簡単に雪崩れ込めませんね。

藤井門を抜けると更に立ち塞がります、太鼓門です、外枡形。

太鼓門を門内から・・・・抜けると内枡形の防御・・・・これで本丸へ来ました。

本丸太鼓櫓横から見た、屛風折石垣と手前から、武具櫓・天守・小天守・南隅櫓・乾門。

松山城本丸中央広場から見た松山城本壇(天守・小天守・南隅櫓)、此れから本壇脇を右側から回り込みますね。

ちかずき、左側から、二の門南櫓・天守・一の門南櫓・小天守・南隅櫓・・・手前は天守城内へ受付建物です(本壇入り口は此処だけ)、私は本壇脇を右側へ。

本壇脇の石垣と天神櫓・・・左奥が天守。

此処は本丸虎口の一つ艮門(うしとら)・・・城内側から。

北側の本壇石垣、天神櫓・天神櫓西折曲塀・奥は天守。

更に進みますね、本壇端の北隅櫓。

正面左が北隅櫓・十間廊下・南隅櫓・奥が天守(小天守を含んで連立式に繋がっているのです)。

上の左側にある、野原櫓(当時の建物)。

城内から見た乾門・・・正面が乾櫓(当時の建物)。

本丸から出ました、三つ目の虎口乾門、左が乾櫓(いぬい)方角からなずけていますね。

乾門脇から見た本丸・本壇の石垣・・・建物は乾門・乾門東続櫓・乾門東続櫓東折曲塀・紫竹門・・・、上は南隅櫓・小天守・一の門南櫓・・・・いい景色ですね。

再び本丸内へ小天守、紫竹門。

紫竹門を出て正面から、小天守・天守。

紫竹門・紫竹門東塀・一の門南櫓・一の門東塀・二の門南櫓(この辺りの建物は当時のもの)、本壇城内への複雑な虎口です。

築城者の加藤嘉明、賤ケ岳の七本槍の一人、慶長5年(1600)関ケ原の戦いで武功を認められ20万石となり、この地勝山(132m)に築城し松山と改名、着工から25年・・・完成目前、会津へ転封になりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


四国の大洲城に行って来ました。

2022-10-21 16:00:49 | 城郭愛媛
2022年10月14日(金)四国の大洲城に行って来ました、この後は松山空港から羽田経由で帰りますが、またしても飛行機が遅れましたねJALさんにも困ったもんです。

伊予大洲駅から電動自転車を借りてお城と駅・・・・まずは川沿いから見て、それから城内を見て回りますね、松山ー大洲間あまり電車が無くチョット残念ですが。

肱川の対岸より大洲城を見ました、残念なことに、逆光の時間帯なのです、大洲城は鎌倉時代末期伊予の国守護宇都宮豊房が築城、天正13年(1585)小早川隆景が35万石で伊予の国を治め支城ですネ、元禄4年(1595)あの藤堂高虎が改築、慶長14年(1609)脇坂安治も改築したのです。

四層四階の天守と台所櫓が肱川の高台に。

折角ですから肱川の川原まで降りて、大洲城を見上げますね、写真が悪く解りずらいですが、左側側川沿いにオワタ櫓も見えますね(三の丸)。

これは肱川の橋の所あたりから見た大洲城ですね。

橋の城下よりから見た大洲城、左側は高櫓・台所櫓・奥が天守。

川と反対側・二の丸側から回り込むように本丸へ、二の丸から見上げるように見た石垣の上に高櫓・奥が天守。

左側から回り込みますね、大洲城です黒板塀いろいろな破風が見れますね。

本丸脇から高櫓と天守を見上げますね。

本丸への暗り門の石垣。

暗り門傍から見た高櫓と天守。

本丸から見た高櫓と台所櫓と天守・・・右側は肱川。

本丸台所櫓脇から見た肱川。

戻りますね、ほぼ先程と同じ・・・左側に見えるのが大井戸ですね。

川沿い回り込み天守を見上げますネ・・・此処は二の丸?、本丸下?。

脇により下を見ると石垣が、向こう側が二の丸、下が三の丸?。

今は菖蒲園ですが堀跡なのでしょうね、時間が無く見確認。

これは二の丸奥からです、三の丸方面のお殿様公園の南隅櫓には行かずに帰りました、飛行機が遅れたのに残念ですが、もう1本遅らせればぎりぎりなので仕方ないですね、石手寺が?。




湯築城に行って来ました(四国道後温泉)。

2022-10-18 19:47:21 | 城郭愛媛

2022年10月13日(木)に川之江城・松山城二の丸・漸く湯築城に来ました、散策後は道後温泉が待っています、漸く荷物を預け空身での散策が出来ますが、今日は段々熱くなってきました、足の痛みも重なり大変ですね。

道後温泉駅脇(右側)の湯築城の跡地です、外堀と内堀の中は丘ですね、右側が搦め手側・左側が大手門口で現在の繁華街とは逆?、中世の城郭で伊予の国の守護河野氏の居城、約250年間存続、南北朝時代の初め頃河野通盛が築城、天正13年(1585)羽柴秀吉の命を受けた小早川隆景に滅ばされました。

湯築城外堀。

湯築城・・・外堀の中。

湯築城内堀、右側が丘状で本丸側。

現在の湯築城正門・・・搦め手口との事。

正門わきの資料館と当時の塀を復元?。

当時の武家屋敷?。

広場の向こう側が内堀で森が本丸?。

遮断土塁・・・内堀と外堀の間が狭くなっているので防御土塁、大手門筋脇の防御の仕組み。

大手門口。

大手門から見た外堀・・・右側の土塁が解りますね、こちら側は搦め手口まで残っていますね。

大手口を入ると広場がある、奥が本丸側。

広場左側に岩崎神社?。

岩崎神社、なおも左側へ進みますね。

階段を上に進みます。

現展望台・・・昔は本壇?と言われたとか?・・・丘の一番高いとこです本丸ですね。

本丸脇の虎口・・・2か所の虎口?。

本壇の切岸?、此処も曲輪?。

杉ノ壇と呼ばれた?、曲輪(二の丸?)本丸より広いですかネ。

逆側から見た杉ノ壇、奥が本壇。

石の湯釜がある脇の内堀・・・北側、左側が大手口(東側)、右側が搦め手口(西口)・・・如何ですか?。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


松山城二の丸に行って来ました。

2022-10-18 06:20:43 | 城郭愛媛

2022年10月13日(木)川之江から松山へ市内電車で松山城二の丸に行って来ました。

愛媛県松山市JR松山駅から道後温泉行きで松山城天守が見えたので市役所前で・・・本来県庁前を予定。

松山城全景・・・今左側下の三の丸右端の南堀端、三の丸と本丸の間の四角が二の丸です・・・広大な敷地なのです。

三の丸南堀端。

三の丸南堀端東角から見た・・・正面奥が二の丸、山上が本丸ですね、本丸は2度行ったので今回は日程の都合で行けませんでした。

本丸をアップ、左が乾門・北隅櫓・南隅櫓・小天守・奥が大天守かな。

よりアップで、松山城天守は本壇と呼ばれますね・・・石垣も素晴らしいですね。

三の丸隅から見た二の丸の石垣です、右側は現在県庁。

二の丸から本丸への防御の仕組み・・・恐るべしですね。

三の丸黒門前から見た二の丸の石垣と二の丸の多聞櫓ですね。

三の丸から二の丸・本丸の虎口・・・・黒門跡の石垣、・・・連続した門が続きますね。

黒門を入り次の欅門前から振り返ります。

欅門跡。

槻門。

槻門。

槻門から二の丸方面を見る、上が番所跡とか?。

二の丸の多聞櫓。

二の丸石垣の上から見た、三の丸の一角。

二の丸の虎口前から槻門を振り返る。

槻門の石垣、黒門口登城道・・・二の丸脇を抜けて大手門へと進む道です。

いよいよ二の丸へ。

林泉庭。

御殿跡。

奥門・・・奥の石垣から本丸への登り口。

有名な大井戸です・・・・慶長10年(1605)加藤嘉明が築城した松山城です・・・・川之江城から松山城へ。

 

 

 

 

 


川之江城に行って来ました。

2022-10-17 07:16:45 | 城郭愛媛

2022年10月13日(木)昨日の石鎚山登山で痛い体ですが、伊予西条駅から川之江駅へ荷物の預ける場所も無く、タクシーでお城のある城山(鷲尾山)の川之江城へ。

愛媛県四国中央市川之江町・・・・左側が瀬戸内海、川之江駅前の小高い丘(左)が城山(川之江城)です。

川之江城・・・・右下から回り込みながら山頂へ帰りは三の丸から駅まで戻りました。

川之江城入口・・・南北朝時代に築城、讃岐・阿波・土佐の隣国との国境の為抗争の的となり幾多の戦場になったお城とか。

山頂(本丸)から見た瀬戸内海・・・・眺望抜群。

海側から見た二の丸の涼櫓・・・・此処までタクシーこれから左側を廻り込み三の丸・二の丸・本丸へイザ。

二の丸(上側)・三の丸(下側)の分岐、右奥が川之江町方面、伊予への交通の要衝なのですね。

三の丸。

二の丸の涼櫓。

涼櫓側から見た櫓門。

櫓門脇から。

櫓門を入り本丸側から・・・内枡形の防御ですね。

外側の犬走?側から見た川之江城天守。

ほぼ同じ角度から。

近づいて、もう一度本丸へ。

櫓門側から見た川之江城天守。

慶長5年(1600)関ケ原の戦い後、加藤嘉明が領すと慶長7年(1602)城郭を改築、居城を松山城へ移すと廃城(慶長20年(1615)頃)。

本丸横から。

川之江城天守・・・。

角度を変えて見ました、・・・・これから松山まで行き、松山城二の丸付近を散策・できれば道後の湯築城を散策しますね、今日も盛沢山の日程です。


四国お城巡りに行って来ました(能島城跡・大山祇神社)。

2016-04-16 05:43:29 | 城郭愛媛

2016年4月12日(火)に今治市のしまなみ海道から村上水軍本拠地の能島城跡上陸と潮流クルーズ・大山祇神社に行って来ました。
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能島城跡はしまなみ海道の大島の北側にある小さな無人島(周囲約1km)の為、遺構がわかりやすく保存状態も良いですね。
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大島と伯方島の中間で能島と鯛崎島からなります、横に鵜島もあります、伯方島の先(広島より)に大三島が在り大山祇神社があります、”のぼうの城”の和田竜が書いて、2014年本屋大賞の”村上海賊の娘”村上武吉の娘お京さんが居たあの島です、お京さんが憧れた”つる姫”(実在)の鎧が大三島大山祇神社にあるとは・・・。
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船から見た能島中央部分です、真ん中の高い所が本丸です。
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船着き場から左側の丘が三の丸でそこから見た景色です、上の小島が鯛崎島です。
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三の丸から少し上ると二の丸で本丸を囲むように出来ています、横矢がかり状態の階段の上が本丸です。
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三の丸から見た島の反対側・・・・船隠し(船だまり)、高いのが本丸、その先が矢びつ郭?、その先は海で向こう側が鵜島です。
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二の丸から本丸方向です。
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本丸から三の丸方向、船隠しの浜、向こうにしまなみ海道の橋が見えますね、左側が大島・伯方島。
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本丸の向こう側に矢びつ郭、向こう側が鵜島。
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本丸横を回り込み鯛崎島方向東南出丸です。
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東南出丸から本丸を見ました。
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同じく南部の平坦地三の丸方向です、これで島全体です小さなものです、島の周りの潮流が島を守る役割を果たしているのでしょう。
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船に乗り潮流体験です、船だまりの海岸です。
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大三島にある日本総鎮守の格式高い、大山祇神社です。
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大山祇神社にある樹齢2600年の乎知命御手植の楠です・・・感動しました、幹回り約11mとか。
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大山祇神社乎知命御手植の楠、少し近寄り・・・・。
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大山祇神社乎知命御手植の楠、角度をかえて・・・・すごいですね、ここまでくると骨と皮だけでしかも新緑を豊かに境内に広げていますからまさに神楠です。
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大山祇神社の日本最古の楠、能因法師の雨乞いの歌にある楠、樹齢3000年とありましたが、残念ですが根元は枯れわかりずらい状態でした。

思いもかけず巨木にあえ嬉しい旅となりました、今回の旅は天気にも恵まれ充実した旅でした。


四国お城巡りに行って来ました(今治城)。

2016-04-15 15:28:09 | 城郭愛媛

2016年4月12日(火)に今治城を再び訪れました、2013年4月に松山城しまなみ海道を訪れたのでした。
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今治城の縄張り図です、この城も藤堂高虎が築城主です、完全な海城ですね・・・今は海が少し先ですが近くです。
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山里郭の前からの天守、望楼型5重6階の模擬天守(資料が少なく不明)。
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正面大手門側から見た城壁と御金櫓。
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大手門の鉄御門と天守・・・・大手門前には高麗門があり完全な枡形構造との事。
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鉄御門と武具櫓。
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大手門の石垣は大石できれいですね・・・・橋の向こうに高麗門があり門内の石垣は見えないのでしょう、高虎は築城の名人で豊臣秀長・秀吉・徳川家康に頼まれ多数のお城を設計しました。
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城内の藤堂大学高虎の像と天守。
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天守をアップ。
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天守への入り口門です、脇の楠が大きく城が隠れて・・・・。
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今治城全景です、美しいお城ですね、昨日の夜も見たのですが・・・写真は?。

朝の散歩時間に見ました、此れからしまなみ海道を行、村上水軍の能島城跡・大三島の大山祇神社乎知命御手植の楠(樹齢2600年)等を見に行きます。


四国お城巡りに行って来ました(松山城)。

2016-04-15 10:06:57 | 城郭愛媛

2016年4月11日(月)に宇和島城に続き松山城に行って来ました、関ケ原の戦いで軍功があり20万石となった加藤嘉明が築いたお城です、今回で2度目となりました。
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お城の全体図です、山の上は本丸で山下に二の丸・三の丸がある大きなお城です、徳川幕府へお城構築願いを出すとき候補地の二番目にして提出したとか・・・・・当時一番は却下される例が多いので裏をかいて提出したとか。
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二つの山の山頂の尾根をつないだ大きな本丸です。
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絵になる大手門跡から見た天守、右石垣と太鼓櫓です。
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大手門の上戸無門と筒井門西続櫓です、この筒井門の右奥に隠門があります。
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筒井門を入ると太鼓門櫓が目の前に立ち塞ぎます。
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太鼓門脇から見た、馬具櫓・小天守・南隅櫓と折り重なるような石垣です。
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南隅櫓・小天守・大天守と大天守前の一の門南櫓です・・・・二の門・三の門と進み筋鉄門で中庭に入れます。
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中庭から見た大天守と筋鉄門です。
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北隅櫓の2階から見た筋鉄門と小天守です、連立式構造です。
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大天守3階からの眺望です、右側が小天守で下の門が紫竹門、その左側が一の門への道で一の門南櫓で本丸の広場と街並みが眼下に見えますね、加藤時代は5重の天守なのでより見えたでしょうね、落雷で焼失し今の3重の天守だそうです。
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乾櫓方面から見た、北隅櫓・十間廊下・南隅櫓です。
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乾櫓と乾門です、石垣が壊れ始めていますね。
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乾門の外から見た、乾門東続櫓・南隅櫓・小天守と外回りの石垣です。
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紫竹門と右側が南隅櫓・小天守・大天守・一の門南続櫓と一の門への登道です。
この後今治市までいきます、今治城は各自散策ですネ。


四国お城巡りに行って来ました(宇和島城)。

2016-04-14 19:43:15 | 城郭愛媛

2016年4月11日(月)高知を朝たち愛媛県の宇和島城を見てきました、藤堂大学高虎が築いた海城です、その後伊達家10万石がおさめました、これも現存天守12城の一つです・・・・11城を見てきました後1城機会があれば見たいものですね。

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昔の縄張り図で見れば三方向が海ですネ。
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縄張り図です、三の丸からの直登・・・石段があり趣の有る所から登ります。
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苔むした石階段を上ると石垣が現れます。
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井戸丸です・・・・結構大きな井戸です。
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井戸丸を少し登れば本丸の石垣が見えます、石垣の下が帯曲輪で三の門跡です。
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三の門跡の上りで階段上が二の門跡で上が二の丸ですね。
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二の門跡から振り返ると天守がみえます。
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二の丸から見た一の門です。
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一の門跡から見た二の丸跡です。
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伊達家時代に作られた天守です、3重3階独立式層塔型で入り口が唐破風・千鳥破風と装飾性があります。
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天守から見た海がわの景色・・現在は大分向こう側に海がありますね、本丸の広場・二の丸が目の前です。
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藤兵衛丸の石垣と碑。
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長門丸櫓跡です、これから松山城を目指します。