小暮満寿雄 Art Blog

ダジャレbotと間違われますが、本職は赤坂在住の画家です。作品の他お相撲、食やポリティカルな話も多し。右翼ではありません

どこが違う?~ミートソースとボロネーゼ

2015-02-16 08:51:09 | Weblog

マンマミーア・イタリアンーと来たもんだ! 9 

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2月の短い暦は、はやもう月中旬に突入。

本日も「医食同源・ マンマミーア・イタリアンーと来たもんだ!」の9話めをUPいたします。掲載日の2004年に同時にUPされていた写真データが、あまりに小さいのにびっくりですが、合わせてお楽しみのほど♪

マンマミーア・イタリアンーと来たもんだ! 9 
どこが違う?~ミートソースとボロネーゼ
掲載日:2004年10月20日 

まいど、まいど、イダテンのゲンさんです!

先日、九州で台風18号に直撃した話をしたばかりだったが、さっそく今度は首都圏にも台風22号が来やがった。加えて、こないだも関東地方で大きな地震があって、何だか心配な話だよな~。

天候と地震ってえのは一見すると関係なさそうだが、そうでもないらしい。阪神大震災の時に発生した地震雲や・・・先日の地震でも、歌手の小金沢くんが新幹線から撮影した地震雲が話題になった。何でも、台風が日本列島に上陸するのは、震源のエネルギーに関係があるという説があるそうだ。

まあ、そんな耳学問を吹聴したところで、こちとらサカナ屋さんに何ができるもんでもねえ。あっしらにできることは、日々、安くて美味しい食材をお客さんに提供して、元気になってもらうことさな。

おかげさまで2004年度、夏のカタログ「食材仕入事典」は好評そのもの。台風にも地震にも負けず、順調に注文をいただいてるよ! 日本の外食産業に元気を与えるべく、このイダテンのゲンさん。日夜、粉骨砕身でみなさまにあらゆる「食」を提供いたしやす。

さあ、お客さん! 遠慮するこたあねえから、じゃんじゃん注文しておくんなせえ!

食はエミリア-ロマーニャにあり

今回のマンマミーア・イタリアンは、食の都・エミリア-ロマーニャ州を取り上げてみよう(州の東北部がエミリア地方。南西部がロマーニャ地方にあたる)。

中田が在籍していたパルマ、ロベルト・バッジオがプレーしていたボローニャなど、サッカーファンにはよく知られた地域らしいが、ここはイタリア全土の中でも、特に食通の中心地として名高い場所なんだ。

日本と同様、山岳地域におおわれているイタリア半島だが――ミラノからボローニャにかけては、それぞれロンバルディア平原とポー平原という、一大穀倉地が広がっている。

列車に乗ってイタリアを南北に旅すれば、一目瞭然でわかることだが――南のゴツゴツした荒涼たる大地に比べ、この北の大地の肥沃さはまさに対照的だ。昔から言われている南北イタリア貧富の格差は、この大地の違いにあると、車窓からあっしは実感したもんだ。

まさに国家は食にありさね。

さらにエミリア-ロマーニャ地方には、アエミリア街道という「ローマの道」が通っていたんだから、豊かにならぬハズはない。州都ボローニャはアエミリア街道の建設によって発達した町だったわけさ。

軍用道路として開かれたアエミリア街道だったが、ボローニャにもたらされたものは、文化や学問、芸術だった。北方からはゴシック文化(※1)、東方からはヴェネチアを通じて入ってきたビザンチン文化(※2)、南からはローマの文化が交錯し――11世紀にはヨーロッパ最古の大学・ボローニャ大学が建設されて、文化や学問の一大中心地が形成されたんだ。

そんな、お金・知性・食い意地を兼ねそなえた彼らが、イタリア有数の食文化を作り上げたのも、不思議ではない。

パルマ産生ハムや、チーズのパルミジャヤーノ・レッジャーノ。モデナ産のバルサミコなど、イタリアを代表する食材の多くが、このエミリア-ロマーニャの特産品だったりする。

今回はイタリアでも有数な食通の地・エミリア-ロマーニャ州――食べた気分になっていただきやしょう!

※1 中世西ヨーロッパ(北フランスからドイツ周辺)における美術の一形式。建築は高く窓が大きく、先端のとがったアーチ型が特徴。

※2 東ローマ帝国(現在のトルコ)に起こった、5~15世紀の美術様式。ササン朝ペルシャの影響を受けた東洋的な雰囲気が強い。

旅するミートソースくん

エミリア-ロマーニャで最も有名な郷土料理といえば、何と言っても「スパゲッティ・ミートソース」があげられる。日本でもっとも一般的な洋食の一つであり、給食のメニューにも顔を出すこの一皿だが、実はミートソースくん――この地方、出身の料理なのさ。

なに、どうせ洋食のミートソースは、アメリカ経由で日本にやってきたものだろうって?

へっへっへ、お客さん。よく勉強してらっしゃるね。

そう。洋食屋で出されるミートソースは、ピザやナポリタンと同様、イタリア移民が持ち込んだアメリカ料理を、さらに日本人の舌に合うべくアレンジしたものだったのさ。

本場のミートソース――つまりスパゲッティ・ボロネーゼ(ボローニャのスパゲッティ)は、洋食のミートソースとは似て非なるもの(洋食のミートソースも、あれはあれで美味しい。学食カレーとインドのカレーのように、まったく違う料理だな)。

向こう出される正式なミートソースは、ラグーと呼ばれる肉を煮込んだソースに、タリアテッレという、きしめんタイプの手打ちパスタを和える。その名もタリアテッレ・コン・ラグー・アッラ・ボロネーゼ(相変わらず舌を噛んじまうな)・・・つまり「ボローニャ風きしめん・煮込み肉汁合え」ってトコかな。

どこが違う?~ミートソースとボロネーゼ

裕福な都市国家ボローニャだったが、スパゲッティ・ボロネーゼには、イタリア料理らしく貧乏料理の名残りがある。ミートソースにあたるラグーが、クズ野菜とクズ肉で作れるソースだからだ。

基本材料はタマネギやニンジン、セロリ。それにミンチにした牛肉と赤ワインだが、特に決まりはなく――香味野菜なら何だって良いし、肉にしても豚肉とパンチェッタ(ベーコンのような豚バラの乾燥塩漬け)を加えてもOKだ。

そのみじん切りにした野菜を、オリーブオイルで炒めて挽肉を加え、水分が飛ぶまで1時間近くかけてじっくり濃縮させるのさ。

え? トマトは入れないのかって。

そうそう、言い忘れてたが、洋食のミートソースとスパゲッティ・ボロネーゼとの大きな違いは、トマトの量と入れ方にある。

洋食ミートソースは缶入りトマトをたっぷり入れ、場合によってはケチャップなどを加えて味つけするんだが――スパゲッティ・ボロネーゼに入れるトマトは少なめだ(6人分で300g/トマト缶1個弱)。しかも煮込まず、最後に入れて味を整えるのに使う。

この仕上げのトマトは「パッサータ」と呼ばれ、トマトを裏ごしして軽く煮詰めたもの。こいつが味の決め手になるのさ。

トマトを使う量が少ないのは、流通の発達してなかった時代に、北部イタリアではトマトが希少な食材だったためだと言われているが、とはいえトマトソースなしのラグーもありえない。

トマトは煮込んでいるうち、タマネギやセロリの味と同化するので、最初から入れると、どうしてもその味わいが消えてしまう。そこで、最小限の量でトマトの味を引き出すレシピが、現在のボロネーズなのさ。

ボロネーゼに限らず、エミリア-ロマーニャの郷土料理はハムやチーズ、肉が主役で、トマトはあくまで脇役だ。それは、あっしら日本人が抱いてるイタ飯のイメージとはギャップがあるものの、われわれが知らないイタリア料理の王道だと言えるだろう。

おふくろの味、トルテッリーニ!

同じパスタでも、この地方ではボロネーゼよりも一般的に食べられてる一品がある。それがトルテッリーニだ。

トルテッリーニを簡単にいえば、イタリアのプチ餃子だ。生パスタの中にトマトなどの野菜や肉を詰め込んだパスタで、大粒の指輪みたいな形をしている。これは日本でも乾燥ものが売られているが、やはりパスタ・フレスカ(生パスタ)を使用したものがダントツに旨い。

特にトルテッリーニ・イン・ブロードは、この地域のソウル・フード・・・いわゆるおふくろの味として、地元の人々に愛されてやまない逸品だ。ブロードとはコンソメのイタリア語で、ワンタンみたいな食べ方をすると思えば、間違いないだろう。

本来、トルテッリーニの中に入る具は、何だって構わない。リコッタチーズ、挽肉、トマトなど、好きなものを好きなように入れればいいんだが、このおふくろの味だけは入れるものが決まっている。

具には、モルタデッラと呼ばれるボローニャ特産のソーセージ、豚肉、七面鳥の肉、生ハム、チーズ、そして香りにナツメッグを入れる。

そしてスープとして、牛肉と去勢した雄鶏、香味野菜を使ってブロード(コンソメ)を作る。

こうして出来上がったスープパスタは、冬などはかなり冷え込むエミリア-ロマーニャ地方にとっては欠かせない。青森でいえばじゃっぱ汁や、北海道の三平汁、秋田のきりたんぽ鍋・・・いやいや、日本人にとっての味噌汁みたいなモンだろう。

餃子でもワンタンでもそうだが、こういった具を包む料理というのは栄養バランスがきわめて良い。その上、このトルテッリーニ・イン・ブロード・・・すべての栄養素を網羅できるだけでなく、胃腸にもやさしいなごみの一皿なんだ。

エトルリア人も食べた生パスタ?

さて――以前、「マンマミーア・イタリアン3」の時にお聞かせしたように、乾燥パスタと生パスタってのは、本来はルーツを別にする違う食べ物だ。

だからじゃないが、乾燥パスタが劣っているとか、パスタ・フレスカの方が必ず美味しいとは、一口には決められない。あくまでその旨さは、レシピによりけりだ。

だが、エミリア-ロマーニャ人に関して言うと、連中は明らかに生パスタを好む。特にトルテッリーニに関して言えば、パスタ・フレスカで食べるのが大前提のようだ。

北イタリアはデュラム小麦の成育に適してないこともあるが、それ以外の理由として、どうもエミリア-ロマーニャの人は、生パスタを生み出したのが、自分らの祖先だと信じているように思えるんだ。

なに? ゲンさん、あの時「生パスタのルーツは、古代ローマにある」と言ってたじゃないかって?

お客さん。覚えていてくれたの嬉しいが、よーくお読みよ。その下に「パスタの起源については諸説紛々」って、ちゃんと但書きしてあるだろう(え? ゲンさん、江戸っ子のクセに予防線張るようなセコい真似するなってか? へへ、そうじゃねえって。あくまで正確な記述をしたまでよ)。

実は先日、あっしのお客さんが、あの記事をボローニャ出身のイタリア人に教えたところ

「パスタ・フレスカを生み出したのは、私たちの祖先エトルリア人だ!」

と言って譲らなかったそうだ。

何でもエトルリア人ってえのは、紀元10世紀くらいから北部イタリアに住んでいた民族で、アジア方面からやってきた人たちらしい。紀元前3世紀には、ローマ帝国の逆鱗に触れて滅亡したが、おそらくは根絶やしにはならず、生き残った連中がいたんだろう。

(メキシコやペルーでも、マヤやインカの子孫が大勢残ってるからな)。

ともかくも謎に包まれてる民族なんで、ことの真偽は今となっちゃ薮の中だが――紀元前4世紀頃と見られている遺跡からは、麺棒や小麦粉の袋、ギザギザの歯がついたラビオリのカッターが出土されてる。あながち根拠のない話でないかもしれない。

エミリア-ロマーニャというのは、当時、ローマ文化圏と一線を画してした地域だ。

「骰子(さい)は投げられた」で知られる、ルビコン川はこの地域(リミニ周辺)を流れており、ローマとの国境になっていたことで知られている。

国境を越えてパスタが行き来していたかはわからねえが、それにしても「食」というものが国を左右していたことは間違いねえ話なのさ。

さて、時間が来やがった。今回は、エミリア-ロマーニャで食べられているパスタの話で終わっちまったが、次回はこの地方の特産品、生ハムや、パルミジャヤーノ・レッジャーノの話でもいたしやしょう。

それじゃあ、お客さん! 次回をお楽しみに!

マンマミーア・イタリアンーと来たもんだ!
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