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三郎兼続の日記

趣味の写真で山登り・旅行を主体にした日記
最近は山登りが少なく、城郭・巨木へ

牛久城に行って来ました。

2023-02-24 16:16:43 | 城郭茨城

2023年2月22日(水)に茨城の牛久城に行って来ました、JR常磐線の牛久駅から歩きました、40分弱かかりましたかネ。

写真の前方方面から此処まで歩いて30分位でしょうか?、左側が牛久城方面、右手先がもう少しで龍ヶ崎市、城は左の少し先。

根古屋地区でしょうか?、右側に標識が牛久城入口、左側は民家がありますが、牛久沼。

牛久城に入ります、牛久城は牛久沼に接した高台に築かれたお城ですね、各曲輪の周りは孟宗竹で一杯ですね、この右側も小さな曲輪ですが竹で見通しが悪いですネ。

竹のトンネルを抜けると段々の平地が見られます、横の道を回り込むように上がりますね。

上ると右側に回り込む曲輪があり左側が空堀で奥に土橋が・・・空堀と土塁には竹が一杯。

説明版が無いのでハッキリしませんが1の郭への虎口です、右側下は先程の入り口脇の竹藪の曲輪。

土橋を上がれば1の郭。

1の郭・・・廻はすべて竹藪ですが土塀。

1の郭の虎口は現在これ一つ・・・・?。

もと来た道に戻り奥に・・・・横は空堀、右側が1の郭。

此処は1の郭と2の郭の空堀。

堀底道を進みますね。

曲がった先は根古屋地区方面ですね、先程下の道を左から右側へ。

堀底道を元の戻りなおも先に進みますね、左側一帯は腰曲輪、右側は2の郭。

腰曲輪の先まで来ました、正面と右側に虎口がありますね、まず右側へ。

2の虎口へ。

大きな曲輪ですね、此処も今は虎口が一つのみ・・・・(1・2の郭は木橋ですかネ)。

2の虎口から正面右側は土塁に囲まれた腰曲輪、右側が3の郭方面の虎口。

2の郭からの虎口の土橋左右に空堀、左は腰曲輪を回り込むような帯曲輪、まず右側方面へ・・。

大きな空堀が。

左右に空堀があり3の郭に続きますね・・・馬出曲輪ですかね。

振り返り2の郭と虎口の土橋を見る、見事な空堀です、牛久城は小田氏一族の岡見氏のお城で小田氏の勢力が弱くなり、佐竹氏の勢力が強くなったので後北条に巻き込まれた城ですね・・・佐竹氏に対抗するため後北条が防御力強化を図った城・・・小田原征伐で後北条と共に滅亡。

3の郭へお虎口。

右手奥から出てきました、3の郭は広かったのでしょうが?、端のほうの崖以外は?、2の郭の虎口まで戻りますね、右側の案内図が古くて読めず・・・・此処は全体的に説明がありませんね、こんなに素晴らしい遺構があるのに・・・タケノコ採るなだけですね。

2の郭を渡り左側へ曲がりますね、2の郭の空堀と3の郭の空堀の間にある帯曲輪(馬出?)を進みますね。

帯曲輪から見た3の郭下側の湿地帯・・・当時は牛久沼の一部か。

2の郭横脇の腰曲輪したを回り込みます、右側は牛久沼(当時は?)。

なをも回り込みますね。

なをも・・・当初来た入口手前そばまで回り込みました・・・・築城はやはり土木工事ですね・・・後北条も凄いですが、やはり豊臣秀吉は早くて凄かったのでしょうね?。

今廻って来た方面を道路側から見ます(この辺は沼の一部か?)、向こう側の国道6号線から右側へ、右側から上の方を進み左側から右へ、素晴らしい縄張りですね、よく遺構が残っています。


牛久陣屋跡に行って来ました。

2023-02-24 10:03:05 | 城郭茨城

2023年2月22日(水)に茨城の牛久城・守谷城に行って来ました、陣屋が近くにあるので足を延ばしましたが、陣屋跡が良くわからず・・・(泣)。

JR常磐線牛久駅前の国道6号線を龍ヶ崎市方面へ・・・此処まで20分位でしょうかネ、この後が龍ヶ崎市。

奥に見えるのが牛久城です、根小屋橋を渡りますね・・・牛久の根古屋(武士の済んだ城下町)。

牛久沼・・・右手すぐ先が牛久城の入り口(看板あり)・・・先に牛久城を見たのですが・・・今回はそこを飛ばした、その先を左側沼脇を行きますね。

牛久沼脇の遊歩道を・・・右側の森の中へ。

なおも遊歩道を少し先から森の中へ・・・案内板あり(ただし牛久陣屋はありません)。

沼脇から、高台へ・・・雲魚亭・・・小川芋銭(うせん)の晩年の家とか。

近くにある河童の碑・・・小川芋銭・・・・この辺りが牛久陣屋跡みたいですね。

近所を見て回ったのですが陣屋の場所が解らず3度ほどグルグル・・・陣屋はこの辺りですが、この道の奥が・・・近所の人に尋ねたのですが3度目に明解に教えて頂きました。

遺構は殆ど無い状態ですね・・・畑を脇が幾らか土塁?かな・・。

左側奥河童の碑奥は此処より一段低くなってはいましたが、近所の稲荷神社の方が(小さいが)趣はありますが・・・此処も牛久城の城内の端の場所ですね・・・牛久藩山口弘隆2代藩主がこの地に陣屋を構えたのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


常陸太田城(舞鶴城)に行って来ました(巨木も)。

2023-01-06 16:01:01 | 城郭茨城

2023年1月5日(木)に常陸太田市に行きました、結構遠いのですね・・・・しかも駅からレンタル電動自転車で動き回ったのですが途中でバッテリーが切れて重くて大変で思うように見て歩けませんでしたね・・・もう一度行かなくてはなりませんね(何時になるか?)。

常陸太田城は別名舞鶴城・・・佐竹氏が改修し移転した時に上空に鶴が舞い飛んだので付いた名と在りますが?・・・源氏川と里川との間の南北に長い台地で鶴の羽を広げた形なのでついたのでは?。

常陸太田城は当時の遺構があまりないとかで、本郭がこの常陸太田小学校との事ですね、この写真は校門の外から、太田城は長仁2年(1109)藤原秀郷の子孫が城塞を築いたとか、その後・・佐竹氏に変わり城は改修・・・この時鶴が舞ったとか・・・天正18年(1590)佐竹義宣が水戸城に移るまでの約470年間、太田城を本拠として勢力を拡大54万石の戦国大名となりました、関ケ原の戦いで徳川方に味方をしなかったので、慶長7年(1602)秋田に20万石で国替え・・・太田城は廃城。

多分、太田小学校脇の土塁、常陸太田城の本郭の土塁・・・遺構ですね・・・私は素晴らしい木に目が行っただけですが!。

趣のある木なので・・・。

この辺りでは電動のバッテリーが切れて、普通の自転車より重いので・・・・土塁下の国道293号脇から上ってきました、常陸太田城2郭あたりの(内堀町周辺)若宮八幡宮です、巨木のケヤキが目に入ります。

境内入り口脇のケヤキ・・・こちら側は大分痛んでいますが。

大きい方のケヤキを此処から見ました、樹齢650年幹回り11m、御神木ですね、当時も境内でお城の中を見て来たのでしょうね。

若宮八幡宮全景、他にも大ケヤキがあります、左側は道ですが、その左側はガケ(土塁)・・・奥の方が常陸太田城本郭、右側が二の郭(内堀町)、右奥が三の郭(栄町)?となりますか?。

此処は専売公社跡(今はJT)・・・栄町の3の郭、左側手前が本郭(太田小学校)・・・今は三本の木がある更地、奥が太田一高で北郭(搦め手)。

大ケヤキがボッツと・・・樹齢?年幹回り5・5m。

折角ですから・・・栄町の大ケヤキ。

角度を変えて。

此処は三の郭脇の太田落雁から見た里川方面側の土塁上・・・・本郭の逆側です、太田城は高台の上でバッテリーが切れて動きが取れず余り動かなかったので位置関係が大分あやふやで・・・・結局、田渡城には行けず・・久米城(素晴らしい!)と5時間弱走り回って疲れました。














小田城に行って来ました(後)。

2022-05-22 11:02:59 | 城郭茨城
2022年5月18日(水)に茨城県つくば市の小田城に行って来ました、鎌倉時代からの常陸南部の守護小田氏の居城。

前回からの続き(北側と東側)、再び東虎口から入り本丸の土塁を南側へ回り込み西南の馬出と本丸を見て回ります。

東曲輪から東虎口。

東虎口を入り土塁上から見た本丸内の東側の池、守護館内の庭園ですね。

本丸土塁上から見た東虎口と東の堀、右側は東曲輪。

東南隅櫓・・・・涼台と説明に有ります。

涼台脇から見た本丸、手前は東池、後は筑波山、手前の山は前山・・・・前山には山城があるみたいです。

南側の土塁上から見た、南虎口の橋と西南馬出・・・戦国期佐竹氏が追加した設備。

南虎口脇の土塁から見た本丸・・・後ろの城石は西池跡、西池の後側が本丸建物群。

南虎口・・・・復元レプリカ。

南虎口から見た西南馬出。

西南馬出から見た南側の堀跡と本丸土塁・・・木に覆われた所が涼台。

西南馬出から見た本丸南虎口、後が前山、その後方が宝筐山。

西南馬出の外側から見た所、馬出の左右に虎口があり・・・橋は西側の虎口、左奥は南虎口の木橋。

南虎口を入り西側の土塁上から見た南虎口・・・奥が涼台、此処から本丸を見ますね。

すこしずらしました、西池跡、右側が東池方面。

又すこしずらします、西池、段差・土塁奥が本丸建物群、後ろの山前側が前山、後が宝筐山。

本丸内から本丸建物群を見ます・・・・此処が小田氏15代の居館跡、如何でしたか、一時右端から筑波鉄道が本丸を斜めに横切っていましたが廃線で消えました・・・右端はその跡です。

小田城に行って来ました(前)。

2022-05-21 12:20:12 | 城郭茨城
2022年5月18日(水)に茨城のつくば市小田城に行って来ました。

TXつくば駅からつくバス小田シャトルで小田東部バス停へ城跡周辺を見て回りました、天気が良いので出かけましたが、結構暑く疲れましたね。

見ずらい写真になりましたが、小田城・・・・筑波鉄道(廃線)で分断されたお城です、今はつくば霞ケ浦りんりんロード上にありました。

知らなかったのですが小田城の北東1kmに昔は極楽寺という大きな寺院が在ったみたいですね・・・・今は何もなく幾つかの遺跡が残るのみとか。

小田城縄張り図、常陸南部を収めた名門守護、小田氏15代のお城、完全な平城、鎌倉時代から戦国期のお城。

平成期に復元された本丸周辺と現在に重ねた当時の各曲輪・堀、16世紀中頃から相模の後北条、越後の上杉、常陸北部の佐竹に挟まれ戦の舞台となったお城、永禄12年(1569)15代小田氏治は手這坂の戦で敗れ小田城を奪われました、慶長7年(1602)佐竹氏の秋田移封で廃城。

資料の写真が続きますが、小田城本丸、三の虎口・・・東虎口が大手。

図は此れで終わります、方形です、右側から北虎口を入り本丸の東北隅櫓台?へ、東虎口から本丸を出て東曲輪へ、東曲輪を見て本丸までが(前)、(後)は本丸内から土塁上を南側へ、南虎口から南西馬出、西側土塁から本丸建物を説明します。

西北隅の自転車ロードから見た北側の堀と土塁・・・土塁は実際はもう少し高かったみたいですが?。

北側の水堀跡と土塁、先に見えるのが北虎口。

北虎口を入り北土塁上から見た所・・・・今来た所ですね。

北土塁上から見た東北隅櫓台?・・・隅櫓台?やや盛り上がっています、堀側へも出ていますね、資料には名前がありません、東南隅櫓は涼台と説明がありますが。

東北隅から見た北側。

同じ東北隅の土塁上から見た東側・・・堀と左側が東曲輪。

東北隅から見た本丸と北側。

東北隅から見た本丸と東側。

東北隅から見た本丸 全景、手前は作業広場、奥左から右奥が西池・東池の庭、右奥が本丸御殿の建物群で少し高く溝が掘ってありますね。

本丸の土塁をおりての東北隅から・・・奥の土塁の四角は鉄道線路跡・・・土塁の地質説明用に残した?。

東側土塁上から見た東虎口。

本丸 奥が建物群の場所と説明版。

説明版を振り返ります、大手筋東虎口。

東虎口、当時は木橋。

本丸外東虎口から本丸を見ます。

東曲輪の外側(本丸の反対側)を除く・・・当時は水堀。

東曲輪脇から本丸東虎口を見る・・・・右側奥は筑波山。

東曲輪脇から東虎口をを見る、今回の小田城(前)の説明は此処まで続きは(後)です。


水戸城に行って来ました。

2022-01-19 08:16:14 | 城郭茨城
2022年1月17日(月)に茨城県水戸市の水戸徳川家35万石の水戸城に行って来ました、大手門・二の丸隅櫓の復元を見ました。

JR水戸駅の前に広がる水戸城、北側に那珂川と南側に千波湖挟まれた丘に建つ水戸城。

見ずらいですね、右側上の方が水戸城。

水戸城の縄張り図です、右側東側から下の丸・本丸・二の丸・三の丸と丘の台地を堀で分割、今回は二の丸と三の丸の堀から大手門へ。

JR水戸駅北口です、水戸黄門の像の後の木々がある場所が二の丸。

駅前から見える二の丸角(隅)櫓・・・復元された櫓。

大手門の橋上から見た二の丸(左側)と三の丸の間の堀です、正面がJR水戸駅、水戸城は大きな土の城なのです、大掾氏・江戸氏・佐竹氏・水戸徳川氏のお城です、佐竹氏は天正18年(1590)から慶長7年(1602)まで治めましたが秋田へ転封54・8万石=>20万石(40)、以後35万石の水戸徳川家が治めました。

大手門前を振り返ると三の丸です、弘道館です。

此れが復元された大手門、二の丸への虎口

大手門正面から・・・・二の丸への虎口・・・西側。

大手門を入りました内型枡形ですね。

二の丸にある大シイ・・・樹齢400年目通り4・3mと3・3m・・・・巨木にどおしても眼が行きますね。

二の丸北側から見た那珂川。

二の丸虎口は東西南北の4か所あり、此れは北側虎口の杉山門。

此れも二の丸の南口虎口の棚町坂下門。

大手門を入り二の丸です、正面奥が本丸です、江戸期は此処がお城の中心とか・・・本丸は重要性が落ちて来たとか。

二の丸隅櫓への入り口です、隅櫓のある場所は今は幼稚園の為、こちら側から迂回するのです。

二の丸隅櫓・・・二の丸の裏鬼門・・・南西(未申・坤)櫓です、狭間はありませんね。

隅の高台に。

此方から中に入れます。

此処は二の丸と本丸(右側)の堀です。

本丸への虎口・・・・二の丸東側虎口。

本丸にある、現存建もの薬医門・・・・佐竹氏時代の作とか、本丸は県立水戸第一高校の敷地です。

此れが二の丸隅櫓の南側からの写真です、如何ですか?。
佐竹氏は源義光の孫で常陸の国の守護大名で戦国大名・江戸の大名として残りましたね、薩摩の島津。関東管領上杉家とか数少ないですね。


逆井城跡に行って来ました(飯沼城跡)。

2020-02-25 18:00:59 | 城郭茨城
2020年2月24日(月)に茨木県坂東市の逆井城跡(飯沼城跡)に行って来ました、交通の便が悪く以前より行きたいと思っていましたが、息子のスケジュールと会い急遽行けることに、車では比較的楽に行けましたね。

大手門から城外を時計回りにまず見て回ります、大手口の土塁の上に二層櫓が・・・中世のお城の雰囲気が伝わりますね、土塁に架かる木橋もいいですね。

水堀と二層櫓が・・・。

角を回り込み蓮沼方面へ、西二の曲輪に立つ井楼矢倉です・・・・どこかで?、そう長野の荒砥城でも見ましたね、復元されイメージがより鮮明になりますね、中世と近世がごっちゃになりますからね。

水堀の脇を回り込み裏側(北側)の西仁連川へ・・・此処は搦め手?の虎口?で左右を土塁で正面も土塁で抑えた虎口・・左右は馬出?。

虎口内右側の土塁と右側は堀切の空堀です、右側は本丸側です、正面は当時は沼地ですからね。

搦め手口から真っ直ぐ奥へ、小刻みの空堀が刻まれています、多分古城(逆井氏時代)の本丸周辺?、左側が空堀で奥が本丸です、右側が西2の曲輪方面になりますね。

古城?土塁上から見た空堀・・・中央は鐘堀池(逆井氏落城の折に城主の娘?が鐘と沈んだとの伝説ある?)、左側は本丸。

逆井城跡の説明版?・・・・わかりますか!。

堀の周辺を回り込みました、右側が本丸で奥が鐘堀池。

なおも回り込むと、本丸に架かる木橋と復原された櫓門です、右側東2の曲輪側です。

此処が東2の曲輪です、奥には空堀が有りその向こう側が三の曲輪側です、三の曲輪方面はハッキリしませんが大きいかったのでしょう?。

復元された櫓門と木橋です。

木橋上から見た空堀、右側が本丸、本丸側は土塁で積み上げた有ります。

逆側ですね、左側が本丸。

此処は東2の曲輪の東の外れ。

本丸から見た先程の搦め手がわの川筋です(昔は飯沼)。

本丸に残る社・・・・、この城の城主になった北条氏繁は氏綱・氏康に仕えた綱成の子で綱成は地黄八幡の北条軍の黄備えの猛将で天文15年1546年河越の夜戦で半年間の籠城戦に耐え逆転した人です、北条一門で玉縄城主だったのですからこの地に力を結集したのでしょうね。

此れが鐘堀池です、本丸側からです、向こう側が古城側?でしょう、その向こう側が西の2曲輪側ですね。

東2の曲輪側・奥が三の曲輪で大軍が収容できる形みたいですね。

東2の曲輪端から見た本丸側の空堀と櫓門。

東の2の曲輪と3の曲輪の空堀、向こう側が3の曲輪ですね。

東2の曲輪林の向こうが本丸。

此れも2と3の曲輪を繋ぐ木橋、天正18年1590年豊臣秀吉の小田原征伐により、逆井城も没落、廃城となったのです。

茨城坂東市の逆井城跡に行って来ました。

2020-02-25 09:14:04 | 城郭茨城
2020年2月24日(月)に茨木県坂東市の逆井城跡(飯沼城)に行って来ました。

逆井城の全体図です、北側(上)に今は西仁連川が流れ(昔は飯沼)、左側は蓮沼、右側も沼地の堅固な平城なのです、今回は西側(左側)の曲輪にある復元した建物を主に紹介します。

現地の案内図ですが、今回は左入り口脇の建物を。

逆井城大手門脇の復元された二層櫓と木橋です、この逆井城はこの中世の復元されたお城で有名なのです、近世の天守以前のお城の形態ですね。

西の二の曲輪に再現された御主殿の門です、関宿城から移築した薬医門。

この建物は牛堀町の大台城遺跡した主殿を復元、全面の庭は枯山水。

西の曲輪端に建つ井楼櫓です、登ることができます。

井楼櫓から見た蓮沼(水堀)と南側方面です・・・昔は飯沼、右側は土塁。

同じ井楼櫓から見た東側です、二層櫓土塁、右側が空堀です、此れから二層櫓へ登ります。

南東方面を2階の廻縁から見ました、逆井城古城方面ですね、管理事務所辺りがが昔のお城の中心で、後北条時代に大きく改築、奥が本丸、右側が、西の二の曲輪、三の曲輪と広がりましたね。

これは西の二の曲輪方面(主殿)・右薬医門。その奥裏門方面へ。

先程登った井楼櫓と主殿ですね。

ほんの少し外側にずれて水堀を入れました。

城外からの二層櫓と木橋・土塁・空堀を・・・・お城の風情が漂いますね。

お城全体の風情はこの場所でしょうかネ。

最後にアップの二層櫓を如何でしょうか、中世のお城ですね、此処は逆井氏の古城を後北条が滅ぼし、その後下野方面の基地として役割を担ったお城なのです。