竹島問題 中国の書物から大成果
livedoorのトップページにこんな記事がありましたが、残念ながらいくら決めてになる資料が見つかろうと、領土問題の進展にあまり大きな意味もありません。この資料を韓国側に見せて彼らが譲歩するわけないからです。
彼らの場合、「ドクト(竹島)はわが領土」という前提ありきで、そのためにはどんな理不尽なリクツでも押し通せるわけで・・・。
先日のブログにもあったあ@花さんのコメント
「世界は最初無法地帯からはじまり、
各々の勝手な線引きで国というものが生まれました」
というのは、ある意味で領土問題の本質です。
これは別に今だから解消されたわけでも何でもなく、世界中の紛争地域というのは、すべてこの線引きのパワーバランスの上にあると言えましょう。
領土問題で重要なのは、もちろん周辺国の理解と支持もありますが、結局最終的には力による実効支配です。
何と言っても北方領土みたいに、ロシア語を話すロシア人が住みついちゃってると、追い出そうにもそう簡単に行きません(暴言)。
俗な例だけど、青山墓地の前に「かお×た○んラーメン」って有名なラーメン屋があるんですが、あそこは掘ったて小屋を建てて違法のまま、何十年も営業してるんだって(裏はとってない未確認情報です。間違ってたらゴメンなさい。すぐ削除します)。
現行の法律だと違法でも何10年も住みついちゃうと、なかなか追い出せないとかで、かお×た○んラーメンは支店まで作っちゃってます。これもある意味領土問題に近い話でしょうか。
佐竹家が現在の茨城から秋田へ、上杉家が新潟から福島、山形へ移ったりした、いわゆる国替えというのは、こういう領土問題のこじれを別の形でガス抜きする意味もあったのかもしれません。
アイシル(メディアが言うイスラム国)が本拠地にしている地域は、当然、政府の力が及びにくい紛争地域や辺境の地域です。
中央の力が及ばない場所だから、北斗の拳を地で行く世界が出来上がるわけですが、そんなところで安心して暮らせるわけがありません。
そりゃ平和ぼけしている世界の方が良いに決まってますが、日本国だって浮沈艦ではありません。
戦国時代、武田家が滅亡する時の話。
館に住む側筆たちは、館から逃げる理由がよくわからなかったといいます。
あまりの強さに敵を領土に入れたことがなく、城すら持たなかった武田家だったから、それまで戦というのは国の外でやるもの。勝って帰るものと信じていたからです。
何やらその話、今の日本にも当てはまらないではないような・・・。
↓ 武田家終焉の地、甲州は天目の山々。景徳院というところに手厚く葬られているそうで、武田家が祟るということは未だないそうです。