見るまいと思った昨日の一番、結局あとで見てしまいました(苦笑)
まさに「ア然」という2度の横綱の変化。
翌日の結びはケガ人の照の富士に敗れ、優勝決定戦で勝つという、なんとも後味のよくない場所となった。
パレードで嬉しそうに両手を上げる鶴竜の姿を見て、2度の変化は何とも思ってないのだなと不快感を感じる。
はっきり言おう。
恥知らずの横綱。いや、綱を締める資格などない。
もう、この力士は一生応援しない。
もちろん、大相撲のルールに横綱が変化してはいけないとは書いてない。
だが、ルールにあろうとなかろうと、やって良いことといけないことがある。
たとえばメジャーリーグで、ルールブックにはないもののガッツポーズは御法度だ。
負けた相手、敗れた相手を気遣うという、ある意味で日本の武士道にも通づる戦う相手に対しての敬意である。
そういう意味で、あの変化は横綱としての相撲の取り方が問われるのはもちろん、相手に対する敬意があっただろうか。
まともにやったら勝てないからやったというのが敬意というなら、それもアリだろうが、少なくとも相手に敬意があって戦ったとは言えない。
安美錦や豊ノ島がやるなら、それも良しだが、いやしくも横綱である。
結びの一番、ケガ人の照の富士におめおめ破れ、優勝決定戦で破る。
ケガ人相手に真っ向勝負とは、まさに笑止。ヘソが茶を沸かすとはまさにこのことだ。
「横綱、ケガ人相手に変わるなよー!」
わたしが国技館にいたのなら、そうヤジを飛ばしただろう。
今場所、誰より良い相撲を取っていたのは大関・照の富士であるが、最後はさぞ残念だったことだろう。
あとでツイートを見ると
照の富士、ケガは大丈夫?
あああ、見てられない!
など、大関を気遣う声がいっぱい。見ていてとても相撲にはなっていなかった。
問題なのは横綱鶴竜本人だけではない。
あの優勝を「盛り上がりましたね~」とオンエアする公共放送も同じ。
高級中華の店に入って、カップ麺を出されるような相撲を「盛り上がりました」とは、これまた片腹痛い。
おそらく横綱鶴竜は、今後もああいう相撲をやめないだろう。
大相撲協会はまたとない悪しき前例を作ったことになる。
大相撲協会の「勝ちにこだわった」という弁護も見苦しい。
遠からず、客離れがすすむことになるだろう(誤解がないように言うが、私自身は誰よりそうならぬことを願っている)。
だが断言しよう。
鶴竜の優勝はこれで最後である。もう一度、優勝はないだろう。
来場所はきせに奮起を期待。
そして誰より奮闘した照の富士、きらいだったが来場所から応援しエールを送りたい。